弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

人間

2020年12月28日

善と悪のパラドックス


(霧山昴)
著者 リチャード・ランガム 、 出版 NTT出版

ヒトラーもスターリンも、そしてポル・ポトも何百万人もの人々の処刑を命じたが、親しい人には愛想が良く、いつも温和な態度を示していたという。つまり、ひどく邪悪な人間も穏やかな一面をもつことはありうるのだ。
人間は生まれつき性善か性悪か、単純な議論に意味はない。人間は生まれつき善良であり、同時に生まれつき利己的だ。すべての人が善にも悪にもなりうる。
生物学的な条件が人間のもつ矛盾する性質を決定し、社会が両方の性に影響を及ぼすのだ。善良さは、強化されることもあれば堕落することもある。同じく、利己心には強まることも、弱まることもる。人間が特異なのは、ふだんの社会生活ではいたって穏やかなのに、ある状況では、すぐに相手を殺すほど攻撃的になるという組み合わせだ。
チンパンジーは、オスがメスより優位で、比較的凶暴だ。ボノボは、概してメスがオスより優位に立ち、平和的で、攻撃の代わりに性行動をとることが多い。
そして、人間は、ボノボのように非常に忍耐強いものの、同時にチンパンジーのように非常に凶暴だ。ボノボは人間によって家畜化されたのではない。ということは、ボノボは「自己家畜化」したのだ。
ニューギニアの隔絶された高地に住むダニ族は、他部落との領地(ナワ張り)をめぐる争いは深刻で、死因の3分の1は、その争いに起因する。しかし、村のなかでの暴力は厳しく統制されている。敵を威嚇しても、自分の村のなかでは、決して暴力をふるわない。
これは、文明国の兵士が戦場と母国とで行動がまったく異なることと同じ(共通している)ことだ。
日本軍の兵士が中国大陸で残虐行為を繰り広げていたのは事実としてあるわけですが、今やその体験者がごくごく少なくなっていっています。
オオカミは犬とは違う。どれほどオオカミを飼い慣らしても、家畜されることはない。
おとなの類人猿は安全ではない。どんなに慣れたチンパンジーでも、人を攻撃しないという保証はない。
家畜化された動物と野生種との違いが四つある。その一は、家畜は野生種より小型になる。その二は、家畜は顔が平面的で、前方への突出が小さくなる。その三は、オスとメスの違いが家畜では野生動物より小さい。その四は、家畜は野生より脳が明らかに小さい。ただし、能力が劣化するというのではない。
チンパンジーのオスがメスにしばしば暴力をふるのは、目につけたメスをおびえさせて交尾要求を容易に受け入れさせるのが目的だ。そして、このメスをおびえさせるだけ多くの子孫を残す、オスの戦略の重要な要素になっている。
ところが、ボノボは、食べ物をすすんで分かちあい、他者が自分の食べ物を食べることに寛容だ。ボノボにとって食べ物より仲間のほうが重要なのだ。
チンパンジーとボノボは、90万年前から210万年前に共通の祖先から分かれた。ボノボの頭蓋骨は、子どものもののように見えて、実は大人なのだ。ボノボの発情期は長く、メスがオスに対して主導権を握っている。ボノボは、おとなになっても同性愛的な行為(ホカホカ)を続ける。交尾と遊びは一体となっている。ボノボの群れの中心には常にメスの集団があり、オスよりメスの数が多い傾向にある。メスのほとんどは近い血縁関係になく、メスは安定した結びつきを築くことで、防衛的な協力体制をつくりあげている。オスは、それによって、攻撃を無効化され、おとなしくなっている。
ボノボは人間の手が加わらなくても家畜化している(自己家畜化)が、人間も同じように自己家畜化している。
カンボジアやルワンダで大量虐殺の実行者(犯)たちは、狂信者というのではなく、家族や同胞をふつうに愛する平凡な人々だった。恐怖と凡庸は、お決まりの組み合わせだ。
人間に近いチンパンジーとボノボの違いというのは何度読んでも大変興味深いものがあります。そして、人間の自己家畜化のきっかけは「言語」を操る能力だったということに大いに注目しました。
人間が本来善であり、悪であるという認識に立ち、いかにして世界の平和を守り、戦争にならにようにするか、その努力が大切だと痛感しました。
(2020年10月刊。4900円+税)

2020年12月20日

草原の国キルギスで勇者になった男


(霧山昴)
著者 春間 豪太郎 、 出版 新潮社

いやはや、いまどきの日本の若者(男性)にも、こんな無茶な冒険をする人がいるんですね、驚き、呆れ果ててしまいました。いえ、決して非難しているのではありません。私なんか絶対に真似できない(したくない)冒険をあえてしている話に接して、指をくわえて、ひたすらうらやましがっているというわけです。
どんな冒険かというと、キルギスの草原を馬と一緒に行く、2頭の羊そして犬と一緒に同じく草原を行くというのです。
まあ、馬と一緒に行くというのは分かりますよね。でも、羊と犬を連れて歩いていくというのにどんな意味があるのか...。とくに意味はないのでしょうね。
ところが、著者は、なんとそれをどちらも成功させるのです。しかも、パソコンは自由自在どころか、ドローンまで飛ばすのです。そして、各地で親切な人々と出会い、そこで何泊もさせてもらったりもします。
そのとき、京都・祇園や新宿・歌舞伎町でキャッチをした経験をいかすのでした。つまり、この人は信じられるか否かを、一瞬で見抜く技(ワザ)を見につけているというのですから、たいしたものです。
著者の自己紹介によると、主なスキルとしてまず語学があげられています。英語、フランス語、アラビア語、ロシア語ほかが話せるようです。たしかに、キルギスの草原では、せめてロシア語くらい話せないといけないでしょうね...。
著者のスキルには、まだほかに、気象予報士、応用情報処理技術者、そしてキックボクシングもできるといいます。まさしくスーパーマンですね、これって...きっと...。
見知らぬ大地を冒険するには、それくらいの資格が必要なのでしょうし、また、とれたらチャレンジしたくもなるのでしょう...。
(2020年10月刊。1900円+税)

2020年12月15日

これからの男の子たちへ


(霧山昴)
著者 太田 啓子 、 出版 大月書店

小学6年生と3年生の2人の息子の子育て真最中の女性弁護士が男の子の育て方について体験をふまえて問題提起しています。
なるほど、なるほど、そうなんだよな...と私も反省させられるところが多々ありました。
子育てするなかで、人間というのは、ごく幼いうちから社会の中で生きる「社会的存在」なのだとつくづく感じさせられた。
「カンチョー」は性的虐待だ。スカートめくりは激減した。なるほど、これまた、そうなんですよね...。
男性学なるものがあることを初めて知りました。
男性学とは、充実した仁政を送っているとはとても言えない、さまざまな問題をかかえている悩める男たちが、より豊かな人生を送るために生み出された、男性の生き方を探るための研究。うむむ、私も改めて勉強しなくては...。
アルコール依存症患者の9割は男性。アルコール依存症は否認の病。自分にお酒の問題があることをなかなか認めない。「助けてほしい」「気持ち分かってほしい」と、自分の弱さや悩みを言葉にして周囲に援助を求めればいいのに、しらふでは「男らしさのとらわれ」から出来ず、飲酒によって子どものように退行することで周囲にケアさせる行動がみられる。
インセルという言葉も初めて知りました。自分で望んだわけでもないのに、女性と性的関係をもてない男性のこと。
「女嫌いの女体(にょたい)好き」という表現もあるそうです。女性を蔑視しながら、女性との性的関係に固執する男たちのことです。女性を泥酔させてレイプする性犯罪を繰り返していた集団に属する男たちがそうです。女性と仲良くなって同意のうえでセックスするのではなく、女性の意思を無視して、いかに数多くの女性とセックスしたかを競い、自慢しあうという男たちです。私なんか、そんな話を聞くだけでも嫌になります。
痴漢被害者に気がつかない、気がついても助けようとしない大人たちがいかに多いか...。ここは私も大いに反省させられました。いえ、目撃したということはないのです。ただ、目撃したり、助けを求める叫びを聞いても、それに応えて行動できるか心もとない、自信がないということです。やはり、勇気がいります。
「ひるまない」ことの大切さが強調されています。すぐに行動しなければいけないっていうことも多いわけなんですよね。むずかしいことですが...。
この本で著者は3人と対談して、さらに問題点を掘り下げていて、これまた視点が広がり、大変勉強になりました。5歳と2歳の2人の男の子(孫です)と格闘中の娘にもぜひ読んでもらいましょう。増刷が相次ぎ、早くも5刷です。これは、すごーい。この分野に世間の関心が集まるのは、とてもいいことだと思います。
(2020年11月刊。1600円+税)

2020年12月14日

それでも読書はやめられない


(霧山昴)
著者 勢古 浩彌 、 出版 NHK出版新書

私と同じ団塊世代の著者は大変な読書家のようです。
「それでも」というのは、2018年10月に軽い脳梗塞をしたからのようです。私も、読書はやめられない部類です。しかも、電子書籍ではなく、紙の本に限ります。赤エンピツ片手に、ここぞと思ったところにはアンダーラインを引きます。この作業のとき、2度読み、あとで書評のために引用するため3回読んで、そのあと、すっかり忘れてしまうのです。
そして、著者は面白そうな本を死ぬまで読みつづけると言うのです。私も、面白そうな本が最優先ではありますが、もう一つ、この世の中がどうなっているのかを知りたいという欲求に応えてくれる本なら、面白そうでなくても挑戦します。新規性がなく面白味もなかったら、ガッカリするだけですが、ともかく最後まで手早く頁を繰って、なにが面白いことがないか、目新しいことが書かれていないか、最後まで読み通します。あとがきや解説を読んで、なるほど、そういうことだったのかと思い至ることがあります。
人間的成長に資するかどうかなんていうことは、私の読書とはまったく無縁の観点です。幅広い読書をすると、総合的な判断を下すことができる。なーるほど、ですよね...。
読書は人間の幅を広げ、器を大きくする。そうかも...。
読書は、コミュニケーション力を育てる。たしかに話題は豊富になりますけど...。
古典への挑戦は、私も何回もしました。その典型はマルクスの「資本論」です。弁護士になって2回読みました。一応全巻通読です。といっても、理解できたとは、まったく考えていません。読み通したことの自信が残っているだけです。あと、「源氏物語」は、古典ではなく、新訳で挑戦したいとは思いますが...。プルーストの「失われた時を求めて」は、敬遠し続けるつもりです。
私は、本を買って読む派です。図書館は資料として読むために利用するだけです。
現代小説を読まず、時代小説と海外ミステリーが残っているという著者です。なので、ノンフィクションの類がまったく紹介されていません。それだけは残念でなりませんでした。
(2020年3月刊。900円+税)

2020年12月13日

映画の匠、野村芳太郎


(霧山昴)
著者 野村 芳太郎 、 出版 ワイズ出版

映画ファンなら、「七人の侍」と並んで名高い「砂の器」をみなかった人はいないでしょう。山田洋次監督の師匠にあたる映画監督です。親も映画監督で、息子さんも映画プロデューサーです。
でも、「張込み」はみた記憶がありますが、「伊豆の踊子」とか「五弁の椿」は今でも見てみたいなとは思いますが、残念ながらみた記憶はありません。
「砂の器」は、1974年(昭和49年)制作ですから、私が弁護士になった年のことです。東京の映画館でみたときの圧倒的な衝撃は今も身体に残っています。上映時間は2時間23分の超大作映画です。毎日映画コンクール大賞など、いくつもの賞を受賞しています。
音楽の芥川也寸志もしびれましたが、なにしろロケ地が良かったですね。このロケハンに1年もかけたといいます。
冬の厳しさには、本州・北端の龍飛(たっぴ)埼、春は生活感のある花として信州・更埴市のあんずの里、新緑の北茨城、真夏の亀嵩村そして秋は北海道・阿寒にロケを敢行したのでした。
勝負どころの音楽会は埼玉会館で3日間の勝負、エキストラは連日1200人...。
野村監督は趣味を問われると、なんと、丹精こめて映画をつくりあげること、そして、自分の作品が上映されている劇場に行って観客の顔をみること。充実した顔で劇場を出ていく観客をみるのが楽しいから...。なーるほど、ですね。
野村監督は実は、戦争中、かのインパール作戦に従軍しています。補充将校として1943年(昭和18年)4月にビルマに出発。第15師団独立自動車第101大隊小隊長として、2年間、ビルマ戦線で弾薬を輸送する任務についていた。後方部隊ではあったけれど、それでも決して安全なところにいたわけではない。ビルマの戦場では19万人もの日本兵が死に、インパール作戦だけでも6万5千人もの戦死者がいる。野村監督は、現地の戦場で人間が腐って死んでいく姿を見ていた。
人間の腐敗は、生きているうちに始まる。重傷を負い、また栄養失調と疲労で動けなくなった兵士の皮下に、ハエが卵を産みつける。皮下で卵がかえってウジとなる。すると、そのウジは、兵士の肉を食べて成長する。やがて兵士の体は異常に膨張しはじめる。皮下で無数のウジが、どんどん育っていく。そして、あるときピッと皮膚がはじけて、ウミとウジが流れ出てくる。そして流れ出たあとに白い骨がのぞいている。腐敗がはじまって、ビルマの赤い土になるのに半月とかからない。「猿の肉だ」と言って、死んだ戦友の身体の肉を食べて生き残った兵士もいた...。まさしく生き地獄だった...。
山田洋次監督は師匠の野村監督について、クール、冷静で鋭い頭脳の持ち主だったと評する。突き放したところで観察していて、ときおり的確な助言をする、そんな教え方だったと...。
20年間に70本もの映画をつくったというのですから、今では考えられませんね。短期間に大量生産したわけですが、それだけ映画製作スタッフが充実していたということなんでしょう。美空ひばりや、コント55号などそのときの有名人を主人公とした映画も見事につくっていますので、よほど映画監督が性にあっていたのでしょうね...。
堂々、500頁の大作ですが、なつかしい思いが一杯あふれる本でした。
(2020年6月刊。3600円+税)

2020年12月 8日

民衆暴力


(霧山昴)
著者 藤野 裕子 、 出版 中公新書

思わず居ずまいを正してしまうほど大変勉強になりました。
まず第一に江戸の一揆。江戸時代の一揆の大半は暴力的なものではなかった。村には火縄銃がたくさんあったが、一揆勢の百姓たちが銃を代官所に目がけて撃つことは決してなかった。それは、まっとうな仁政を願う立場での統制のとれた行動をしていたから。
一揆が当局側と、殺し殺される暴力的なものだったのは、島原・天草の大一揆と幕末のころに限定される。島原・天草一揆が暴力的だったのは、宗教を背景としていることと、江戸幕府の支配体制が始まったばかりの時期だったから。これは仁政の回復を求める行動ではなかった。
19世紀の幕末のころの一揆は、貧富の格差が拡大するなかで、幕藩領主が有効な政策をうち出さず、飢饉などによって仁政イデオロギーが機能不全に陥っていたことによる。人々は、かつてのような蓑笠を着用せず、刀や長脇差しを身につけていた。もはや、百姓身分をアピールして仁政を求めるということではなかった。
次に、新政反対一揆。香川県で明治6年(1873年)に起きた名東県の一揆というのを初めて知りました。130村で放火があり、戸長や吏の家宅200戸、小学校48ヶ所などが放火された。この一揆の参加者として1万7千人が処罰された。
同年の筑前竹槍一揆は、参加者6万4千人で、このとき被差別部落1534戸が被害にあった。民衆は権力に対して暴力を振るっただけでなく、差別されていた民衆に対しても暴力を振るった。
そして秩父事件は明治17年(1884年)に起きている。国会開設と憲法制定を求める自由民権運動に物足りなさを覚えた人々の受け皿となっていた。一揆の要求としては、具体的かつ経済的な負担の軽減を求めている。
自由党は徴兵制度や学校を廃止してくれ、租税を軽減し、借金をなかったことにしてくれると思って、農民たちの多くは自由党を支持した。この秩父事件についての官憲による処罰者は4千人をこえた。
次に、関東大震災直後の朝鮮人虐殺です。1923年9月1日、マグニチュード7.9の大地震だった。このとき、震災直後から、警察は朝鮮人に関する流言・誤認情報を流した。
つまり、震災当初から政府や警察は流言と否定するどころか、むしろ広めていた。公権力の手によって、デマが流布していた。そして、軍関係者が民衆に暴力行使を許可したことが多くの朝鮮人の虐殺につながった。このときの犠牲者が正確に判明しないのは、警察と軍隊によって意図的に遺体が隠蔽(いんぺい)されたからだ。日本国政府は、この虐殺事件について、事実関係を認めず、謝罪や補償もしてこなかった。
虐殺行為をはたらいた日本人男性は40代までを中心としていて、朝鮮人に仕事を奪われているという感覚があった。そして、国家権力がその暴力を直接的、間接的に許可したことには大変大きな意味があった。
民衆が暴力に訴えたとき、被差別部落を襲撃した人々の考えはどういうものだったのかが解明されていて、大変興味深いものがありました。そのミニミニ版が他県ナンバー乗り入れに目くじらをたてるというものでしょうね。一揆などの民衆の暴力を歴史的に鋭く解明してある新書なので、最後まで一気呵成に読みとおしました。
(2020年8月刊。820円+税)

2020年11月28日

七人の侍、ロケ地の謎を探る


(霧山昴)
著者 高田 雅彦 、 出版 アルファベータブックス

日本屈指の傑作時代劇映画『七人の侍』は何年も前に映画館「中州大洋」でみたように思います。やはり映画館の大スクリーンは迫力が違いました。
映画が公開されたのは1954年4月。上映時間は3時間27分。観客700万人、2億9千万円の配給収益。撮影期間は10ヶ月間。製作費は2億Ⅰ千万円。これは通常の3~4千万円の5~7倍。
黒澤明監督43歳、志村喬(島田勘兵衛)48歳、三船敏郎(菊千代)33歳。いやあ、みんな若いですね...。
通俗アクション映画にして、アート(芸術)映画。人間の業(ごう。わざ)、つまり本質を描いた悲劇であり、喜劇。動と静、熟練と未熟、理想と現実、正と死が隣り合わせ、観念性とテーマ性が見事に融合した奇跡的な映画。
『七人の侍』は、世界中で「映画の教科書の一本」、あるいは「映画のなかの映画」として評価されている。あの『スター・ウォーズ』も『七人の侍』の影響を受けているとのこと。
この本は、『七人の侍』が撮影されたロケ地を探し求めて、ついに特定したという苦労話のオンパレードなのですが、撮影している光景の写真がたくさんあって、撮影当時の苦労がしのばれ、とても興味深いのです。
伊豆長岡、御殿場、箱根仙石原、そして、世田谷区大蔵の東宝撮影所でした。世田谷区大蔵は、当時は見渡すかぎり畑のみで、キツネや狸が横行する土地だったのです。
『七人の侍』のラストの野武士たちに対して侍と百姓連合軍による雨中の決戦シーンの大迫力は、思い出すだけでも身震いしてしまうほどの物すごさでした。これは、西部劇で雨が降ることのないことに対比させて、「雨で勝負しよう」という黒澤明のアイデアだったとのこと。そして、この映画で降らした雨の量は半端ではなかった。消防団のポンプ7台(8台か?)をつかって近くの仙川から汲み上げた水をたっぷりまき散らしたのです。
ところが、撮影直後の1月24日、東京は大雪が降った。30センチもの積雪となり、この雪を水で溶かすと、オープンセットの地面は、もとが田園だったため、セットはたちまち泥田に変貌した。
雨中の決戦シーンは9分間。4台のカメラを使って、一発勝負の撮影だった。さすがの三船敏郎も、このあと1週間も大学病院に入院したとのこと。
ロケ地を探る過程で現地を訪ねて歩いているうちに、映画に群集の子役で出演したという人に出会います。なんと1947年うまれ。私と同じ団塊世代です。出演料としてキャラメル1箱をもらったそうです(親は、お金をもらったのでしょうが...)。
御殿場ロケのときには、富士山が写り込まないように苦労したという。それは、映画の舞台が、日本のどこだか分からないという設定なので、富士山が見えたら興醒めだから...。なーるほど、ですね。
それにしても撮影終了(クランクアップ)して、1ヶ月後に公開するなんて、信じられませんよね...。黒澤明監督は、10ヶ月の撮影期間中に、ずっと編集もしていたということなのですが、それにしても、スゴすぎます。43歳にして1954年に2億Ⅰ千万円をつかう映画をまかされるなんて信じられません。
『七人の侍』を映画史上最高傑作と考えている人には、ぜひ読んでほしい本です。
(2020年7月刊。2500円+税)

2020年11月20日

ウィルスの世紀


(霧山昴)
著者 山内 一也 、 出版 みすず書房

ウィルスと細菌を区別するのは難しい。細菌は、もっとも原始的な細胞であり、独立した生物。ウィルスは、細胞に寄生しなければ増殖できない。
細菌は二分裂で増殖する。ウィルスの増殖方法は細菌とはまったく異なる。ウィルスは、まず粒子の表面にあるウィルスのタンパク質(鍵)を細胞の受容体(鍵穴)に結合して、細胞の中に侵入する。細胞は、いわばウィルスの生産工場。
ウィルスは、工場の機能をハイジャックして、ウィルスの設計図(核酸)の情報にしたがってウィルスの部品(タンパク質)を生産させる。そして、細胞の中でそれらを組み立ててウィルス粒子をつくりあげ、細胞外に放出する。このように、部品を大量生産する方式で、二分裂と比べて非常に高い高率で子孫粒子を生産する。
ポリオウィルスは、試験管内で、1日で1個のウィルスから数万ないし数十万のウィルスが産生される。
ウィルスは、ほかの生物に依存すれば、生物界にしか見られない仕事ができる有機体である。したがって、ウィルスは生物でもなければ無生物でもないとみるほかない。
天然痘ウィルスや麻疹ウィルスは、人間集団の中でしか生存していけない。
ヒトのウィルスの多くは、困ったことにマウスでは増えない。
人類は気づかないまま、ながいあいだウィルスと共生してきた。
コウモリのだ液、尿、糞便、交尾によって、コウモリのあいだでウィルスは受け継がれている。フィリピンのニパウィルスは、感染源のオオコウモリから、ウマを介してヒトに移り、ヒト―ヒト感染が起きた。コウモリは、いわばウィルスの貯蔵庫になっている。ある調査では、コウモリから137種ものウィルスが見つかった。そのうち61種はヒトに感染できる。コウモリの平均寿命は20年ほど。
中国では、伝統的に野生動物を食べると健康に良いと信じられている。とくに外国産の動物は高価で、接待につかって自分のステータスを示す。また、漢方薬の原料としても、野生動物の需要は増加している。
ウィルスには抗生物質は効果がない。ウィルスは細胞の機能を乗っとって増殖するため、ウィルス治療薬は細胞に影響を与えずにウィルスの増殖を阻止するものでなければならない。
新型コロナウィルスのワクチンが簡単にできるとは思えません。トランプ大統領は、風邪みたいなものだと言って、軽視しましたが、とんでもない暴言です。アメリカでは1日に10万人もの感染者が出て、死者も多数でていますが、それは、国民皆保険ではないからだと思います。
日本もGO、TO、トラベルで人々が全国を駆けめぐっていますが、それによって感染者が爆発的に増えないか本当に心配です。ウィルスとは何かを知るうえで、とてもタイムリーな本だと思いました。
(2020年8月刊。2700円+税)

2020年11月14日

蓼食う人々


(霧山昴)
著者 遠藤 ケイ 、 出版 山と渓谷社

蓼(たで)食う虫も好き好き、とはよく言ったものです。
カラスを食べていたというには驚きました。フクロウを囮(おとり)にしてカラスを捕り、肉団子にして食べたというのです。カラスは赤肉で、歯応えがあって味わい深いそうです。カラスって不気味な真っ黒ですから、私なんかとても食べたいとは思いません...。
サンショウウオは、皮膚から分泌する液が山椒(さんしょう)の香りがするとのこと。知りませんでした。
野兎(のうさぎ)は、各家庭でつぶした。肉だけでなく、内臓から骨、毛皮まで無駄なく利用できる。野兎は、「兎の一匹食い」と言われるほど、捨てるところなく食べられる。なので、野兎のつぶしは、山国の人間の必須技術だった。野兎は鍋に入れる。味は味噌仕立て。白菜・大根・ネギに、スギヒラタケやマイタケを入れる。そして、別に野兎の骨団子をつくって、子どものおやつにした。肉が鶏肉に似ていて、昔からキジやヤマドリの肉に匹敵するほど美味なので、日本では野兎を一羽、二羽と数える。
岩茸(イワタケ)は、標高800メートルほどの非石英岩層の岩壁に付く。山奥の比類なき珍味だ。ただし、岩茸は、素人には見つけるのが難しい。1年に数ミリしか成長しない苔(こけ)の一種で、キロ1万円以上もする。
鮎(アユ)は、苦味のあるハラワタを一緒に食べるのが常道。なので、腹はさかない。頭から一匹丸ごといただくのが、せめてもの鮎に対する供養になる。
オオサンショウウオは、200年以上も生きると言われてきた。実際には野生だと80年、飼育下でも50年は生きる。
ヒグマは、もともと北方系で、寒冷な環境や草原を好み、森林化には適応できなかった。
敗戦直前の1944年に新潟県に生まれ育った著者は、子どものころ、野生の原っぱで、ポケットに肥後守(ヒゴノカミ。小刀)をしのばせて、カエルやヘビ、スズメや野バトを捕まえて解剖して食った。そうして、人間は何でも食ってきた雑食性の生き物だということを痛感した。
よくぞ腹と健康をこわさなかったものだと驚嘆してしまいました。
(2020年5月刊。1500円+税)

2020年11月 3日

世界の起源


(霧山昴)
著者 ルイス・ダートネル 、 出版 河出書房新社

知らないことは世の中にたくさんありますが、この本を読みながら、地球と人間(生命)の関係が深いことに今さらながら大いに驚かされました。
我らが地球は、絶え間なく活動し続ける場所であり、常にその顔立ちを変えている。地球が変化する猛烈な活動すべての原動力となるエンジンがプレートテクトニクスであり、それは人類の進化の背後にある究極の原因となっている。
過去5000万年ほどの時代は、地球の気候の寒冷化を特徴としてきた。長期にわたる地球寒冷化の傾向は、主としてインドがユーラシア大陸と衝突して、ヒマラヤ山脈を造山させたことによって動かされてきた。
東アフリカが長期にわたって乾燥化し、森の生息環境を減らして細切れにし、サバンナに取って代わらせたことが樹上生活をする霊長類からホミニンを分岐させた。
歴史上で最初期の文明の大半は、地殻を形成するプレートの境界のすぐ近くに位置している。現在、我々は間氷期に生きている。地球は存在してきた歳月の8割から9割は、今日より大幅に高温の状態にあった。南・北極に氷冠がある時代は、実際にはかなり珍しい。
地球がまっすぐに自転していたら、季節はなかっただろう。ミランコヴィッチ・サイクルは、北半球と南半球で太陽からの熱の配分を変えるので、季節の変化の度合いが変わる。
75億人もいる人間(ヒト)のあいだの遺伝的多様性は驚くほど乏しい。アフリカから6万年前に脱出したヒトは、恐らく数千人だっただろう。そして、アフリカを出てから5万年内に人類は南極大陸をのぞくすべての大陸に住み着いた。
地球が温暖化するなかで、1万1000年前ころに、ヒトは農業と定住に踏み出した。
恐竜は草がまったくない大地をうろついていた。ヒトは草を食べて生きのびた。草を熱と火をつかって栄養素を吸収できるようにした。
地球だけでなく、ヒトの体の分子までも、星屑(ほしくず)からできている。
金(キン)は、地球がその鉄の中心部と珪素のマントルに分離したのちに、小惑星の衝突によって地表にもたらされたもの。
地球の外核にある溶けた鉄の激しい流れが、ちょうど発電機のように磁場を生み出す。地球上の複雑な生命体の存在は、それ自体が鉄の中心部に依存している。ヒトの血に流れる鉄は、それを生み出した太古の星の核融合の鍛冶場(かじば)に結びつけるだけでなく、地球の生命を守って世界に張りめぐらされている磁場にもつながっている。
地球の生涯の前半において、世界には大気中にも海洋にも酸素の気体は存在しなかった。初期のシアノバクテリアが地球に酸素を送り出した。
地球の歴史の9割には、地上に火は存在しなかった。火山は噴火したが、大気には燃焼しつづけるだけの酸素がなかった。酸素の増加は、複雑な生命体を進化させただけでなく、人類に道具としての火を与えた。
地球は生きていて、変化し続ける存在であること、ヒトをふくむ生命はその変化に対応して存在しているということが、実に明快に説明されていて、声も出ないほど圧倒されてしまいました。大いに一読に値する本です。
(2019年11月刊。2400円+税)

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