弁護士会の読書
※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。
人間
2024年9月 2日
王墓の謎
(霧山昴)
著者 河野 一隆 、 出版 講談社現代新書
やはり、常識というか、通説は疑ってみるものなんだということが分かる新書です。
たとえば、仁徳天皇陵は、クフ王のピラミッド(エジプト)や秦始皇帝陵(中国)に匹敵する規模。そして、疑問は...。それだけの墓を潔く技術があるのに、なぜ生活に直結するような社会のインフラにエネルギーをしなかったのか...。
次に、王は、本当に権力者だったのか...も、著者は疑っているのです。
殷(いん)の王墓は地下深くに巨大な墓室が造営されているが、地上には墓であることを示すしるしはない。そして、殷の王陵のそばにある殉葬抗には、3000体以上が確認されている。3000人以上が殺され埋められたということです。よくも反乱が起きなかったものですね。
著者は「弱い王」という概念を提起しています。それは、権力者が神格化することでなったのではなく、神聖性をまとわせるために社会が必要とし、殺されるために選出された人間。生贄(いえにえ)のように神へ贈与されたのが「弱い王」。死ぬことと引き換えに神と協力できた王が神聖王。つまり、王墓とは、神聖性が特定の王に固定化されるリスクを回避するために人類が発明した優れた機構。王は強い権的な支配者ではなく、自然災害、人為災害など社会の存続を揺るがすような重大な局面に瀕したとき、成員の中から選ばれた人物であり、その人物が威信財を携えて神に捧げる役回りを演じた舞台が王墓なのである。なんだか、これまでの通説とはちょっと違っていますよね...。
メキシコのテオティワカンには記念建造物はあるが、王墓はない。
エジプトでは、ファラオの関心が現世から来世のほうに重きが置かれるようになった。葬送複合体の中心はファラオの遺骸を納めたピラミッドから、太陽神ラーを祭るための神殿へ移っていった。ファラオが死後に太陽神ラーの下で神となるのであれば、王墓よりも神殿に直接礼拝するほうが祈願がかなえられるだろうと人々が考えるようになった。王が神格化を強めれば強めるほど、人々は王墓を重視しなくなるというパラドックスが生まれた。その結果、王墓はファラオの私的な意思で築かれるものに変質した。
人々と神聖王との心的関係がもはや回復できないほど隔ててしまうと、ついに王は性格を一変し、むき出しの権力を誇示する「強い王」権力王が誕生した。そうなると、人々の自発的な協力は望めず、強制的な徴発をせざるをえなくなる。
王墓が全国いたるところにあることの意味が少し分かった気にさせられる、面白い新書です。
(2024年5月刊。940円+税)
台風一過、朝は涼しくなりましたが、日中はまだ炎暑が続いています。
庭に出るとツクツク法師が鳴いていますし、彼岸花系統の白い花がたくさん咲いています。サルスベリも、白い花を咲かせています。
朝顔の花も、紅いの、白いの、そして淡い水色の花が咲いています。
夕方、日が暮れるのが早くなりました。
2024年9月 1日
痛快生活練習帳
(霧山昴)
著者 旺文社ムック 、 出版 旺文社
団塊世代への提案本です。といっても私たち団塊世代は今や後期高齢者(75歳以上)になってしまいました。今さら何を提案するのかと思うと、実は、この本は今から25年も前に刊行されたものです。
なので、団塊世代は50歳代に突入したばかりで、まさしくバリバリの現役世代でした。だから旅に出ようという呼びかけに素直に応じられます。旅といっても千差万別。豪華なシティーホテルに一人で宿泊するというのもありますが、たいていは自然豊かなところへ足を運びます。東海道五十三次の旅を再現しようという人もいます。まだまだ歩けるのです。足腰が弱ってきたら、もう無理できません。
スズムシなどの「鳴く虫」を自宅の書斎の虫かごで飼って育てている人がいます。その虫の数は、なんと4万匹。たいしたものです。スズムシ、カンタン、マツムシ、クツワムシ、キリギリスなど13種類の鳴く虫を育てているというので圧倒されます。昆虫少年がそのまま大人になったのですね。
福岡の大学教授が現職のまま漫才師としてプロデビューしたという人がいるのには驚かされます。久留米そして福岡にも、弁護士でありつつ、漫才師を目ざしている人がいます。
団塊世代が好んで読む本には、ロマンと痛快がある。これには多読主義者の私にも異論はありません。「旅する巨人」という、宮本常一と渋沢敬三を主人公とする本、ヘンリー・D・ソローの「森の生活」は私も読んで、いい本だと思いました。
そして、江戸時代の商人であり、哲学者でもある山片蟠桃(ばんとう)には心が惹かれます。
スマホを持たない(持ちたくない)私は、海外旅行は断念して、国内旅行に専念しようと考えています。全国47都道府県の全部に行きましたが、まだ行っていない島はいくつもありますし、足を運んでいない遺蹟や歴史的名所も多いので、そこを少しずつ行ってみようと考えています。歩けるうちが人生の華(はな)ですから...。
本箱の隅に眠っていた本を引っぱり出して読んでみました。
(1999年10月刊。952円+税)
2024年8月10日
吉永小百合、青春時代写真集
(霧山昴)
著者 日活 、 出版 文芸春秋
私は何を隠そう(昔も今も隠してなんかいませんが...)サユリストなのです。
その小百合ちゃんの青春時代の写真集が出たと聞いて、すぐに注文しました。いやあ、良かったですね、すごい写真で、改めて小百合ちゃんにほれぼれしました。
映画女優デビュー65周年記念という企画です。私の弁護士生活50年をはるかに上回ります。それでもって、今もバリバリの現役女優なのですから、本当に尊敬します。
小百合ちゃんと私の共通項がたった一つだけあります。それは、水泳です。私は週に1回、プールで自己流のクロールで1キロ泳ぎます。40分かかります。小百合ちゃんは、どうやら、週に何回か泳いでいるようです。それでいてゴーグルの跡が顔に片リンも見られませんから、よほど、泳いだあとの顔面マッサージを丹念にしているのでしょう。
この本には出てきませんが、高校1年の入学式に日活に入り、それからまともに学校に行っていない(行けなかった)小百合ちゃんは、早稲田大学第二文学部に入学して無事に卒業しています。それもまた、すごいことです。よほど勉強熱心なのですね...。
この本には小百合ちゃん主演の映画が写真とともにたくさん紹介されています。残念ながら、そのほとんどを私は観ていません。私が観たのは、まずは「キューポラのある街」です。小百合ちゃん17歳、1962(昭和37)年です。まだ私は中学生でした。「青い山脈」とか「伊豆の踊子」は観ていません。小百合ちゃん18歳、1963(昭和38)年の作品です。
「パリの小百合ちゃん」という写真もあります。セーヌ川のほとり、そしてベルサイユ宮殿の庭に腰かけた小百合ちゃんがいます。そして、さらに残念なことに、「戦争と人間、完結篇」(1973年)も私は観ていません。「ああ、ひめゆりの塔」(1968年)も観た覚えがありません。本当に残念です。
まあ、それにしてもいい写真集です。私が吉永小百合を心から尊敬しているのは、大女優でありながら、地道な平和を求める取り組みを一貫して続けていることです。
原爆反対の声をあげ続けていることに、ひたすら共感したいと思います。
(2024年6月刊。3200円+税)
2024年7月12日
アイヌもやもや
(霧山昴)
著者 北原モコットゥナシ ・ 田房 永子 、 出版 303Books
アイヌ民族と差別について、マンガをふくめて問題点が手際よく紹介されている本です。私自身も読んで大いに反省させられました。
沖縄の人から見ると、九州・四国・本州の人々は「やまとうんちゃ(やまとの人)」です。同じように、アイヌ民族からすると「シサム」と呼びます。初めて知りました。
日本は「単一民族国家」だとか「一民族一国家」という、アイヌ民族という少数民族の存在を無視した言い方をする人が少なくありません。これは、たしかに間違いだと私も思います。
ちなみに、「奄美・琉球民族」という表現は、私には正しいものとは思えませんが...。
在日コリアンを含めて、多数の外国人労働者が現に日本に存在していることも無視してはいけない現実です。私は福岡市内でフランス語を学んでいますが、そのフランス人講師は、フランスの歌手にもサッカー選手にも起源はフランス外の人が驚くほど多数いることを紹介していました。国際交流が進んで世界平和につながっていくことを私は願っています。ところが、今、ヨーロッパでは移民排斥を主張する極右勢力が支持を集めているという悲しい現実があります。
1899年に制定された北海道旧土人保護法は、名称からして「旧土人」といういかにも差別的な法律ですが、アイヌの農耕民化・和風化をすすめるため、アイヌに農地が用意された。しかし、和民族に対しては1人あたり10万坪なのに、アイヌに対しては1戸(1人ではなく)あたり1万5千坪だけ。ケタ違いでした。
1980年代、札幌市の高校で、社会科の教師が、「誤ってアイヌと結婚しないように」と言って、授業でアイヌの「見分け方」を解説した。信じられません。これって偏向教育そのものですよね...。
マイクロインバリデーションとは、相手の感情、経験を排除・否定・無化すること。
「北海道には歴史がない」とか、「開拓」「フロンティア」を礼賛するというのは、アイヌの歴史・被害の否定なのだ。そのとおりですよね。
そもそも平安時代の書物(新撰姓氏録)を見ると、当時の貴族の10人に3人は渡来人だったし、平安京を開いた桓武天皇の実母は、百済(くだら。朝鮮半島にあった古代国家の一つ)の人だった。これは歴史的事実です。
アイヌ人なんていないというのは、見ようとしないから見えないというだけ。なるほど、そのとおりです...。
(2024年6月刊。1760円)
2024年7月 8日
チャップリンとアヴァンギャルド
(霧山昴)
著者 大野 裕之 、 出版 青土社
さすがチャップリン研究最高峰の著者だけあります。知識の広さと分析の深さについ、うなり声をあげてしまいました。とても面白く興味深い本です。チャップリンに関心のある人には欠かせない本だと思います。
チャップリンのもっている杖、あのよくしなる杖は日本の竹なんですね...。チャップリンの杖は、滋賀県の根竹。体を支えるためのものではなく、いろんなものの代用品となる。
チャップリンの傑作の一つ、「街の灯」は、戦前の日本で新作の歌舞伎として演じられ、またチャップリンの遺族の了解を得て、最近、再演されたそうです。「街の灯」を歌舞伎で演じるなんて、想像もできませんでした。
映画「街の灯」が日本で初上映されたのは1934(昭和9)年のこと。アメリカでは1931年1月30日に上映された。ところが、日本ではなんとなんと、映画より3年も早く1931年8月に歌舞伎座で上演されたというのです。ただし、タイトルは「蝙蝠(こうもり)の安さん」。
しかも、それより早く、1931年5月には東京の新歌舞伎座で辰巳柳太郎主演の「チャップリン」なる演劇が新国劇として上演されていたのでした。いやあ、すごいです。
映画「移民」に出てくる揺れる船のシーン。実は、カメラに振り子をつけて画面のほうを揺らして撮影したというのです。つまり、船の甲板は水平のままなので、滑ることはない。そこで、チャップリンは、片足で立ったまま小刻みに足を動かして移動して、揺れる甲板の上を滑っているように見せている。いやあ、まいりましたね、そんなことまでチャップリンは出来たし、したのですね。身体能力の高さの極致です。
チャップリンは1932年5月に日本に来ています。危く五・一五事件に巻き込まれそうになったのでした。このとき、チャップリンは歌舞伎座を訪れ、初代の中村吉右衛門とも話しています。チャップリンには日本人秘書(高野虎市)もいて、大の日本びいきでした。
チャップリンは日本では、インテリ層には芸術哲学者として、一般庶民にはドタバタ喜劇の人気スターコメディアンとして幅広い層から圧倒的な人気・支持を受けていたのです。なにしろ、チャップリンが東京駅に来ると分かって、日本人が4万人も押し寄せたというのです。東京駅の入場券がこの日だけで8千枚も売れたというのですから、恐ろしい。
そして、2019年12月、再び国立劇場で『蝙蝠の安さん』が88年ぶりに再演された。それをチャップリンの息子が鑑賞して絶賛したというのです。うれしいことですね。
チャップリンのトレードマークであるよちよち歩きは、両足のかかとをつけたまま、左右の爪先を外側に開いた状態で歩いていくもの。これはバレエの足の形で「1番」のポジションで動いているということ。しかも、歩くとき、上半身を決して左右に揺らさない。体幹をまっすぐに保ったまま歩く。これはバレエに通じるもの。というのも、チャップリンは俳優である前に、9歳のときから舞台に立ったダンサーだった。すごいですよね。
チャップリンの「独裁者」が世界中でヒットしてから、ヒトラーは、大勢の群衆の前での演説をやらなくなった。チャップリンに笑い物にされたことで、ヒトラーの最大の武器が奪われた。いやはや、言葉の力は、スクリーン上の表現とあわせて、かくも偉大なんですね。
チャップリンは反共の嵐の中、アメリカから追い立てられるようにして立ち去ります。その前にチャップリンが言ったコトバは、「私は共産主義者ではありません。平和の扇動者です」というものでした。チャップリンの究極の目的は世界中の人を笑わせること。
私は40年近く、毎年、市民向けの法律講座を開いていますが、初めのころはチャップリンの短編映画を毎回上映していました。ドタバタ喜劇ではありますが、単なるナンセンスものというのでもなく、少しホロリとさせたりして、一味ちがっています。
チャップリンの天才ぶりを改めて認識させられました。
(2024年1月刊。2400円+税)
2024年6月29日
あしたのお嬢
(霧山昴)
著者 山田 一喜 、 出版 講談社
「あしたのジョー」が「週刊少年マガジン」で連載が始まったのは1968年1月1日号から。私は大学1年生でした。駒場寮の6人部屋で毎日、楽しく忙しく暮らしていました。東大闘争が始まったのは6月からです(本郷の医学部では既に1月からもめていましたが、駒場はいたって平穏でした)。
「あしたのジョー」は寮生に大人気で、みんなで争って読み回していました。貧乏学生だった私は「少年マガジン」を買った覚えはありません。寮にいたら、いずれまわってくるからです。週刊マンガの発売日には誰かが買ってきて、読み終わったのが回ってきます。じっと待っていればよいのです。
このころ、日本は高度経済成長期の真っ只中にあった。こう書かれていますが、私自身はその恩恵を受けたという実感はありません。ただ、世の中が不景気で、どうしようもないという実感はありませんでした。今もある霞が関ビルが竣工したのも1968年だそうです。弁護士になってからは入ってみましたが、学生のころは霞ヶ関なんて、ベトナム反戦デモのとき以外、近寄ったこともありません。
「あしたのジョー」は、ともかくカッコ良かったです。作者のちばてつやはそれ以来のファンです。丸味のある登場人物は、なんだかほのぼのとしていて、いい雰囲気です。というか、丸顔の作者の顔にそっくりですよね...。
発刊から55年たったと言われると、ええっ、そ、そうなんか...と、ついうろたえてしまいます。
でも、私も弁護士生活を丸50年もやっているのですから、それもそのはずです。
この本は、「あしたのジョー」が活動していた舞台を、マンガ原作に出てくる脇役たちと訪ね歩くという趣向です。「お嬢」とは、父親から「あしたのジョー」全巻を読むように言われて読破したという陽菜(ひな)です。
「あしたのジョー」は累計発行部数が2500万部といいます。とんでもない部数です。
「あしたのジョー」で、ジョーと死闘を重ねた力石(りきいし)徹が誌上で亡くなったあと、実際に告別式があったというのも驚きですよね。1970年3月24日、講談社の講堂には護国寺のお坊さんに来てもらって読経まであげてもらったのでした。参加したファンは、なんと700人。
いやはや、とんだ告別式です。まあ、私は参加していませんが、参加した人の気持ちはなんとなく分かります。決して馬鹿な奴らだ、なんて思いません。
コミックスで全20巻だそうです。読んで、学生時代の雰囲気にしばし浸ってみたいかな...と思いました。
(2023年12月刊。1980円)
2024年6月16日
スピノザの診察室
(霧山昴)
著者 夏川 草介 、 出版 水鈴社
現職の医師による心温まる医療小説です。電車のなかで一気読みしてしまいましたが、読み終えたあと、胸のうちに爽やかな温かい風が吹き抜けていく気がしました。
いったい「スピノザ」って何だろうと思っていると、医療行為をめぐる哲学問答が展開されるのです。それがまた、妙にしっくり来るのです。そこで、タイトルにも違和感がありません。
主人公は京都の下町の小さな病院に勤める医師です。お酒は飲まず(飲めず?)、甘いものに目がありません。虎屋の羊かんをはじめ、京都の有名な甘い物が何度も登場してきます。ついでに伊勢の赤福とともに大宰府の梅ヶ枝餅まで紹介されるのは愛敬です。
「お前さんが、教授や学長を目ざしているバリバリの野心家だとは思っていない。だけど、いい仕事はしたいと思っているはずだ。どうせやるなら、一流の仕事をな。野心はなくても矜持(きょうじ)はあるだろ?」
私も弁護士として、「一流の仕事」をしようとは思っていませんが、誇りを持って仕事を続けたいとは常日頃から考えています。
「薬をうまく使えば、最後の時間も楽に過ごせるという考えは、まだまだ幻想にすぎない」
「この病院の患者の多くは病気は治すことがゴールではない。ガンの終末期や老衰の患者に寄り添うだけ。結局、死亡診断書を書くのがゴールになってしまう」
「患者の顔が見えることは、共感するということ。共感するのは心にはなかなかの重労働。悲しみや苦しみに共感するには、十分な注意が必要。度が過ぎると、心の器にヒビが入ることがある。ヒビではなく、割れてしまったら、簡単には元に戻らない」
「病気が治るのが幸福だと考えると、どうしても行き詰ってしまう。病気が治らなかったら不幸なままなのか・・・。治らない病気の人、余命が限られている人が幸せに日々を過ごすことはできないのか・・・」
「世界には、どうにもならないことが山のようにあふれている。それでも、できることはあるんだ」
「人は無力な存在だから、互いに手を取りあわないと、たちまち無慈悲な世界に飲み込まれてしまう。手を取りあっても、世界を変えられるわけではないけれど、少しだけ景色は変わる」
医師でなければとても描けない「手術」の様子が詳細に書き込まれていて、ぐぐっと手術室の世界に引きずり込まれてしまいます。そのうえ、深遠な問答が展開されるのですから「本屋大賞第4位」にも、なるほどと思ったことでした。
(2024年5月刊。1700円+税)
2024年5月30日
数学の苦手が好きに変わるとき
(霧山昴)
著者 芳沢 光雄 、 出版 ちくまプリマー新書
はて?と不思議だと思うこと、これが科学の芽だというのはノーベル物理学賞を受賞した朝永振一郎博士の名言。
著者は45年間ものあいだ、10の大学で教え、1万5千人の大学生に対して楽しく数学を教えてきました。このほか小・中・高校生の1万5千人にも数学の話をしてきたそうです。そんな経験をふまえた楽しく役に立つ小話が盛り沢山です。
私は高校2年生の終わりに理系から文系に志望を変更しました。数学のひらめきが自分には欠けていると自覚したからです。それでも高校3年の数Ⅲまではしっかり勉強しました(すっかり忘れてしまったので、中学数学を勉強しなおしたこともあります)。
この本では、数学を楽しく学べる話がいくつも紹介されています。
たとえば、宇宙飛行士の宇宙遊泳の姿は、ネコが高いところから落ちるときの態勢の変化を参考として編み出されたもの。ネコはビルの50階(地上から250メートルの高さ)から落ちても助かることがある。空気抵抗を最大限に利用して、落下速度が一定以上は大きくならないようにしている。
人間の「じゃんけん」は、一般的にはグーが最多で、チョキが最少、パーはその中ごろに...。なので、じゃんけんは、一般論として、パーを出すのが有利だということ。学生たちが自ら実験して得たデータなので、確実です。
1000ミリが入るはずの牛乳パックは底辺が7センチで高さ19.5センチなので体積を計算すると、955.5センチ立法メートルしかない。すると、この差44リットルはどこに消えたのか...。その答えは、なんと、牛乳パックは、横にいくらかふくらんでいるから...。なんと、そういうことなんですね。単純な計算どおりではないというわけですね。
列車速度を腕時計ひとつで測る方法があるといいます。いったい、どうやって...。
路線の長さは1本が25メートル。なので1分間に何回鳴くか、カウントすればその列車の進行スピードを把握することができる。なーるほど、ですね。
好きこそモノの上手なれ、ですよね...。数学が好きになったら、苦手意識を克服したら、新しい世界が目の前に広がることは間違いありません。
(2024年1月刊。880円)
2024年5月11日
怪物に出会った日
(霧山昴)
著者 森合 正範 、 出版 講談社
私はボクシングなるものには全然関心がありませんし、見ようとも思いません。なので、井上尚弥というボクサーが「怪物」とか「モンスター」と呼ばれているなんてこと自体知りませんでした。という私ですが、大学生のころは、マンガ「あしたのジョー」は熱心に読んでいました。寮生活をしていましたので、誰かが買って読んだものがまわってくるのです。ですからタダ読みです。自分で週刊マンガ(「ジャンプ」とか「サンデー」)を買って読んだことはありません。寮にいるかぎり、買う必要がありませんでした。
「あしたのジョー」は、たしかにカッコ良かったです。「力石徹」という敵役のボクサーと文字どおり死闘をくり広げる最終盤は、次の週が待ち遠しかったです。
さて、この本は、モンスターの井上尚弥とたたかって負けたボクサーを取材し、なぜ井上尚弥は強いのか、どうして負けたのかを探ったものです。
敗軍の将、兵を語らずと言いますが、負けたボクサーがどんな試合だったのか、取材に応じて語ってくれるのか、取材の前、大いなる不安がありました。でも、取材してみると、大半のボクサーが自分の生い立ちをふくめて、実に生々しく対井上戦の詳細を語ってくれ、わざわざ取材しにきてくれてありがとうと感謝するのです。これには驚きました。それほど、対井上戦の衝撃は大きかったというわけです。
この本を読んで、まず第一に驚いたのは、著者がボクシングが好きで、その魅力を広く伝えたいと思って記者になったと明かした記述です。いやあ、世の中は広いですね。ボクシングの魅力を広く世間に知ってもらいたくて記者になったなんていう人が、世の中には存在するのですね...、信じられません。
後楽園ホールでアルバイトするために大学に入ったというのです。大学に入ったら、好きな格闘技を会場で、生で、ずっと見ていられる。夢のような話を実現するため、急に勉強しだしたのでした。押し入れから中学1年の英語の教科書を探し出して、その日から勉強を始めたのです。そんな人生もあるのですね...。
井上尚弥と闘った対戦相手はこう思った。
開始して1分あまりで「動きを読まれている」と体感した。
井上はすぐに距離感をつかみ、瞬時に相手の動きを見抜く、類いまれな能力がある。井上は、パワー、スピード、距離感、技術、柔軟性、目の良さ、全部すばらしい。でも、一番すごいのは、心だ。格好をつけることもなく自然体。ボクシングで一番大事なことは、気持ちで負けないこと。
メキシコでボクサーとして成功するためにもっとも必要なものは「規律」。規律を守らなければ、毎日毎日のプロセスを踏めないし、計画どおり進めることができない。すべての土台になるのが規律だ。
毎日毎日、動きが身体になじむまで繰り返す。強くなるのに秘密や秘訣はない。ただ練習するだけ。
井上はすごい。本当にしっかり練習している。練習していないと、あのスピードは出ないし、足も使いきれない。地面をけって、そのエネルギーが拳の先まできちんと伝わっている。それを繰り返し、しかも、そのスピードが速い。打つときには最後しっかり拳を握っているので、強いパンチになる。
うむむ、これってまったくの門外漢にもなんとなく実感で分かりますよね...。
井上尚弥は小学1年生のときにボクシングを始めた。15歳以下の全国大会で優勝。高校生時代は1年生のときに三冠を達成した。いやあ、さすがにすごいですね。
大切なのは、お金ではない。ボクサーとしてのプライドであり、信念。自分を待ち続けること。リング上で敵と2人だけで対決する。レフェリーは、もちろん何も手助けしてくれない。
いやあ、ボクサーたちの生き様はすさまじいものがありました。発売して3ヶ月間で、早くも5刷というのも見事です。
(2024年1月刊。1900円+税)
2024年4月15日
眠っている間に体の中で何が起こっているのか
(霧山昴)
著者 西多 昌規 、 出版 草思社
私は幸いなことに寝つきは良く、夜中に1度か2度、目が覚めてトイレに行くことはよくありますが、それでも再びすぐ眠り込んでしまいます。なので、朝6時にパッチリ目が覚めて起き上がることができます。前は夜12時前に寝るようにしていましたが、最近は1時間早くして夜11時までには寝ています。やっぱり年齢(とし)を取ったせいです(いま75歳)。
この本を読むと、私たちの体は眠っているあいだも、それぞれの器官は休むことなく機能していることがよく分かります。
睡眠は、日中にどれだけ元気よく活動しているかの反映でもある。なので、昼間からダラダラと横になっているのは、睡眠が浅くもなるし、あまり良くない。
睡眠は脳だけでなく、体すべてに影響を支える重要きわまりない生活習慣。
生体リズムが脳にしかないというのは間違い。胃腸や肝臓、心臓、腎臓、皮膚、筋肉など、あらゆる末梢の組織に生体リズム、つまり時計遺伝子がインストールされている。
朝、光を浴びると、活動のアクセル役である交感神経が活発になる。副腎は、伝わった生体リズムをもとに、表面の副腎皮質からストレスホルモンであるコルチゾルを分泌する。分身の細胞はこのコルチゾルをキャッチして、「朝が来た」と1日の始まりを認識し、脳も体も活動モードに入る。
交感神経は「日中の自律神経」で、副交感神経は「夜の自律神経」。
ホルモンは、全身いたるところでつくられている。成長ホルモンは、睡眠不足の影響を受けやすい。
寝不足は男性の精力を低下させる。睡眠障害をもつ男性は、健康な睡眠をとっている人と比べて、精子濃度が29%も低い。日本で不妊治療を受けている患者は47万人にのぼるが、日本人の睡眠時間が短いことと無関係ではない。
慢性的な睡眠不足は、サイトカインを活性化させ、人間の体を慢性炎症の状態にする。慢性炎症はがんが生じる可能性がある。
食道や胃・腸などの消化管は、睡眠中に動きがゆっくりになるとはいえ、活動を停止して休んでいるわけではない。1日を通しての胃酸の分泌のピークは、午後10時から午前2時のあいだ。睡眠中の小腸の蠕動(せんどう)は、覚醒時と変わらず、睡眠の深さには関係がない。それに対して、大腸は睡眠中に動きが低下する。睡眠不足や睡眠の質の悪さは、過敏性腸症候群の要因になっている。
睡眠の時間が短い、あるいは質が悪いと、便秘リスクは上がる。便秘の人は、大腸がん、心疾患者、脳卒中を起こしやすい。快便の人のほうが長生きする。私も後者のようになるのを目ざしています。
学習した記憶の整理は、覚醒しているときよりもむしろ睡眠中に行われている。レム睡眠は休息眼球運動を特徴するもの。記憶の固定や整理には、むしろノンレム睡眠のほうが大きく関わっている。
レム睡眠中に大脳皮質で活発な物質交換が行われ、脳はリフレッシュしている。
ノンレム睡眠やレム睡眠中でもモノアミンが機能しないことで、嫌な記憶が定着しないようにしている。ノンレム睡眠のときも、実は夢をかなり見ている。奇妙な内容で、鮮明なイメージや感情を伴う夢らしい夢は、やはりレム睡眠で見られていると考えられている。
夜勤が多く、睡眠不足になりがちな看護師は骨が弱くなるというデータがある。
睡眠時間が少なくなると、皮膚の潤(うるお)いがなくなる。人間の皮膚は、睡眠不足の影響をてきめんに受ける。睡眠不足のときに目の下の黒い「クマ」は、目の周りのうっ血、つまり血行不良によって生じる。目の周りの皮膚は体の皮膚の中で、もっとも薄いので、ちょっとした変化でも目立つ。
睡眠と体の関係のことをしっかり認識することができました。睡眠の大切さをますます痛感します。
(2024年2月刊。2200円)