弁護士会の読書
※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。
2025年6月15日
井上ひさし外伝
人間
(霧山昴)
著者 植田 紗加栄 、 出版 河出書房新社
井上ひさしは私のもっとも尊敬する作家の一人です。井上ひさしが映画をたくさん見ているというのは知っていましたが、教師から3つの条件を課されたというのは初耳でした。映画館で「婦人警官」から補導された。この時間に高校生が映画館にいるのはおかしい。これは不良に違いない。仙台南警察署まで連行された。そして警察官は学校に電話して問い合わせた。すると、担任の教師はこう言った。
「あ、そいつは映画を毎日見ることになってます」
信じられない展開です。担任の藤川武臣先生は、高校生の井上ひさしが午後から授業をサボって映画を観ることを許していたのです。ただし、条件を3つ課した。その1、映画の半券と詳しい筋書きをレポートとして提出する。その2、友だちのノートを借りるなどして単位取得に必要な試験を受ける。その3、東北大学に進むのはあきらめる。
校長の許可も得ずに担任がこんな条件で生徒のサボりを公認するなんて...。大人しく目立たない性格のせいで、午後の教室に井上ひさしがいなくても級友の目は惹かなかったというのです。いやはや、信じられませんよね。
井上ひさしは上智大学の仏文科に入っていますが、フランス語はカナダ人神父の直伝で、上手だったようです。翻訳もしているとのこと。そして、「キネマ旬報」や「映画の友」によく投稿し、しばしば掲載され、その報償金も映画代に充てたのでした。高校3年間に観た映画は、なんと、750本とか1000本というのですから、常人にとても真似できません。
遅筆堂として有名な井上ひさしの信条と勇気について、著者は次のように紹介しています。これまた、常人にはとても真似できないすごさです。
いい物語をつくらないと観客に放り出される。初日の開幕に間に合わず、世間の非難を浴び、金銭的損失を出しても、いかにいい脚本にするか、それだけを目指して書く。それが脚本と向きあうときの井上ひさしの基本姿勢。いかに初日が迫ろうとも、それまで書いた原稿が良くないと判断すると、それを惜しみなく捨てることのできる意志と勇気を井上ひさしは身につけていた。
この強い意思こそが、再演打率の非常に高い作品を生み出してきた。
映画大好き人間の井上ひさしは、「ミーハー井上」でもあったというのもすごく身近に感じられる話です。井上ひさしは山田洋次監督の「寅さん映画」と同じように「美空ひばり映画」も好きだった。洋画ではターザン映画のような能天気な映画が好きだった。私も子どものころ、美空ひばりもターザン映画を観ています。深く考えさせるというのではなく、ハラハラドキドキの楽しい映画なのです。
そして、気に入らない映画は、けなすことなく、触れないで無視してしまう。私も、このコーナーには面白くないと思ったら紹介しません。けなす文章なんか書きたくもありません。時間がもったいないのです。
井上ひさしが愛したのは映画と音楽。音楽はとにかくジャンルが幅広い。そしてタバコ。残念ながら井上ひさしは肺がんにかかっています。
中学生の3年間で600本もの映画を観たという井上ひさしは、世界一の映画ファンだというコメントが最後に紹介されています。まったく異議ありません。
(2025年1月刊。3520円)