弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2012年3月 7日

移りゆく法と裁判

人間

安部光壱 法律文化社 2012年2月10日


ここでは著者のことを敬愛の念を込めて、安部先生とは呼ばずに、安部さんと呼ぶことにする。安部さんは弁護士を生業としながら、その真の姿は人間と社会に対する関心と好奇心に尽きぬ情熱の炎を燃やす永遠の少年である。その少年が久しぶりに書物を世に著わした。それが本書である。


本書の成立ちは後書きに記されている。「本書は、平成9年9月から「電気と九州」という月刊誌に九州大学名誉教授の有地亨先生と隔月で連載をはじめたものをまとめたものである。ある時期から、私ひとりで担当することになったが、これまでに100編以上になったので、その中から30編ほど選んで本書にした。」


本書は4部構成であり、第1部は「雑学」、第2部は「弁護士倫理」、第3部は「事実認定」、第4部は「判例」となっている。易しい雑学から次第に複雑な法律問題へ進む、というわけである。では、本書の核心は、弁護士の書物らしく第3部、第4部にあるかというと、そうではない。むしろ、私には第1部「雑学」にこそ、安部さんの真髄があるように思えてならない。


その第1部「雑学」の冒頭には、安部さんの尊敬するシェークスピアの作品からの引用がある。「どんな荒れ狂う嵐の日にも時間はたつのだ」、「いいが悪いで、悪いがいい」などなど。安部さんはシェークスピアの言葉の中に時代を超えた人生の普遍の真理を見出しているのだ。そして、大佛次郎の「ドレフェス事件」を引用し、大岡昇平の「野火」「武蔵野夫人」を引用し、夏樹静子の「量刑」を引用する。まったく安部さんの読書量とその守備範囲には恐れ入る。


また「雑学」の周辺にはおもしろいエピソードが披歴されている。ここでは次の2話を紹介したい。


さいきん自動車の運転免許を取った安部さんは言う。「自動車学校で学んだことは多いが、一番の収穫は、安全運転の意味である。安全運転とは自分が正しく運転するだけでなく、相手の飛び出し等、危険を予測し、それを避けることまでも意味する。つまり、自分だけが正しいことをすればいいというのではなく、正しくない逸脱行動をする人や車を常に意識して避けるということである。これは図らずも人が社会生活を行ううえで極めて重要なことであり、私は弁護士として、依頼者に対してや裁判で常に言っていることである。つまり、自動車学校は交通ルールだけではなく、人生のルールまで教えているのである。そのことを理解していれば、事故やトラブルが起こった際、他人のせいにするのではなくそれを起こすのを予防できなかった自分も浅はかであったと気づくだろう。」


安部さんと親しい元裁判官が言う。「私は、裁判とは、弁護士の優劣に影響されると思っていた。いわば「弁護士運」がその勝敗を決定すると。しかし、自分が弁護士になって気づくのは、どの裁判官にあたるかがもっと重要ということだ。「裁判官運」ということだ。これには驚いたけどね。」


本書のタイトルは「移りゆく・・・」であり、安部さんは一つとして移りゆくものを見逃さず聞き逃さない好奇心を発揮しつつ、移りゆかない永遠普遍なものも決して忘れることがないバランス精神がある。やはりただの腕白少年ではない、大人の心をもった少年である。

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