弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2021年12月22日

ベトナム戦争の最激戦地

ベトナム


(霧山昴)
著者 グエン・ゴック 、 出版 めこん

ベトナム戦争が終結した1976年当時、中部高原の人口122万人のうち、少数民族が85万人で、70%を占めていた。その後、多数民族キン族の人口が急増し、331万人、63%を占め、少数民族は37%となった。少数民族は20民族いる。ベトナム全体では54の少数民族がいる。中部高原最大の民族はザライ族で51万人。
伝統的な焼畑農業は森を破壊するものではない。この数十年間に森を破壊したのはキン族の人間だ。森は人間に食べ物を与える。水田耕作も悪くはないが、焼畑耕作しなければならないところもある。
中部高原の人は決して森を資源とは見なさない。自然や森を開発するとか、占服・占領すると考えない。彼らにとって、森はすべてであり、母であり、尊敬し、崇拝する生命の根源である。
二十世紀はじめ、フランス支配に少数民族が抵抗していたころ、1スー硬貨を神聖な小川の水に浸して身に付けておけばフランス軍の撃つ弾丸に当っても死なないと信じて、協力な抵抗運動を展開した。
これって、中国でも、義和団事件でしたか、太平天国の乱でしたか、同じような信仰がありましたよね...。
サイゴン(ホーチミン市)にあったアメリカ大使館をベトコンの特攻隊が半日占領したことで有名な1968年2月のテト攻勢は「戊申のテト」あるいは単に「戊申」とベトナムで呼ばれている。このことを初めて知りました。
キン族のベトコン幹部は森にすむ少数民族のなかに身を隠すために、摺歯、張耳の風習を自ら実践した。歯を石で何時間もかけて擦って歯茎近くまで歯を摺り切るのは摺歯。熱湯で耳たぶを張らせるのは張耳。同じようにベトコン幹部は、らい病キャンプ(ハンセン病のことです)に逃げこんで、助けてもらった。
中部高原の人は、とくに男性は、遊び歩くのが大好きで、あちこちをさまよい歩く。森の中でジャコウシカや鹿を追いかけ、蜜蜂や笛にする篠竹をさがして歩く。古い友人を訪ね、新しい友をつくる。
中部高原で人々が水牛を飼うのは農作のためではない。祭礼で水牛をつぶすため。水牛は命を捧げる神聖な任務を遂行する動物なのだ。
イータムは、毎夜、歌うたびに一人の女性を愛し、愛してすぐ忘れ、翌日の夜には別の女性を愛する。戦争当時の中部高原で、大衆を目覚めさせ、革命拠点をつくり、革命勢力を組織し、包囲を打ち破り、根拠地を広げるため宣伝活動のなかで、もっとも強力なのは流し歌いであった。これを武装宣伝隊と読んでいた。
森の中では、食べることが十分できるほどに栽培すればよい。なくなれば、また栽培する。さらに困窮したら、森に入って山芋を掘る。山芋がなくなれば、森の野草を食べる。問題ない。苦労することはない。あとは、時間をつくって遊ぶ。遊ぶこと、楽しく生きることが、人間がこの世の生活を営む段階での最高の目的なのだ。
現代文明の最高到達点であり、最強のアメリカ軍が森に入って対峙していた「敵」は、このような「哲学」をもっていた人々だったのです。これでは、長い目でみれば、どちらが勝つか一目瞭然ですよね。
(2021年10月刊。税込2750円)

 帰宅すると、11月に受けたフランス語検定試験(準1級)の結果を知らせるハガキが届いていました。合格まちがいなし、その場に居合わせた孫たちに見せびらかして威張ってやろうと思い、ハガキを開こうとするのですが、なかなか開きません。なんだか嫌な予感がしました。やっと開いて飛びこんできたのは、まさかの「不合格」。ガーン。
 試験翌日の自己採点では83点でしたから、楽勝のはずだったのです。ところが、なんと72点。合格最低点は74点(120点満点)ですから、2点だけ足りません。
 いやはや、なんということ。大ショックです。
 採点した人が間違ったんじゃないか。私がそう言うと、孫たちが声をそろえて、「それはない」と、バッテンポーズをとったのでした。
 これまで仏検・準1級には2009年5月に初めて合格してから昨年まで、8枚の合格証書をもらっています。今年は9枚目、1月末には口頭試問を受けるつもりでした。
 めげず、くじけず、毎朝NHK講座とCD書きとりを続けます。

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