弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2021年12月 3日

違法捜査と冤罪

司法


(霧山昴)
著者 木谷 明 、 出版 日本評論社

この本のオビに、周防正行・映画監督(映画『それでもボクはやっていない』の監督)が、「まさか、こんなことで冤罪(えんざい)は起きるのか」と書いています。でも、弁護士生活47年間になる私には、冤罪をつくり出すのは、実はそんなに難しいことではないと実感しています。何もしていない人に「自白」させるのは、ベテラン刑事なら、お手のもの。警察から送られてきた「自白」調書は、何か変だなと思っても、たいていの検察官は、警察に逆らって不要な波風を立てたくなくて、上塗り調書を巻いて(つくって)起訴にもち込む。裁判官は、検察官がクロだと言っているのなら、そりゃあクロに決まっていると確信し、法廷で目の前にいる被告人がいくら無罪を訴え、それを支える証拠があっても、無視してしまう。そして、弁護人も目の前にいる被告人が一生懸命に無罪を訴えているのに、ろくに調書を読まず、被告人の訴えに耳を貸すことなく、面会すらせいぜい1回、お説教して、短時間で切りあげる。これでは罪なき人だって、「有罪」とされるのは必至でしょう...(もちろん、みんながそうだというのではありません)。
この本は、2018年から21年にかけて、日本評論社のウェブマガジンに著者が毎月連載した、「捜査官、その行為は違法です」を再構成して、まとめたもの。なので、とてもよく日本の刑事司法の問題点がまとまっています。
日本の刑事司法の第一線で、長く活動してきた著者は信じられないほどの無罪判決を出し、そのまま確定をさせたという伝説的な裁判官として有名です。
違法捜査にもとづく重大な冤罪事件は決して過去のことではない。この種の冤罪事件は、今もかなりの頻度で発生している。
弁護人が公判直前まで被告人と接見していない。そのため、被告人の言い分をろくに理解できていない、否認している被告人に撤回させようとしたり、否認するのなら私選弁護人でやってくれと言う、被告人が否認しようとしているのに、「自白」事件として弁護するだけの弁護人。いやあ、困りますよね、こんな弁護人だったら...。
裁判所は冤罪を阻止するための責任を負う、唯一、最終の国家機関であるのに、冤罪阻止のために十分な役割を果たしてこなかった。自白を偏重・過信する。違法捜査を指摘しない。ひどい人質司法を平然と続ける。客観的証拠にあわない不合理な供述調書なのに、それを合理化してしまう。
そして、現在、検察官の証拠隠しを法律は阻止できない。公益の代表者であるはずの検察官が自分に都合の悪い証拠は、ないものとして隠してしまい、ひどいときには証拠を改ざんしてしまう。そんなことは許さないと法で定めるべきだ。また、裁判所が出した再審を開始する決定に対して検察官が不服申立できるのは、やめさせるべき。本当にそう思います。再審法廷で検察官が十分に主張・立証する機会が保障されているのですから...。
それにしても、本書で紹介されている冤罪事件は実にひどいものです。
重要な証拠が捜査当局によって「紛失」してしまう。客観的事実を無視した判決。
検察官が被告人に決定的に有利な証拠を隠匿したら、それは犯罪である。まことに、そのとおりです。特別公務員職権濫用罪が成立します。でも、これが適用されたケースを私は残念ながら知りません。
冤罪を許さないとして告発した警察官や裁判官が例外的に存在します。ところが、その警察官は、免職となって警察官人生を棒に振ってしまいました。
検察官は、「法廷では多少のウソはついてもよいのだ。そのウソは、大きな意味で正義にかなうからだ」と内部で教育されている。ええっ、そ、そうなんですか...。いやはや、冤罪を生み出さない一努力というのは、今なお必要だと痛感させられる本でした。
(2021年10月刊。税込1980円)

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