弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2018年7月15日

安土唐獅子画狂伝

日本史(戦国)


(霧山昴)
著者 谷津 矢車 、 出版  徳間書店

織田信長の安土城の天守閣に描いた画師は狩野永徳。その狩野永徳が主人公の物語です。ついつい画師の世界に引きずり込まれてしまいました。
本能寺の変で信長が亡くなったあと、狩野永徳は秀吉の依頼によって信長を描きます。肩衣(かたぎぬ)と袴(はかま)に身を包み、大小を差したまま座る老人。立ち上がった絵には実物と見紛(みまが)うほどの生々しさがある。肩をいからせるように座る男の像には、見る者を吞まんという気が満ち満ちている。
永徳は弟子に太筆と最上級の紙を買ってこさせた。一畳では収まらない大きな紙を、普段は空けてある大作(たいさく)用の画室に並べさせた。
永徳は気を張りめぐらせながら墨を磨った。清冽(せいれつ)な高音があたりに響き渡る。己の魂を切り刻んで溶け込ませるような気持ちで硯に向かう、そのうちに弟子の一人が用意の終わった旨を告げた。永徳は乗り板の上に座り、筆を墨に浸した。まっさらの筆は吸いが悪い。それゆえ、いつもよりも丁寧に穂先を墨にくぐらせた。
気を吐く。天地に己しかいない。そう言い聞かせる。織田信長・羽柴秀吉・千宋易・長谷川信春(等伯)。そんなものは紙の上にはいない。あるのは、ただ己の画の意のみ。そう思いを定めて筆を落とす。永徳にとって、絵を描くことは、筆先で新たな三世を紙の上に開闢(かいびゃく)するがごときこと。紙の上に広がるものに実体はなく、どこまでいっても、所詮は嘘だ。だが、内奥に迫れば迫るほど、現(まこと)と幻(まぼろし)の区別がつかなくなっていく。筆一本で、この世の秘密に迫ることができる。そのことが楽しくて仕方がなかった。
安土城の天守閣に永徳の描いた絵が残っていたら、どんなに素晴らしかったことでしょう・・・。残念です。画師として信長に対等に生きようとした永徳の苦闘の日々が「再現」されていて、一気に読ませます。
私は安土城の天守閣の跡地に2度だけ立ちました。昔ここに信長が立っていたのだと思うと感慨深いものがありました。近くに狩野永徳の描いた壁画が再現されています。
(2018年3月刊。1600円+税)

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