弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2010年2月 1日

つぎはぎだらけの脳と心

著者 デイビッド・J・リンデン、 出版 インターシフト

  人間の脳にはすごく関心があります。人間ってなんだろう、心はハート(心臓)にあるのか、脳にあるのかなど、知りたいことだらけです。
 脳の設計は、どう見ても洗練などされていない。寄せ集め、間に合わせの産物に過ぎない。にもかかわらず、非常に高度な機能を多く持ちえている。機能は素晴らしいが、設計はそうではない。脳やその構成部品の設計は、無計画で非効率で問題の多いものだ。しかし、だからこそ人間が今のようになったという側面がある。我々が日頃抱く感情、知覚、我々の取る行動などは、かなりの部分、脳が非効率なつくりになっていることから生じている。脳は、あらゆる種類の問題に対応する「問題解決機械」だが、そのつくりは何億年という進化の歴史のなかで生じた種々の問題に「その場しのぎ」で対応してきた痕跡を、すべて、ほぼそのまま残している。そのことが人間ならではの特徴を生み出している。
 海馬には、事実や出来事に関する記憶を貯蔵するという独自の役割がある。海馬に貯蔵された記憶は、1~2年くらいの間、海馬にとどまった後、他の組織に移される。
 軸策末端と樹状突起のわずかな隙間は、塩水で満たされており、「シナプス間隙」と呼ばれる。このシナプス間隙を5000個並べても、ようやく髪の毛の太さくらいしかない。シナプス小胞から放出された神経伝達物質が、シナプス間隙を通って渡されることで、信号が隣のニューロンに伝えられる。
 各ニューロンが対応するシナプスの数は、5000ほど(0~2万の範囲)。ニューロンごとに5000のシナプスが存在し、脳に1000億のニューロンが存在するとすれば、概算で、なんと500兆のシナプスが存在することになる。即効性の神経伝達物質は、何らかの情報を運ぶのに使われ、遅効性の神経伝達物質は、情報が運ばれる環境設定をするのに使われる。一つのニューロンが1秒間に発生させることのできるスパイクは、最大でも400回。スパイクの伝達速度は、せいぜい時速150キロメートル。
 個々には性能が悪いとはいえ、脳にはプロセッサが1000億も集まっている。しかも、なんと500兆ものシナプスによって相互に接続されている。多数のニューロンが同時に処理し、連携することで、さまざまな仕事をこなしている。脳は非常に性能の悪いプロセッサが多数集まり、相互に協力しあって機能することで、驚異的な仕事を成し遂げるコンピュータなのである。うへーっ、そ、そうなんですね……。
 人間の遺伝子は、その70%までが脳を作ることに関与している。人間は1万6000の遺伝子で、1000億個のニューロンをつくっている。遺伝子は、個々のニューロンを、具体的に、どのニューロンに接続するかまで逐一指示したりはしない。
 人間の脳が高度な処理をするためには、多数のニューロンを複雑に相互接続せざるをえない。個々のニューロンは、状態、信頼性が低いからだ。脳が大きくなると、産道をとおれなくなる。そして、シナプスの配線の仕方をあらかじめ遺伝子に記録するのが難しくなる。500兆もあるシナプスを、どのように相互接続するかを逐一記録していたら、大変な情報量になってしまう。このため、遺伝子は脳の配線をおおまかにだけ決めるようにするしかない。そして、本格的に脳を成長させ、シナプスを形成するのを、誕生後まで遅らせるようにする。そうすれば、胎児の頭が小さくなり、産道をとおりぬけられるようになる。脳の細かい配線は、感覚器から得られる情報にもとづいて行う。
 記憶の書き換えは、驚くほど簡単に起こる。書き換えは、過去についての記憶を現在の状況に合うように歪めてしまうこと。子どもが自発的に話してきたときには、それは本当であることが多い。しかし、そうするだけの社会的誘因さえあれば、子どもは嘘の証言をする。子どもは嘘をつかないというのは、事実に反する。
 脳のことを図解しながら、かなり分かりやすく説明してくれる本です。

(2009年9月刊。2200円+税)

2009年12月24日

忘れられない脳

著者 ジル・プライス、 出版 ランダムハウス講談社

 いやはや、こんな人も世の中にはいるのですね。日常のこまごまとしたことまで全部を覚えていて、忘れられないという人がいるなんて、信じられません。
 人間は「自分は何者なのか」という自己観念を形成するうえで、記憶は強く影響している。一般的に、人は膨大な記憶のなかから一部の記憶を抽出して、あるいは蓄積した膨大な記憶のかなりの部分を捨て去って、自己を規定していく。そして、その自作の物語を絶えず軌道修正し、巧妙に作り変えながら生きている。
 ところが著者は、すべての記憶を忘れることができないため、自在に自己修正することができない。自然な作り変え作業ができないのだ。
 その記憶は、さながら生活を再現するホームムービーのようだ。なにかのきっかけで記憶がよみがえる。次にどんなことがフラッシュバックしてくるのかは分からない。そして、走り続ける記憶を制止することもできない。その情景の一つ一つがあまりにも鮮明なので、楽しかったことも辛かったことも、いいことも悪いことも、記憶がよみがえるだけでなく、そのときの自分の感情も追体験させられる。当時の喜怒哀楽がそのまま乗り移ってくる。だから心を落ち着かせて生活するのが、とても難しい。
 うへーっ、すごいですよね。こんな人が世の中にはいるのですね……。
 著者は、特定の日を示されると、瞬時にその日のある時刻に行くことができる。そのとき、何をしていたか、そのころ何が起きていたか、ぱっと頭に浮かんでくる。
 これらの記憶は、日付や曜日と密接に結びついている。
 ところが、こんな著者なのに暗記はとても苦手だというのです。
 小学2年生のとき、掛け算の九九ができなくて、算数の家庭教師が必要だった。幾何学は特に苦手で、定理はまったく覚えられなかった。暗記が苦手なのは、絶え間なく浮かんでくる過去の記憶が頭の中を常に駆け巡っているため、物事に集中しにくいからだ。だから、成績はほとんど「可」であり、良と優はわずかだった。
 何でも忘れられない人が、実は暗記を苦手としているなんて、とても信じられませんよね……。不思議な話です。
 著者の記憶力の特徴のひとつは、どんなことでも優劣をつけずに、すべて保存していること。人生における出来事として、すべて同列・同格で記憶にとどめている。
 これは困りますね。やはり物事には優劣があるのですよね……。
 著者は、実は、忘れるという動作や状態自体を嫌っている。あの日に何をしていたのかをすべて思い出せることが気持ちいい。記憶の正確さは非常に重要なことなのだ。几帳面であることについて、強迫観念のようなものを持っている。
 驚異的な記憶力があり、いつでもそれを引き出すことが可能なのに、著者は日記をつけはじめた。それは、紙に書きとめると心が休まるからだ。日記をつけているときは、記憶が暴れまわる状態を自分でも驚くほど制御できる。書くことは、やはり意味があるわけですね。
 自分の記憶を他人に話すことによって他人と記憶を共有することになり、それが脳の活性化につながる。
 著者は44歳のユダヤ系アメリカ人です。いやはや、この世にはこんな変わった人間がいるなんて……。世界は広いですね。

 日曜日庭に出てエンゼルストランペットを根元のところから切ってやりました。霜にあたるとしおれて見苦しくなるのです。
 見通しが良くなったらロウバイが花盛りだったことに気が付きました。広い葉も黄色でロウができたとしか思えない小さな花も黄色です。においロウバイですのでふくよかな香りを漂わせています。
 玄関脇にチューリップを植えました。去年の球根を掘り上げると分球して小さくなっていました。捨てるのはかわいそうなので別のところにまとめて植えてやりましたが恐らく花は咲かないでしょう。チューリップの球根は10個入り280円と安売り中です。80個ほど植えましたので春が楽しみです。
 
(2009年8月刊。1900円+税)

2009年8月13日

なぜ年を取ると時間の経つのが速くなるのか

著者 ダウェ・ドラーイスマ、 出版 講談社

 人間の一番古い記憶は、反復と決まった型が背景になければならないが、これは3歳より前には起こらない。幼児期健忘は、ハードウェアの欠陥が原因なのではなく、プログラム、つまりソフトウェアの問題なのである。 一番古い記憶は、その人のアイデンティティの獲得と関係している。
子どもは、実年齢に関係なく、18か月の精神レベルに達すると、「私」としての自分自身を理解するようになる。
 匂いほど、突然に自分の思考の流れを止める刺激はない。
 感情が高ぶると、通常より短時間のうちにより多くの詳細を貯蔵せよという命令が脳に下される。
 既視感(デジャヴュ)について、左右2つの脳半球の存在から証明されています。
 2つの映像の時差は、ほんの一瞬。既視感において2度目だと感じるのも無理はない。2つの脳半球は交替で活動する。一方の脳半球が活動しはじめていても、他方の脳半球がまだ休止していないと、一種の「2重像」が現れる。現在の像のなかで、休止状態に入りつつある他方の脳半球の像が明滅し続けるので、まるで同じことを2度経験しているように見えるのだ。
 既視感は3つの錯覚をともなう。一つは、思い出のように感じるが、実際はそうではないというもの。二つは、これから何か起きるのか知っているような気がすること。三つには、漠然とした不安をかきたてられるというもの。これらの錯覚が心に混乱を招く。
 ほとんどの自分史に共通する特徴がある。つまり、語り手は、自分史をできるだけ筋の通ったものにしようとする。
 高齢者に思い出を語ってもらったところ、50歳から80歳までを全部あわせた期間の出来事よりも、10歳から20歳までのあいだの出来事のほうがずっと多く語られた。自伝的記憶と自叙伝に共通しているのは、そのなかにある思い出がテーマ・動機・話の筋に適合していること。それらは一つの発展の要素として、少しずつ現れる。自分や他人に向けて話す想い出話は、「公」に向けられているので、もはや出来事そのものではない。
 老人は若いころの思い出に自分自身を書き込んでいくのだ。
 人生が変化に富んでいるときには、記憶の標識の数が多い。年齢の高い人の方が、20代のころの出来事を比較的楽に思い出せるのは、利用できる時間標識がその期間に非常に多いことの結果である。
 時間標識は、期間や日付を記すだけでなく、老年期に夢想をも生じさせる。
 たくさんの思い出の詰まった期間は、振り返ってみたときに伸びるだろうし、思い出がほとんどない同じ長さの期間より長く続いていたように感じられる。逆にいうと、中年以降には時間標識の数が少なくなるので、そうした空白時期では、時間は主観的に速く過ぎるのだろう。
 時間を測る能力は、年齢とともに上昇し、20歳でピークに達し、その後は下降していく。高齢者の能力は幼児のレベルにまで低下する。
 何かをしていて忙しいときには、時間がかなり速く過ぎる。
 老齢とともに、人間はだんだん、ゆっくりと時を刻む昔の旅行用携帯時計になっていく。体内のメトロノームが減速していくために、外界のほうが加速しているように思えてくる。
 客観的な原則が主観的な加速を生み出す。体内時計の速度が一定の役割を果たす。体内時計のほうは、老人よりも若者の体内の方が速く動く。だから、子どものころの日々はとても長かったのに、年をとると時間は驚くほど速く過ぎていくことになる。
 また一つの解を得ました。でも、ということは、日々の生活を充実させるしかないということなんですね。
 
(2009年5月刊。2400円+税)

2009年7月27日

単純な脳、複雑な「私」

著者 池谷 裕二、 出版 朝日出版社

 日本の高校で、高校生相手に話をした内容が本になっていますので、大変分かりやすく、しかも興味深い内容が満載です。うへーっ、脳って、こういうものなんだ。人間って、こういう存在だったのか……、と目からウロコの数々です。さあ、読んでみましょう。
 人間は、長時間接しているほど好きになってくる。これは脳の性質による。社内結婚が多いのは、そのため。何度も会っていると、もうそれだけで好きになってしまう性質が脳にある。なーるほど、ですね。だましの手口として、足しげく通っているうちに、甘い話に断りきれなくさせるというのがあります。
 恋愛関係にあるのか自信がないとき、周囲から反対されると、緊張してドキドキしてしまう。ところが、このドキドキ感を脳は相手がより魅力的なのだからこうなるんだと間違ってラベルづけしてしまい、どんどん好きになっていく。うむむ、だから本心で反対したいときには、表面上は反対せずに放っておいたほうがいいのですね。
 直感は意外と正しい。というのは、直感は学習、つまり本人の努力の賜物(たまもの)だから。直感は訓練によって身につく。経験に裏付けられていない勘は、直感ではない。
 大人になっても、成長する脳部位が2つある。一つは前頭葉で、もう一つは基底核である。直感は、年齢とともに成長していくのである。
 記憶というのは、覚えていると意識できること、「これは私が覚えている内容」というものばかりではなく、もう一つのタイプもある。
 たくわえた情報は、それ単体で思い出されるのではなく、そこに付帯された情報によって影響を受け、記憶そのものがすり替わってしまう。つまり、人間の記憶というのは都合よく捻じ曲げられてしまうものなのだ。情報は、きちんと保管され、正確に読み出されるというより、記憶は積極的に再構築されるものなのである。とりわけ、思い出すときに再構築される。
 記憶は、生まれては変わり、生まれては変わる。この行程を繰り返して行って、どんどんと変化していく。だから、「見た」という感覚というものは、怪しいものでしかない。そうなんですよね。私も、大学時代、紛争の最前線にいたことは間違いないのですが、たとえば寮食堂で開かれていた代議員大会が全共闘の集団に襲われたとき、寮食堂の中に代議員としていて襲われたのか、外にいて救援活動をしていたのか、今なお自分の体験が思い出せません。今のところ、内側にいて襲われたことにしているのですが……。ちなみにこのとき、かの有名な舛添要一大臣は中にいて、10人の代表団のメンバーに立候補したのですが見事に落選しました。これは記録が残っていますので間違いありません。彼は当時から右翼的行動をしていて、学生のなかに支持を集めることができませんでした。
 感情と行動はどちらが変えやすいか。既成事実を変えるのは大変だが、心の方は容易に変えられる。だから、脳は感情を行動に整合するよう変化させてしまう。
 むひょう。そうなんですね。そんなことまでするのですか……。
 脳は、現に起きてしまった行動や状態を、自分に納得のいくような形で、うまく理由づけして説明してしまう。現状に合わせて都合よく説明するのが脳の働きである。ええっ……。
 人間って生き物は、主観経験の原因や根拠を無意識のうちにいつも探索している。ぼくらは本当は自分が道化師にすぎないことを知らないまま生活している。根拠もないくせに妙に自分の信念に自信をもって生きている。
 脳は、ノイズから生まれる秩序をエネルギー源として用いているため、外部供給として必要なエネルギー量はわずか1日400キロカロリーで済む。電力量に換算すると、20ワットという驚くべき少量のエネルギーである。
 脳、そして人間を知り、考えさせられる本です。
 
(2009年6月刊。1700円+税)

2009年6月14日

老後も進化する脳

著者 リータ・レーヴィ・モンタルチーニ、 出版 朝日新聞出版

 著者はなんと、1909年生まれ。ええっ、100歳ではありませんか。はじめ目を疑いました。ムッソリーニの反ユダヤ人政策のためにタリアを脱出し、ベルギーそしてアメリカに渡って研究を続けた脳神経の研究家(女性)です。1986年に、ノーベル生理学・医学賞を受賞しています。そして、2001年からはイタリア上院の終身議員なのです。
 そんな著者の紡ぎ出す言葉ですから、千釣の重みがあります。
人生でもっとも恐るべき悲哀の時期と見なされている老年期を、いかにして生涯でもっとも晴れやかな、それまでに劣らず実り多き時期にするのか。
人生ゲームに賭けられたものは大きい。人生ゲームにおいて最大の価値をもつ札とは、自らの知的・心理的活動を巧みに運用する能力であり、それは一生、ことに老年期において一層ものを言うようになる。
 理屈では、人類のすべての個体にその切り札が備わっていることになるのだが、それを活用できる条件に恵まれているのは、ほんのわずかな人々にすぎない。
 人は、60歳、また70歳を超すと、毎年10万単位で脳細胞を失っていると考えられる。この莫大な損失は、老年期の創造的活動などとうてい不可能と考えたくなるほど、ドラマチックに感じられるかもしれない。しかし、脳を構成する神経細胞数がどれほど天文学的数字であるかを思えば、実は、たいした数ではない。すなわち、人間の脳は年齢(とし)をとるにしたがって、一部のニューロンを失い、生化学的に変質するのは事実である。しかし、それにもかかわらず、その変化は多くの個体において、認識能力や想像力の減退をほとんどもたらさない。
 人間には死の自覚がある。しかし、それにもちゃんとした対抗手段が存在する。私たちには、とてつもない脳の能力があることを自覚すればいいのだ。この能力は、他の器官とは異なり、いくら使い続けても消耗しない。それどころか、さらに強化され、それまでの人生を営んできた活動の渦の中では発揮しそびれた素質を改めて輝かせてくれるのである。
 還暦の年齢になり、この10年間をいかに充実したものにするか真剣に考えている私ですが、この本に出会って、脳こそ疲れを知らず、消耗することもなく、絶えず発展していける存在であることを改めて認識し、自信を持って次に足を踏み出すことができそうです。

 蛇(じゃ)踊りを体験しました。見ていると感嘆そうですが、やってみると意外に難しいことがわかりました。
 解説によると、龍の尻尾がぴくぴくと動いているのは、龍がいらついていることをあらわしているとのこと。龍の身体がくねくね回るとき、こんがらがらないようにする秘訣があるのですね。
 トランペットよりずい分と細長いチャルメラは、物悲しげな甲高い音をたて、ジャランジャランと銅鑼が叩かれるなか、龍が玉を求めてくねくねと踊るのは勇壮なものです。いい体験をさせてもらいました。
 
(2009年2月刊。1600円+税)

2009年4月23日

奇跡の脳

著者 ジル・ボルト・テイラー、 出版 新潮社

 37歳の若さで脳卒中に倒れた女性脳科学者が、8年後に見事カムバックしたという、奇跡そのものの実話です。本人が脳卒中に倒れた直後の状況を生々しく再現しているのも驚きです。実況中継しているかのようです。
 著者が脳卒中を起こして倒れたのは、1996年12月10日の朝7時のこと。
 眠たくて仕方がなかったとき、突然、左目の裏から脳を突き刺すような激しい痛みを感じた。のろのろと起き上ったものの、目の後ろのズキズキする痛みは鋭く、ちょうどカキ氷を食べたときにキーンとくる、あの感じだった。
 茫然自失のうちに、ズキンズキンとする激痛が脳のなかでエスカレートしていく。
 頭の中に、予想外の騒音が、鋭敏になって、痛む頭を直撃した。
 何が起きてるの? こう自問した。正常な認識能力は途切れがちで、無能力状態になっていたが、どうにか身体を動かしてみた。脳は酩酊状態のような感じ。からだは不安定で重く、動きも非常に緩慢だ。右腕は完全に麻痺して、からだの横に垂れ下がってしまった。
 これほど劇的に精神が無力になっていくのを味わっていても、左脳の自己中心的な心は、生命は不死身だという信念を尊大にも持ち続けていた。いずれ完全に回復できると楽観的に信じていた。
 まったく自覚のなかった先天性の脳動静脈奇形によって大量の血液が大脳の左半球にどっと吐き出された。左脳にある高度な思考中枢に血液が降り注いだため、認知能力の高い機能が失われていった。
 これまでの、からだの境界という感覚がなくなり、自分が宇宙の広大さと一体になった気がした。まぶたの内側では、稲光の嵐が荒れ狂い、頭では雷に打たれたかのような耐え難い痛みが脈動している。体の向きを変えようとしても、限界以上のエネルギーを必要とした。空気を吸うだけで、肋骨が痛む。目を通して入ってくる光が、火炎のように脳を焼く。しゃべることができないので、顔をシーツに埋め、明かりを暗くしてくれるように訴えた。
 著者は精神的には障害を抱えたものの、意識は失わなかった。人間の意識は、同時に進行する多数のプログラムによって作られている。
 外部の世界を知るための知覚は、左右の大脳半球のあいだの絶え間ない情報交換によって、見事に安定している。皮質の左右差によって、脳のそれぞれ半分は少しずつ違う機能に特化し、左右が一緒になったときに、脳は外部の世界の現実な知覚を精密に作ることが出来る。
 自我の中枢と、自分を他人とは違う存在とみる左脳の意識を失ったが、右脳の意義と、からだを作り上げている細胞の意識は保っていた。
 いつもは右脳より優勢なはずの左脳が動かないので、脳の他の部分が目覚めた。
 脳卒中は、現代社会でもっとも人を無力にする病気である。そして右脳より左脳の方で、4倍以上の確率で脳卒中が起きていて、言語障害の原因になっている。
 脳が治っていく過程で、一番力を発揮するのは脳である。そして、睡眠のもっている治癒作用に重きをおくことが大切だ。睡眠、そして学習と認知の訓練の間を縫って睡眠を取ることを大切にすべきだ。
 うまく回復するためには、できないことではなく、できることに注目するのが非常に大切。成功の秘訣の一つは、回復するあいだ、自分で自分の邪魔をしないよう意識的に心がけること。感謝する態度は、肉体面と感情面の治癒に大きな効果をもたらす。
 統合失調症と診断された人の多くが動く物体を見るときに、異常な眼の反応を示す。
 すごい本です。これほど脳卒中で倒れた現場からの、生々しい体験レポートというのはないのではないでしょうか。そして、脳の回復力にも圧倒されます。あきらめるのは早すぎるのです。
(2009年3月刊。1700円+税)

2009年2月 9日

もうひとつの視覚

著者:メルヴィン・グッデイル、 発行:新曜社

 見えるというのはどういうことか。「見えない」のに見ている現実がある。意識としては見ていなくても、実は見ているというわけなのです。いやあ、人間の脳の仕組みって、本当に複雑なんですね。限られた容積内の脳を活用するとしたら、要するに組み合わせを変えていくしかないのだと、最近、私も思うようになりました。
この本に主人公として登場してくる女性はイタリア北部の村でプロパンガス中毒(一酸化炭素中毒)で危うく助かったものの、脳の一部が損傷してしまいました。彼女は外見上は何の障害もないように思われたのに、本人からすると何も見えなくなってしまった。ところが、形は分からないのに、物の色や濃淡を見分けることができたのです。なんということでしょう。それでも、やっぱり見えないことには変わりがありません。そして、運動能力には影響がなく、記憶や聴覚、触覚なども変わりませんでした。
彼女は、物が「見えない」のにもかかわらず、目の前にあるエンピツを指で正確につかむことができたのです。つまり、意識的な視覚ではない、気づかないところの視覚能力によって、運動できる能力を保持していたというわけです。
視覚システムにおいては、2つがまったく独立している。一つは行為を誘導し、もう一つは知覚を担当する。知覚を担当するのは腹側経路である。これは、外界に関する豊富で詳細な表象を伝えるが、自己を基準にした光景の詳細な計測情報を捨てている。
 行為の背側経路のほうは、行為に必要な自己中心座標で、物体の正確な計測値を伝えるが、その計算は一瞬のもので、たいていは選択された特定の目標物に限定されている。この二つのシステムはうまく調和しあう必要がある。たとえば、背側経路は、物体の大きさを計算していて、物体に手を近づけながら、空中で手の開き幅を調節している。
 背側経路は、いま現在の視覚入力にほぼ完全に支配されていて、単独では物体の重さを計算できない。背側経路だけでも物体の大きさを計算することはできるが、物体がどんな素材でできているかという点を理解するには、腹側経路が必要である。そして、腹側経路は大きさの計算も材質の計算もできる。結局、腹側経路は、ヒトの知覚体験を構築する上で、休みなく大きさを計算し続けているのだ。
テーブルの上にある物が何かを認識し、そこにある他のものと自分のカップとを区別できるのは腹側経路のおかげである。また、カップの取っ手の部分を選び出せるのも腹側経路のおかげである。しかし、カップの取っ手だと分かり、ある行為を決めてから、取っ手に手や指をうまく持っていけるかどうかは背側経路の視覚運動システムによる。
このように、外界に関する意識的な社会体験は、背側経路ではなく、腹側経路の産物なのである。そして、腹側経路の神経活動と視覚的意識との間には強い相関がある。腹側経路は視覚的意識の回路に必須である。腹側回路がなければ、視覚的意識は生じない。
腹側の知覚経路と背側の行為経路の間には、複雑だが、たえまない相互作用があって、適応的な行動が生み出されている。
うむむ、単に見るというだけでも、それって実は簡単なことではないのですね。とても面白い、脳に関する本でした。

(2008年4月刊。2500円+税)

2008年12月26日

プルーストとイカ

著者:メアリアン・ウルフ、 発行:インターシフト

 サブ・タイトルは、読書は脳をどのように変えるのか?です。
 人類が文字を読むようになってわずか数千年しかたっていない。ところが、これによって脳の構造そのものが組み直されて、考え方に広がりが生まれ、それが人類の知能の進化を一変させた。読むというのは、歴史上もっとも素晴らしい発明のひとつだ。
現在のヒトの脳と四万年前の文字を持っていなかったころのヒトの脳に、構造的な違いはほとんどない。なーるほど、字を読むというのも大きな進化だったのですね。
 アルファベットは、文字数を節約したことで、ハイレベルの効率性を手に入れた。楔形文字は900字、ヒエログリフは数千字を数えるのに対して、アルファベットはわずか26文字である。今日、世界にある3000言語のうち、文字をもっているのはわずか78言語でしかない。
 日本語の読み手は、漢字だけを読むときには中国語と同様の経路を使う。ところが、規則性が高く平明なかな文字を読むときは、むしろアルファベットの読み手に近い経路を使う。かたかなとひらがな、そして漢字との間を行き来しながら読み進める能力を備えた日本語の読み手の脳は、現存するもっとも複雑な読字回路のひとつを備えていると言える。     
アルファベット脳は、左半球の一部の領域のみを賦活させているのに対し、中国語脳は左右両半球の多数の領域を賦活させる。その結果、脳梗塞になったとき、中国語は読めなくなったけれど、英語は読めるということが起きる。
 ですから、日本人の多くが英語を苦手としているのは、脳の回路の運用が異なるからだという説には合理性があります。
 脳は、自らの設計を順応させる驚異の能力を備えているので、読み手はどんな言語でも、効率性を極めることができる。
言語の発達にとって大切なことは、子どもに対する話しかけ、読み聞かせ、子どもの言葉に耳を傾けることである。
 幼児期に身につけた語彙が少ないと、その後の成長過程で大きな差となって現れる。親との接触に乏しい子どもが多いせいか、アメリカの子どもの40%が学習不振児である。
 文章を追う目の動きは、一見すると、単純のように見える。いかし、実は、眼球は絶えずサッカードと呼ばれる小さな運動を続けており、その合間にごく瞬間的に停留と呼ばれる眼球がほぼ停止する状態が起こる。読んでいる時間の10%は戻り運動という、既に読んだところに戻って、前の情報を拾い上げる運動にさかれる。
いやあ、そうなんですか。目の働きと視野って、単純ではないのですね。
大人が読むときにサッカードでとらえられる文字数は8文字ほどで、子どもはそれより少ない。このおかげで、文章の行にそって周辺領域まで先読みすることができる。このようにして、常に先にあるものを下見しているので、数ミリ秒後に行う認識が容易になって、自動性が一層高まる。
 ディスレクシア(読字障害)を持つ天才・偉人は多い。トーマス・エジソン、レオナルド・ダ・ヴィンチ、アルベルト・アインシュタインなどである。彼らは小児期に読字障害を抱えていた。
 ところが、ディスレクシアの人々の大半は、非凡な才能に恵まれている。なぜか?
 ディスレクシアの人々の脳は、左半球に問題があるため、右半球を使わざるをえなくなり、その結果として、右半球の接続のすべてが増強されて、何をするにも独自のストラテジーを展開するようになった。文字を読むには不向きでも、建築物や芸術作品の創造やパターン認識には不可欠なものがある。
ディスレクシアは、脳が、そもそも文字を読むようには配線されていなかったことを示す、もっとも分かりやすい証拠である。
日本人が英語を長年にわたって勉強していても、ちっともうまく話せないのは、決して日本人が他の国の人より劣っているからではなく、脳の回路の使い方なんだということがよくわかる本でもあります。
 東京にあるちひろ美術館に行ってきました。高田馬場から西武新宿線に乗って各駅停車で20分ほどの上井草の駅で降ります。駅前に案内表示がありますので、それを見て踏切を渡ります。両側が小さな商店街になっていて、昔懐かしい駄菓子屋もありました。電柱に案内が出ていて、迷うことなく右折し、左折し、また右折するといった具合に住宅街のなかを歩きます。土曜日のお昼前、11月上旬の陽気でしたから、ちょうどいい散歩です。ちひろ美術館は、元は松本善明代議士(弁護士)の自宅をそっくり改造した新しい建物です。すぐ前にマンションも建っていますが、まったくの住宅街です。高級住宅地というのではありません。昔は練馬大根でもとれていたのではないかという感じです。
 空調のよくきいた部屋にちひろの絵があります。やわらかい、ふっくらした子どもたちの顔がなんとも言えず心を落ち着かせます。昔からちひろの絵は大好きなので、うちの子どもたちにもたくさん童話を読み聞かせしてやりました。
 ちひろの絵は、幼い子の小さな手指までしっかり描かれているうえ、ボカシが見事だったり、色彩感覚にも素晴らしいものがあります。絵の中の子どもたちは、動きはありますがどちらかというとじっとたたずんで、こちらを見つめています。変に胸騒ぎのする絵ではありません。
 ただ、戦火の中の女の子は、厳しく、寂しげな表情をしています。視線はあらぬ方向を見ていて、決して私たちと目線をあわせようとはしません。目線をあわせてニッコリ微笑んでくれるなんて期待できないのです。みている人の気持ちを悲しませます。戦争反対とただ叫ぶのより、よほど気持ちがひしひしと伝わってきます。
 たくさんのちひろの絵を眺め、ちひろのアトリエをのぞいて、すっかり満ち足りた思いで、また住宅街のなかをゆっくり駅に向かいました。いい一日でした。
 今度は長野にあるちひろ美術館にもぜひ行ってみたいと思います。
(2008年12月刊。2400円+税)

2008年8月29日

イチローの脳を科学する

著者:西野仁雄、出版社:幻冬舎新書
 7月末にイチロー選手が日米通算安打3000本を達成したというニュースが大きく報じられていました。すごい記録のようです。
 私はテレビを見ませんし、見るスポーツは、野球も相撲も、もちろんサッカーにも、まったく関心がありませんので、イチロー選手の活躍状況をナマで見たことはありません。でも、すごい選手らしいというのは、活字を通して知っています。この本は、そのイチロー選手のすごさを脳の働きから迫り、解明しています。なるほど、すごい選手だと思いました。
 イチロー選手のすごさは高校時代に始まります。高校での通算打率は5割を超え、本塁打も19本放ち、三振はたったの3回だけ。
 1994年から2000年まで、イチローは7年のあいだ、パリーグで連続首位打者を獲得した。アメリカのメジャーリーグに移ってからも、1年目から242本の安打を放って首位打者となり、新人王とMVPに選ばれた。2004年には、262本という年間最多安打の世界記録を打ち立てた。
 イチローの特色は、非常に体の反応がよく、内外角高低の変化、直球・変化球に対して柔軟に対応できること。ピッチャーマウンドからホームプレートまでの距離は18メートルあまり、時速150キロだと、球は0.44秒でバッターの手元まで来る。イチローは、この2分の1秒以下のあいだに、内外角、高低直球・変化球を見きわめ、バットを振ることができる。うむむ、すごいですね。
 野球選手は、肩胛骨と股関節の連鎖の動きが大切。この動きがスムースだと、たとえ姿勢を崩しても、それなりの対応ができる。
 イチローは、自分の愛用する野球道具であるバット、グラブ、スパイクを入念に手入れすることでも有名だ。遠征に出かけるとき、イチローは、自分専用の枕、電動の足もみ器を持参する。そして、昼食は毎日、奥様の手づくりカレーライスを食べる。
 イチローは、かたくなに規則正しく、きちっと決まった手順で、準備し、ベストの条件になるように心がける。イチローの几帳面さ、一徹さを示している。
 イチローは小学生のころから、1年365日、1日に7、8ゲームの球、合計250球をバッティング・センターで打ち込んでいた。うへーっ、す、すごいですね、これって。
 時速150キロの球を、中学3年生のときに、イチローは打てた。そして、ストライクではないボール球は絶対に打たないようにしていた。ひゃあ、これは、すごーい。
 自分の意思で自主的に運動することが、脳の活性化に大きく影響している。
? 運動を自主的にすると、ドーパミン神経系が活性化する。
? ドーパミンが放出されると、神経幹細胞が活性化する。
? 70〜80歳になっても、脳の中には神経幹細胞が存在している。
? 脳の活性化には、幼少期はもちろん、年をとってからも、何ごとも積極的な気持ちで、前向きに行動するのが大切。
 日本人がアメリカで野球をやろうと思ったら、何より大切なことは、自分で自分を教育できること。
 これはイチローの言葉です。
 物事を一歩はなれたところ客観的に観察し、全体像を冷静に感じとる能力にイチローは長(た)けている。さすがは、イチローです。
(2008年3月刊。720円+税)

2008年3月17日

脳研究の最前線

著者:理化学研究所、出版社:講談社ブルーバックス
 脳科学総合研究センター編で上下巻あります。個人論文の寄せ集めですが、興味深い内容です。人間って、いったい何者なんだろう、と考えたとき、脳の作用を抜きに語ることはできません。ですから、私は、高校生のころに大脳生理学の研究をしたいなどと大胆不敵なことを妄想したこともあって、脳科学にはいつも関心をもってきました。このブログでも、何回も脳に関する本を紹介しています。ところで、高校3年に進級する直前、私は自分をふり返りました。能力と適性を考えたとき、数学的思考力がまったく乏しいことを自覚せざるをえません。幸いにして文章のほうだけは少々の自信がありましたので、それなら文系を目ざすしかない。そう決断したのでした。その決断は間違っていなかったと、40年以上たった今でも確信をもって断言できます。それでも、高校3年までは、一応、理系進学クラスにいて、数?まで履修しましたし、今でも、物理や化学そして生物系統の本は大好きです。ところが、数学については、からっきし苦手です。こればかりはどうしようもありません。久留米に、毎年の大学受験問題を解くのが趣味だという弁護士がいますが、すごいですね。私なんか問題文を新聞紙上で見るだけで尻ごみしてしまいます。
 アルツハイマー病は、全世界に2000万人の患者がいる。一番多いのはアメリカで 500万人。患者の増加速度が大きいのは、中国とインド。
 アルツハイマー病を発症すると、記銘力をふくむ認知能力が進行的に低下し、さらに、せん妄(意識混濁、幻覚、錯覚)などの精神症状を呈することがある。認知能力の低下は、通常、エピソード記憶(最近、自ら行ったことや見聞きしたことに対する記憶)の異常から始まり、言語能力や判断力が失われ、自分の居場所や家族の顔がわからなくなるほどに進行する。一般に、運動失調は少ないので、徘徊などの問題行動の原因になる。精神症状としては、性格の変化、うつ症状、異常な攻撃性、根拠なき嫉妬、妄想などが典型である。
 ほとんどの人間が、長生きしたらアルツハイマー病を発症する宿命にあることが判明した。65歳以上で1割、85歳以上で5割、100歳以上で9割が認知症を患っている。
 アルツハイマー病は、早期発症型と晩期発症型に分類される。早期発症型は、20代後半から60歳ころまでに発症する。60歳以降の発症は、晩期発症型。
 これを読んで、私の叔母もアルツハイマー病だったんだと思い至りました。同居していた甥が物を盗ったとか、あらぬことを口走るようになっていたのですが、単なる被害妄想とばかり思っていました。
 家族性アルツハイマー病患者は、正常に成長し、成人に達したあと、30歳ころから 60代にかけて発症する。生まれる前から原因遺伝子変異を有するのだから、潜伏期間が30年以上あるということになる。
 明確な遺伝性のないものを、孤発性アルツハイマー病と呼び、晩期発症型の大半が、これに相当する。
 アルツハイマー病が特徴的なのは、高齢者の罹患率の高さ。人類は、文明の進歩によって、予想もしなかった難問に直面した。孤発性アルツハイマー病の原因は、加齢にともなう脳内ネプリライシンの活性低下である可能性が強い。
 現在、アルツハイマー病治療のために世界でもっともつかわれている医薬品はドネベジル(製品名はアリセプト)。これはエーザイの杉本八郎博士が開発した、世界に誇る日本の成果。年商1000億円。
 脳を効率よく動かすには、「活性化」するだけではダメ。脳は、それぞれ異なる機能をもつ、たくさんの脳領域が協調して形づくっているシステム。だから、もし一部の脳機能だけを突出させることができたとしても、システムとしての全体のバランスを壊してしまい、脳機能は低下するだけになってしまう。脳というシステムをうまくつかうのに一番大事なのは、まずバランスを取ること。
 今の日本で、働けなくなってしまう病気というのは、トップ5のうち4つまでが精神疾患。うつ病、アルコール依存症、統合失調症、躁うつ病。精神科病院の入院患者の平均年齢は60歳。ということは、新たに入院する人は多くないことを意味している。
 統合失調症は、いわゆる遺伝病ではない。しかし、その発症に遺伝子が関係していることは間違いない。統合失調症は、その発症前から、ひきこもり、友人と遊べない、新しい環境に慣れにくい、動作がぎこちないといった行動特徴が認められる。
 統合失調症は、思春期以後に発症する疾患である。
 私のクライアントにも、これらの病名をもつ人が何人もいます。それから、最近はパニック障害だという人も少なくありません。どうして、こんなに増えたのでしょうか。
 揺れる電車の中で本が読めるのはなぜか。電車が揺れると頭が動き、それにつれて目もずれるから、見つめている活字がずれてしまう。しかし、頭が動くと、耳の奥にある三半規管が動きを感じて信号を脳に送る。この信号が小脳に伝わり、ここのニューロンの指令で、目の筋肉を反対方向に動かす。頭が動くと、ちょうどその分だけ目を反対側に動かして補正する。これが素速くできるので、揺れる電車の中でも、目は活字からずれない。これは、フィードフォワード制御で、正常の機械でなされるフィードバック制御とは違う。先回り制御というフィードフォワード制御である。  
 私は大学生のとき以来、電車のなかで本を読んでいますが、不思議なことに、目は悪くなりません。今でも近視のままですし、メガネをはずさないと本は読めません。
 人間の記憶は、コンピューターの記憶とは、まったく違う。コンピューターでは、記憶すべき事項は、そのまま記号の形で書かれ、記憶装置に蓄えられる。脳の記憶も、ある程度は局在していて、場所場所にちりばめられている。
 海馬は、大脳皮質と連携を保ちながら記憶を整理し、時間をかけて大脳皮質に長期記憶をつくり出す。大脳皮質では、情報を処理する場所に、それに関連する記憶が蓄えられ、記憶を用いた情報の処理が行われる。処理と記憶は一体となっている。
 人の記憶の特徴は、連想性にある。組みあわさった事項は、その一部から全体を思いさせる。一つの記憶事項から、芋づる式に、関連した事項を次から次へと思い出す。連想は、いろいろな飛躍をともなうことがある。創造性は、この飛躍から生まれる。
 脳の不思議さ、人体の神秘を考えると、この精妙なる存在である人間をもっと大切にしたいなと思います。
(2007年10月刊。1140円+税)

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