弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2012年10月 9日

挑戦する脳

著者   茂木 健一郎 、 出版   集英社新書  

 人間の脳の成り立ちは複雑で、多様である。脳の100億の神経細胞がお互いにどのような結合し、パターンを作るのか。その組み合わせの数は、無数にある。
天才とは、すなわち世間の既成概念にとらわれずに物事をなす人のことである。高度な創造性を示した人は、物理世界に提示される情報に支えられた視覚的一覧性に拘束されずに考え、感じるということを実行していたケースが多い。
 人生は続く。なんとか生きていかねばならない。ながらえる術(すべ)を見出さなければならない。そのとき助けになる「認知的技術」の一つが「笑い」である。
 「笑い」の背後には厳しい人生の現実がある。不安がある。恐怖さえある。「笑い」は、存在を脅かす事態に対して脳が機能不全に陥らないための、一つの安全弁である。そして、「笑い」は私たちが生きるエネルギーを引き出すことのできる、尽きることのない源泉なのだ。人は、笑うことができるからこそ挑戦し続けることができる。
大らかに笑うことができる人が、結局のところもっとも深く人生の「不確実性」というものの恵みを熟知している。杓子定規な真剣さは、往々にして臆病さの裏返しでしかない。
 本来、人間の脳のもっともすぐれた能力は、何が起こるか分からないという生の偶有性に適応し、そこから学ぶことである。予想できることばかりではなく、思いもかけぬことがあるからこそ、脳は学習することができる。
 今の時代、日本人は、「挑戦する」気持ちが足りないとされている。なぜ、日本人は「挑戦しない脳」になっているのか?
 脳は、自分の置かれた環境に「適応」する驚くべき能力を持っている。この世に生まれ落ち、育っていく中で、周囲の環境に合わせて脳の回路が形成されていく。日本人が「挑戦しない脳」になっているとすれば、挑戦しないことの方が適応的であるという、そんな因子があるのに違いない。
人間の脳は、本当に不思議です。たとえば、人前で話すとき、あらかじめ思っていたこととかなり違う話を自然と口にすることがあって、我ながら驚くことがしばしばあります。そんなとき、いったい、この思考回路は誰に指示されているのかと不思議に思えてなりません。
 これも100億個の細胞と無数の回路の組み合わせのなせる技(わざ)なのでしょうね。
 脳への関心は尽きることがありません。
(2012年7月刊。740円+税)

2012年8月26日

リハビリの夜

著者   熊谷 晋一郎 、 出版    医学書院 

 出産のときの酸欠から脳性マヒとなり、手足が不自由のなったにもかかわらず、ナントあの超難関の東大理Ⅲに入学し、東大医学部を無事に卒業して、今では小児科医としてフツーに働いている著者が書いた本です。
 すごいね、すごいなと思いつつ読みすすめました。自己分析力が、すごいのです。感嘆してしまいました。
 図解もされているのでたいへんわかりやすいのですが、意思という主観的な体験に先行して、脳の中ではすでに無意識のうちに運動プログラムが進行している。自らの意志は、実は無意識のかなたで事前につくられており、それが意識へと転送される。著者は発声器官の障害がないため、言葉でのやりとりには大きな支障がない。ところが、首から下の筋肉が常に緊張状態にある。
 いったん目標をもった運動を始めようとすると、とたんに背中から肩、腕に至るまでが、かちっと一体化してこわばる。背中から腰、足にいたるまでも同時に硬くなっている。つまり、身体が過剰な身体内協応構造をもっている。
 パソコンをうつにしても全身全霊で打つ。手首、ひじ、指の関節などの末端にある部分だけが動くということはない。ところが、夢のなかでは自由に歩いたり走ったりしている。風を切って走っているときの身体の躍動や弾むような爽快な気分も夢の中では味わっている。
 著者は大学に入った18歳のときに一人暮らしを始めた。トイレに行くのも、着替えをするのも、風呂に入るのも、車いすに乗るのも、みんな自分ひとりでできないのに・・・。
 いつか、これを始めなければ、両親亡きあと、生きていかれないのではないかという不安からだった。すごいことですよね。これって。
まずはひとりでトイレに行くことから始まりました。そして、物の見事に失敗したのです。でも、そこでくじけなかったのですね。えらいです。さすが、ですね。トイレは改装してもらいました。さらに電動車いすによって外出が自由にできるようになったのです。
電動車いすという身体を手にすることによって、地を這っていたときには触れることもできなかった本棚や、冷蔵庫や、自動販売機にも手が届くようになった。電動車いすは、つながれる世界を二次元から三次元へぐんと広げてくれた。
 今では、車いすから降りたとたんそれまで近くにあったモノが急に遠くへ離れていってしまうような感覚がある。
人間は、他の多くの生き物と違って、外界に対して不適応な状態で生まれ落ちる。この不適応期間があるからこそ、人間は世界との関係のとり結び方や動きのレパートリーを多様に分化させることができた。無力さや不適応こそが、人間の最大の強みでもあるのだ。
この本では、脳性マヒによって身体が思うように動かないということの意味が図解され、同時に人間をふくめた外界との関わり方が考察されています。そして、トイレ・トレーニングというか、不意の便意への具体的な対処法まで紹介されています。
 リハビリ、トレーニングの意義についてもたいへん勉強になりました。世の中には、これほどの身体的ハンディにも屈せずにがんばっている人がいるのですね。私も、もう少しがんばろうと思いました。
(2010年10月刊。2000円+税)

2012年7月17日

脳はすすんでだまされたがる

著者  スティーヴン・L・マクニックほか 、 出版   角川書店

 この本はタネも仕掛けもないはずの手品のネタバレをいくつもしています。でも、私がこれを読んだからといって、なるほどとは思いましたが、自分でやれるとは思えませんでした。なんといっても、手品を成功させるには繰り返しの練習が必要です。生半可なことではうまくはずはありません。
 あなたが見て、聞いて、感じて、考えたことは、あなたの予期にもとづいている。また、あなたの予期は過去のあらゆる経験や記憶から生まれる。いま現在、あなたが見ているものは、過去にあなたにとって有用だったものである。
 この本の主旨は、知覚された錯覚、自動的な反応、さらに意識する導き出す脳メカニズムがあなたという個人を定義するということだ。知覚の大部分は錯覚なのである。
 目とは、とかく信用ならない代物なのだ。人は見るものの多くを捏造してもいる。脳は処理できない視覚情報を「充填」によって補う。
手品の成否を決めるのは手の器用さだけではない。巧みな演技とコインの残像効果を組み合わせ、注意の対象を移動させることによって、小さな動きに信じがいたいほど強力な暗示を与える。目につく認知上のヒントをいくつも出し、観客がそれを発見するように導く。その技はいたって効果的であり、何度やっても観客はだまされてしまう。
 視覚系は、視野の中心を除けば、解像度はかなり低い。
科学者は手品師にことにだまされやすい。優秀であればあるほど、科学者をだますのはたやすい。なぜなら、科学者とは、真っ正直な人だから・・・・。
脳は自身の現実世界をたえずでっち上げている。
 一人になれるなら、刑務所内の危険や不快な出来事から解放されると思うかもしれない。しかし、それは受刑者にとっては最悪の懲罰なのだ。彼らは現実世界との接触を失ってしまうからだ。独房は拷問の一種である。
手品師は、人間の認知を手玉にとる達人である。注意、記憶、因果推論など、きわめて複雑な認知過程を視覚、聴覚、触覚、人間関係の操作の驚嘆すべき組み合わせによって制御する。
 脳は、二つ以上のことに同時に注意を払うようにはできていない。ある時点では、ある空間的位置にのみ応答するようにできている。
記憶には一つの情報源しかないように感じられるだろうが、それは錯覚だ。記憶はいくつかの下位システムから構成され、それらの下位システムが連携して自分が一個の人間であり、これまでの人生を一貫して生きてきたという感覚を与える。
 記憶は総じて誤りを免れえない。人間の脳は常に秩序、パターン、解釈を求めており、ランダムさ、パターンの欠如、形容しにくさに対する嫌悪感を生まれつき持っている。脳は説明不能とみると、無理にでも説明を試みる。詐欺師は弱者を襲ったり、助けを求めたりして、自分が弱い立場にあることを相手に印象づける。オキシトシンが脳に与える影響により、他人を助けるといい気分になる。「私には、あなたの助けが必要です」というのは、行動をうながす強力な刺激だ。
 手品師もたえず間違いを犯しているけれども、こだわらずに前へ進むので、観客はほとんど気づきもしない。あなたもそうすべきなのだ。うむむ、なーるほど、そうですよね。くよくよしていても損するだけですからね。
 手品師は、ユーモアと共感をもちいて、あなたの守りの壁をとっ払う。そうなんですよね。ユーモアと笑いが、人生をよりよく生きるためには欠かせませんね。なーるほど、そうだったのかと思わせることの多い本でした。
(2012年3月刊。角川書店)

2012年7月 2日

ソウルダスト

著者  ニコラス・ハンフリー  、 出版   紀伊國屋書店

 人間と同じように、わざわざ楽しみを求める動物種は多くある。
 彼らは、おおいに楽しみたがっている。モモイロインコは旋風を探し求める。イルカは船首が立てる波に乗るために船を追いかける。チンパンジーはくすぐってくれるように懇願する。散歩に連れていってもらうためなら、犬はどんな苦労も惜しまない。
 まんまと連れ出してもらえたときのうれしそうな様子。逆に、願いがかなわないのを悟ったときのしょげた顔は、犬を飼った経験のある人なら誰もが知っている。車に乗せられて外出し、広いところで駆けまわると思っていたのに、ペット・ホテルに預けられ、自分の存在が「保留」状態になるのに気付いたときの犬の姿ほど哀れを誘うものは、そうそういない。
死とは、意識のない状態。もう生きていないこと。何も感じないこと。命の匂いを嗅げないこと。意識のない状態を恐れるのは一種の論理的誤りだ。感覚のない状態は合理的に恐れられない。なぜなら、それは存在の一状態ではないからだ。存在しない人間は悲哀を感じない。死んだら、私たちが恐れるものなど、何が残っているというのか。
 意識のない状態は想像できない。心は、心のない状態をシュミレーションできない。
 人間以外の動物は死を恐れるだろうか?
 恐れない、いや恐れることはできないというのが従来の一般的な見方だ。
 それには、三つの理由がある。第一に、まだ自分の身に起こったことがない出来事を思い描けるとはとうてい思えない。死とは、もちろん生まれてからまだ一度も経験したことのない、仮想の出来事にほかならない。
 第二に、人間は死の証拠の積み重ねにさらされているが、人間以外の動物はそういうことはまったくないからだ。人間は自分が死なねばならないことを知っている唯一の種だ。そして、人間は経験を通してのみ、それを知っている。
 第三に、人間以外の動物は、死が最終的なものであることを理解する概念的手段がない。肉体の死が自己の死をもたらすことを、どうして動物が理解しうるだろうか。
 目の前で仲間の一頭が生きていることを永遠にやめたときに、何が起こったのかチンパンジーたちは理解するのに苦しんでいるから、これが自分を受け入れている運命だと想像できるはずがない。そして、想像できないものを恐れるはずはない。なーるほど、そうなんですか・・・・。
 ソウルダスト、すなわち魂の無数のまばゆいかけらを周りじゅうのものに振りまく。現象的特性を外部のものに投影するのは、あなたの心だ。この世界がどのように感じられるかを決めているのは、あなた自身なのだ。
 100年以上前に、オスカー・ワイルドは、次のように書いた。
 「脳の中ですべては起こる。ケシの花が赤いのも、リンゴが芳しいのも、ヒバリが鳴くのも、脳のなかだ」
自分であることの輝かしさに気がついた子どもは、すぐに他の人間の自己についても、大胆な推測をするようになる。もし、自分にしか分からないこの驚くべき現象が自分の存在の中心にあるのなら、他の人々にも同じことが当てはまるのではないか、いやきっとそうだ。
 子どもたちは、社会的相互作用や探究、実験を通して、ゆっくりと習得する。他者も現象的意識をもっていると考えていいことを、子どもは少しずつためらいがちでさえあるかのように理解する。だが、いったんそれを悟ると、人生や宇宙やあらゆるものに対する見方を急激に修正しなくてはならなくなる。というのは、重要度という点では、自分自身が意識をもっているという真実に次ぐ二番目の真実に行きあたったからで、それは意識をもっているのは自分だけではないという真実だ。自分以外の人間も、誰もが自立した意識の中心なのだ。人間が気がつくのは、自分たちが実は自己の集合体としての社会の一部だということにほかならない。
生物にとっての意識というものを考えさせてくれる本でした。
 私って何でしょう。死んだら、その意識はどこに行くのでしょうか。霊魂不滅とは、輪廻転生とは・・・・?
 この世の中は複雑怪奇、そして、すべては泡のように消えていくのでしょうか・・・・。
(2012年5月刊。2400円+税)

2012年5月21日

眠りをめぐるミステリー

著者   櫻井 武 、 出版   NHK出版新書

 なぜ、あらゆる生き物は眠るのか?
泳ぎながらも眠るイルカ。脳の半分ずつ眠るのだそうです。横になって身体を休めるだけでは足りず、やっぱり睡眠が必要だというのは、なぜ?
眠っているはずなのに、目玉をキョロキョロ動かす。はては、眠っているのに動き出して、ウロウロする。料理を作って食べる。絵を描く。しかも、その絵は昼間にはとても書けない精密そのものの絵。さらには、眠っているのに、起き出して車を運転して人まで殺してしまう。そして、それをまったく覚えていない。
 ええーっ、ウソでしょ、単にとぼけているだけでしょ、と叫んでみたい気がします。でも、どうやら、本当に無意識のうちに行動するようなのです。監視カメラの映像を見て自分で驚いたというのです・・・。考えれば考えるほど不思議なのが眠りです。死は永遠の眠りだとよく言われます。本当にそうだとしたら、何も怖いものではありませんよね。
 それにしても、眠るとき、目覚めがあることを当然のように思っていますが、そのまま目が覚めずに亡くなっていった人は幸せだった(幸せな)のでしょうか・・・?
 夢はレム睡眠中に行われる、いわば記憶に対する情動によるタグ、あるいはアイコンをつける作業中、それがノイズとして意識にのぼったものなのではないかと考えられている。
 じっと休んでいのると、睡眠をとっているのとには、厳然たる差がある。眠りは、休んでいるという消極的な状態ではなく、積極的に脳のメンテナンスと情報管理を行うという能動的な過程なのである。人は一日の3分の1を眠って過ごし、その睡眠時間のうち、4分の1がレム睡眠である。
 ノンレム睡眠は、一般的に脳の休息、メンテナンスの時間だと考えられている。脳のエネルギー消費は一日の中で最低になる。ただし、必要に応じて寝返りなど運動することは可能な状態にある。ノンレム睡眠では、起床することはかなり困難だ。
 レム睡眠は、非常に特殊な状態にあり、脳は覚醒時に難しい数学の問題を解くなど、知的な活動をしているときよりも、さらに活発に活動している。
 レム睡眠中に覚醒させると、その人は見ていた夢の内容を詳細に話すことができる。
 レム睡眠のときには、脳幹から脊髄に向けて運動ニューロンを痲酔させる信号が送られているため、全身の骨格筋は眠筋や呼吸筋などを除いて痲酔している。そのため、レム睡眠のときには、脳の命令が筋肉に伝わらないので、夢の中での行動が実際の行動に反映されることはない。そして、眼球は、不規則にさまざまな方向に動いている。中枢である脳はフル回転している。つまり、身体と脳のあいだの情報交換をカットした状態の中で、脳自体は活発に活動しているのがレム睡眠だ。夢中遊行の人が徘徊しているときには、深いノンレム睡眠の状態なのである。
生物にとって不利であるはずの睡眠が進化の過程でなくならなかったのはなぜか?
 逆に、進化するほど睡眠の必要性は高くなっている。脳の記憶システムが、シナプスの可塑性を記憶システムとして用いている限り、睡眠は必要なものなのである。
 安らかに眠り、爽やかに目が覚める。これが人生最良の日々ですよね。快眠は快便より快食より、何より優先するものですね。
(2012年2月刊。780円+税)

2012年2月13日

越境する脳

著者   ミゲル・ニコレリス 、 出版   早川書房

 脳についての知識がさらに増えました。
右手を失った人が、その右手に痛みを感じることがある。これを幻肢という。
 幻肢とは、身体のある部分を失ったあとでも、その部分がまだあって身体にくっついているという異常な感覚のことである。この痛覚は脳内の構成概念である。手足を切断された人が体験する手の込んだ幻覚は、末梢の神経腫ではなく、患者の脳内に広く分布したニューロンの活動によって生じるものである。
脳は高度な適応性を有する多重様相プロセスによって身体の所有感覚を生成している。この過程では、視覚、触覚、身体位置の感覚フィードバックを直接操作することによって、数秒で私たちの別の新たな身体を自己感覚のありかとして受け入れさせることができる。
 これって、ちょっと分かりにくい説明ですよね・・・。
相互につながったニューロンの大集団と情報をコードする大規模な並行処理のおかげで、私たちの高度に発達した脳は部分の緩和が全体より大きくなる動的システムとなる。これが可能になるのは、個々の要素の特徴の線形和のみからは予測できない、活動の複雑な全体的パターン(創発性)が神経網全体の動的相互作用によって発生するからなのだ。数百万ないし数十億個のニューロンによって形成される分散神経網は、脳波発生などの創発性を示す。脳の創発性によって、さらに知覚、運動制御、夢、自己感覚などきわめて緻密で複雑な脳機能までもが生み出されている。私たちの知識は、ヒトの脳内で動物に相互作用する多数のニューロン回路の創発性から生まれていると思われる。
 脳のはたらきは、ニューロン時空が形成する切れ目のない連続体内にある数十億個のニューロン間の動的な相互作用から生まれるのだ。
 私たちの脳内では、つねに脳自身の視点と入力とが激しく衝突しており、脳は与えられた条件下で、その瞬間に最適な行動パターンを生成する。脳は外界からの刺激をただ待ち受ける受動的な情報解読器ではなく、能動的に外界のモデルを構築するシュミレーターである。シュミレーターの過程で脳は身体の枠をこえて外界を同化し、自己を延長する。
人間の意識が同時並行処理するニューロン集団の大量の相互作用にあるという主張なわけですが、この本を読んで、難しい内容ながらも何となく分かった気がしました。
(2011年9月刊。2400円+税)

2012年2月 6日

脳の風景

著者   藤田 一郎 、 出版   筑摩書房

 人間の脳は、地球上で一番複雑である。いや、宇宙でもっとも複雑な構造物であると言える。
 小さなキャベツほどの脳の中に1000億個のニューロン(神経細胞)が押し込まれていて、その多くが1000から数万の他のニューロンとつながっている。ニューロン同士のつながり方にはルールがあり、緻密で膨大な配線をつくる。この巨大な神経ネットワークが人間のふるまいや心を生み出す。
多くの動物の洞毛ひげは、個体によらず、同一の種類であれば同じように生えている。
 ネズミのひげは、その一本一本に名前をつけている。
 盲目になった猫は、失った視覚能力を体性感覚や聴覚で補う。マウスも猫も、失明したあと、ものにさわったり音を聞くことで物体の識別したり、その位置を弁別する能力が向上する。
 アザラシが洞毛ひげをつかって水の動きの周波数を弁別する精度は、サルが手のひらで行う触覚の性能に匹敵するほどに高い。
カモノハシは夜間、濁った水中にもぐってエサをとるが、そのときには目だけでなく鼻や耳の穴も閉じている。それでもエサをとれる秘密はくちばしにある。上下のくちばしの表裏には、微弱な電気を感じることのできる電気受容器が4万個、水の乱れを感じることのできる機械受容器が6万個も埋め込まれている。
 スズメやヒヨドリ、ウグイスなどさえずりをする小鳥たちは、自分に固有のさえずりを生まれつき身につけているのではない。学習によって学んでいる。このことは里親実験によって証明された。生まれたばかりの幼鳥をオス親から引き離し、別のオス親のもとで育てると、里親のさえずりに似たさえずりをする。どのオスのさえずりも聞こえないようにして育てると、まともなさえずりの出来ない鳥に育ってしまう。いやあ、これって残酷な実験ですよね。
 生物の脳そして人間の脳の素晴らしい出来具合を知るにつけ、それを十分に活用していないところが、そして年齢とともに不活性化していっていることに、もどかしさを覚えてしまいます。
 それでも、こうやって毎日毎晩、読後感を書いていますので、そのうち何かいいことがきっとあることでしょう。そうですよね、チョコさん。
(2011年9月刊。1600円+税)

2011年12月19日

心と脳

著者   安西 祐一郎 、 出版   岩波新書

 自分はいったい何者なのか。どんな存在なのか。死んだら、一切は無になるのか。眠っているあいだも生きているというのはどういうことなのか。無意識のうちに人は動き、動かされているというのは本当なのか。
 意識にのぼらない自我があるのか・・・。心は一体どこにあるのか、頭なのかハート(心臓)なのか。頭のどこに心があるというのか。
 考えてみれば、このように次から次へ疑問が湧いてきます。
 虹の色は、いくつに見えるか?
 日本語を母語として、日本の社会で育った人は、紫、藍、青、緑、黄、橙、赤の7食に見える。フランスも同じ。ところがアメリカ育ちの人には藍色抜きの6色に見える。ドイツだと、さらに橙が消えて、5色に見える人が多い。虹の色が二つにしかない言語もある。へーん、いろいろ違って見えるものなんですね・・・。
 発汗や筋肉の収縮のような身体の反応にかかわる情報は主として大脳皮質を経ずに、意識にのぼることなく処理される。情報の処理は大脳皮質を経ない意識下の経路の方が速い。したがって、意識下で起こる身体的な反応のほうが、大脳皮質経由の意識にのぼる活動よりも、基本的に先に生じる。心の働きについても、意識下の働きのほうが自分に意識されるはたらきよりもずっと大きいことが分かっている。
 喧騒の中で自分の名前が聞こえるのは、自分にとって大切な意味をもつ情報を選り分けるメカニズムが意識下で働くからだと考えられている。なーるほど、たしかに、そんなことって、ありますよね。
コンピュータと違って、持ち運びや破損や特別なエネルギー補給にそれほど気をつかう必要がないのは、脳の優れた特徴である。
 脳は何億円もするスーパーコンピュータをはるかに上回る性能を有しているのですね。
情報処理がいろいろな機能について並行して進められ、それらが相互作用することによって心のはたらきが現れてくる。情報処理システムとしての脳神経系である。
 脳神経系が、脳幹、小脳、大脳辺縁系、大脳皮質の内部やその間を結ぶ密度の高い神経経路を通して相互作用していること、しかも、神経系が入り組んだ階層構造をなし、各層でも並行して情報が処理されるとともに、層の間でも相互作用が起こっていること、さらに、神経細胞がつながってループしている(もとの神経細胞に情報がめぐり戻ってくる)回路がたくさんあり、きわめて複雑なシステムを形成している。
 人が文章を理解しようとするときには、音韻、形態素、文法、意味、文脈などの情報をお互いに関係づけながら並行して処理し、全体の意味を理解しようとしている。本を読むというのは、単に目で文字を追っているというのではないのですよね。だからこそ速読術がありうるのでしょう。
 ふだんの買い物のような、何気ない意思決定でさえ、買うモノの特徴を考えたり、買い物経験を思い出したりする記憶や思考、どの品物が買うに値するかを決める選考評価、楽しめるとかつまらないといった感情など、多くの情報処理が意識のうえと意識下の両方で並行して行われている。
心のはたらきのほとんどすべては、脳のたくさんの部位の相互作用によるもので、脳のどこかと心のどこかが一対一に対応するわけではない。
 人は、意識して思考しているだけでなく、むしろ大脳基底核などのはたらきに支えられて、意識にのぼらず思考している部分が相当大きい。
 脳の本は、いつ読んでも本当に面白いですよね。
(2011年9月刊。860円+税)

 今年も500冊を読みました。面白そうな本、読みたい本、知りたいことが次々に出てきますので、速読はやめられません。まあ、完全なる活字中毒症であることは認めます。でも、本を読んでいるときの快感って、なにものにも代えがたいものがあります。背筋がぞくぞくするほど知的興奮したときなど、心を静めるのにしばらく時間がかかることがあります。どうぞ、新年も引き続き、お付き合いください。チョコさん、誕生日プレゼントありがとうございました。

2011年11月24日

隠れた脳

著者  シャンカール、ヴェダンタム  、 出版  インターシフト   

 隠れたところで人に影響を与える力を隠れた脳という。隠れた脳とは、気付かないうちに私たち人間の行動を操るさまざま力のこと。隠れた脳の大半は、自覚の及ばないところにある。脳の活動のなかに意識的に気付かないものがあることは、科学者のあいだでは昔から知られていた。
意識的な脳は、ゆっくり慎重に作業する。教科書を読んで理解し、ルールや例外を学ぶ。隠れた脳はすばやく推論し、即座に順応するようにできている。隠れた脳は、正確さよりもスピードを重視する。
 無意識のバイアスは毎日の生活の隅々にまで入りこんでいる。たとえば、人は賛同できる話を聞いたときには、すぐに、しかも情熱的に反応する。賛同できないときは反応がほんの少し遅れる。それは、隠れた脳が話の行き詰まるのを予測して、衝突を前に身構えるからだ。
あなたの隠れた脳は、単独で働いているのではなく、他人の隠れた脳とネットワークを築いている。
 近い関係にある人間同士だと、嫉妬心から強くなる。
 隠れた脳は、他の物体より人の顔を好んで認識するようにつくられている。
なぜ、人は災害時に反応を誤るのか?
 9.11のとき、WTCで88階にいた人は助かって、89階の人は助からなかった。なぜか?
 人が決断するとき、ふだんなら個人の性格やモチベーションがそこに反映される。しかし、集団でいるときに災害にあうと、個人の意思よりも集団自体の行動のほうが決定要因になることが多い。隠れた脳の奥底で起こって実際の行動を左右したのは、その人が属していた集団の大きさだった。大きな集団ほど、脱出するのに時間がかかる。思いがけない災害にあったとき、人は無意識のうちに周囲の人との合意を求める。そして集団は共通の物語。つまり何か起こっているのか誰もが理解できる説明をつくりあげようとする。集団が大きいほど、同意が成立するまでに時間がかかる。
 現実には、人間は自分を傷つけ、全体の生存可能性を減らしても、お互いを助け合うことがある。
 ヒロイズムは、危機に際して個人の利益より集団の利益を重視する。隠れた脳が生み出す無意識の問題解決法である。
 重大な危機に陥ったとき、隠れた脳がその力を発揮して、何が起こっているのか、まわりの人たちと共通の理解を得たいという強烈な願望が生まれる。集団の同意があれば安心できる。進化の歴史をみると、集団でいる方が安全を保たれる。警報が鳴ると不安が引き起こされ、集団を頼るよう隠れた脳が指令する。それは、祖先の時代から集団でいたほうが危険にさらされる可能性が低く、安心と安全が手に入りやすかったからだ。
 なーるほど、ですね。
 かなりの数のテロリストは裕福な特権階級の出身だ。大学を卒業し、医師、エンジニア、建築家といった専門職についてる。自爆テロの犯人(テロリスト)は異常心理をもつ操り人形であるとか、虚無主義だという調査結果はない。むしろ、その集団の中の他の仲間より理想主義的な思想をもっていた。洗脳されて、命令に従うだけの愚か者ではない。
 自爆テロリストたちは異常者ではない。ごくふつうの人が自爆テロリストになる可能性がある。自爆テロリストは死を強制されたとはほとんど感じていない。
 自爆テロリストは、入るのがきわめて難しい、排他的なクラブに所属している。その排他性こそが、クラブの大きな魅力なのだ。自分がやろうとしていることをビデオの前で誇らしげに語り、仲間らか称賛の言葉を浴びて心理的な報酬を受けたあとでは、その使命を成し遂げられなければ、自分の人生を意義深いものにする要素を失うことになる。
 隠れた脳は、周囲からの承認と行動の意義を求める。そして、小さな集団には、そのような承認と意義を与える力がある。 自分より大きいものの一部になりたい、自分が特別な存在だと思いたい、その存続と安定が自分の命より大切な集団の一部になりたいという衝動だ。
 人は大きな数字の扱いが苦手である。人間の想像力をかきたて、同上を引き出すのは、一つの顔、一つの名前、一つのライフストーリーである。1匹の犬を救助するために大金を出しても、12匹の犬を救うためにはお金を出し惜しみする。これを望遠鏡効果という。これは、仲間や親戚を優先的に好むように進化したために生じたものだ。
隠れた脳を知らなければ人間を知ったことにはならないのだと実感し確信しました。刺激にみちた素晴らしい内容の本でした。
(2011年9月刊。1600円+税)

2011年9月20日

脳科学の教科書

著者   理化学研究所 、 出版   岩波ジュニア新書

 ジュニア新書というから、ごく平易な脳科学の手引き書かと思うと、実はなかなか難解な解説書ではありました。いえ、ケチをつけているのではありません。脳科学の最新の到達点が学べる本ではあるのです。それだからこそ、私にとっては少々難しすぎるところもあったというわけです。
 人間の脳には、1000億個のニューロン(神経細胞)が存在する。
 構造的にも機能的にも、「やわらか」であるという点において、脳は非常に優れたコンピュータであると言える。
 大脳皮質のしわを広げると、新聞紙一枚分の面積になる。
 5つの感覚系のうち、嗅覚だけは異なった道筋をたどって大脳へ入ってくる。視覚と聴覚が密接な関係にあるのは日ごろ実感しています。一生懸命に本を読んでいると、耳に栓をしたように聞こえなくなることがしばしばだからです。臭いについては、かなり鈍くなっていることも認めます。花の香りも、よほど鼻を近づけないと分かりません。
 人間の小脳には、600~800億個の顆粒細胞が存在している。これは、中枢神経系の全ニューロン数の7割を占める。ニューロンの主要な機能は外部から情報を受けとり、電気信号に変換し、標的細胞へと伝達すること。
 樹状突起がもっとも高度に枝分かれしたニューロンは小脳のプルキンエ細胞であり、ひとつのプルキンエ細胞の樹状突起には10万個以上もの入力端子が接続している。
 ニューロン情報の伝え方には、二種類ある。一つはニューロン内部での興奮伝導、もうひとつはシナプス伝導。前者は電気信号による伝搬、後者は化学物質を介した伝導である。
 ここで伝搬と伝導の使い分けられていることに注目します。ニューロン内部での情報伝導のために、ニューロン自身が電気信号を発生している。電気信号を使って情報を伝えるという性質に関しては、脳とコンピュータは類似している。
 ニューロン内部では、電気信号によって興奮が伝わっていくが、ニューロンとニューロンのあいだでは、ほとんどの場合、化学伝達によって情報は伝えられる。この化学伝達は、脳に固有のものである。
 シナプスにおける主役は、神経伝達物質である。興奮性ニューロンで働いている神経伝達物質は、グルタミン酸。これがなくては脳はまったく機能できなくなるというほど、グルタミン酸は重要な興奮性神経伝達物質である。
 人間の脳幹は、爬虫類脳だという概念は、現在崩れている。基本的な脳の領域は、どの脊椎動物でも共通だと考えられている。
 最近の研究で、大人の脳の中にも、新たなニューロンを生み出す能力をもった細胞「神経幹細胞」が存在することが分かってきた。
 人間は350種類の、マウスは1000種類もの匂いセンサーの鼻の奥にもっている。
 運動をつかさどるのは小脳で、知能をつかさどるのは大脳だと言われることがあるが、これは誤りだ。脳神経系は、全体としてネットワークを形つくって機能を発揮する。ひとつの機能をひとつの脳部位にあてはめる単純化は誤る。
 PTSDは、忘れることができなくなるのではなく、安全だという新しい記憶を獲得することができなくなる症状である。PTSDの症状を抑えるには、D・ミクロセリンという薬が効果的。この物質は、記憶の形成にかかわることを説明してきた、NMDA受容体の働きを強める物質なのである。
 人間という存在が、いかに複雑なものであるかがなんとなく分かってくる良書です。
(2011年4月刊。980円+税)

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