弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2023年6月18日

最後の猿まわし

中国


(霧山昴)
著者 馬 宏傑 、 出版 みすず書房

 阿蘇に猿まわし劇場がありますよね。何回か見に行った覚えがあります。
 山口にも猿まわしの伝統芸があるようですが、今も続いているのでしょうか。
 今では、ネットで検索したら簡単にすぐ判明することでしょうが、スマホと無縁な昔ながらの生活を送っている私には、そこらは不明です。
 この本は、中国の猿まわしの人々の生活を中国の記者が一緒に旅をして明らかにしたものです。文化大革命のころに少年時代を過ごした著者が初めて手にした高級カメラは、リコーであり、マミヤであり、ミノルタでした。そして、著者は写真記者になったのです。
 中国の猿まわし師は、長年、中国各地を渡り歩いていることもあり、非常に警戒心の強い集団だ。
 中国には、猿まわしで生計を立てている地域が2つある。河南省南陽市の新野県と、安徽省毫州市の利辛県。利辛県のほうは数少なくなったが、新野県のほうは2002年に2千人が地方へ猿まわしに出かけた。新野県は、『三国志演義』の第40話で諸葛亮が火を放った、あの新野。この新野あたりは、土地がやせているため、家族を養うため猿まわしを業としている。
 新野の多くの村は、数百年、ひいては千年以上に及ぶ猿まわしの歴史を有していて、人々は常に猿と生活を共にし、猿を自分の家の特別な一員としてきた。それは今に至るまで続いている。
「朝三暮図」では猿がバカにされているが、猿まわし師が猿を扱っている話でもある。そして、『西遊記』には、新野の方言がたくさん出てくるし、第28話には、猿まわしの話でもある。
猿まわし師たちは稼いだお金(現金)を「担ぎ荷」の中の箱にからくりをつくって隠し持って歩いていた。現金書留で送金できるようになってからは、それを利用したので、現金を隠しもって運ぶことはなくなった。
1970年から76年にかけて立て続けに干ばつや水害、害虫被害に襲われると、猿まわし集団も外に出てお金を稼いでくることが認められた。猿まわしの実入りはなかなか良く、多いと日に20~30元は稼げた。当時の労働者の月給が30~60元だったのに、かなりの高給取り。今は、それほどの稼ぎはできない。
 文革期(文化大革命のころ)は、猿まわし師も文芸工作者として、世間への進出が認められた。
 猿まわしの猿は、老いすぎても若すぎてもダメ。老いた猿は動きが悪く、幼なすぎると十分にしつけられていない。猿の「働き」のよし悪しは、体つき、かしこさ、できる芸の数で判断される。オスは若いもの、メスは老いたものを使えと言い習わされる。一般的には7歳前後の猿がもっとも曲芸に適している。立ち姿が美しく、生来の性格が悪くない猿を選ぶ。日々の訓練によって、猿が立つ脚の筋肉は強くなっていく。猿のうち年齢の近いオス猿を2頭、「家族」に入れてはいけない。
 猿まわし師は、猿に自分たちと同じものを食べさせる。肉以外は、人が食べるものなら何でも食べさせる。食事のとき、猿まわし師は、自分たちより一番に猿に食事を与える。それが猿まわし師の決まりごと。それを破って、猿まわし師たちが先に食事すると、猿は怒って、鍋に石を投げ込む。猿って、人間をよく見てるんですね。
猿まわし師が集金するのは、まず外周から始める。外周の客は、いつでも立ち去れるから。
 猿は暑がり。もともと、猿は密林に住んでいたので、炎天下で長時間の活動はできない。猿まわし師たちは、列車に運賃を支払わず、不正乗車して、旅費を節約する。すると、鉄道警察が発見したとき、お目こぼしがあるか否かは、大変な別れ目となる。
猿は肉や魚を食べられないとのこと。肉はともかく、魚も食べられないなんて、信じられません。
 猿まわしはワンシーズンで3000元ほど稼げるので、1年で6000~8000元を稼ぐ。これは農業収入よりやや多い。そして、見物していた少女にこう言われた。「おじいさん、あなたは一生で、どれだけの人に楽しみを与えてきたことでしょう...」
 そうですよね。人生は、お金だけではありません。やはり、人に喜ばれることをするのも大いなる生き甲斐です。
 野生の猿は30年も長生きはできない。猿は老いてくると歯が削られて平らになって、モノが食べられなくなる。猿は若いほど顔のシワ(皺)が多く、年をとるにつれて、顔がつるつるになっていく。メス猿の顔がだんだん赤くなれば妊娠したと判断できる。出産は夜がほとんど。訓練は1歳をすぎたころから始める。
  中国でも猿まわし芸は、もはや滅亡寸前にあるようです。
(2023年2月刊。3800円+税)

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