弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2022年12月25日

里見義尭(よしたか)

日本史(戦国)


(霧山昴)
著者 滝川 恒昭 、 出版 吉川弘文館

 曲亭馬琴の「南総里見八犬伝」は、まさしく血湧き、肉踊る武勇伝ですよね。江戸時代にベストセラーになって、今も大人気の物語です。本書は、その里見氏の実像をとことん明らかにしています。
 いやあ、戦国時代を生き抜くって、実に大変なことなんだと、思わず追体験した気分になりました。身もフタもありませんが、結論から紹介すると、里見家は結局、江戸時代初めに没落してしまったのです。
 房総から鳥取の倉吉に3万石に減封のうえ転封された。そして、倉吉の領地も取り上げられ、大名里見家は消滅してしまった(1622年)。
 ところが、里見氏が安房(あわ)を去ったあとも、一族の大半はそのまま安房の地に残って百姓や医者、村の指導者層になった。そして、改めて里見氏の歴史を軍紀ものとしてつくりあげていったというのです。なるほど、その気持ちはよく分かりますよね...。
 この本の主人公は、里見氏のなかでもっとも輝いている義尭に焦点をあてています。
 里見氏は、清和源氏八幡太郎義家の子孫で、里見郷(群馬県高崎市)を名家の地とした。里見家に天文の内乱(1533年)が起きた。これは、北条氏と密かに結んで下剋上をも起こしかねない叔父の里見義尭とそれに与(くみ)する正木氏などの勢力に対し、扇谷(おうぎがやつ)上杉氏と連携していた里見義豊が機先を制して誅伐を加えたというもの。
 里見氏は、強大な実力を有する北条氏と江戸湾をはさんで対峙していたが、それは江戸湾で活動する野中氏や吉原氏のような地元勢を、その配下として握っていたことによる。
 江戸湾岸に暮らす人々は、北条と里見という双方の勢力に対して年貢を納める(半手(はんて)、半済(はんぜい)と呼ぶ)ことで、安全を確保していた。
 上杉謙信が関東侵攻をしていたころ、里見氏は上杉氏と同盟関係を結んで北条氏と対抗していた。上杉氏の関東侵攻に北条氏が対応しているスキを見て、北条氏勢力が手薄になった地域に侵攻することを基本戦略としていた。
 天文の内乱に勝利して、里見家の家督と安房国主の座を得て以来、40年間、里見氏を名だたる東国の諸大名と肩を並べる地位にまで義尭は押し上げた。その義尭は1574(天正2)年6月1日に亡くなった。享年68歳。その後、里見家は秀吉の時代に、安房一国だけの領有を認められた。当主の義康が31歳で亡くなった(1600年)。
 当主が20代や30代でなくなると、配下の武士たちがテンデンバラバラになってしまうというのが、今の私にはよく分かりません。それでも、実は武士の領主も辛い立場にあって、気楽な存在ではないことだけは、よく分かりました。
(2022年8月刊。税込2530円)

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