弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2022年7月20日

太平洋の試練(上)―レイテから終戦まで

日本史(戦前)


(霧山昴)
著者 イアン・トール 、 出版 文芸春秋

日米の太平洋戦争を詳細に明らかにしている戦史です。マッカーサー将軍が、いかに自分のことしか考えない、嘘つき放題の人物であったか、いやになるほど暴露されています。
そして、それは、台湾を攻めるのか、フィリピンを攻めるのか、その二者択一の選択に関わっていました。
続いて、地獄のペリリュー攻防戦が詳しく紹介されます。平成天皇がわざわざ足を運んで一躍有名となった小島です。よく出来たマンガ本もシリーズで出版されました。
フィリピンではレイテ島をめぐる攻防戦、例の栗田艦隊の謎のUターンも迫ります。どれもこれも見逃せない戦史です。ところで、私は、この600頁ほどもある部厚い戦史・上巻の巻末の記述に目を奪われてしまいました。紹介します。
日米両軍がレイテ島で死闘を繰り広げたあとの1944年12月。アメリカの艦隊のあらゆる艦内では毎晩、新しい映画が上映された。映画交換艦に指定された駆逐艦には何百本という映画、何千巻というフィルムのライブラリーを管理し、発表された予定表にしたがって艦隊内を巡回した。そして、米軍慰問協会のミュージカル・レビューが艦から艦へとまわり、芸能人は1日に4回から5回も同じ出し物を演じた。
風光明媚な島モグモグには、ピクニック場、テニスコート、バレーボールコート、ボクシングリング、野球場、バーベキュー場、ビアガーデンがあった。そして、水兵たちには、ひとり2缶のビールが配給された。賄賂をつかうと、もっと強い酒も手に入れることができた。毎晩1万から1万5千の下士官兵と、5百から1千の士官で大いににぎわっていた。
いやあ、これって、わが日本帝国陸海軍の兵士さんには考えられないことですよね。せいぜい、軍公認の慰安婦施設があるだけでしたから...(今でも自民党は認めたがりませんが、争いようのない歴史的事実です)。
マッカーサー将軍は、ひたすらアメリカ本国で人気を得て、アメリカの大統領選挙に出ることしか念頭になかった。マッカーサーの配下の下士官兵には、自分さえよければいいというマッカーサー将軍はまったく不人気だった。
マッカーサー将軍は、フィリピンから脱出するときも、レイテ島に再上陸するときも、決して「我々」とは言わず、必ず「私」という一人称をつかった。いやあ、これは、ひどい、ひどすぎますよね...。
この本は、マッカーサー将軍について、「連続作話魔」だと決めつけています。しかし、この本を読むと、それは誇張でもなんでもないことが分かります。日本にマッカーサー将軍とともにやって来たホイットニーは、「作り話とでっちあげた会話だらけの聖人マッカーサー伝」を出版したとしています。その本の内容は、嘘つきが、別の嘘つきから聞いた話を焼き直したものだとしているのです。
いやはや、マッカーサーもホイットニーも、とんだくわせ者だったんですね...。
そして、8月9日のソ連の満州進攻にアメリカが期待していた事実も明らかにされます。つまり、東京にいる現人神(あらひとがみ)である天皇が降伏して停戦命令を出したとしても、満州にいる100万の日本軍は従わないかもしれない、そんな日本軍をソ連軍が撃滅してくれることをアメリカは期待していたというのです。
なーるほど、ですね。中国にいる100万以上の日本軍が天皇の1回の放送でたちまち武器を使わなくなるなんて、アメリカ政府と軍には信じられなかったのです。たしかに、ごく一部でしたが、終戦後も戦おうとして日本軍将兵がいましたからね...。でも、日本兵の大勢は停戦命令を喜んで受け入れたのでした。
ペリリュー島の日本軍兵士は、バンザイ突撃方式で向こう見ずに押し寄せてくるのではなく、物陰から物陰へと横切った、抜け目なく戦い、立場が逆なら、アメリカ海兵隊員たちがそうしたのとまったく同じやり方で攻撃した。
なので、せいぜい4日から5日かで終わるはずの戦闘が、なんとも続いた。
兵力1万1千の日本軍守備隊は、満州にいた関東軍の精鋭第14師団から選抜されていた。
アメリカ海兵連隊は、ペリリュー島の戦闘の最初の8日間で1749人の損害を蒙った。攻撃部隊は56%の死傷者を出し、第一大隊は71%もの驚異的な損害を蒙った。第1海兵師団は67786人の損害を蒙り、そのうち1300人以上が戦死した。多くの生存者もPTSDに悩まされた。
1949年9月15日の上陸から2ヶ月後の11月24日、日本軍のトップ・中川大佐の最期まで戦いは続き、さらに、1947年3月、33人もの日本軍元兵士が投降してきた。
ペリリュー島で戦った2万8千人のアメリカ海兵隊員と陸軍将兵のうち、死傷者は40%、うち戦死者1800人、負傷者は8千人。これに対し、日本軍守備隊1万1千人のほぼ全員が死亡。
レイテ沖海戦において日本艦隊は決定的に敗北した。このとき、栗田は疲れ切っていた。3日前から、一睡もしてしなかった。しかも、旗艦を撃沈され、55歳の海軍中将は海中を命がけで泳がざるをえなかった。
日本軍将兵は軍艦は軍艦と戦うものだと訓練されていたから、上陸中のアメリカ艦船を襲撃するという発想はなかった。
約束された航空支援は影も形もなかった。連合艦隊司令部の愚かさと硬直性について現場には憤満やるかたなかった。栗田は臆病からではなく、司令部への不満、部下の志気の低下によって行動しただけ...。
この本では、アメリカのイルガー提督の美名も、その実像をあばいています。要するに、マッカーサーと同じ虚像だったということです。
私は、前に、沖縄の熾烈な攻防戦について、アメリカの戦史研究家が、アメリカ軍は沖縄で日本軍と死闘をくり広げる必要なんてなかったのだという指摘を読んだことがあります。それよりむしろ、防備のうすい九州、いや本土を直接に攻撃したほうが、終戦は早まったはずだというのです。なーるほど、これも一理あるかなと思います。いかがでしょうか...。
人間ドックで泊ったホテルで一心に読みふけりました。
(2022年3月刊。税込2970円)

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