弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2018年8月25日

戊辰戦争の新視点(下)

日本史(江戸)

(霧山昴)
著者 奈倉 哲三 ・ 保谷 徹 ・ 箱石 大 、 出版  吉川弘文館

幕末から明治はじめにかけての戊辰戦争のとき、ヨーロッパやアメリカから大量の銃が日本に輸入されていたことを知りました。
イギリスから制式軍用銃だったエンフィールド銃(エンピール銃)が15万挺ほども入ってきていた。フランスのナポレオン3世はシャスポー銃を2000挺、幕府に贈った。
フランス式大砲である四斤砲は分解して搬送可能だったので、道路条件が悪く山路でも搬送できたため、多用された。
幕末維新期の日本には、全部で70万挺の小銃があったと推測される。そして、新鋭の後装連発銃も少なくなかった。
オランダの歩兵銃はゲベール銃という。有効射程は100メートルほど。
アメリカの連発式のスペンサー銃は弾薬の補給に苦労した。
イギリスのアームストロング砲は戊辰戦争で使われたことが確認できるのは、佐賀藩の二門の6ポンド砲だけ。
三井は、開戦直前に薩摩藩に1000両を献金した。その前、三井は琉球通宝の引換を請負い、薩摩藩の御用達となった。同時に、将軍の家族の御用達をつとめていて、天璋院篤姫に呉服を納めている。三井は京都を本拠としたが、大阪にも店があり、大阪町人としての顔をもち、大阪の大両替商たちと縁戚であった。
秩父・飯能あたりでは幕府軍に対する親近感があり、民衆も幕府軍を支えて新政府に抵抗した。ところが敗戦が続くなかで「賊軍」と決めつけられ、殺害されていった。
面白いのは、このような政府軍に倒された人たちの墓が今も残っていて、「脱走様」と呼ばれて徴兵忌避の信仰対象となっていたということです。「脱走様」の墓所を参拝すれば、徴兵を逃れられると地域で伝わっていた。つまり、兵役逃れの信仰対象だったのです。
みんな戦場になんか行きたくないし、戦死者になるより生きて働いていたいと考えていたのです。もっとも戦争とは無縁のはずの年寄りたちが若者たちのホンネを代弁していました。
(2018年3月刊。2200円+税)

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