弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2023年4月22日

中国残留邦人

中国・日本史(戦後)


(霧山昴)
著者 井出 孫六 、 出版 岩波新書

 「中国残留婦人・残留孤児」は、国策で日本から送り出され、日本改戦によって中国に置き去りにされた人々です。ですから、カネやタイコで中国(当時の満州)に送り出しておきながら、そんなのは自己責任だ、騙されて乗せられたほうが悪いというのでは正義はありません。
 しかも、日本に帰国してくるとき、第一番に中国から日本へ送り返されたのは、なんと元日本兵でした。帰還作業に関わった人たちがアメリカ軍に対して、人道的見地から女性・子ども・老人を優先させるよう求めたとき、アメリカ当局は一笑に付して取り合いませんでした。なぜでしょうか...。
 100万人もの元日本兵を中国に残して置いたら危険だとアメリカ当局は考えていたからです。実際、国共内戦に元日本兵が集団で国民党軍の一翼を担って共度党軍と戦ったという事実もあります。
 東京の大本営は、日本敗戦後も、日本人はなるべく現地に定着し、いずれ帝国復活の糸口をつかめと指示していたのです。
 元日本兵の集団が国共内戦のキャスティングギートを握る事態が起きることをアメリカ当局は予測し、恐れていたのでした。そんなこと、私はまったく夢にも思っていませんでした。
 結局、元日本兵のいない、女性・子どもと年寄りばかりが中国(満州)に残り残されたら、悲惨な目にあうことになるのは必至です。そして、現実に、そうなりました。
 ところが、一部の開拓団は、地元民との融和を大切にしていたことから、戦後も周囲から襲撃・略奪されることなく日本に帰還できました。
 しかし現地民に対して、神より選ばれた選民として君臨し、威張るばかりの開拓団は改戦後たちまち襲撃され、それこそ身ぐるみはぎとられてしまったのです。それこそ、男も女もパンツとズロースひとつで、麻袋に穴を開けて貫頭衣のように着て過ごしたのでした。
関東軍は「治本工作」を満州ですすめた。現地農民を土塁の中に囲い込んでしまうもの。
 満州に成立した開拓団の中で、もっとも悲惨な結末をとげたのは、高社郷、更科(さらしな)郷、埴科(はにしな)郷の三開拓団。高社郷は、716人の団員のうち、日本に引き揚げたのはわずか56人。更科郷495人のうち日本に帰国したのは19人のみ。埴科郷は308人のうち日本へは17人だけ帰国できた。
 日本政府から見捨てられた「残留」の人々から国家賠償を求める裁判が全国で提起されたのも当然のことです。しかし、裁判所は救済を拒否し続けました。それでも、ついに、国に法的義務に違反しているとして、損害賠償を命じたのでした。
これは政府の言いなりに行動していると大変な目に合うということです。
 いま、日本を守る、沖縄の島々を守ると称して、島に自衛隊が進出し、ミサイル基地と弾薬庫をつくり、司令部は地下化しつつあります。有事になったら、真っ先に狙われることでしょう。
 島民は避難しようと思っても、船も飛行機もありません。ウクライナと違って、地続きで外国へ逃げ出すなんてことも、ありえません。島民は戦前の満州と同じように、置き去りにされることは必至です。何が「国民を守る」ですか、そんなこと出来っこないし、政府や自衛隊が真剣に考えているハズもありません。
 古いようで新しい、現代に生きる私たちに中国残留邦人話がよみがえってきているのです。怖いです...。
(2008年3月刊。740円+税)

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