弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

朝鮮

2018年8月23日

阿片帝国日本と朝鮮人

(霧山昴)
著者 朴 橿 、 出版  岩波書店

戦前の日本軍がアヘンの密売によって不法な利得を得ていたこと、その手法として朝鮮人を利用していたというのは歴史的な事実です。
日本は朝鮮が、日本の植民地のなかでアヘンを生産するのに、もっともふさわしいと判断した。それは、この地域がアヘンの消費とそれまでほとんど縁がなく、気候・地質・民度・警察状況などが適しているからだった。そこで、植民地朝鮮で、アヘンはもちろん、これを原料とした麻薬まで生産し、満州などに供給・販売していた。
日本が朝鮮を植民地支配(著者は「朝鮮強占」としています)して以降にあらわれた朝鮮内外の朝鮮人のアヘン・麻薬問題は、日本の対外侵略にともなうアヘン・麻薬政策と密接に関連していた。
日本は満州国の支配力確立に必要な財源(全体の16%)をアヘンの収入に依存していた。満州と中国本土に駐屯した日本軍は、機密費・謀略費・工作費をアヘン収入から調達していた。
日本が上海ほかの中国の各都市でアヘン販売によって得た利益の大部分が東條内閣への補助資金と議員の補助金に割りあてられ、東京に送られていた。
日本は、表面的にはアヘン根絶を表明していた。しかし、実際には、収益性の側面を重視した。
中国の大連は、麻薬密輸出の中心地として国際社会から注目されていた。中国の天津に居住する日本人5000人のうち7割はモルヒネその他の禁制品取引に関係していた。これでは天津事件(先に、このコーナーで紹介しました)が起きたのも当然ですね・・・。
1926年来の朝鮮のモルヒネ中毒者は7万人余とみられていた。満州国が建国された1932年ころ、アヘン中毒者は90万人、人口の3%と推定されていた。
満州国の主要都市でアヘン密売に朝鮮人が多く従事していた。それは日本当局の暗黙の承認ないし支持によるものだった。
日本人が朝鮮半島に移住したことから朝鮮人は中国(満州)の移住したものの、農業では食べていけなかったのでアヘンに関わるようになった。朝鮮人のアヘン密輸業者は、北京へ運搬したあと、日本軍当局に純利益の35%を報償金として提供した。
青島内に麻薬店が75店舗あり、そのうち51店は朝鮮人が運営していた。
韓国人学者による朝鮮人のアヘン密売に関わる資料の掘り起しの成果物です。大変貴重な内容になっています。高価ですので、ぜひ図書館でお読みください。
(2018年3月刊。5500円+税)

2018年6月14日

朝鮮大学校物語

(霧山昴)
著者 ヤン ・ ヨンヒ 、 出版  角川書店

私は映画『かぞくのくに』を見逃してしまいました。見たい映画であっても、上映期間が短いと、どうしても見逃すことがあり、残念です。
私の大学生のころ、寮委員会の主催で寮食堂で朝鮮大学校の学生との交流会があり、参加したことがあります。まだ、大学「紛争」の起きる前の平和な時代のことです。
朝大生の発言が、いずれも、いかにも祖国愛と使命感に燃えているのに圧倒されてしまいました。す、すごいなあと、声が出ないほど驚いたことを覚えています。ただ、彼らの発言を聞いただけで、懇親会には参加していません。彼らのホンネはどうだったのかな、今どうしているのかなと、この本を読みながら思ったことでした。
在日朝鮮人の就職状況はとても厳しくて、医師になる人が多いと聞きました。実業界では金融業やパチンコ店も多いという話を弁護士になってから聞きました。
この本は、私たちの団塊世代よりずいぶん後の世代なのですが、ええっ、そんな教育がされていたのか・・・と驚かされました。
舞台は1983年に著者が朝鮮大学校に入学するところから始まります。体験に基づく小説だと思います。
「わが文学部は、日本各地にある小・中・高の朝鮮学校において、在日同胞社会の新しい世代を育成する優秀な教員たちを養成するための学部であり・・・。一部の卒業生は総連の基本組織や傘下の機関で働くこともありますが・・・。ほとんどの文学部卒業生は、教員となり、民族教育の発展に人生を捧げることによって、敬愛する主席様と親愛なる指導者同志に忠誠を尽くす革命戦士としての・・・」
「朝鮮大学校は民族教育の最高学府であり、総連組織を担う幹部養成機関です。組織にすべてを捧げるという忠誠心は、偉大なる首領と親愛なる指導者同志が望んでおられることなのです。
一切の妥協は許されません。自分がいかなる場所に身を置いているのかを自覚し、生活のなかから『倭国』、『洋国』を追放するよう努めなさい」
そんな朝鮮大学校にいて、寮生として過ごしながら、観劇に夢中になり、日本人大学生と恋愛関係を維持しようと必死になるトンデモナイ話のオンパレードでヒヤヒヤさせられ通しでした。日本のなかに北朝鮮の社会があったのですね、ここまで徹底していたとは知りませんでした。「ここは日本であって、日本ではない」という教育がなされていたのです。
著者の経歴をみると、文学部を卒業して、決められたとおり朝鮮高校の国語教師になっていますが、その後は、劇団員となり、ジャーナリストの世界に入って、映画監督になったのでした。
もっともっと真の交流があったらいいよね、この本を読みながら本気で思ったことでした。
ちなみに、福岡県にも在日朝鮮人・韓国人(正確にはどちらなのか、私は知りません)の弁護士が何人もいて、人権分野をふくめて大活躍しています。
(2018年3月刊。1500円+税)

2018年5月 9日

北朝鮮は「悪」じゃない


(霧山昴)
著者 鈴木 衛士 、 出版  幻冬舎ルネッサンス新書

文大統領と金委員長の会議が実現し、板門店宣言が発表されたことを私は心から歓迎します。何がうれしいかって、戦争の危険がひとまずなくなったことです。朝鮮半島で戦争が始まれば、ソウルが火の海になるだけではなく、日本列島だって壊滅し、どこにも住むところがなくなるでしょう。50ケ所以上の原発をかかえた日本列島は人質をとられているも同然なのです。にもかかわらず、これまでアベ政権は「圧力強化」一点張りできました。対話のための対話なんて無力だと言うだけでしたから、無責任きわまりありません。今回の米朝そして南北対話の前進のなかで、アベ政権(日本政府)は、まったくカヤの外、相手にされていませんでした。情けない限りです。こんな首相をもって恥ずかしいです。
この本は、アベ政権による「Jアラート」について、厳しく批判しています。まったく、同感です。この本の著者はついこのあいだまで航空自衛隊の情報幹部をつとめていましたので、その体験をふまえていますから、説得力があります。
「Jアラート」は、国民に誤った情報を流したことになる。実際に被害を受ける恐れがないに等しいにもかかわらず、交通機関を停止したり、市民に避難を求めたりして社会生活に支障を及ぼすような過剰な対応をとることは、国家の自損につながる。
政府による不正確な警報によって国民は北朝鮮に対する恐怖心や敵愾(てきがい)心をあおられ、このような民意に突き上げられた政府は冷静な外交・軍事判断ができなくなる可能性がある。
北朝鮮が敵愾心をあらわしているのはアメリカであって、日本ではない。なのに、Jアラートのような過剰反応、これに同調して敵愾心や恐怖心をあおるマスコミの報道姿勢は、正しくないだけでなく、国と国民に対して大きな悪影響を及ぼす。マッチポンプでの失敗につながり、対話によって平和的に解決するとい外交の機会を逃してしまう心配がある。
この本にも、北朝鮮がもし日本を狙ってミサイルを打ち込んだら、5回に1回はあたる可能性があるとしています。初めの1回は威嚇として山中に落ちるかもしれませんが、万が一、原発に命中したら日本列島は死の列島と化してしまいます。イージス・アショアなんて無用の長物、アメリカの軍需産業に日本人の貴重な税金をムダづかいするだけです。そんなことを専門家は承知のうえで、「北朝鮮脅威」論を無責任にあおってきました。罪深い人たちです。でも、彼らは利得のために無責任にあおっているのです。私たち国民は、もう目を覚ましましょう。
これは、何も北朝鮮の金正恩を助けようというのではありません。朝鮮半島で戦争がないこと、そして核兵器をなくしていくこと、これって大賛成じゃありませんか。板門店宣言をどうやって現実のものにするのか、どうしたらよいのか、そこに知恵を工夫しぼるべきです。
金正恩にだまされるな、そう叫んでいるだけでは何も解決しません。まさに、タイムリーな新書だと思いました。
(2017年12月刊。800円+税)

2018年4月30日

太王四神記(下)

(霧山昴)
著者 安 秉道 、 出版  晩聲社

高句麗の広開土王の智謀あふれる勇猛果敢な戦いを眼前に見る思いのする歴史小説です。
広開土王の率いる高句麗軍は、精鋭の鉄騎を揃えた伽倻(カヤ)軍と、蛮勇で鳴らす倭(ウェ)軍を、ほとんど被害もこうむらずに壊滅させ、百済(ペクチュ)軍を撃退するという大勝利を収めた。この倭軍が、日本から朝鮮半島に進出していたと解されている軍隊です。この高句麗軍の大勝利を聞いて、後燕(フヨン)は撤退していった。
この小説の面白いところは、当時の戦争(戦闘)について、戦略を語ったうえで、個々の戦闘場面にまで実況中継のように詳細に語っているところです。
高句麗が後燕と戦っている間隙を縫い、帯方地域を急撃した百済と倭の連合軍は、悲惨な敗戦を迎えた。
広開土王碑は、次のように記録している。
「永楽14年、甲辰年に倭が法道に逆らい、帯方地域を侵略した。彼らは百残(済)軍と連合し、石見城を攻略した。王は自ら軍土を率いて、彼らを討伐するため平壌を出発した。揚花峰で敵に遭遇した。王は敵を防ぎながら、隊列を断ち、左右から攻撃した。倭冦壊滅し、死者甚大」
広開土王碑については偽碑とか改ざん説もありましたが、今では歴史的事実をかなり反映していると解されています(と思います)。
その広開土王碑の戦いを、こうやって小説として目の前で展開してもらえて、本当にありがたく、またワクワクしながら読みふけってしまいました。5世紀のころの話です。
(2008年6月刊。1500円+税)

2018年4月10日

朝鮮戦争は、なぜ終わらないのか

(霧山昴)
著者 五味 洋治 、 出版  創元社

北朝鮮の最新のミサイル発射台は、タイヤのついた可動式なので、発射地点を衛星から特定するのは非常に困難。また、固形式燃料を使えば、発射準備から発射するまで30分しかかからない。北朝鮮から発射されたミサイルが日本に着弾するまで8分ほどでしかない。
ですから、イージスアショアに2000億円もかける意味なんてないのです。そして、日本には全国50ケ所以上に原発(原子力発電所)がありますので、戦争になったら、日本列島に住むところはありません。なので、朝鮮半島で戦争を起こさせないようにすることこそ最優先の課題だということは、はっきりしています。そのため、米朝協議は必要です。
1950年に始まった朝鮮戦争は、1953年に「休戦」になっただけで、法的には今なお戦争継続状態にある。そして、「国連軍司令部」はいまも韓国にあり、東京の横田基地には国連軍後方司令部が置かれ、日本国内の7つのアメリカ軍基地は後方基地として指定されている。
平時の作戦指揮権は韓国軍に返還されているが、戦時の作戦指揮権はアメリカ軍が依然としてもっている。
朝鮮戦争の直後に7万人いたアメリカ軍は、今は2万8000人まで減っている。2万人の陸軍と、8000人の空軍である。朝鮮の国連軍は、朝鮮半島で戦争が起きたときは、日本国内のアメリカ軍基地を自由に使う権利をもっている。
朝鮮国連軍の指揮権はアメリカ軍司令官が握っていて、国連の安保理の許可を得ることなく、自由に軍事行動できる。
アメリカは、北朝鮮と中国に対抗するため、アメリカ軍司令官の指揮のもとで機能する「日本韓の軍事協力体制」を強化したいのだ。
朝鮮戦争で大量の中国義勇軍が参戦してアメリカ軍が劣勢になったとき、それを押し直すためにマッカーサーは、原爆26発さらに追加して8発の使用をアメリカ政府に求めました。マッカーサーの考えはこうです。朝鮮戦争を10日で終らせるため、満州に30~50発の原爆を投下し、強烈な放射線を出す「コバルト60」のベルト(地帯)をつくる。それで60年間は中国から陸路で北朝鮮に侵入することはできなくなる。
 いやはや、マッカーサーって、とんでもないことを言い出す将軍でした。トルーマン大統領が怒って(心配して)マッカーサーを解任して、本当に良かったですね。
安倍首相のように、朝鮮半島の危機をあおるだけであってはいけません。
「米朝対話」が少しでも進展するように日本政府も努力すべきです。
(2017年12月刊。1500円+税)

2018年4月 8日

太王四神記(上)

(霧山昴)
著者 安 秉道 、 出版  晩餐社

高句麗の広開大王の愛と戦いのドラマを描いた面白い本です。まだ、上巻のみですが、手に汗握る面白さなので、記録ファイルそっちのけで一日中よみふけってしまいました。
高句麗と百済が戦う時代です。のちの広開大王は、若き太王として談徳(タムドク)と呼ばれています。周辺国を連破して一大強国を打ち立てた英雄、征服王です。
日本にとって広開大王とは、その石碑で有名です。日本軍が朝鮮半島まで進出し、かなりの土地を支配していた証(あかし)とされていました。しかし、今では研究が進んで、日本(倭)が朝鮮半島(の一部)を支配していたのではなく、逆に朝鮮半島の勢力が九州の一部に上陸し、支配していたということのようです。「任那日本府」なるものも、日本の支配勢力の証明ではなかったとされています(私の理解です)。
ただし、朝鮮半島の南部と北部九州は相互に緊密な連携関係にあったことは事実で、そのため、太宰府には水城(みずき)があったりしたわけです。九州が朝鮮半島の勢力から攻めこまれたときののろし火の連携プレーなど、それなりの対策が確立していました。
この本では、朝鮮半島から中国の山東半島にかけての戦いが描かれています。
談徳(広開太王)は知恵と勇気ある若き太王として、雄々しく戦い、勝利をおさめていきます。城を立て籠って戦う将兵を攻城器が出動して攻めたてます。石や火炎球を投げ込むのです。守る側は石垣を補強して対抗します。
敗走するとみせかけて追いかけてきた敵軍を伏兵で取り囲んで全滅させるなど、知恵比べの戦いも展開します。
広開大王の人智を尽くした戦いをたっぷり堪能できる古代朝鮮史をめぐる小説です。下巻が楽しみです。
(2008年4月刊。1500円+税)

2018年3月22日

北朝鮮人民の生活


(霧山昴)
著者 伊藤 亜人 、 出版  弘文堂

北朝鮮の民衆の実情を知ることのできる貴重な文献です。脱北者の99編の手記を紹介しながら、詳しく生活全般を解明しています。画期的な本だと思いました。
北朝鮮から脱北してきた人々(脱北者)が、自身の経験を丹念に書きつづった手記を著者が分類し、解説していますので多面的で分かりやすい本になっています。生々しく北朝鮮の社会の断面を伝えてくれます。
北朝鮮社会では、1970年代から農業をはじめとして生産停滞が認められ、1980年代に入ると社会主義の基本ともいえる食糧配給が滞りはじめた。1990年代に入ると、ソ連の体制崩壊をきっかけとして経済危機一挙に現実化し、その後半には「苦難の行軍」と呼ばれるはどの状況となり、国民の10%に達する大量の餓死者を出した。
北朝鮮経済は統計的資料が公表されていない。これだけでも東西ドイツの統合前の格差と比べものにならないほど深刻な経済格差があることは明らかである。
ただ、北朝鮮社会は、常に危機と隣りあわせにあり、人々は食糧不足や配給停止という危機的な状況のなかで生活してきた。危機とは北朝鮮社会に織り込まれた常態と言ってよく、国民に厳しい生活を強いて体制を維持するうえでも、危機感を高揚することは欠かせなかった。
脱北者は、すでに韓国内に3万人をこえ、日本に入国した人も200人はいる。脱北者のなかには韓国での生活への適応に苦労している人もいて、それが北朝鮮にも伝わっていて、どうせなら日本に行ったほうが楽だという考えも広まっているようだ。
北朝鮮には、三大階層という分類がある。核心階層は統治階層で全人口の30%を占める。次に動揺階層は50%を占め、三つ目の敵対階層は20%とされている。
大学に進学するにしても、幹部子女には無試験の特別入学が許可される。
金日成が平壌は国の顔だと強調したことから、障害者のいる家族は平壌には住めず、地方へ追放された。
北朝鮮では、人間にも機関(組織)にも、物品にまで等級をつける。
大学教授は、1級から6級まで。労働者は1級から8級まで。
朝鮮労働党の党員は1990年代で300万人以上、人口の15%を占める。
北朝鮮では、人民班長を冷遇しては無難に生活することができないほど、人民班長は人々の生活に密接な存在だ。人民班長に覚えが良くなければならない。そうでないと、多くの不利益を受けることになる。人民班長に難点があっても、何とか良い関係を維持しようと努力する。一挙一動、あることないことまで、報告され制裁されることになるので、人間関係は十分に気をつけ、うまく保っていく必要がある。
北朝鮮で生きようとすれば、他の人を押し倒してでも無条件に幹部にならなければならない。幹部をしてこそ、食べ物も先に食べて、勲章も先にもらう。
支配階級は、温水施設と水洗便所のある単独住宅や高級アパートに住む。ところが、もっとも条件のよい平壌でも、朝・昼・夕に各1~2時間ずつ、1日に3~6時間しか水道の水が出ない。地方では、日に1~2時間しか水が出ないので、食用水や手洗のために水ガメに貯めておく。大部分の家に浴室はないので、手拭いを水に浸して簡単に身体を拭く。
「苦難の行軍」と呼ばれた1990年代後半には、市場が急速に膨脹した。このとき、女性は党の指導に耳を貸さず、生活の活路を市場に見いだした。
日本統治下のタノモシが、今も北朝鮮では通用している。韓国の「契」に相当するもので、日本の統治する前から風習としてあった。
北朝鮮では、学校に入ると、盗むことからまず学ぶ。盗みのなかでも、軍隊にするものは、もっとも組織的かつ強引。被害者は泣き寝入りするほかない。兵士だって、食料が優先的に供給されるとはいうものの、飢えているから、食料盗は頻発している。
450頁あまりのすごい本で、圧倒されてしまいました。
(2017年5月刊。5000円+税)

2017年4月18日

ルポ・思想としての朝鮮籍

(霧山昴)
著者 中村 一成 、 出版  岩波書店

ネットをみていると、いまの安倍政権を批判している人に対して、「反日思想を抱いている連中は、日本から出ていけ」と簡単に言う人がいて、本当に悲しくなります。
日本という島には多種多様な人がいるのを許容できない心の狭い、哀れな人です。きっと、幼いころから、周囲の人に愛されて育ったという実感のないまま成人してしまったのでしょうね。気の毒ではありますが、そんな自分の狭い体験にもとづく間違った考えを他人に押しつけてはいけません。
日本に朝鮮人がなぜ存在するのか、それはアメリカ人が日本にいるのとは違った歴史的経過があるということを、きちんと認識すべきだと日本人の一人として、そう思います。私の父も、戦前、三井の労務係員として強引に朝鮮人を日本へ連れてきたということを私自身は忘れてはいけないと考えています。
高史明、朴鐘鳴、鄭仁、朴正恵、李実根、金石範、という6人の「朝鮮籍」にこだわっている人たちに、その理由をインタビューしたものをまとめた本です。なるほど、歴史は個人のなかに生きていると思いました。
2015年末現在の朝鮮籍者は3万4千人ほど。在日外国人全体の1.5%。韓国籍者は、その13.5倍。特別永住者に占める朝鮮籍者の割合は1割弱でしかない。
日本共産党が戦後の短い期間に無謀な軍事路線をとっていたとき、山村工作隊の隊長だった人物もいます。そこへ、元党員のナベツネ(渡辺恒雄)が取材に来るのです。その結果が、ナベツネの特ダネ(スクープ)となったのでした。
「潜水艦や金属活版だって朝鮮人が初めてつくった。天文観測を初めてやったのも朝鮮人だ」
本当なのでしょうか、私は知りませんでした・・・。
祖国とは、第一に民族。南か北か、総連か民団か、とかではなくて、民族としてどうあるべきかを考えてほしい。若い人に対して、こう言ってきた。
なーるほど、そうですよね。私も同感です。
1955年ころ、在日朝鮮人の生活保護受給率は2割をこえていた。これは全体の10倍になる。このころ、多くの「在日」は「今日のメシ」が課題だった。今では、世界有数の超大金持ちになった孫氏も鳥栖の朝鮮人集落で生活していたようです。
済州島4.3事件を描いた『火山島』の著者である金石範は、こう語った。
「私は、あくまで統一祖国を求める。実現すれば、そこの国籍をとり、国民となる。ただし、そのとき私は、もはや民族主義者ではない。それ以降は、必要に応じて国籍を放棄するつもりでいる」
この本を読むと、戦前と戦後は連続していること、そして、それが今につながっていることを実感させられます。私にしても、50年前の日本がどうだったのか、そう問われたら、思い出せないはずはありません。それは大学1年生の私がいたわけです(現在、68歳)。そして、大学1年生の経験があって、今の私があるわけなのです。連続性があってあたりまえなのです。
大変重たい内容の本でした。ずっしり感があります。
(2017年1月刊。2000円+税)
日曜日、春の陽気に誘われて庭に出て畑仕事をしようとして長靴に足を入れると、ふにゃりとした感触。あれ、どうしたんだろうと、逆さまにすると、なんと死んだ若モグラが出てきました。先日、風が吹いて長靴が倒れていましたので、起こしたのですが、倒れていたあいだに地上に出てきたモグラがトンネルと間違えて入っていたようです。可哀想なことをしました。
チューリップはそろそろ終わりかけていて、アイリスが咲きだしました。これからジャーマンアイリスそしてクレマチスが咲きそうです。
紫色のシラーもあちこちに咲いてくれています。ウグイスの美声の下、アスパラガスを収穫しました。太さも十分で、少し甘味があって美味しいアスパラガスでした。春らんまんの午後を楽しみ英気を養いました。

2016年11月15日

忘却された支配

(霧山昴)
著者 伊藤 智永 、 出版  岩波書店

中国人の強制連行は、日米開戦の1年後、産業界の要請を受け、日本政府が「内地移入」を閣議決定し、1944年2月から本格化した。3万8935人が拉致同然に連行され、鉱山、土木、建設、造船、港湾荷役など、35社の全国135事業場で、「牛馬にも劣る」労役を課せられ、6830人が死亡した。
敗戦後、日本政府は中国人強制連行について連合国側からの追及に備えて、専門調査員16人を全国に派遣して詳細な実態調査を行っていた。その調査結果は30部限定で極秘だったが、何者かが東京華僑総会にもち込んだりして世に出た。
ところが、韓国についての強制動員は、政策的に黙殺、封印した。
日本に侵略され交戦した戦勝国の中国、日本に支配され解放された植民地の朝鮮。実態は同じ戦時での強制連行労働でも、情報の整理と開示、補償と決着のつけ方が、これほど違っている。
紀州鉱山には英軍捕虜300人、朝鮮人労働者1350人が働かされていた。朝鮮人の半数は氏名すら分からない。国の施策にもとづき和歌山県が「朝鮮人労働者募集要綱」で毎年度の目標人数を承認し、会社が労務係を朝鮮に派遣していた。労務係は朝鮮に渡ると総督府そして割り当て地域の地元警察署に出向き、「手間賃」か「心付け」を100円ずつ渡し、警察署から朝鮮人の里長や区長に割り当て人数が伝えられた。日本へ行かされる人間は区長が選んだ。労務係は郡の警察署で待っていて、予定の人数だけ集められた徴用者を名簿と一緒に引き渡され、集団で紀州鉱山へ引率した。これは「強制連行」ではなかったが、同じようなものだ。
実は、戦前、私の父も同じ労務係として朝鮮から300人の労働者を三井化学に引率したことがあります。「喜んで日本に来る人もおったばい」と語り、悪いことをしたという罪悪感をもっていませんでした。それは、当時の朝鮮半島には、日本が激しく収奪していたことから、食うに困った人々が多かったことの反映です。
日本人は過去の負の遺産を忘却してはいけない。そのことを痛感させてくれる本です。歴史の掘り起こしは大切だと私はつくづく思います。
(2016年7月刊。2200円+税)

2016年9月 1日

金日成と亡命パイロット

(霧山昴)
著者  ブレイン・ハーデン 、 出版  白水社

 朝鮮戦争が休戦となってまもなく、北朝鮮のパイロットがソ連製の新鋭ミグ15戦闘機に乗ったまま韓国に亡命した。本当にあった話なんですね、驚きました。
ミグ戦闘機といえば、函館空港に降り立ったソ連のパイロットがいたことを思い出しました。ベランコ中尉と言ったでしょうか・・・。函館でも、韓国の金浦空港でも、警戒されることもなく、無事に着陸できたのでした。
北朝鮮のパイロットの父親は、実は、日本の「日窒コンツェルン」の幹部社員でした。あのチッソの前身の企業です。このような父親の出身成分をうまく隠して、北朝鮮のエリートとも言うべきパイロットになったのでした。
1950年6月25日、北朝鮮は南侵を開始した。朝鮮戦争の始まりです。北朝鮮軍は怒涛の勢いで南下していった。しかし、北朝鮮には、戦闘の初日から克服しがたい弱点があった。空から攻撃されたら、壊滅しかねないということ。空軍は生まれたばかりで、訓練されたパイロットは、まったく足りない。当時の朝鮮人民軍にはパイロットが80人しかいないうえ、いくらか役に立つのは、そのうち2人だけだった・・・。
北朝鮮の空軍は、パイロットの飛行技術より、政治的忠誠を重視していた。政治将校はパイロット訓練生を注意深く観察し、単独飛行の機会をとらえて韓国に亡命しそうな者を特定して排除しようとしていた。亡命を考えていた盧は、それを隠すために愛国心の隠れ蓑を着る必要があった。そこで、親共産主義の新聞を創刊し、熱狂的共産主義者として、その編集長に就任した。
ソ連製のミグ15は、アメリカのどの飛行機より時速160キロも速かった。ソ連は、ミグ戦闘機を1万2000機も製造した。しかし、ミグ15は、速度は速くても、壊れやすく、乗り心地は悪く、操縦が難しかった。
1953年3月5日、スターリンが死んだ。
1953年9月21日、盧は北朝鮮を朝9時7分に飛び立ち、韓国の金浦空港に9時24分に着陸した。5年8か月かけて亡命計画を立てたが、実際の亡命飛行に要したのは17分間のみ。金浦空港にいたアメリカ軍は不意打ちを喰った。誰も敵のミグ戦闘だとは気がついていなかった。
北朝鮮はこの亡命を発表できずに「無視」した。そのため、ミグ15機は、今もアメリカの空軍博物館にあって展示されている。そんなこともあるんだねって、不思議な気がしました。
(2016年6月刊。2400円+税)

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