弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2023年4月 1日

魏志倭人伝と邪馬台国

日本史(古代)


(霧山昴)
著者  榊原 英夫 、 出版  海島社

 私は、もちろん邪馬台国は九州にあったと考えています。その後、大和に移っていったのです。それが日本武尊(ヤマトタケルノミコト)の話につながります。では、九州のどこか・・・。個人的には、瀬高の大和(ヤマト)説です。いえ、吉野ヶ里でもいいのですが・・・。
 ところが、ヤマトの纏向(まきむく)遺跡に大型建物跡が発見されると、大和説をマスコミが強調してしまい、面白くありません。でも、この本の著者は、そのマスコミによる通説に待ったをかけています。頼もしい助っ人です。志賀島で発見された金印にある「漢委奴国王」の「委奴」は何と読むのか・・・。
 古くは、「委奴」を「いど」と読んでいたそうです。その後、「漢の委(わ)の奴(な)」と読む説が登場したとのこと。ただし、後漢では「倭奴(わな)」という国名と認識していたようです。
 金印は、志賀島の南端の傾斜地の土中、大人2人で動かした大石の下から見つかった。とても王墓とも墓とも言えない状況のようです。
 著者は、この金印について「倭奴国」が自力で「倭」地域の盟主になることを期待する後漢から餞別(せんべつ)だったと考えています。
 「倭漢著」倭伝にある「倭国王帥升(すいしょう)」は、「伊都国王」であると推認できる。
 「魏志倭人伝」は特異な存在だ。文字数が極端に多い。「倭国」が文明が文明国であり、魏にとって重要なことを強調している。
 「奴(な)国」は、空見川流域の早良(さわら)に平野にあった。
 「不弥(ふみ)国」は、宇美町にあたる。「伊都国」は、旧怡土(いと)郡志摩郡にあたる。
 「倭の奴(な)国」ではなく、「奴」は「の」と呼ばれていた。
 邪馬台国は、「女王の都(みやこ)する所」である、倭国を代表する国、すると7万戸、人口35万人というからには「須玖遺跡群」や「比恵・那珂遺跡」あたり、つまり春日市から福岡市博多区南部にかけた一帯だというのが著者の説です。
 なるほど、春日市の遺跡と博物館を見学したことがありますが、ここからは博多湾を見渡せる地形でもあり、豊富な遺物の土器から、邪馬台国があったかもしれないと実感しました。
 倭国は「絹の国」だった。自国で絹を生産し、魏から大量の絹製品を下賜(かし)されていた倭国(邪馬台国連合)は北部九州に存在していた。まったくそのとおりです。

(2022年11月刊。1800円+税)

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