弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2022年12月 3日

客席のわたしたちを圧倒する

人間


(霧山昴)
著者 井上 ひさし 、 出版 岩波書店

 私のもっとも敬愛する作家である井上ひさしのエッセイを発掘した本です。映画、テレビ、マンガそして野球といったジャンルに分けられています。私は映画とマンガは好きなほうですが、テレビはほとんど見ませんし、野球にいたっては全然関心がありませんので、そこは読み飛ばしました。
 私にとって一番だったのは、なんといっても洋画マイベスト10と日本映画ベスト100です。そのコメントがすばらしいのです。
 あとがきに妻ユリさんが自宅でDVDを一緒にみていたことが紹介されていますが、井上ひさしは本当に映画が好きだったようです。私も同じで、映画紹介コーナーのチェックは怠りませんし、できたら月1本は映画をみたいと考えています(なかなか実現できませんが...)。
 人々の楽しみごとには、いつもかたよった見方、考え方の存在が許される。そして、そのことが現在(いま)の隆盛を招いているのだ。人々がかたよらなくなったら、おしまいだ。かたよっているとは、個性的と決して同義ではない。もっと無邪気で自由なもの。なーるほど、そうなんですね。かたよっていて、いいんですね。堂々とかたよっていきましょう。
 井上ひさしは、しばらくオーストラリアに住んでいたことがあります。そのとき、大学で、日本映画をふくめてたっぷり映画をみていたようです。三船敏郎と仲代達矢の出演する映画『用心棒』が上映されるときの観客の反応が面白いのです。決闘場面を、それだけを何回も学生たちが映写するよう求め、3回も4回も繰り返してみるという情景です。いやあ、これには驚きました。同じように『生きる』や『七人の侍』なども、何回も何回もオーストラリアの学生たちが繰り返し見ているというのです。たしかに、それだけの価値のある映画だと思いますが...。
 黒澤明はこう言った。
 「まず技術をもって職人として生き、次に職人を超えて芸術家になれ」
 井上ひさしは、これを次のように言い換えた。
 「まず面白さに徹せよ。徹することができたとき、その作品は一個の芸術になっている」
 この『七人の侍』と『生きる』は井上ひさしの評では、1位と3位になっています。『用心棒』は19位ですが、『砂の器』が55位という低さには不思議な気がします。番外の101位に登場する黒澤明の『素晴らしき日曜日』という昭和22年制作の映画をみてみたいと私は思いました。
 井上ひさしは戯曲を書くとき、紙人形を机の上に並べて、毎日、ああでもない、こうでもないと動かしていたそうです。栄養剤の空箱でつくった三角錐に出演俳優の顔写真を貼りつけ、紙人形にして、役名を書き込むのです。やがて、紙人形に生命のようなものが宿り出して、勝手に動きはじめるその動きを細大漏らさず記録して、筋立て(プロット)をつくる。
 私も長編小説(と言えるか分かりませんが、7巻本です)を書きすすめるときには、紙人形こそつくりませんでしたが、詳しい登場人物のプロフィルを目の前に置いて書きすすめていきました。やがて、登場人物が勝手に話しはじめるような錯覚に陥ったのは、本当のことです。
 井上ひさしは、なるべく腹を立てないことをモットーにしていると書いています。実際には、腹の立つことばかりの世の中なので、心の平穏を意識的に保つようにしていたということでしょうね。これまた私も同じです。
 最後に、野球をラジオで実況中継するアナウンサーがすごいという話は、本当にそのとおりでした。私も子どもが小学生のころ、野球場のナイター試合を1回だけ見に行ったことがあります。私自身も子どものころ、ラジオで野球の実況中継は聞いていました。アナウンサーが試合を分解し、それをひとつひとつ言葉で再構築して、聴き手に送ってくる。アナウンサーの脳味噌の上で展開していくゲームを聞いているのだ。まったくそのとおりです。それで十分に試合展開が手にとるように想像できました。
 やっぱり、井上ひさしはコトバの天才です。
(2022年6月刊。税込2200円)

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