弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2022年9月19日

ザ・ナイン

フランス


(霧山昴)
著者 グウェン・ストラウス 、 出版 河出書房新社

 フランスでナチス・ドイツに対するレジスタンス活動をしていた女性が次々にナチスに捕まり、強制収容所に入れられました。この本のメインは、強制収容所に入れられた9人の女性たちが共に脱出して、生きてフランスに帰りついたという奇跡的な実話を紹介しているところです。
 彼女たちは20歳から29歳。ユダヤ人ではありません。若さと団結の力で死を乗りこえて生還したのです。彼女らはとても幸運だったと言えますが、その幸運を勝ちとる涙ぐましい努力もあり、単に運が良かったというだけではありません。
フランスでレジスタンス活動に身を投じているうちに逮捕され、収容所で囚われの身になっていた女性9人が、ソ連軍の侵攻によってナチス敗戦間近の1945年4月15日、強制収容所からの移動中に脱出を決行。連合軍との前線を求めてさまよう逃亡の旅は、いかにも危険にみちています。そこを知恵と工夫、そして、それを支える固い友情の絆、苦境さえ笑い飛ばすユーモア、そして時に歌声。何より生きのびようとする強い意思があったのでした。まったく知らない話です。
 リーダー役をつとめるエレーヌは、ソルボンヌ大学出身の技術者。5ヶ国語を話した。最年少のジョゼは20歳で、養護施設の出身。美しい歌声で聴く人をうっとりさせた。
 偵察役をつとめる人、勇敢さで優る人、グループの調停役の人。いろんな個性の若い9人の女性が助けあいながら脱出行を遂げていく様子が見事に紹介され、心を打たれます。しかも、それが悲愴感があまりなく、むしろ読んでほっこりしてくるのです。
 収容されたのは、女性専用のラーフェンスブリュック強制収容所。アウシュヴィッツほどではありませんが、ここでも大勢の人々が「焼却処分」されています。少なくとも4万人が犠牲になったとのこと。
 この本に紹介されるソ連兵(女性)のエピソードはすごいです。
 ナチスから「散弾銃女」と呼ばれた彼女らには英雄のオーラがあった。自分たちの兄弟を殺すための銃弾はつくれないと、軍需工場での労働を拒否した。自分たち捕虜は、ジュネーブ条約の下、軍需品の製造を強制されないはずだと主張したのだ。収容所当局は、その罰として、また抵抗手段として、彼女らを何日も屋外に立たせて、水も食糧も与えてなかった。それでもソ連兵たちは挫(くじ)けない。ナチス親衛隊は怒り、そして驚嘆した。結局、ナチス親衛隊のほうが折れて、ソ連兵たちは、厨房での仕事を与えられた。うひゃあ、すごいですね。そんなことがあったなんて、ちっとも知りませんでした。『戦争は女の顔をしていない』に通じる話です。
 ある日曜日の午後、点呼広場で点呼されているとき、赤軍兵士たちが、ぱりっとした服装で、一糸乱れぬ行進で広場に入ってきた。そして広場の中央までくると、兵士たちは赤軍の軍歌をうたいはじめた。大きく澄んだ声で、次々と、何曲も歌った。
いやあ、すごい、すごすぎますね。人間の尊厳を感じさせられます...。
ソ連兵たちは、クールで、排他的で、寡黙なエリート集団だった。
そして、もう一つ。強制収容所にいる女性たちのあいだで大人気だったのは、料理レシピとその口頭での解説。強制収容所のなかでは、誰もが空腹であり、飢えていた。しかし、また、だからこそレシピを聞くと、つかのまの慰めを見出した。話は材料のリストに始まる。順を追って料理の作り方を説明していく。規則的で体系的なレシピは、たとえ一時的であっても、安心をもたらした。つらい話はならない。食べ物に関する思い出話なら、それほど辛い気持ちにならず、人間らしさを取り戻すことができた。
強制収容所がアメリカ軍やソ連軍によって解放された直後の数日で、多くの被収容者が死亡した。ベルゲン・ベルゼン収容所だけで1万5千人も亡くなった。なんとか生きながらえてきた人が、解放されたとたん、安堵のうちに死んでいった。
収容所でナチスの将校の前で裸にさせられたことが、いつまでもトラウマになったという女性がいます。
「私は、自分の体が好きではない。男に、それもナチスの男に、初めて見られたときの視線の跡がいまだに残っているような気がするから。私は、それまで一度も他人の前で裸になったことはなかった。乳房がふくらみ、体が変わり始めたばかりの少女だったのに...。以来、私にとって、服を脱ぐことは、死や憎しみを連想させるものになった」
とてつもない勇気と必死に生きる意思を、そして人間らしいとは何かを感じさせる、元気に出る本でした。
(2022年8月刊。税込3135円)

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