弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

イギリス

2015年7月 8日

三重スパイ

                                (霧山昴)
著者  小倉 孝保 、 出版  講談社

 新幹線内でガソリンをかぶって焼身自殺した71歳の男性がいました。51歳の女性がそのあおりをくらって亡くなられました。本当に痛ましい話です。
 私は安倍内閣が強引に成立させようとする安保法制法案が成立したら、日本国内の至るところで、自爆テロの危険があるようになることを今から心配しています。
 イギリスでもフランスでも地下鉄や新聞社などで自爆テロが発生しました。
 アメリカと一緒になってイラクやアフガニスタンへ日本の自衛隊が出かけていったとき、その報復として日本が自爆テロ攻撃の対象とされないなんて考えるのは甘すぎるでしょう。身内が理不尽に殺されたら、仕返しをしたくなるのが人情というものです。
 政治は、そんなことを防ぐためにあるはずなのですが、自民・公明の安倍内閣は戦争してこそ平和が得られるというのです。まるで間違っています。
 この本は、アルジェリアでイスラム原理主義勢力がはびこるのを嫌って、イギリスへ渡った男性が無意味な殺し合いをやめさせるためにフランス、そしてイギリスの諜報機関のスパイになったという実話を紹介しています。このアルジェリア人の男性は何回も殺されかかっていますが、テレビで顔を出していますから、今も生きているのが不思議なほどです。
 モスクでは、ビデオを見せられる。激しい戦闘の様子や、イスラム戦闘員の遺体が写っている。
 「こうやって殉職者になって天国に行くんだ。きみたちも、欧米の不信心者と戦えば、天国が拘束されている」
 「きみたちの今ある生命は本当の命ではない。ジハードで死んだあとに、きみたちの本当の命が息を吹き返し、そこから人生が始まるのだ」
 「殺せ、不信心者を殺せ。アルジェリア兵を殺せ。アフリカ人を殺せ。殺せば、おまえたちは天国に行ける」
 メッセージは明確だ。生き方に迷っている若いイスラム教徒にとって、「おまえの進むべき道はこっちだ」とはっきり指示してくれる人間が必要だった。言い切ってくれることで、迷いが吹き飛ぶ。
 モスクは、ありあまるエネルギーに火をつけてくれる刺激的な場所だ。イスラム信仰心にあつい者は酒も麻薬にも手を出さない。恋人をつくったり、酒に酔って夜のパーティーに出かけることもしない。ひたすらコーランを読んで、それを実践しようと心がける。
酒に酔って、パーティーに明け暮れる西洋文明は、腐り切った汚れた社会だ。
 ビデオを見て、洗脳されて若者の心を「戦って天国に行け」という訴えが射貫いた。若者は、やがて自分も欧米人を相手に実践に参加して、殉職者になることを夢見るのだ。
 これは、戦前の日本の軍国少年育成と同じ話ですね・・・。
 宗教を盲信してしまうことによる恐ろしさ、殺し合いが日常化してしまったときの怖さが、じわじわと身に迫ってきました。そんな世の中にならないように、日本はもっと恒久平和主義を世界にアピールすべきなのです。
 安倍政権の積極的「戦争」主義は根本的に間違いです。この本を読んで、ますます私は確信しました。
(2015年5月刊。1800円+税)

2015年6月12日

大脱走

                               (霧山昴)
著者  サイモン・ピアソン 、 出版  小学館文庫

 1963年の映画『大脱走』は、私の若いころにみた忘れられない映画の一つです。スティーブ・マックィーンの格好いいオートバイ姿を思い出します。
 この本は、3度目の大脱走を敢行したロジャー・ブッシェルの実像を紹介したものです。実話だったのですね。しかも、捕虜収容所からの3度目の脱走だったとは、驚いてしまいます。
 映画の主人公でもあるロジャー・ブッシェルは、イギリスの空軍少佐でしたが、イギリスの弁護士でもありました。
ロジャー・ブッシェルは、ケンブリッジ大学卒の法廷弁護士だった。ロジャーたちは、11ヶ月かけて、収容所から外へ通じる3つの地下トンネルを掘りあげた。
 このとき、200人の捕虜が脱走する計画だった。そのため、偽造パスポート、コンパス、地図、食料、民間人の服、ドイツ軍の軍服を身につけていた。
 ロジャーは、9カ国語を話せた。フランス語も、ドイツ語も得意だった。すごーい、ですね。
 イギリス軍では、脱走マインドが軍隊のなかに植えつけ、育てられていた。脱走は将兵の義務である。軍人は、捕虜となっても、現役の戦力であり続けるのだ。日本とは、大変な違いですね。
トンネルの立坑は、振動音を記録するマイク音を拾えない深さまで掘られ、寝台や羽目板からはずしてきた木の板を支柱にして、頑丈にし、電灯で照らされ、換気システムも取りつけられていた。
 掘削はチームでおこない、安全と思われたときだけ作業することになっていた。安全が最優先だった。
 トンネルは、三つ。三つあれば、一つが発見されても、残りの二つに頼ることが出来る。
 トンネルを照らすための電力は、建物の二重壁のあいだを通っているドイツ軍の配線を分岐させることによって得られた。リード線は、二重壁の中を通り、そのあと床下から立坑へと通っていた。昼は電気が止められ、その代わりにマーガリンに詰めたランプが使われた。それは1回に1時間だけ灯り、毎夜、点検のために携行された。
 立坑が完成してからは、作業は朝の点呼のあとに始まり、夕方の点呼の数分前まで続けられ、そのあとトンネル掘削者の二番目の交代組が地下にもぐり、門限の直前まで作業した。この作業は三交代制だった。各作業員は6人だった。
 立坑と三つの部屋を掘るために3つのトンネルから、それぞれ12トンずつの砂が出た。さらに、トンネルを3フィート掘るたびに1トンの砂が出た。これを「ペンギン」となって、散布場所までもっていく。
この脱走プロジェクトに何らかの役割で参加していた600人のうち500人が脱走への参加を希望したが、定員は200人だった。最初の30人は、ドイツ語を自由に話せるなど、脱走成功が高いと脱走委員会が認定した人たち。残りは、さまざまな投票によって決められた。
 「みんなを国に帰すだけが目的じゃない。ドイツ兵のとんまどもの顔に泥をぬるうことにもなるし、脱走兵の捜索にドイツ軍の兵力を使わせることにもなるんだ」
 実際にトンネルから脱走したのは76人だった。それでも大戦中の脱走としては最大規模のものとなった。そして、大半のものが捕まり、銃殺された。それでも、3人の航空兵はイギリスに帰還することができた。
33歳で生涯を閉じたビッグXの壮絶な人生を知ることができました。
(2014年2月刊。924円+税)

 明日(13日)の土曜日は、午後2時から福岡市民会館(大ホール)で、弁護士会主催の安保法制に反対する市民集会とパレードが企画されています。雨は降らないようですので、ぜひ近くの方はお出かけください。
 それにしても、安倍政権の暴走ぶりはひどいものです。3人の憲法学者が国会で一致して違憲と明言したのは当然ですが、これを安倍政権は無視して強行採決にもち込もうとしています。こんな憲法違反は許せません。

2014年12月23日

おだまり、ローズ


著者  ロジーナ・ハリソン 、 出版  白水社

 イギリスの上流階級の生態がよく分かる本です。
 じつは、私の家にも若い女性がお手伝いとして同居していたことがあります。私が小学生のころです。小売酒店で、子どもが5人もいて(私は末っ子です)。ちっとも広くない家に住み込みの女性がいたなんて、今ではとても信じられません。要するに裕福ではない家にも、ほんの少しでも余裕があれば(実際には、そんな余裕というかスペースはなかったと思うのですが・・・)、かつては行儀見習いと口減らしを兼ねて住み込みで働く人がいたのです。
 同じように、ノリ作業のシーズンには長崎県の生月島から大量の出稼ぎ人が有明沿岸には住み込みで働いていました。もっとも、これは、後で聞いただけで、そんな光景を見たわけではありません。要するに、少し前、つまり50年も前の日本では、住み込みの奉公人というのは、ちっとも珍しいことではなかったのです。今では、そんな光景は、どこにも見あたりません(と、思いますが、どこか、まだありますか・・・?)。
 この本のオビには、「型破りな貴婦人と型破りなメイドの35年間」と書かれています。
 貴婦人は、イギリス初の女性国会議員です。もちろん、スーパーリッチ層で、お金の苦労などしたこともありません。それに仕えたプライドの高いメイドの語る体験記ですから、面白くないはずがありません。
 ふむふむ、そうなのかと、ついつい深くうなずきながら、往復の電車の2時間の車中で364ページの本を満足感に浸って読了しました。
 イギリスには厳然たる階級社会が今もあるようです(フランスにも・・・)。著者が仕えた家では、娘たちとも、あくまで主人とメイドの関係だった。友人ではなく、単なる知人でもなかった。
 上流階級では、子どもたちは、母親から目に見える形の愛情が与えられることはなかった。しかし、本当は、愛は目に見える形で子どもに与えられなくてはならないものだ。
 主人の家族とメイドとの間には、はっきりした境界線がある。自分の地位や期待されている役割、許される言動と許されない言動を正確に判別する必要があった。
 メイドは、真珠かビーズのネックレスは許容範囲内で、腕時計もかまわない。しかし、それ以外の装飾具をつけるのは、顰蹙を買う。化粧もしないほうがいいとされ、口紅をつけても、とがめられた。だから、外出中に、主人(奥様や娘も)とメイドとが主従を取り違えられることはなかった。
 レディー・アスターは、淑女ではなかった。ころりと気を変えて、メイドにも頭を切り換えることを要求する。メイドとして、1日18時間、年中無休で集中力を切らさずにいることを求められた。奥様は、イギリス初の国会議員として活動した。
 一度つかった服を洗濯せずに身につけることは決してしない。
 ボタンホールの花も、香りの高い花が、毎日、新しく届けられた。クチナシ、チューベローズ、マダガスカル・ジャスミン、スズラン、そしてラン。香りの高い花ばかり。
メイドとして物を言うと、返ってくるのは、「おだまり、ローズ」のひとことだけ・・・。
 奥様は感情が顔に出る。化粧はほとんどしない。香水はシャネルの五番のみ・・・。
メイドとしての著者にとって、睡眠は貴重なものだった。夜9時から朝6時までは、何があっても自分の時間として確保し、10時過ぎまでで起きることは、めったになかった。仕事をきちんとこなそうと思えば、心身ともに健康でなくてはならず、そのためには毎晩しっかり睡眠をとる必要があった。
イギリスの貴婦人は、丹那様は、はっちゅう替えるけれど、執事は絶対に替えない。
 奥様が旦那様と子どもを連れて旅行するときには、雌牛を1頭と牧夫を同行させた。子どもたちに飲ませる牛乳の質にこだわったからだ・・・。
これには、腰を抜かすほど驚いてしまいました。スーパーリッチって、そこまでするのですね・・・。
 よくぞ、ここまでことこまかく書いてくれたかと思うほど、詳細な上流階級の生態です。「私は見た」という家政婦の話以上に面白い本だと思いました。
(2014年10月刊。2400円+税)

2014年9月30日

1984年


著者  ジョージ・オーウェル 、 出版  ハヤカワep:文庫

 ジョージ・オーウェルの『動物農場』は読んだことがありますが、この『1984年』は初めて読みました。読んだつもりではあったのですが・・・。
 ある会合で、馬奈木昭雄弁護士が60年前に書かれた本だけど、現代日本の社会とまるで似た状況を既に描き出した本だと指摘したのを聞いて、この「新訳版」を手にとって読みはじめたのです。
 いま「朝日新聞たたき」がさかんです。本当に「誤報」だったのかどうかはともかくとして、読売もサンケイもこれまで誤報など一度もしたことがないかのように「朝日」をたたく姿は、あまりに異常です。そして、一部の週刊誌と右派ジャーナリズムの波に乗って吠えたてる人がなんと多いことか・・・。言論統制としか思えません。
 従軍慰安婦の問題の本質は、強制連行があったかどうかでは決してありません。女性が望まぬ性行為を軍部によって強いられ、その状況から自由に脱出することが出来なかったことにあります。まさしく性奴隷です。「朝日」を声高に非難する人たちは、自分の娘をそんな境遇に置いていいとでも考えているのでしょうか・・・。
 安倍首相の強引な憲法破壊策動に乗っかかって、平和な日本社会を根本からひっくり返そうとする動きに、心底から私は恐怖を覚えます。
党の三つのスローガンが、町のどこにでもある。
 戦争は平和なり
 自由は隷従なり
 無知は力なり
 1984年の、この国には、もはや法律が一切なくなっている。だから何をしようとも違法ではない。しかし、日記を書いていることが発覚すると、死刑か最低25年の強制労働収容所送りになることは間違いない。
 最近の子どもは、ほとんど誰もが恐ろしい。子どもたちは、党と党に関係するもの一切を諸手をあげて礼賛(らいさん)する。党賛美の歌、行進、党の横断幕、ハイキング、模擬ライフルによる訓練、スローガンの連呼、「ビッグ・ブラザー」崇拝、それらはすべて華々しいゲームなのだ。かれらの残忍性は、ごくごく外に、国家の敵に、外国人、反逆者、破壊工作者、思考犯に向かう。だから、30歳以上の大人なら、他ならぬ自分の子どもに怯えて当たり前だ。
党員間の結婚は、すべて任命された専門委員会の承認を得なければならない。党の狙いは、性行為から、すべての快楽を除去することにある。敵視されるのは、愛情よりも、むしろ性的興奮。それは、夫婦間であろうとなかろうと同じだ。だから、当事者たる男女が肉体的に惹かれあっているという印象を与えてしまうと、決して結婚について専門委員会の承認は得られなかった。
 結婚の目的はただひとつ、党に奉仕する子どもをつくることだけだった。党は離婚を許さなかったが、子どものいない場合には、別居を奨励していた。セックスをすると、エネルギーを最後まで使い切ってしまう。その後は幸せな気分になって、すべてがどうでもよくなる。党の連中はそうした気分にさせたくはない。どんなときでも、エネルギーはち切れんばかりの状態にしておきたいわけ、あちこちデモ行進したり、歓呼の声を上げたり、旗を振ったりするのは、すべて、腐った性欲のあらわれそのものだ。心のなかで幸せを感じていたら、党の連中の言うくだらない戯言(たわごと)に興奮したりしなくなるから・・・。いやはや、とんだ社会です。
 世界は三つの超大国に分裂している。ユーラシアは、ヨーロッパ大陸など。オセアニアはアメリカ大陸など。そしてイースタシアは、中国や日本などからなる。この三つの超大国は、敵味方の組合せをいろいろにかえながら、永遠の戦争状態にあり、そうした状態が続いている。
 社会の上層の目的は、現状を維持すること。中間層の目的は上層と入れ替わること。
 上層は、自由と正義のために戦っている振りをして下層を味方につけた中間層によって打倒される。中間層は、目的を達成するや否や、下層を元の隷従状態に押し戻し、自らは上層に転じる。下層グループだけは、たとえ一時的にしても、目的達成に成功したことがない。
 プロレタリアは、党に入る資格を得ることが認められていない。そのなかでもっとも才能があり、不満分子の中核になる可能性のある者は、ひたすら思考警察にマークされ、消されてしまう。
党のメンバーは、私的感情を一切もってはならないが、同時に熱狂状態から醒めることのないよう求められる。常に熱狂のうちに生きることを求められる。
 オセアニアの社会ではビッグブラザーは全能であり、党は誤りを犯さないという信念の上に成立している。
 党の求める忠誠心は、黒を白と信じこむ能力、さらには黒を白だと知っている能力、かつてはその逆を信じていた事実を忘れてしまう能力のことだ。そのためには、絶えず過去を改変する必要が生じる。過去は、党がいかようにも決められるものなのだ。
 党は、人生をすべてのレベルでコントロールしている。人間というのは、金属と同じで、うてばありとあらゆるかたちに変形できる。
 「1984年」から30年たった今、日本社会の現実は、「アベノミクス」礼賛一色、安倍内閣持ち上げ一辺倒のマスコミ操作が強力に進行していて、本当に恐ろしい限りです。でも、まだ、希望を捨てるわけにはいきません。そんな社会にしないため、一人一人が声を上げるべきだと思うのです。
(2014年2月刊。860円+税)

2014年5月17日

英国二重スパイ・システム


著者  ベン・マッキンタイアー 、 出版  中央公論新社

 1944年6月のノルマンディー上陸作戦は、それを成功させるために大がかりな欺瞞作戦が展開されたのでした。
 まず、英米連合軍が上陸するのはノルマンディーではなくて、パドカレー地方だとドイツ側に思い込ませました。そして、ノルマンディー上陸は、あくまで本命のパドカレー上陸作戦を隠すための陽動作戦だと思わせたのです。というのも、パドカレー地方には精鋭のナチス軍隊がいたので、それがノルマンディーの方に移動してこないように足止めしておく必要があったのでした。
 パドカレー上陸作戦が準備されるとヒトラーに思わせるには、実在しない軍隊が集結しているように思わせる必要があります。無線をたくさん流し、張り子戦車や飛行機を置き、さらには指揮するパットン将軍までパドカレー上陸作戦に備えているように見せかけたのでした。総勢350人で10万人の軍隊がいるように見せかけたというのですから、たいしたものです。
 対するナチスの方では、スパイ作戦の元締めは、実は反ヒトラー勢力の拠点だったというのです。ですから、英米連合軍を実態以上に質量ともに強力だとヒトラーに報告していました。ある意味では、ヒトラー欺瞞作戦の片棒をかついでいたと言えそうです。そして、反ヒトラーの行動がバレて処刑されたり、左遷されたりしてしまったのでした。
 イギリスの諜報部の中枢にはソ連のスパイが何人もいて、スターリンに筒抜けになってしまいました。有名なキム・フィルビーなどのインテリたち(ケンブリッジ・ファイブ)です。ところが、スターリンは全部を知りつつ、果たしてスパイによる情報を信用して良いのか疑っていたというのです。これらの事実を、この本はあらゆる角度から解明していきます。
 イギリス軍参謀総長はノルマンディー上陸作戦が重大な失敗に終わるかもしれないと危惧していた。日記に次のように書いた。
 「戦争全体で、もっともひどい惨事になるかもしれない」
 スパイの送る情報がどこまで信用できるものなのか・・・。たとえば、ナチスのスパイがイギリスに潜入して送っていた情報は、実はポルトガルにいてあたかもイギリスへの潜入に成功したかのような嘘の情報に過ぎなかった。リスボンの図書館に行き、またニュース映画などで見たものをもっともらしくしたものだった。
 ドイツ軍の一大情報機関であるアプヴェーアは、国防軍最高司令部の指示によらず動いていた。その高級将校の多くがヒトラー政権に積極的に反対していた。
 ドイツはイギリスにスパイを多数送り込んだが、大半は無能で、職務を忠実に遂行する気がなく、その多くがドイツを裏切って二重スパイとして活動した。
二重スパイは非常に気まぐれで、問題を起こすこともあるが、使い方によっては利用価値が高い。気まぐれな性格の人間は、恐ろしいことに寝返ろうとする傾向を示す。
 ノルマンディー上陸作戦に関心のある人に一読をおすすめします。
(2013年10月刊。2700円+税)

2013年8月18日

暮らしのイギリス史

著者  ルーシー・ワースリー 、 出版  NTT出版

イギリスにはまだ行ったことがありません。大英博物館には、ぜひ行ってみたいのですが・・・。
 かつて寝室は雑魚寝(ざこね)状態でやすむ、半ば他人との公共の場であった。睡眠とセックスだけに特化するようになったのは、たかだか19世紀になってからにすぎない。同じように、浴室も19世紀末まで、独立した部屋として存在すらしなかった。
 その昔、人生最大の悩みと言えば腹を満たせるものがあるか、あたたかい寝床で眠れるか、結局、この二つの問題に尽きていた。
 何百年にもわたり、国王や貴族は寝室では肌着姿で通した。下着姿の王は、召使の注視に慣れる必要があった。もともと下着は、あえて人目を意識して、垣間見せるようにもできていた。
 王の衣服を暖炉の前で温め、王が袖を通すまで暖かい状態に保っておくのは、信頼あつく地位の高い召使のみに任された仕事だった。
 女王は、他人の助力なしに服を着ることができなかった。中世の騎士は、下着としてのパンツを着用しなかった。チューダー朝の宮廷人は、下剤を偏愛していた。
中世は男性が不能になれば、離婚もやむなしという時代だった。国王や貴族の子づくりは、国事行為に似て、きわめて重要であり、半ば公的性格も帯びていた。
公共浴場は男女「混浴」であり、中世の人々は、大挙して同時に入浴していた。ひとりで入浴する習慣はなかった。
 16世紀になると、浴場の評判はかげり出し、浴場という言葉は売春宿と同義になっていた。そして、18世紀になって入浴は徐々に復活してきた。
18世紀まで、歯医者という職業はこの世に存在しなかった。チューダー朝の理髪師は外科医を兼ね、散髪、抜歯そして手足切断まで行っていた。
 王が臣下とはいえ人前で用足しをするものだから、貴族も人前で何らはばかることなく用を足した。
 17世紀になると、豪邸・宮廷には水洗便所が四方八方に設けられていた。チューダー朝からスチュアート朝を通じて、イギリス人口の30%が人生の一時期に召使として働いていた。召使として働くことは何ら恥ずべきことではなかった。主人との縁故は、社会的特権をうみ出し、生活の庇護にもつながった。主人と召使は生活全般にわたって文字どおり一体であり、中世の居間では寝食を共にするのが常態だった。
 結婚は万人の義務だった。17世紀末、イギリスは結婚を通じて国家財政を潤すため、婚姻税が導入された。
 中世の農民は、鹿などの狩猟を法律で禁じられていた。こうした動物は、地主や王侯貴族の楽しみのためにとっておかれた。農夫にとって、牛や羊肉などの赤身の肉は夢でもおがむことのできない贅沢品だった。
 果物は、生野菜と同じく、卑賤な食べ物と考えられていた。
 中世イギリスの人々の生活の実態を教えてくれる本です。意外なこともたくさんありました。
(2013年1月刊。3600円+税)

2013年7月12日

チャーチル

著者  ポール・ジョンソン 、 出版  日経BP社

チャーチルの伝記です。実は、あまり期待せずに読みはじめたのでした。ところが、意外に面白くて、つい一気に読み終えました。
 チャーチルが人生で何度も失敗したことも、率直に語られています。そして、チャーチルが両親に愛されずに育ったこと、それをカバーしてくれる女性(乳母)がいたことは驚きでした。父親はチャーチルをこの子は頭が悪いと決めつけ、母親は社交界に忙しかったのです。
チャーチルの顕著な特徴は、精神的で、冒険好きで、野心的で、複雑な知性をもち、情に厚く、勇気があり、打たれ強く、人生のあらゆる側面に強い情熱をもつといった点は、どちらかといえば母親から受け継いでいる。
 母親は社交界一の華でありたいという強い欲求を実現した。母親は、この地位を10年以上にわたって維持した。
 イギリスの政治家のなかで、英語をチャーチルほど愛した人はいない。またキャリアを築くため、キャリアが傷ついたときに名誉を回復するために英語の言葉の力をここまで一貫して利用した人もいない。チャーチルは生涯にわたって原稿料が主な収入源になった。
 言葉をお金に変える点で、決定的な役割を果たしたのは母親だった。
 若きチャーチルは戦争を探した。特別許可を得て、記者として、あるいは兵士として戦場に赴く。新聞記事を書き、本を執筆する、これがチャーチルの行動パターンになった。チャーチルは26歳で国会議員に当選した(1900年)。急速に名誉と地位を獲得したが、他方で数多くの批判者や敵もつくった。軽率で傲慢で生意気で反抗的で自慢げな跳ね返りものだと言われた。
 チャーチルは下院議員になった。出世が目的であったことは間違いない。チャーチルは、当時もその後も、矛盾の塊だった。
 戦場にいたチャーチルは、捕虜収容所に入れられ、脱走した体験をもっていたので、機会あるごとに戦争の恐ろしさを同僚の下院議員に警告した。
 チャーチルは下院の選挙で6つもの肩書きを変えた。保守党、自由党、連立派、立憲派、挙国一致派、国民保守党。
 チャーチルは、演説原稿を用意し、すべて暗記し、練習し、間合いを計算して、何ごとも偶然には任せないようにした。原稿なしに話していて、突然、次の言葉が出てこなくなるという大失態を演じたからである。これって、よくあるんですよね。いきなり頭のなかが真っ白になってしまうのです・・・・。
海軍の高級将官はチャーチルをとんでもない政治家だと嫌った。しかし、士官や下士官、水兵たちはチャーチルを英雄として歓迎し、給与・待遇を改善したあとは、とくに信奉した。
 チャーチルは生涯にわたってフランスびいきだった。しかし、ドイツ軍の演習を視察すると、フランスよりドイツ軍の方が比べものにならないほど良いことを理解した。
 チャーチルは、ユダヤ社会と密接な関係を築いた。一貫して、ユダヤ人寄りだった。イスラエルの建国にチャーチルは貢献した。
 チャーチルはシャンパンを好んだ。そして、いつも葉巻を手にしていた。吸っていたわけではない。喫煙までの所作が好きだったのだ。
 チャーチルは演説の前に酸素を2缶用意して吸入し、気分を高めた。
 1925年、チャーチルは財務相になったとき、予算演説をするときは、公邸から下院まで歩いた。山高帽をかぶり、襟が毛皮の大きなコートを着て、蝶ネクタイをつけ、家族をしたがえ、笑みを浮かべ、手を振って、自信と成功を発散させる。
 チャーチルは日本がイギリスに敵対することはないと信じ込んでいた。チャーチルのこの間違いはイギリスに悲劇をもたらした。
 日本がイギリスと戦う理由はない。日本との戦争の可能性は、理性的なイギリス政府が考慮しなければならないことではない。
 これは、チャーチルの残念ながら間違った言葉です。日本人として複雑な気持ちです。
 1929年のアメリカ・ウォール街の大暴落によって、チャーチルも元手の大金を失っただけでなく、巨額の借金を負うことになった。そこで、チャーチルは、執筆料を2倍に増やし、新しい契約を交渉し、演説旅行した。
 インドのガンジーについて、重要な人物であることを見抜けず、チャーチルはガンジーを「半裸の乞食僧」にすぎないと切り捨ててしまった。
 そして、1932年12月、チャーチルは交通事故で重傷を負った。
 交通事故によって精神的、肉体的な激しい苦痛を味わった。だが、どれも耐えられないものではない。自分を哀れむ時間はないし、力もない。後悔したり、恐れたりする余地はない。自然は慈悲深く、人間にしろ獣にしろ、その子どもたちにそれぞれの力を超えるような試練を与えることはない。危険な人生を歩み、起こることを受け入れるべきだ。何も恐れることはない。すべてはうまくいくのだ。
 1935年。チャーチルは、午前中を執筆と自宅(別宅)の煉瓦積みですごした。1日に200個の煉瓦を積み、2000語の文章を書いた。チャーチルはヒトラーの『我が闘争』を読み、そこに書かれていることはヒトラーの明確な意図だとみた。
 1930年代のイギリスは、平和主義が大流行していた。武装解除に多くの国民が賛同していた。だからチェンバレン首相は、ヒトラーにころりとだまされたのでした。
 チャーチルは独裁者ではなかった。その命令は一つの例外もなく、文書で行い、明快に指示した。口頭の命令も、すぐに文書で確認した。これに対して、ヒトラーはすべて口頭で命令した。
チャーチルは第二次大戦が始まったとき65歳。終わったとき70歳。1日16時間はたらいた。チャーチルには、優先順位を正しくつかむ特異な能力があった。
 チャーチルの生涯で、絵を描く以上の楽しみはなかった。チャーチルの絵は素人離れしているとのことです。ぜひみてみたいものだと思いました。
 チャーチルは人に対する憎しみをもたなかった。そのため、生涯を通して、大きな喜びを手にすることができた。
 私も、人を憎まないようにすることを心がけています。大切な教訓がたくさん盛り込まれている興味深い本でした。
(2013年4月刊。1800円+税)

2013年5月11日

成功する人の「語る力」

著者  フィリップ・コリンズ 、 出版  東洋経済新報社

イギリスのブレア元首相のスピーチライターによるスピーチ原稿のつくり方を紹介する手引書です。
 優れたスピーチを書く技術を身につけたければ、書く内容が定まっていなのに書きはじめたり、内容そのものよりも耳に心地よいスピーチをすることは避けなければならない。
 いいスピーチは、骨組みがしっかりしている。
 スピーチは、いちばん核となるテーマを一行で表してみること。もし、一行でまとめられないのなら、自分のテーマがまだ分かっていないということ。
スピーチが果たす基本的な機能は、情報性、説得力と刺激の三つである。
 スピーチとは、一度マイクの前に立ったら、誰かに邪魔されることなく、20分は話ができる素晴らしい機会である。
 スピーチでは、できるだけわかりやすく明確に話すことが必要だ。
スピーチに最適なのは午前11時ころ、最悪なのは昼食直前だ。聴衆は、まだ話をきく態勢になっていない。
効果的に説得するにはコツがある。まずは寛大な態度を示す。そのうえで、論理立てて相手の意見を切り崩していくこと。初めから反対論者を叩きのめそうとしてはいけない。
 スピーチするとき、あなたという人格が伝わることが大切だ。そして、聴衆が遠くからでもわかるように、あなたの個性をわざと目立たせる工夫も必要だ。
 ひとたびステージにあがったら、ゆったりとふるまう。前口上は短く終わらせ、やや長めの間を取って、これからスピーチを始めるのだと聴衆に知らせよう。
 ステージ上では、少々大げさに話す。いつもの調子で話してしまうと、迫力に欠け、あまりやる気ないように見えてしまう。そして、話すペースに変化をつける。
オバマ大統領の秘密は、すべてその声にある。オバマは歌うように言葉を発する。オバマの原稿を読んでも、それほどの感動はない。
とても実践的なスピーチ原稿のつくり方の本でした。
(2013年4月刊。1500円+税)

2013年1月 6日

知られざる大英博物館

著者  NHKプロジェクト 、 出版  NHK出版

実はイギリスにはまだ行ったことがありません。ヒースロー空港に乗り換えで降りたことはありますが、外には出ませんでした。大英博物館でロゼッタストーンの原物、そして、カール・マルクスが通っていた机と椅子を見てみたと思っているのですが・・・。
ニューヨークにあるメトロポリタン美術館には行ったことがあります。そのエジプトの館に足を踏み入れたときの、膨大な物量に圧倒されると同時に、これってみなエジプトからの略奪品じゃないのかしらんと疑ってしまいました。ヨーロッパの帝国主義列強のアフリカ分割支配の「成果」ではないでしょうか。
 大英博物館にしても、ナポレオンのエジプト遠征の失敗から、イギリスがその成果を横取りしたというものです。それにしても古代エジプトの栄華はすごいものです。しかも、それが何千年も脈々と続いていたというのですからね。
 そして、なんと言っても古代エジプトについて文字があって、それが解読されているため、当時の生活そして社会構造まで分かると言うのがすごいことですし、読んで楽しいのです。
 大英博物館の展示室で公開されているのは膨大な収蔵品のわずか1%のみ。残る99%は人知れず収蔵庫に眠っている。古代エジプトコレクションは15万点、展示室にはそのうち3500点のみ。
 古代エジプトにもパンがあり、給与としてパンが支給されていた。通貨はまだなかった。
 古代エジプトの人々は、死後、再生復活できると固く信じていた。来世には「イアル野」という楽園が待っていて、そこで幸せに暮らせると信じて疑わなかった。そのために必要と考えられていたのがミイラだった。
 ミイラを腐らせるものは、とにかく除去された。内臓は取り出され、死後も来世で必要と考えられていた4つの臓器、つまり肝臓・肺・胃・腸は専門の壺カノポスに入れられ、ミイラとともに埋葬された。体に残された唯一の臓器は心臓だった。心臓は、その人物の人格そのものであり、死後、冥界の神オシリスの前で受ける「最後の審判」を通過するときに必ず必要だった。
 逆に、脳は「鼻水」だと勘違いしていて、鼻の骨を砕いて、そこから特殊な棒ですべてをかき出していた。
そうなんですか・・・。頭の脳を大切なものと思わなかったというのは、不思議です。
古代エジプトでもワインが飲まれていた。ただし、ファラオ(王)や貴族など、裕福な人々の飲み物だった。庶民は主にビールを飲んでいた。
今から3200年前、古代エジプトに生きた「ケンヘルケプシェフ」という名前の書記は、手紙、教科書、会計簿などのパピルスを集めていた。
 子どものころは、とにかく勉強させ代、そうしないとダメな大人になってしまうぞ、お前が学問に通じていれば、人々は皆お前の言葉を信用するだろう。
 これは、「アニの教訓」と呼ばれているものです。
 古代エジプト社会では、文字が書けることは、想像する以上に重要なことだった。人々は書記になることを望み、そのための教育を受けることを切望した。
 パピルスのなかにはラブレターもある。男女が交互に語りあうかたちで、17篇の愛の詩が書かれている。
 古代エジプトでは、結婚は夫婦間の契約を結ぶ意味もあった。結婚すると、夫婦の財産の3分の1の権利を得ることができた。また、夫が死んだときには、遺産の3分の1が妻のものとなり、残りの3分の2は継承者のものとなった。その継承者のなかにも妻がふくまれていて、子どもたちと財産を分けることになっていた。
 さらに、離婚する権利は男女双方が持っていた。古代エジプトは、女性の権利も認められた、男女平等の社会だった。
王墓はファラオの罪名中に造り終えることが求められた。もし、建設途中でファラオが亡くなってしまえば、その時点で作業は中止された。
 パピルスにはピラミッドのつくり方を解説し、その計算問題などまであるというのには、驚きました。しかも、かなり高度な数式が使われているのです。
パピルスには、ファラオから支払われる給料の遅延に抗議してストライキが発生したことまで記録があるとのこと、これには腰を抜かしそうになりました。
知られざる古代エジプトのいくつかを知ることのできる本でした。
(2012年6月刊。1800円+税)

2012年9月 6日

ネゴシエイター

著者    ベン・ロペス 、 出版    柏書房 

 さすが、交渉のプロは目のつけどころが違うなと感嘆しながら読んだ本です。テーマは身代金目的の誘拐事件で、犯人といかに冷静に交渉するか、というものです。
 誘拐事件は、毎年2万件が報告され、当局に通報されるのは1割のみ。
誘拐事件の半数以上がラテンアメリカで起きている。メキシコでは毎年7000件の誘拐事件が報告されている。実際には、もっと多い。コロンビアでは1日に10件の誘拐事件が発生している。
 ラテンアメリカで救出作戦によって無事に生還する人質は21%。誘拐事件の7割は身代金の支払いで解決している。力ずくでの人質救出は10%のみ。誘拐は、ウィークデイの午前中、被害者の自宅ないし仕事場あたりで起きる。
 誘拐の被害にあうのは地元の人間であって、海外居住者や旅行者ではない。
ロンドンでは、誘拐に備える保険の保険料が年間1億3000万ドルにもなる。ブラジルは、年間の誘拐発生件数が世界第3位。サッカー選手の家族が狙われるようになった。
 ネゴシエイター(交渉人)には、破るべからず大切な二つの黄金律がある。一つは銃を使わないこと。二つ、自分自身で交換をおこなわないこと。
現場に出た交渉人は待つことに耐えなくてはならない。誘拐犯がもつ最強の武器の一つが待たせること。誘拐犯が再び連絡してくるまで、何週間もかかることがある。数ヶ月あるいは数年ということもある。たいていの場合、待つのは拷問に等しく、コンサルタントに大きなプレッシャーがかかる。しかし、どんなときにもどっしりかまえていなければならない。少なくとも、そう見えるようでなくてはいけない。
交渉人は話し上手でなければならないと思われている。しかし、もっと重要なことは、聞き上手であること。電話で、向こうの言うのに耳を傾けることだ。
睡眠を奪うことは、誘拐犯が使用できる、きわめて効果的な拷問手段だ。
 人質は、たいてい、もっとも基本的な人間の機能を奪われる。そして内に秘めた不屈の精神をくじかれる。もし、誰かを手なずけたければ睡眠を奪うのが、何よりてっとり早く、有効な方法だ。
個人富裕層を狙った誘拐は、かなり高度な計画が求められる。犯罪者たちは、時間をかけて標的となる人物の習慣や日課、警備状況などの情報を集める。
交渉人として事件を担当することを合意して最初にすることは何か?それは、小便である。合意した瞬間から、次はいつ小便するチャンスがあるか分からないからだ。
スケジュールはサディスト的にすさまじいものになり、全エネルギーと時間を事件の解決に集中させることになる。交渉人のいる部屋は、危機管理室となり、一般人の立ち入り禁止、鍵がかかり、無期限で24時間つかえ、電話とインターネットがつながっていて、コンピュータープリンターそれから、たくさんの電源ソケットがあり、誘拐犯との会話はすべて録音できることが必要だ。さらには、防音装置のあることが望ましい。
 生存確認のもっとも良い方法は、電話で人質と話すこと。人質しか答えを知りえない質問する。
 決して、こちらから電話を切らない。常に誘拐犯が電話を切るのを待つ。彼らが切り忘れる可能性があり、いつの間にか犯人たちの個人的な話が聞こえてきて、交渉の場で優位に立てるかもしれないからだ。
 交渉人は、ふつうは誘拐犯の言い値の10%にまで下げさせる。時間は交渉人の味方である。
 誘拐犯との交渉を指揮官にさせてはならない。その下位にいるものなら、「まずボスに相談しなければ・・・」と言って牛歩戦術を使える。
なーるほど、誘拐犯との交渉にあたる交渉人が職業として成り立つ理由がよく理解できました。
(2012年7月刊。2200円+税)

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