弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

イギリス

2019年10月20日

たのしい川べ


(霧山昴)
著者 ケネス・グレーアム 、 出版  岩波少年文庫

イギリス人の著者が息子のために書いた童話です。
著者の父親は弁護士でしたが、意思も性格も弱く、一つの職業にとどまっていることができない人だったので、家族の生活はかなり不安定だった。
感受性の強い子どもだった著者は、母たちと一緒に暮らして笑いあえる生活を過ごしていたが、5歳のとき、母は病死してしまった。祖母の家に引きとられて、豊かな自然のなかで、川や小動物たちとたのしく語りあって育っていた。
しばらく別れていた父親が著者の前に戻ってきたとき、なつかしい、美しい人として心にえがいていた父親は、実は、不幸に負け、酒におぼれた人としてあらわれた。
そんななか、4歳から7歳まで、全感覚をあげて外の世界の美しさを吸収したと著者は語っている。この本にそれは十分に反映されているように思います。
中学で抜群の成績をあげても、周囲は誰も評価しない。仕方なく、17歳から銀行で働くようになった。そして、文章を書きはじめた。孤独な生活を過ごした少年は、かえって、そのころの因襲にとらわれず、批判的に大人をながめ、本来の子どものもっている感覚で、しっかり周囲の出来事を見ていた。そして、それを文章にあらわした。
著者は、4歳の一人息子が夜に泣いて泣いて困ったので、何かお話をしてやろうと言った。息子は、モグラとキリンとネズミの出てくる話を注文した。そこで、著者は、ヒキガエルが自動車を盗むところから始まる話を始めた。これが3年間も続いた。
キリンは、いつのまにかいなくなり、アナグマが出てきて、ヒキガエルが出てきた。
ヒキガエルは息子の性格に似ていたので、父子のあいだでは、ヒキガエルが出てくると、大笑いしていた。
知人の女性のすすめで、息子に語った話が、この本につながったのです。
それでも、出版社は、こんな本が売れるのか心配で断るところばかりだった。ようやく出版社がみつかり、1908年に世の中に出ると、10月に初版が出て、12月には第二版。翌年もずっと増刷されていった。
この本は、アメリカに渡り、シオドア・ローズベルト大統領に贈られ、本人が放っているあいだに、夫人と子どもたちが読んでた。
この話の主人公は、モグラとネズミ。それにアナグマとヒキガエルなどが組みあわされ、自然のなかに生きるささやかなものへの愛情を子どもに伝えたいという気持ちにあふれている。
心のほっこりするひとときが得られる楽しい童話でした。
(2018年2月刊。760円+税)

2019年9月24日

ぼくはイエローで、ホワイトで、ちょっとブルー


(霧山昴)
著者 ブレディみかこ 、 出版  新潮社

面白い本です。イギリスに住む日本人女性の息子(11歳、中学生)をめぐる話です。
イギリスでは階級差が固定しているし、はっきり目に見えるようです。さすがに日本でも、「一億、総中流」なんてという幻想は聞こえなくなりましたが、階級差は見えにくいままです。
イギリスの中学校にはフリー・ミール制度があって、生活保護や失業保険など政府からの補助を受けているような低所得家庭は給食費が無料になる。小学校は給食制なので、同じ食事を食べるが、中学校は学食制なので、生徒が好きな食事やスナック、飲みものを選ぶ。現金は使わず、プリペイド方式で、フリー・ミール制度対象の子どもには使用限度額がある。
中学校の正門には校長が立っていて、登校している生徒一人ひとりと毎朝、握手する。
労働党政権は、イギリスから子どもの貧困をなくすと宣言し、実際、1998年度に340万人だった貧困層の子どもが2010年には230万人と、順調に減少していった。ところが、2010年に保守党政権になって緊縮財政を進めると、平均収入の60%以下の所得の家庭で暮らす子どもが410万人に増えた。これはイギリスの子どもの総人口の3分の1にあたる。
制服が買えない子どもがいる。生理用品を大量に買って女生徒に配る女性教員がいる。私服を持っていないので、私服参加の学校行事のときには必ず休む生徒がいる。
イギリスでは、子どもが学校を欠席すると、親が地方自治体に罰金を払わされる制度がある。父母それぞれに60ポンドずつ請求される。21日以内に払わないと120ポンドに上がり、それでも払わないと最高2500ポンドの罰金、そして最長3ヶ月の禁固刑に処せられることがある。ひえーっ、これには驚きました。
イギリスの公立中学校には、さまざまな国から来た子どもたちがいて、子どもたちは、お互いに差別や貧困と格闘しなければいけないようです。日本より人種や貧困がはっきり見えるのです。
アイルランド人男性と日本人女性のあいだに生まれた著者の一人息子は、いかにもたくましく育っているようです。ヘイトスピーチを受けても母親がまったく動じないのが、思春期に差しかかった11歳の息子に何よりの精神安定剤になっているという印象を受けました。
イギリスの現実、そして厳しい社会環境のなかでのたくましい子育てを学ぶことができました。あなたにも一読をおすすめします。
(2019年8月刊。1350円+税)

2019年6月20日

候補者ジェレミー・コービン

(霧山昴)
著者 アレックス・ナンズ 、 出版  岩波書店

アメリカでサンダース上院議員が民主的社会主義者としてアメリカの若者たちに大きく支えられて躍進しているのと同じ現象がイギリスでも起きていることを知り、大変うれしく思いました。労働党の党首となったコービンの実像に迫った本です。
コービンを党首に押しあげたのは、一つの政治運動の流れであり、それがコービンの周囲に結集し、奔流となったのだ。三つの流れがコービンを支えたが、もっとも強い流れは緊縮財政に反対する運動だった。
コービンを2つの巨大組合ユナイトとユニゾンが支援した。これがコービン指示に正統性をもたらした。労働党では、2015年に1人の議員の票も一般党員の票と同じ価値をもつように変更された。そして、3ポンド払えば労働党の党首選に参加できるように変わった。
人々はコービンが勝つ可能性があるように見えたから加わった。そして、集まった人々が生みだした弾(はず)みがコービンの勝利を確実にした。
国の政治を実際に変えられる貴重なチャンスがあるという高揚感には伝染性があった。
いつもの顔ぶれの枠をこえて、ウィルスのように爆発的に広がり、初めて政治にかかわる若者、学生、アーティスト、反体制の運動家、オンライン署名者へと広がった。
新しい政治運動が誕生した。コービン運動だ。そこで際立っていたのは、自ら歴史をつくろうとする願いだった。運動は行動を望んだ。ボランティアに名乗り出る。メッセージを発信して説得する。電話で聞きとり調査する。友だちを勧誘する。イベントに参加する。政策を提案する。投票する。変化を求める勢力を築く。観察政治に嫌気がさしていた人々の集まりだった。これが、コービンとその選挙キャンペーンのもつ参加の精神と実践に共鳴した。
この運動には、前の世代にはなかった強力なツールがあった。ソーシャルメディアだ。
コービンは、キリスト教社会主義者、ただし、キリスト教抜き倫理的社会主義者。
コービンにはトニー・ベンのような人を鼓舞する演説の深さがあるわけではなく、トニー・ブレアの目端(めはし)が利いて人をそらさない表現力もない。しかし、心に深く抱いている共通の価値観を明確に表明して聴衆との結びつきを生む希有の能力がある。誠実さ、原則を守る姿勢、倫理的な力、コービンは一つの模範だ。そして、縁の下で助力を惜しまない。
ジェレミー・コービンは、何年もかかってつくられた大きな歴史的潮流によって労働党の党首へと押し上げられた。だが、必然は一つもなかった。労働党に投票した人の3分の2は国民投票でEU残留を支持し、3分の1はEU離脱に投票した。
コービンは宣言した。私たちは億万長者のための党ではない。企業エリートの党でもない。人びとのための党である。
若者の投票率が飛躍的に伸びた。18~24歳は52%が65%へ飛躍した。25~34歳は52%から63%へ上昇した。若者たちが労働党へ投票したのだ。
日本でも同じように若者に希望を与えること、世の中は変えられることを目に見える形で示すことが大切です。私は、最近つくづくそう思います。
私が20歳のころ、「未来は青年のもの」というスローガンに心がおどりました。東京・神奈川・京都・大阪と革新首長が次々に誕生していき、日本は変わる、変えられるという成功体験が今の私を根底で支えています。「アベ一強」の嘘つき放題のデタラメ政治が野放しにされていて、あきらめきっている若者に、そんなことはないよと呼びかけたいものです。
もりもり元気の湧いてくる本です。ぜひ、あなたもご一読ください。
(2019年4月刊。3700円+税)

2019年6月 6日

アマゾンの倉庫で絶望し、ウーバーの車で発狂した

(霧山昴)
著者 ジェームズ・ブラッドワース 、 出版  光文社

イギリスでは、階級差が日本と違って、はっきりと目に見えるようです。
そして、サッチャーが炭鉱労働者の戦闘的な組合を壊滅させたことにより、労働者は頼るべき拠りどころをなくしてしまったようです。それは、日本でスト権ストの敗北後に労働組合の力が衰退していったのと同じだと思えます。
著者は実際にアマゾンの倉庫で働き、ウーバーのタクシー運転手、そしてコールセンターでも働いていて、その体験レポートでもあります。
イギリスで労働者になるということは、軽蔑されるか、あるいは生きることがぎりぎり許されるレベルの人間になるということ。現代のイギリスで貧困に陥るのは、いとも簡単であり、どんな選択をしたとしも誰にでも起こりえることだ。
アマゾンの倉庫は4つのフロアに分れ、従業員も4つのグループに分かれている。運ばれてきた商品を受けとって確認し、開封するグループ、商品を棚に補充するグループ、注文された商品をピックアップするグループ、商品を箱に詰めて発送するグループ。
アマゾンは、イギリス国内だけで8000人を雇用する巨大企業だ。一人の従業員は、国際物流のための大きな機械の小さな歯車でしかない。従業員の7割は1日に16キロ以上歩いている。
アマゾンの倉庫での仕事は、肉体的にきついだけでなく、精神的にもうんざりするものだ。この仕事には、感情のための緩和剤が必要だ。そのため脂っこいポテトチップスを買う。
労働者は、ジャンクフードと油と砂糖をたらふく食べる。単純労働による身体感情的な消耗を何かで補う必要に迫られる。それが、タバコ、酒、ジャンクフードなのだ。これが残された数少ない喜びになっている。そのため、肥満率が圧倒的に高い。
現在、イギリス全土で100万人以上がコールセンターで働いている。ウェールズには、200ヶ所以上のコールセンターがあり、3万人の雇用そして6億5千万ポンドの経済効果を生み出ている。
しかし、コールセンターの仕事は、退屈だ。そして雇用は常に不安定だ。コールセンターでは、従業員の監視システムがすすんでいて、従業員のすべての行動が監視・追跡・記録されている。
ロンドンの民間タクシーの運転手は過去7年間で倍増し、11万7千人となった。ウーバーを利用する乗客は2012年に5千人だったのが、今や170万人に増えた。ウーバーの運転手は、ピーという通知音が鳴ったら、15秒以内に仕事を受けるか、ほかのドライバーに任せるかを判断しなければならない。運転手が3回連続で乗車リクエストを拒否すると、外されてしまう。
運転手は、受けた仕事の件数、種類、キャンセルの有無が厳重に監視されている。
利用する料金が安いことから、乗客は運転手に対して敬意を払わない。
サッチャーが炭鉱夫の労働組合を攻撃したとき、多くの人は自分に関係ないことと、屁とも思わなかった。けれども、結局、この国で働くすべての人にその影響が及んだ。そして、その影響は今日までずっと続いている。
先日、イギリス労働党のコービン党首への圧倒的支持の高まりを分析した本を読みましたが、この本と通底するところがありました。要するに、希望を失ってはいけないということです。
(2019年4月刊。1800円+税)

2018年10月12日

塗りつぶされた町

(霧山昴)
著者  サラ・ワイズ 、 出版  紀伊國屋書店

 19世紀末のイギリスの首都ロンドンに6000人が暮らすスラムがありました。そのスラムの苛酷な生活条件を紹介しつつ、貧乏人から割高の家賃をもらって食いものにする金持ちが存在していたことを厳しく指摘しています。同時に、慈善事業に挺身する女性や牧師がいたことも紹介しています。
私からすると、大学生たちが、このスラムのなかでセツルメント活動をしていたことに注目しました。私も参加した学生セツルメント活動は、まさしくイギリスが発祥の地でした。その大学生のなかからアトリー首相も誕生したのです。
このスラム街に入って住民の部屋を訪ねるとき、ノックは無用。そもそもドアなどないことが多い。お金がなくて石炭が買えないとすれば、ドアのほかに燃やすものがない。ドアが残っていても、たいてい開けっ放しだ。盗られるものなどありはしないし、それを怖がる人もいない。
人口密度は高い。間口2.2メートル、奥行き4.2メートルの1部屋に12人が住んでいる。10部屋ある家に90人が押し込まれている。
このスラム街(ニコル)には5700人が住んでいて、その80%が子ども。年間の死亡率は人口1000人あたり40人で、他の地域の2倍。乳児死亡率は一般に年間1000人出産あたり150人に対して、この地区では252人。伝染病など、いったん病気になると、回復するのが難しかった。その原因は劣悪な住環境にある。過密や貧弱な衛生設備(まったくなかったりする)、ひどい湿気、日照不足、大気汚染にあった。
上水道や下水道は、どうだったのでしょうか・・・。
このスラム街の家賃はとても割高になっていた。だから、金持ちが貸家に投資したら、50~60%の利益が得られる。3倍もの利益をあげることも珍しくはない。極貧の人たちは、こんなぼろぼろの家屋しか借りることが出来なかった。家主に文句を言うと、初め勝っても結局、嫌がらせを受けて退去しなければならなくなります。いったん家を出たら、行くところがないという現実があります。ですから文句を言いたくても、じっとガマンするだけです。
1880年半ば、イースト・ロンドンで大学生のセツルメント活動が始まった。セツルメント運動は、オックスフォード大学の学生たちによって始められた。
1884年にトインビー・ホールが始まった。トインビー・ホールやオックスフォードハウスで働いた学生たちの多くは牧師になった。社会学の道に進んだ人もいれば、そのままスラム街に残って、講座を開いて住み込んだ人もいた。のちの労働党内閣で首相をつとめたクレメント・アトリーも、その一人である。
ホランド牧師は、不幸な若者たちに健全な影響を与える。労働者との接触を通して、若者は人の役に立つことを経験し、希望と活動を得る。しかし、労働者階級を自らの闘いに出向かせて勝利に向けて奮い立たせる点では何も貢献しない。このように決めつけた。まあ、日本でも客観的にはそうだったかもしれませんね。
1970年代の前半まで、日本には学生セツルメント活動がありましたが、一瞬にして消え去ってしまいました。イギリスでも同じなのでしょうか・・・。
このロンドンのスラム街を一掃するまで、大変だったと思いますが、追い出された家族は果たしてどこへ向かったのでしょうか・・・。
(2018年7月刊。2700円+税)

2018年4月26日

否定と肯定

(霧山昴)
著者 デポラ・E・リップシュタット 、 出版  ハーバー ブックス

映画の原作です。文庫本で580頁もあり、読むのに骨が折れました。あまりにシリアスなテーマだけに読み飛ばせなかったのです。
ナチスによる大量虐殺はなかった。これって日本軍による南京大虐殺なんてなかったというインチキ・プロパカンダとまるで瓜二つですよね。
アウシュヴィッツにガス殺人室はなかった。その証拠に、ガス抜きの煙突はなかったし、シラミを殺す濃度より低い濃度のシアン化合物毒しか部屋の壁から顕出できなかった・・・などと、まことしやかに語られるのです。それを「一流」として定評のある歴史学者が公然と言うのですから始末に悪いです。
シラミを駆除する毒性は人間を殺すより、はるかに高濃度でなければいけない。シラミの耐性は恐ろしく強い。それにひきかえ、人間はいちころで死んでしまう・・・。まるほど、そうなんですね。ガス室の煙突は、ちゃんと残っていて写真で確認できます。
リップシュタットの弁護団はアウシュヴィッツに出かけています。やはり現地に立ってみることは、法廷での弁論を支えるのですね・・・。
リップシュタットの代理人弁護士はインチキ学者を法廷で尋問するとき、わざと視線をあわせなかった。なぜか・・・。長いあいだ、人にじかに視線を向けつづけると、その相手とのあいだに絆(きづな)が生まれかねない。そんな絆なんて、まっぴらごめんだ・・・。もう一つは、インチキ学者の「業績」なんて、たかがしれている、そのことを態度で示すことだ。
アウシュヴィッツの焼却炉は、人間の脂肪を燃やして高温を維持するため、やせ衰えた死体とまだやせ衰えてない死体の両方を同時に火葬できる設計にする必要があった。やせ衰えた死体だけだと、絶えず燃料を補給しなければいけない。知りたくない知見ですね・・・。
もっとも過激な反ユダヤ主義者が、ユダヤ人の友人と親しくしている例は少なくなかった。そんな彼らは決まって、こう言う。ああ、この男は私の友人だ。例外さ。他のやつらとは違う。
イギリスでは名誉棄損の裁判では、訴えられた方が真実であることを立証しなければならない。立証責任がアメリカとイギリスでは正反対。アメリカでは立証責任は原告にあるが、イギリスでは逆に、真実であることを被告が立証しなければならない。

リップシュタットの代理人弁護団として、ダイアナ妃の離婚訴訟の代理人をつとめたイギリスの弁護士に依頼した。1時間5万円という料金の弁護士だ。
リップシュタットの弁護団は、アウシュヴィッツの生き残りの人々を法廷で証言させない。また、リップシュタット本人にも法廷で証言させず、沈黙して押し通すという戦術を貫いた。いずれも、日本人の弁護士には信じられない方針です。
アウシュヴィッツの生き残りの人々を法廷に立たせて、自分の体験していないことをいかに知らないか、インチキ学者の立場で責めたてさせ、悲しみ、辛さをかきたてたらまずいいという事情(情景)説明は、それなりに理解できます。でも、本人に沈黙を強いるというのは、どうなんでしょうか・・・。日本でも同じような作戦で法廷にのぞんだというケースがあるのでしょうか。私には心あたりがありませんので、知っている人がいたら、どんな状況でとった作戦なのか、ご教示ください。
もちろん、リップシュタットの側で、学者証人は何人も繰りだして、インチキ学者のインチキぶりを刻明にあばいていったのです。
リップシュタットの弁護団にかかった訴訟費用は200万ポンドという巨額でした。これはユダヤ人の組織と個人が多額のカンパで支えました。
結局、敗訴したインチキ学者は、この訴訟費用が支払えずに破産してしまったのでした。
戦前の日本軍は植民地を解放しただとか、国の近代化に大きく貢献したから、かえって感謝されるべきだいう声は、昔からほそぼそとですが、上がっていました。ところが、今では恥知らずにも声高で言いつのる人がいます。植民地の表通りだけがきれいになったとして、それを支配されている民族は喜ぶべきだなんて、そんな押しつけ論法はありえません。
かつての日本人は、貴重な血を無為に流させられてしまったのです。その反省なしに、今の日本の「繁栄」は続くわけがありません。
映画をみていない人にも一読をおすすめします。骨ある文庫本です。
(2017年11月刊。1194円+税)

2018年2月26日

シェイクスピアの時代のイギリス生活百科


(霧山昴)
著者  イアン・モーティマー 、 出版  河出書房新社

 16世紀の末、エリザベス朝時代のイングランドでは、命のはかなさに胸を衝(つ)かれる。エリザベス自身も何度も暗殺計画は反乱の標的となった。ジェントリーの反乱から、侍医による毒殺未遂まで・・・。このころのことを、ある政府の役人が次のように書いている。
「女王は貧しく、国土は疲弊し、貴族も貧しく、腐敗している。有能な指揮官と兵隊が足りない。何もかも値段が高い。肉の食べすぎ、酒の飲みすぎ、行き過ぎた服装。国内の分裂・・・」
 これは、エリザベスの治世を「黄金時代」とする見方とはかけ離れている。
 しかしながら、エリザベスは、間違いなく、史上最も強大な権力をふるったイギリス人女性である。その宮殿について、訪問したフランス人は、「ヨーロッパで最大、かつ、もっとも醜い宮殿」と評した。
 ロンドン橋は反逆者の首がさらされる場でもあった。腐ったあとも、君主に楯突いた者の運命を忘れさせないため、頭がい骨が杭に刺さったままにされた。16世紀末には、30以上の頭蓋骨が見られた。ロンドン橋は、単なる橋ではなく、ロンドンの象徴にして、王権を宣言する場なのである。
 当時のイングランドの人口は411万人。その前の200年間は、300万人を大きく下回っていた。エリザベス朝の60歳以上は、21世紀の75歳以上に匹敵する。40歳は老年期の入口。50歳まで生きられたら幸運なほうだ。21%の子どもは10歳になる前に亡くなり、そのうち3分の2は、生後1年内に死ぬ。
エリザベス朝の一部の人々は女王のことを快く思っていなかった。カトリック教徒だけでなく、ピューリタンも女王を軽蔑した。エリザベスは、ロンドン市内を練り歩く行進で自分の姿を見せびらかし、大げさな賞賛を求めた。みずからの姿を見せることで、人々の目から見た女王の尊厳とイングランド人らしさを強化しようとした。エリザベスは議会が好きではなかった。実際にイングランドという国を所有し、動かしているのは、ジェントリーと呼ばれる、貴族と農民の中間に位置する階層である。
定住している貧民は大部分が女性で、旅してまわる貧民の4分の3は独身男性である。女性は、結婚していないかぎりで、男性同様に、旅をし、祈り、書き、広く自分の仕事に取り組むことができた。すべての結婚の25%から30%は再婚である。女性がある程度、男性と同等であるといえる唯一の領域は文学である。
エリザベス朝の人々は朝食を食べていた。風呂は、通常、体をきれいにするためではなく、医療を目的として入るものだった。
エリザベス朝で、もっとも一般的な刑罰は罰金刑だった。エセックス州の成人人口4万人のうち1万5000人、つまり3分の1以上が性的犯罪のかどで法廷に立たされている。どうやら人々は盛んに性行為をおこなっており、そのかなりの部分が違法なものだったようだ。
16世紀末、エリザベス時代のイギリスの生活の実際を知ることのできる貴重な百科全書です。
1月末に受けたフランス語技能検定試験(仏検)の口頭試問(準1級)の結果が大型封筒で送られてきました。ということは合格証書が届いたということです。娘から「何枚目?」と尋ねられましたので、即座に「もちろん、ぼくは二枚目」と答えてやりました。本当は7枚目です。2009年から、ほぼ連続して合格しています。とはいっても、まだ十分にフランス語が話せるレベルではありません。なので、毎朝、NHKラジオ講座を聴き、書きとりをし、フレーズの暗誦にチャレンジしています。車中もフランス語のCDを聴いているのですが、それでもまだまだ1級のレベルは遠い彼方にあります。
(2017年6月刊。3800円+税)

2017年11月29日

チャヴ

(霧山昴)
著者 オーウェン・ジョーンズ 、 出版  海と月社

チャヴとは、イギリスの労働者階級を侮辱することば。この差別用語は、ロマ族のことばで「子ども」を指す「チャヴィ」から来ている。いまや、インターネットでは、チャヴを笑い物にする悪意が満ちている。ロンドンの中流階級は下の階級に不安や嫌悪感をもっていて、それがうまく利用されている。なぜ、労働者階級への嫌悪感がこれほど社会に広がってしまったのか・・・。
チャヴということばには、労働者階級に関連した暴力、怠惰、十代での妊娠、人種差別、アルコール依存など、あらゆるネガティブな特徴が含まれている。
「プロール」とは、プロレタリアートを短縮した軽蔑語で、貧しいから無価値という意味を伝えている。
これには驚きました。マルクス『資本論』発祥の地でプロレタリアートが馬鹿にされているなんて、信じられません・・・。
最下層の人々を劣等視するのは、いつの時代でも、不平等社会を正当化する便利な手段だった。
労働党の議員には、かつては工場や鉱山の現場からスタートした人が多かった。今では、肉体労働していた議員は下院に20人に1人もいない。国会議員のうち、私立校出身者は国民平均の4倍以上。保守党議員は5人のうち3人が私立校の出身者だ。
イギリスのエリートには、中から上にかけての中流階級出身者があふれている。貧困者が犯罪を起こせば、似たような出身の全員が非難はされる。これに対して、中流階級の人間の犯罪はそうはならない。
公営住宅に住んでいるのは貧困層だけ。公営住宅の半数近くは、下から5分の1までの貧しい地区に存在する。30年前は、上から10分の1にあたる富裕層の20%が公営住宅に住んでいた。そのときと現在はまったく様変わりしている。
公営住宅にはイギリスの最貧層が住んでいるので、その地域はチャヴに結びつけられる。公営住宅は、社会の掃きだめのようになってきている。
イギリスの保守党は、裕福な権力者たちの政治執行部門だ。保守党の存在意義は、トップに君臨する人たちのために闘うこと、ここにある。それは、まさに階級闘争だ。ところが保守党は、多くの巧妙な手段で労働者階級の「個人」の機嫌をとって選挙に勝っている。
炭鉱労働者のストライキが敗北したとき、炭鉱労働者はイギリス国内でもっとも強力な労働組合をもっていたのに大敗してしまった。それでは、ほかの者にどんな希望があるというのか・・・。炭鉱労働者を叩きのめせるなら、ほかの誰でも叩きのめせるということ。残ったのは、長年の失望と敗北主義だった。この現実はイギリス映画『ブラス』とか『パレードにようこそ』によく反映されていると思います。
サッチャーたちの攻撃が始まったとき、イギリスの労働者の半数は組合員だった。それが1995年には、3分の1まで後退していた。
イギリスの貧困者は、1979年に500万人だったのに、1992年には1400万人になった。しかし、サッチャー哲学は、「貧困」は現実には存在しないとする。貧しい人々は、自分で失敗しただけのこと。貧困らしきものはあるかもしれない。しかし、それは個人のごく基本的な性格の欠陥だけのこと、こう考える。
いやはや、「自己責任」の論理で「貧困」をないものとするのですね。今の日本とまったく同じですよね、これって・・・。
サッチャーの得票率は最高でも44%。有権者全体の3分の1以上の支持は得ていなかった。それでも、サッチャーが勝ち続けたのは、サッチャーを支持しない熟練と半熟練労働者の60%がどうしようもなく分裂したからだ。
サッカーは、長く労働者階級のアイデンティティの中心にあったスポーツだ。ところが今では、億万長者のよそ者が支配する中流階級の消耗品になってしまった。労働階級のファンは、愚かな暴力に熱中する攻撃的なフーリガンと見なされ、排除されている。
イギリスは、今では階級のない社会という幻想がすっかり定着してしまっている。しかし現実には、これまで以上に階級化されている。
貧困層をマスコミが攻撃し、民間労働者に公務員への敵意をあおる。これって、まるで、現代日本でやられていることですよね。日本の近未来が、こうあってはならないと思わせるに十分なイギリス社会の矛盾を鋭く分析した本です。
(2017年9月刊。2400円+税)

2017年8月28日

チャップリン

(霧山昴)
著者 大野 裕之 、 出版  中公文庫

私はチャップリンの映画が大好きです。『街の灯』は最高ですし、『キッド』は泣かせます。日本人はチャップリン映画が大好きで、『街の灯』は戦前に歌舞伎座に翻案されて上演もされたということです。
チャップリンは日本にも4回来ていますし、あのステッキは日本は滋賀県産の根竹(こんちく)だそうです。1932年の5.15事件のときには、バカな日本人将校がアメリカ人俳優(チャップリン)を暗殺してアメリカを怒らせて戦争にもち込もうと計画したといいます。犬養首相の招待を断っていなかったら、ともども殺されていたかもしれなかったのです。
銀座で海老のてんぷらを30本も食べて新聞に「てんぷら男」と書かれたなんて、失礼な話も初めて知りました。そして、チャップリン全盛期の秘書は高野虎市という日本人でした。運転手になってから、「看護夫、侍者、個人秘書、護衛、何でも屋」。1926年当時、チャップリン邸の使用人17人は、全員が日本人だった。うひゃあ、そ、そうだったんですか・・・。
世界の喜劇王を支えた日本人がいたことは、私も日本人の一人として、なんだかうれしく思います。
チャップリンの『独裁者』は画期的な映画だと思います。チャップリンとヒトラーは同じ年(1889年)の同じ4月生まれ(16日と20日ですから、4日しか違いません)。そして、1914年に、同じチョビヒゲを生やし始めます。一方は笑いで人々に生きる喜びを与え、他方は人々を大量虐殺する。
ヒトラーはチャップリンの映画『独裁者』をみたあと、公衆の面前での演説はしなくなったといいます。笑いが、ウソに勝ったのです。アベ首相がウソと真相隠しで逃げようとしているとき、それを徹底して笑い飛ばす必要があるのだと思いました。笑いこそが、独裁政治への武器となるのです。
チャップリンに弟子入りした日本人映画監督がいました。牛原虚彦。7ヶ月間、チャップリンのそばにいて、ロープを700回渡り、ライオンと200回演技をして、笑いを追求するその姿を目に焼きつけた。
この本は、チャップリンが映画撮影のためにとったものの、公開された映画には使われなかったボツ(NG)フィルムが400巻あり、それを2年かけて全部みて整理・分析したという著者によるものですから、その薀蓄の深さに圧倒されます。この400巻の全部を全部みた人は世界で3人だけで、そのうちの一人が日本人である著者というのですから、頭が下がります。ありがとうございました。私は大分からの特急列車のなかで読みふけってしまい、あっというまに幸せな気分のまま目的地に到着しました。
チャップリンは台本らしきものを用意せずに撮影を進めていって、現場でひらめいたアイデアをもとに何度も撮り直して作品をつくりあげていった。
かと思うと、ラストシーンを初めてつくりあげて(多少の修正はあっても)、そこに至るシーンを撮影していったというものもあるようです。
360頁の文庫です。たくさんのNGフィルムの写真が紹介されていますが、文庫本じゃなくて、もっともっと知りたくなる本です。
「モダンタイムス」のラストシーンの現場(ロケ地)にまで著者は訪ねています。二人が歩き出したときは影が前に伸びていて、後ろ姿になったときには後に影が伸びている。そんな細かいところにまで著者は目を配っています。さすが・・・、です。
チャップリンは、ユダヤ人にも、ゲイにも、そして日本人にも差別しない普遍的な笑いを追求した。大金持ちの残酷さも見落とすことがなかった。そして、戦争に反対するという信念を映画のなかでも表明した。
幼いチャップリンは、帝国主義的なテーマに満ちたミュージックホールで修業し、街中が戦争を礼賛する言葉であふれているなかに生まれ育った。しかし、「偏執的愛国熱」なる虚しい観念に染まることなく、貧苦という現実とたたかった。そして、そのたたかいを支えたのは、舞台女優だった母がくれたユーモアに満ちた笑いと人間味あふれる愛の灯だった。この幼少時代の体験は、チャップリンの人生を貫く戦争観となる。
チャップリンはバイオリンを弾き、作曲もしていたのですね・・・。さすが天才です・・・。
ぜひ、この本を読んで、もう一回、チャップリン映画をみてみましょう。
(2017年4月刊。920円+税)

2017年7月23日

アガサ・クリスティーの大英帝国

(霧山昴)
著者 東 秀紀 、 出版 筑摩選書

アガサ・クリスティーの推理小説は、私も何冊か読んでいます。読むたびに、そのトリックと推理の見事さに驚嘆したものです。
アガサ・クリスティーを、観光ミステリ作家と形容する人がいるそうです。なるほど、「オリエント急行殺人事件」など、観光地を舞台としていますよね。アガサ・クリスティーの2番目の夫は考古学者で、オリエントの発掘現場にも行っていたそうです。その体験が本に生かされています。
日本で観光ミステリ作家と呼べれる一人に松本清張のミステリがある。あれほど登場人物たちに日本各地を出張の形で回らせなければ、戦後日本を代表するベストセラーにはならなかったのではないか・・・。多くの読者が、小説を読んで旅への願望を紛らわせ、出張の際に各所に立ち寄っていた当時の日本人をあわわしている。
松本清張の本のなかに、南フランスの「レ・ボー」という村を舞台とするものがあります。私も、タクシーに乗って出かけました。列車の駅から遠く離れているところですので、レンタカーを借りるか、タクシーに乗らなければいけないのです(もちろん、ツアーに加わればいいのですが・・・)。岩だらけのアメリカの西部劇映画に出てくるような村でした。
アガサ・クリスティーの描いた小説の舞台は、二つの大戦の間の束(つか)の間の平和。そして、その時期の大英帝国の栄華。
アガサ・クリスティーが前夫との離婚話の起きた1926年に失踪事件をひきおこしたということを初めて知りました。そして、本人は真相を死ぬまで明らかにしなかったというのです。よく出来たミステリーを考えた作家は、なんと自分の人生にもミステリーを秘めていたわけです。
1930年代に、アガサ・クリスティーは、毎年2作のペースでミステリを世の中に送り出した。1年に5作という年もあります。驚くべき多作です。私が読んでない本がこんなにたくさんあるかと思うと、ぞっとしてしまいました。
ヒトラーが登場してくる本もあるようです。その本のなかで、ヒトラーは、当時のイギリス人の多くが望んでいたように、平和を望んで引退するというのです。まさしくチェンバレン首相と同じく、著者もヒトラーへの幻想に踊らされていたのですね。
アガサ・クリスティーのミステリー小説を改めて読んでみようという気にさせる本でした。
(2017年5月刊。1600円+税)

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