弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2023年7月 7日

江戸の借金

日本史(江戸)


(霧山昴)
著者 荒木 仁朗 、 出版 八木書店

 江戸時代、人々は借金するとき証文を書いていた(書かされていた)。もちろん口頭の貸借もあったが、返済が滞ると、文書にしていた。識字率の高い日本では江戸時代の農村でも借用証は普通に書かれていた。
江戸時代における農村の借金の大半は、もともと年貢を納められないことによって始まった。年貢未納が増えると口約束をして借金となり、それでも借金が増えると一筆を願って借用証を書く。この借用証が、さまざまな貸借条件を付けられ借金返済を促された。それでも返済できないときは、高額借金返済のために永代売渡証文を作成する。ただし、永代売渡証文を作成して土地所有権を手放したときでも、その土地は、土地売買金額さえ払えば取り戻すことが可能だった。
 永代売買は村落共同体の合意がないと成立しなかった。永代売買の実施は、村落共同体に管理されていた。
 現代日本人の感覚では、土地を売り渡してしまったら、その土地が売主のところに戻ってくるなど考えられもしません。ところが、土地は開発した地主と一体の関係にあるので、いずれ売主のところに戻ってきても不思議ではなかった。それは明治、大正そして戦後まで慣行として続いていた。売買も貸借も一時的なものだという思想が広範に受け入れられ、社会に根づいていた。
 この本によると、出挙(すいこ)は、とても合理的な金銭貸借だった。というのも、稲作の生産力は驚くほど高く、千倍もの富を生み出したから。また、古代の金銭貸借では、利息にも限度が定められていた。たとえば、最長1年につき、元本の半倍まで。(挙銭-あげせん-半倍法)。こうやって債務者の権利を保護していた。
中世の人々はおおらかで、借金できるのも一つのステータスだと考えていた。中世の貸付金利は月4~6%と高かった。
 徳政令は借金を帳消しにするものではあったが、その後の借金が出来なくなれば困るので、必ずしも好評ではなかった。人々は借金帳消しではなく、債務額の10分の1とか11分の1、あるいは3分の1を支払って、貸主との関係を維持しておこうとした。
 「返り手形」というのは、永代売渡証文と別に永代買主が売主に対して売買対象地を受け戻すための証文だった。ただ、この返り手形には、その有効性を担保するため、名主など村の有力者が証人であることが必要だった。
 江戸時代の金銭貸借の実情そして、証文の文言の詳細を知ることのできる本です。
(2023年5月刊。8800円)

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