弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2023年5月23日

「秀吉を討て」

日本史(戦国)


(霧山昴)
著者 松尾 千歳 、 出版 新潮新書

 昔から「日本史、大好き」の私にとっても刺激的な話が盛りだくさんの本でした。
 話の焦点は薩摩と島津です。戦国時代、関ヶ原合戦のとき、西軍の薩摩・島津軍が敗色濃いなかを中央突破して辛じて逃げのびた話は有名です。そのとき、島津軍は、「捨て奸(がまり)」の戦法をとったとして有名です。これは、最後尾の部隊が本隊を逃すために踏みとどまって戦い、その部隊が全滅すると次の後方部隊が踏みとどまって死ぬまで続ける。これを繰り返して、殿のいる本隊を逃がすという戦法。
 しかし、著者は、実際には、そんな戦法はとっていない。一丸となって無我夢中で敵中に突っ込み、大勢の犠牲者を出しながらもなんとか東軍の追撃を振り切り、戦場を離脱した。これが真相だというのです。なるほど、そうかもしれないと私も思います。次々に後方に残る部隊をいったい、誰がいつ、どうやって組織した(できた)というのでしょうか。そんな余裕がこのときの島津軍にあったのでしょうか...。結果として、殿軍(しんがり)に立った将兵たちはいたでしょうが、それも時と地の関係で、そうなってしまっただけではないのか...、そう考えたほうがよさそうです。
 それはともかく、この本で提起されている最大の疑問は、関ヶ原合戦のあと、なぜ家康が西軍に属していた島津家をとんでもなく優遇したのか...、ということです。
 島津家は、事実上、処分を受けていない。そのうえ、藩主の忠恒に、「家」の字を与えて「家久」と改名させた。「家」の字を徳川将軍からもらったのは島津忠恒だけ。これは、大変に名誉なこと。さらに、家康は家久に琉球出兵を許可し、琉球国12万国を加増した。
 この本では、その理由は定かではないとしつつ、島津が明(中国)と太いパイプをもっていたことを家康は把握していて、海外交易に熱心な家康は、島津に頼るしかないと考えた。家康は明との国交回復を願っていた。
 家康が島津氏に琉球出兵を許したのは、明と太いパイプをもつ琉球王府を島津氏の支配下に入れ、勘合貿易の復活を実現させようとしたのではないか...。
 さて、「秀吉を討て」とは何のことでしょうか...。
 この本では、島津家は中国人の家臣や彼らと手を組む中国の「工作員」が接触していて、秀吉の意に反して朝鮮出兵からの撤兵をすすめていたということを指しています。それほど、島津家は中国側と深いつながりがあったというのです。すなわち、薩摩は、海洋国家、日本の中国大陸に向けた玄関口だったというのです。
 何ごとも、いろんな角度から物事を考察することが必要だということですね。勉強になりました。
(2022年8月刊。780円+税)

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