弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2023年2月14日

寒い国のラーゲリで父は死んだ

日本史(戦前)


(霧山昴)
著者 山本 顕一 、 出版 バジリコ

 映画『ラーゲリより愛を込めて』には本当に心うたれました。映画の主人公・山本幡男の息子たちが戦後の日本を母親とともにどう生きてきたのかを知りたくて読みました。
 山本幡男の遺書を同じラーゲリにいた仲間6人が完全に丸暗記して日本に帰り、家族に伝えるシーンは思い出すだけでも涙が出てきます。そして、その遺言の内容が、これまた泣かせます。
 「子どもたちへ、君たちに会えずに死ぬことが一番悲しい。成長した姿を写真ではなく、実際に一目みたかった。.........きみたちは、どんなに辛い日があろうとも、人類の文化創造に参加し、人類の幸福を増進するという進歩的な理想を忘れてはならぬ。偏頗で驕傲な思想に迷ってはならぬ。どこまでも真面目な、人道にもとづく自由、博愛、幸福、正義の道を進んでくれ」
 「4人の子どもたちよ、お互いに団結し、協力せよ。とくに顕一は、一番才能に恵まれているから、長男ではあるし、3人の弟妹をよく指導してくれよ」
 この本の著者は、その長男です。山本幡男がシベリア送りになったとき10歳。戦後、島根県の松江高校に入り、島根県一番の成績で東大に入り、フランス文学を学びます。渡辺一夫という高名なフランス文学者に師事し、立教大学で教授として学生を教えます。ですから、客観的には父の遺書にあった「人類の文化創造に参加し」ているのですが、著者本人は、父の遺言を果たせなかったかのような思いです。
 二男は東京芸大の建築科に入り、今も新建築家集団の代表として活躍しているとのこと。
 三男は2浪して東大の経済学部に入り、大学院まで行ったものの、精神的な病いをかかえ、大学講師で人生を終えた。
 著者と同じときの東大仏文科には、私も名前を知る人が何人もいます。まず何より、大江健三郎です。そして、高畑勲の名前があって驚きます。小中陽太郎や蓮実重彦も同じころのメンバーです。
 父の山本幡男は、少年の著者にとって「まったく恐ろしい存在」、「父が家にいるだけで、絶えず緊張でビクビクしていた」。
 1940年当時、32歳の若さで父は満鉄社員として、妻子をかかえるほか、母親と妹2人も同居して生活の面倒をみていた。
 東京外国語大学の学生のとき、3.15で共産主義者として逮捕されて大学を中退して満州に渡り、満鉄調査部で働いていた父は、酒が入って酔いが悪く回ると、大声で軍部の悪口を言って、家族を心配させた。
 家の中に神棚はないし、日の丸を掲揚することもなかったので、子どもたちを困惑させた。
 そして、ついには包丁の刃を小学生である著者の首に押し当てた。いやあ、たしかに、これは怖いですね...。
 山本幡男がソ連に抑留されて生きていることが初めて日本の家族に知らされたのは1947年の暮れのこと。翌1948年11月にもシベリアから帰ってきた人が生存を知らせてくれた。
 そして、1952年11月に4ヶ月かかって手紙(往復葉書)が届いた。1953年5月からは1ヶ月に1回、往復葉書が届くようになった。ついに1955年4月、帰国の知らせがあったかと思うと、実は、1954年8月に死亡していたという電報が届いた。
 著者の母モジミは1992年10月に83歳で死亡。
 立派な父をもち、すばらしい遺書を前にして、子どもとして生きることの重圧がひしひしと伝わってくる本でもありました。
(2022年12月刊。税込1980円)

  • URL

カテゴリー

Backnumber

最近のエントリー