弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2022年12月14日

日本商人の源流

日本史(中世)


(霧山昴)
著者 佐々木 銀弥 、 出版 ちくま学芸文庫

 1981年に初版が出た本が文庫の形で再刊されました。類書が少ないからのようです。
 店(見世。みせ)、行商、市場、相場、為替、切手など、商取引に関わる基本的な用語は中世を初見年代とするものが多い。商人という言葉自体も、中世に入って国内の商人をさす語として急速に一般化し、定着したとのこと。なので、日本商人の源流は中世に求められる。
 博多は、かつて大宰府の外港として、鴻臚(こうろ)館を中心とした使節送迎、貿易の歴史をもっていた。中世に入っても、朝鮮半島そして大陸との貿易の拠点として繁栄を続けた。
 宋から帰化した多くの商人が住み、日宗通交にともなう禅僧の渡来によって、多くの禅寺が建立された。そして、その関係の禅僧たちが続々と朝鮮におもむいた。
 15世紀、博多の商人。宋金一行は、瀬戸内海で海賊に襲われたとき、東賊なるもの一人を七貫文の身代金で買って、自分たちの船に乗せ、西賊の襲撃を免れた。
 京都などの都市で土倉(どそう)と酒屋は、もっとも裕福な、いわゆる有徳人層を形成している。
 酒屋は、自分で醸造した酒を直接その店頭で売り出していた。
 当時の酒屋は都市を問わず、もっとも担税能力のある富裕にして、都市商人の中心をなす有力商人が多く、いわゆる有徳人層の中心的な存在をなしていた。
 16世紀の天文年間には、洛中に六人百姓塩座があって、専売権を行使していた。そのうちの一人が塩座の権利を娘に譲って営業させていると、他の座衆から、この譲渡は座衆の承認を得ていない非法行為なので無効だと幕府に訴え出た。座が合議制にもとづいて運営されていたことが分かる。
 私が小学1年生のとき、父が47歳で脱サラを図って、小売酒屋を始めました。サラリーマンの給料では5人の子どもを大学にやるのは難しいからということです。それまで、小さな企業体の専務をしていた父は、小売酒屋の主人になっても客に「いっらっしゃい」と頭をさげることができませんでした。子どもながら、ちゃんと客に頭を下げて「いらっしゃい」と言って迎えたらいいのになと私は見ていました。父は、少なくとも初めのうちは、焼酎を立ち飲みするような、一部の客を見下していたのではなかったかと思います。
 私の姉たちはサラリーマン家庭の娘として育ちましたが、私は小売商人の息子として育ったので、ほんの少しだけ感覚が違います。この感覚の違いは私が弁護士になってから役に立っていると私は考えています。やはり、商人の感覚というものがあるのだと私は実感しているのです。
(2022年6月刊。税込1210円)

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