弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2022年10月 7日

お白州から見る江戸時代

日本史(江戸)


(霧山昴)
著者 尾脇 秀和 、 出版 NHK出版新書

 お白州(しらす)とは...、江戸時代のお裁きの場、いわば法廷のようなもの。ここで、法廷と断言せず、「ような」としているところに本書のミソがあります。
 実際のお白州は舞台とは違って「法廷」ではない。その構造、用途、本質、みんな現代日本の「法廷」とは異なる。江戸時代独特の何か、なのだ。
 江戸時代の裁判には出入物(でいりもの。出入筋)と吟味物(ぎんみもの。吟味筋)という二つの区別がある。出入物とは、原告による訴状の提出に始まる裁判で、「公事訴訟」のこと。原告を「訴訟人」といい、被告は「相手」、「相手方」といった。原被は、必ず、それぞれの所属する町や村の名主・家主・五人組らの同伴が必要条件で、彼らを「差添人(さしぞえにん)」と言った。江戸時代の公事訴訟は、必ず所属集団の承認や同伴を要し、個人の行為としては原則として行えないことになっている。
 出入物は、当事者間の示談、つまり「内済(ないさい)」の成立を第一の目的とした。内済不調のとき、奉行が御白州で判決(「裁許(さいきょ)」)を下すことはあったが、それは「百に一つ」と言われたほど少なかった。奉行は、お白州に最初と最後の2回だけだが、必ず登場した。
 吟味物は、訴状がなくても、公儀が必要と判断したときに始まる。
 訴状を出すと出入物として始まるが、内容次第では、吟味物に切り替えてすすめられることもあった。すなわち、「民事」と「刑事」という裁判の区分は近代以降のもので、江戸時代にはない。
 吟味物の判決は「落着(らくちゃく)」と呼ばれる。死罪のときに限って、下役が牢屋敷に出向いて本人に申し渡した。
 江戸時代のお白州とは、治者である公儀が被治者である庶民と公式に対面し、公儀による正当な判断を示す場所だと位置づけられた。
 奉行は、御白州にのぞむ段に居て、裁かれる者が入ってくるのを待った。
 裁かれる者が座る場所には、白い「小砂利」が敷かれた。この砂利の上に筵(むしろ)を敷くことはなかった。
 奉行所の門の中に入ると、必ず裸足(はだし)になっていた。
 砂利の席は、役人からみて、右が原告(訴訟人)、左の方が相手(被告)と決まっていた。
 公事訴訟が盛んになり、待合室(腰掛け)にお酒をもってくる者まであらわれた。
 18世紀初頭、御白州は、かつてない「活況」を生みつつあった。
 問題となったのは、御白州に、誰とどういう順席ですわらせるか...というもの。帯刀する身分でも、下級武士とされる徒士(かち)には、砂利が敷かれた。
 「熨斗目(のしめ)」とは、腰まわりに腰と袖下とに縞や格子の模様を緒りだしたもの。
 その犯罪が武士だったころの行為なら、士分の犯罪の勝負として厳罰にさらされた。
 江戸時代のお白州における「お裁き」は、治者による被治者への恩恵であり、権利という発想はまったくなかった。そして、お白州のどこに、どんな服装で座るのかは、本人にとって、その属する身分のもつ意味を具体的に示すものとして、大きな意味があった。このとき、先例は絶えず参照された。
明治5年10月10日、御白州に出廷する者への座席の区別は完全に撤廃された。
 こんな状況を、こと細かく調べ上げた新書です。いろいろ勉強になりました。
(2022年6月刊。税込1078円)

  • URL

カテゴリー

Backnumber

最近のエントリー