弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2022年5月 1日

江戸のお勘定

日本史(江戸)


(霧山昴)
著者 大石 学 、 出版 MdN新書

江戸時代の人々のお金をめぐる話がたくさん紹介されています。知らないことがたくありました。
切米(きりまい)は、いわば現物支給の給料。春(2月)、夏(5月)、秋(10月)の3回、4分の1、4分の1、2分の1の割合で支給された。お米は食べるためだけでなく、売却して現金を得るためのものでもあった。旗本の56%、御家人の87%が、この切米取だった。
切米取の下が扶持取(ふちどり)。男性は1日玄米5合食べるとして、毎月人数分の扶持米が給付された。扶持取の下に給金取という最下級の武士がいる。3両1人扶持が与えられたことから「三一侍(さんぴんざむらい)」と呼んだ。
芝居に出演する人気役者は高給取りで、大坂の女形(おんながた)の芳沢あやめは千両(1億2千万円)だった。市川團十郎など、千両をこえる役者が何人もいた。この給金は一度には支払われず、年3回に分けて渡された。
幕府は役者の給金を最高5百両(6千万円)とするように指示したが、守られなかった。
寺子屋の入学金(束脩。そくしゅう)は1朱(7500円)か2朱(1万5千円)。大きな商家は1分(3万円)をもたせることもあった。月謝は200文(6千円)くらい。
授業は朝の五ツ(8時ころ)に始まり、昼の八ツ(2時ころ)まで。授業の中心は読み書きが中心で、算盤(そろばん)もあった。寺子屋では一人ひとりのスピードにあわせて進むので、落ちこぼれはなく、卒業も本人の都合により、何年間という定めはなかった。
江戸の人々は、大量の白米を食べたので、脚気(かっけ)が多かった。ビタミンB1を含む米ぬかを落としてしまうから。また、江戸時代には新米は人気がなかった。古米だと水を吸って、かさが増えるので、これをお得(オトク)と受けとめる人が多かったから。
かけそばは、そばを鉢に入れて汁をかけたもの。盛りそばは小さなせいろに盛って、そうめんのように食べた。
にぎり寿司は、初めは屋台で食べられていて、現在の寿司の2倍から3倍は大きかった。マグロの大トロは江戸の人々の口に合わず、捨てられていた。
豆腐は超高級品だった。1丁が56文(1680円)から60文(1800円)もした。
江戸の町では、朝一番に納豆を売りに来た。
卵は、生卵もゆで卵も1つ20文(600円)で、庶民には、なかなか買えない高級品だった。卵を食べると悪いことが起きるとか、地獄に落ちるという人がいたけれど、値段がそれほど高くないことから、大いに売れた。
半畳(はんじょう)を入れるというのは、非難や野次ること。芝居見物のとき、半畳の敷物を観客が不満なときに舞台に投げ入れたことからきている。
相撲が土俵でたたかわれたのは元禄のころ。それまでは、相手を倒すまで勝負が続けられた。
武士でない人がお金を出して武士になった人を「金上侍(かねあげざむらい)」と呼んだ。農民は50両(600万円)で名字帯刀が許され、250両(3千万円)で武士になれた。1000両もあれば、大番組という役職につけた。藩財政の足しになった。
いやあ、世の中は知らないことだらけですね...。でも、それがあるので、みんな学問するし、楽しいんですよね...。
(2021年8月刊。税込891円)

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