弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2022年4月29日

幕末の漂流者・庄蔵

日本史(江戸)


(霧山昴)
著者 岩岡 中正 、 出版 弦書房

幕末のころ、開国・通商を求めるアメリカ船モリソン号が幕府の「打払令」によって浦賀沖と薩摩で砲撃されて上陸を断念したというのは私も知っていました。天保8(1837)年のことです。
この本によると、このモリソン号には熊本・川尻出身の原田庄蔵が乗っていたのでした。庄蔵は26歳のとき大嵐で遭難してフィリピンに流れつき、そこから中国マカオに送られ、日本へ帰国しようとして砲撃されて断念したのでした。
このモリソン号には、尾張の音吉らをふくめて日本人が7人乗っていました。
日本に帰国できなかった庄蔵はマカオに戻り、あとでペリー提督の日本語公式通訳をつとめるアメリカ人宣教師S.W.ウィリアムズに日本語を教えた。さらに、聖書「マタイ伝」の初めての邦訳に協力している。
庄蔵が故郷の父宛に書いた手紙は、2年半後に家族に届いて、この本でも紹介されている。その後、庄蔵は香港に移住し、アメリカから来た女性と結婚し、洗濯屋・仕立屋として成功し、ゴールドラッシュにわくカリフォルニア州に苦力(クーリー)10人を連れていっている。
尾張の山本音吉の活躍については、『にっぽん音吉漂流記』(春名徹)がある。
庄蔵に知性教養と指導力があったことは間違いない。過酷な運命との出会いで、現実に身を処す合理主義的思考をもった人だと著者はみている。
宣教師ウィリアムズは庄蔵や音吉たちについて、次のように書いている。
「彼らは扱いにくい人たち。母国を深く愛していて、思いがけず国外追放者の立場になった事態をどうにも受け入れようとしない。でも、今では、この立場を最善にいかそうとしている。もはや日本に帰国する一切のチャンスがなくなってしまったという現状を理解し、自分たちなりに有用な人間になりたい一心でいる」
庄蔵自身は日本に帰国することができなかったが、写本の「マタイ伝」は誰かの手を経て、ついに日本に帰国した。
庄蔵は香港で仕立屋として成功し、3階建ての家を建て、アメリカ人の妻と男の子が1人いた。そして、日本人漂流者を日本に帰すことに尽力した。
庄蔵が聖書の翻訳に協力したということは、それだけの知的レベルにあったということ。
幕末の川尻には寺子屋が多くあったことも紹介されています。
幕末のころの日本人の知的レベルの高さを、証明する一つだと思いながら、漂流民の果たした役割の大きさに思い至りました。
著者は私と同じ団塊世代の学者であり、俳人です。早くロシアの侵略戦争とコロナ禍がおさまってほしいものですよね。
(2022年1月刊。税込1650円)

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