弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2022年2月13日

明治の説得王・末松謙澄

明治


(霧山昴)
著者 山口 謡司 、 出版 インターナショナル新書

福岡県行橋市に生まれた(1855年)末松謙澄(けんちょう)という人物を初めて認識しました。西郷隆盛への山縣有朋からの降伏勧告状、大日本帝国憲法、下関条約の締結文(草案)を起案した人です。1920(大正9)年、スペイン風邪のため66歳で亡くなりました。
英・仏・独語に通じていた。格好にまったく気をつかわず、どんなことがあっても人に嫌な思いをさせることのない自然児のような謙澄は、人を惹きつけてやまなかった。
謙澄は若いころイギリスのケンブリッジ大学で学んだ。イギリスに8年いて、ケンブリッジ大学を卒業し、32歳で日本に戻った。
謙澄は24歳のとき、英国公使館付一等書記見習としてイギリスに留学した。
謙澄は28歳のとき、『源氏物語』の英訳本を出版した。これはすごいことですよね...。
謙澄は、乱を起こした大塩平八郎を、全国民の思いを代弁するヒーローとして、もっともふさわしい人物だと考えた。
謙澄は学者の道を選ばなかった。その最大の理由は、伊藤博文の娘と結婚したことにある。末松謙澄の妻は伊藤博文の次女(生子)。
謙澄は、説得術の天賦があった。そして、それを磨くことに余念がなかった。
謙澄は、衆議院議員になったあと、法制局長官、内閣恩給局長、逓信大臣、内務大臣、枢密院顧問官など政治の世界でも要職を歴任した。
いやあ、すごい政治家だったのですね、ちっとも知りませんでした。まあ、知らないことが山ほどあることを自覚することが私の思考力を鍛える原動力です。
(2021年6月刊。税込968円)

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