弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2023年1月28日

安倍・清原氏の巨大城柵

日本史(中世)


(霧山昴)
著者 浅利 英克 ・ 島田 祐悦 、 出版 吉川弘文館

 奥州藤原氏は、藤原氏と名乗ってはいるものの、京都の藤原氏とは縁のない、蝦夷(えみし)の血筋を引く在地豪族とされることが多かった。
 しかし、今では、安倍氏も清原氏も、父系出自は、中央氏族にあるとされている。つまり、安倍・清原氏は、安倍朝臣(あそん)、清原真人(まひと)氏に父系出自をもち、蝦夷系の血統を引く現地豪族に母系出自をもつ、「両属的」な氏族だった。
 平安時代、陸奥(むつ)国には、奥六郡と呼ばれた地があった。奥六郡とは、阿弖流為(あてるい)ら蝦夷(えみし)と呼ばれた人々と中央政府(ヤマト政権)との戦いのあとに、中央政府が支配するために置かれた郡。
 奥六郡を管轄していた胆沢城は、中央政府(ヤマト政権)が律令国家として統一を目ざすにあたり、延暦21(802)年に坂上田村麻呂によって、造営された。
 私は阿弖流為なる蝦夷の大将がいたことを少し前まで知りませんでした。その活躍ぶりを初めて知ったのは、高橋克彦の『火怨(かえん)』(講談社)でした(2000年2月)。そして、熊谷達也の『まほろばの疾風(かぜ)』(集英社)を同年9月に読み、久慈力の『蝦夷・アテルイの戦い』(批評社)を2002年9月に、さらに、樋口知恵の『阿弖流為』(ミネルヴァ書房)を2014年1月に読みました。いやあ、すごい人がいたものです。驚嘆しました。
 結局、アテルイは戦いに敗れ、京都に連行され、そこで処刑されてしまうのですが、東北の人々の不屈の意思はきっちり表明したのです。まだ読んでいない人には、一読を強くおすすめします。昔から日本人が長いものには巻かれろというのではなかったことを、現代に生きる私たちは学ぶべきだと思います。
 この本では、アテルイについて、「大墓公(たいものきみ)阿弖流為」と表記されています。
 安倍氏の出自としては、安倍頼良(頼時)は、五位の位階があった、れっきとした中央の官人だった、とされています。清原氏のほうは、都の清原氏が出羽国の有力氏族と婚姻関係を結ぶことによって清原氏が成長・成立していったと推測されています。
 この本は、巨大な城柵を現地の写真と図解で紹介していますので、イメージがつかめます。
 出羽国の古代城柵にはなく、清原氏の館(城・柵)にあるのは、四面廂(ひさし)建物、土塁と堀、段状、地形。
 東北の陸奥国で栄えた奥州藤原氏の前に存在した安倍・清原氏の巨大城柵を現地の写真とともに紹介している本です。
(2022年7月刊。税込2640円)

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