弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2022年1月25日

「太平洋の巨鷲」山本五十六

日本史(戦前)


(霧山昴)
著者 大木 毅 、 出版 角川新書

父親が56歳のときにさずかった子なので、五十六(いそろく)と名付けた。
なーんだ、そういうことだったのか...。
「五十六少年は、おとなしくて、本当に黙りっ子だった」
言葉を尽くすのを億劫(おっくう)がる人物だった。話が通じないと思った相手には、言わなければならないことまでも言わないと評された。そして、本人は、この「沈黙」をある種の知恵と考えていたようだ。でも、これって、部下は困りますよね。
1919(大正8)年4月、山本はアメリカ駐在を命じられた。アメリカ駐在中に、山本は航空機の威力に注目した。そして、アメリカの巨大な石油施設を眼にしてアメリカの力を実感しただろう。山本は、大艦巨砲主義から航空主兵論に乗りかえた。そして、山本は、自ら飛行機の操縦を習得した。山本は航空本部長となり、航空機産業の調整に努力し、大量生産体制を整えるのに奮闘した。ただ、山本は先見的な航空主兵論を力説しながらも、それは不徹底だった。
北支事変、日華事変、支那事変と日本が呼んだのは、アメリカとの関係で「戦争」と呼べなかったということ。アメリカは1935年に中立法を制定していて、戦争していると大統領が認定した国に対しては、兵器や軍需物資の輸出を禁じていた。なので、もし、日本が中国に宣戦布告し、国際法上の戦争をはじめてしまえば、日本はアメリカから石油や鉄を輸入できなくなってしまう。
南京への無差別爆撃は日本軍が世界史上初めてなした蛮行だとされているが、これは山本の発案によるものという有力説がある。山本は、このとき海軍次官の中将だった。大都市への無差別爆撃は、そこに住む住民を恐怖のドン底に陥れて戦意を喪失させることを狙ったもの。しかし、現実は、身内を殺された人々は、戦意喪失どころか、ますます戦意を高揚させた。
これはヨーロッパでも同じ。ドイツのロケット攻撃を受けたロンドン市民、イギリス軍による無差別攻撃にさらされたドイツの都市住民はますます戦意を高揚させた。日本の本土大空襲を指揮したアメリカ軍のカーチス・ルメイ将軍も同じように間違った執念の持ち主でした。
山本は、日独同盟に強く反対していた。それは、アメリカとの戦争につながりかねないとの判断からだった。
1940年9月の時点で、山本は対アメリカ戦で勝算がない、自信のもてる軍備ができるはずがないと考えていた。真珠湾攻撃において第二撃を断念するのもやむなしと山本たちは判断していた。燃料も爆撃も欠如していた。
山本は1943年4月18日、搭乗していた一式陸攻機が、日本の暗号を解読していたアメリカ軍の戦闘機によって撃墜されて死亡した。要は、アメリカ軍は日本軍の暗号を全部解読していて、日本軍の行動をすべて認識し、予想していたということです。これは科学・技術の発達をアメリカ軍は取り入れていたこと、日本軍は相変わらず古臭い精神主義にとらわれていたことを意味しています。皇軍の優位性を今なお誇大妄想的に言いつのる一部の日本人は、この客観的事実に目をつぶって、自己満足しているにすぎません。
(2021年8月刊。税込1012円)

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