弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2022年1月11日

ぼくの昆虫学の先生たちへ

生物(昆虫)


(霧山昴)
著者 今福 龍太 、 出版 筑摩書房

本の初めにカラー図版があります。写真だと思うと、そうではなく、著者が描いた昆虫の画(絵)でした。すごいです。写真より、はっきりしています。よく分かります。
「少年!」という響きが好きだ。いくつになっても...。誰でも少年に還(かえ)ることができる。自らの内にある少年を引っぱりだし、対話するためには、一つの隠された秘密のスイッチを入れる必要がある。
どんなスイッチなんでしょうかね...。私にとって昆虫と少年というのは、小学校低学年のころの記憶です。夏休みになると、ひとりで少し遠くのため池にザリガニ釣りに行っていました。トンボが飛んでいました。シオカラトンボ、ギンヤンマそしてオニヤンマです。トンボ捕りは難しくて、うまくいきませんでした。セミ捕りは簡単すぎて、あまり面白くありませんでした。わが家の前にある工業高校の広い校庭には雑草の生い茂る野原があり、そこには子どもたちの秘密基地をつくることができました。背の高いカヤに囲まれて、発見しにくい隠れ家でした。池にカエルたちがいて、ワラのストローをお尻に突き刺して思い切り息を吹き込み、カエルの腹をパンパンにふくらませて池に投げ込むと、カエルは腹を上にして水面でアップアップしていました。子どもたちの残酷な遊びです。ザリガニ釣りのときには、小さなカエルを捕まえると、地面に叩きつけ、両脚を割りさいて、その片方に糸をつけてザリガニ釣りをするのです。これが一番よく釣れました。まったく子どもは残酷です。カエルを殺すことに、まったく何のためらいもありませんでした。
小学生の頭は、とても単純だった。これは著者のコトバですが、まったくそのとおりです。何の疑いもなく、自分のために世の中すべてが動いていると考えていました。
著者の手本は熊田地下慕(ちかぼ)先生。私も、この熊田先生の絵に接して、その細密画というか、緻密で精確な昆虫の絵に接して驚嘆したことを覚えています。
蝶は音を出す。仲間に、その音を聴かせている。それを聞き分ける繊細な耳も持っているということ。
『どくとるマンボウ昆虫記』に、トンボがいたら、子どもたちは、追いかける。それが子どもであり、残された最後の本能というものだ、という文章があるとのこと。まったく、そのとおりですよね...。
トンボを見て、すぐにアミを持って追いかけようと思わなかったら、子どもではありません。なので、大人になってもアミを持ってトンボを追いかけようとする人がいて、何も不思議ではないのです。
それにしても、チョウ(キアゲハ)の幼虫を飼うため、スーパーのパセリを買って与えたところ、まもなく死んでしまったという話はショックでした。その原因は残留農薬のせいでした。いやあ、これって、恐ろしいことですよね...。
昆虫採集に没頭するのは、一人きりになりたいという激しい願望があったことにもある。ひとたび野原に出たら、蝶と自分とのあいだの関係は、誰も入り込むことはできない。昆虫採集は、原理的に、たった一人でしか成り立たない行為。つまり、それは豊かな孤独を条件として成立するもの、孤独を求める者こそが昆虫の世界に自然と引き寄せられてしまうのではないか...。
なーるほど、きっとそういうことなんでしょうね。だって、自然豊かな山林や山里って、蛇はいるし、クマもいて、蚊やブヨなど、不快いさせるものが周囲をぎっしり取り囲んでいるから...。それでも、みんな昆虫を求めて自然に入り込むのですよね...。大変勉強になりました。
(2021年7月刊。税込1870円)

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