弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2022年1月 5日

彭明敏

台湾


(霧山昴)
著者 近藤 伸二 、 出版 白水社

蒋介石と闘った台湾人というサブタイトルがついています。
失礼ながら、私は、彭明敏という人を知りませんでした。台湾政府のトップになった李登輝と同じ年に生まれ、彭は東京帝国大学、李は京都帝国大学に学び、いずれも日本敗戦後に台湾に戻って台湾大学に編入します。
彭は国際的に名の知れた法学者となったが、李が国民党政権の内部に入って出世し、ついにトップにのぼりつめたのとは対照的に、彭のほうは国民党の独裁体制を厳しく批判し、ついに反乱罪容疑で逮捕された。特赦を受けて自宅に戻ってからも軟禁生活が続いたが、厳重な監視の目をかいくぐって1970年に海外へ脱出し、長くアメリカで台湾の民主化を独立運動にうち込んだ。
そして、ようやく1992年に、22年ぶりに台湾に帰国し、4年後、初めての総統直接選挙で民進党の候補者として国民党現職の李登輝とたたかい、一敗地にまみれた。
この本は、彭への膨大なインタビューをもとにしたもので、1970年の海外脱出の実情が語られていて興味をひきます。
自宅軟禁のとき、24時間体制の監視は三交代制だったが、深夜から早朝にかけては監視員が現場を離れることが多かった。共同通信の横堀洋一記者は、特務にチェックされることなく彭宅に入り込みインタビューした。脱出計画の資金200万円は、東京で病院を開設していた台湾人医師がカンパした。
当時のパスポートは、顔写真が直接印画されているものではなく、紙の写真を張りつけて上から割印を押すものなので、割印さえ偽造できれば、写真を貼り変えて完成する。彭の体型に近い日本人Aを見つけ、彭の変装した顔写真に似せたパスポートを取得する。
日本人A役の日本人を探すのに難航するかと心配していると、ちょうど、南米から帰国した日本人(阿部賢一)が事情を知って引き受けてくれた。海外旅行に慣れていて、勇気があって口が堅い人物にぴったりだった。
自宅にいる彭は、特務の目をくらますため、ひげを伸ばし放題にしたり、坊主頭にしたりと、次々に外見を変えた。
また、1ヶ月間は、日中は外出せず、家にこもった。
どうやって日本人Aが日本からもちこんだパスポートを彭に渡すのか、連絡のための暗号も12種類も用意した。
アメリカのアグニュー副大統領が台湾に来る日程にあわせたので、警備はそちらに関心が向いていた。左腕がない彭は、三角巾で左腕をつっているように見せかけた。
そして、香港行きの飛行機についに乗り込むことに成功した。失敗したときには闇に葬られる危険があったので、目撃者も同じ飛行機に乗っていた。
成功率は50%。失敗したら生命はないと彭は覚悟していた。
結局、彭の向かった先はスウェーデンでした。ベトナム反戦運動のなかで「べ平連」の人たちが脱走したアメリカ兵を贈り届けたのもスウェーデンでしたよね。
台湾当局は、彭が脱走してから3週間もそれを知らずに自宅の監視を続けていた。彭の脱出成功は国際的にビッグニュースとなり、台湾の国民政権は面目を失ってしまった。
彭の脱出については、アメリカのCIAが関与したという説が有力だったようですが、実際にはCIAの関与はなく、日本人をふくめてごく少数の有志による計画と実行だったのです。すごいことです。
それでも、彭は22年間のアメリカ滞在中、台湾当局によって暗殺される心配をしていたそうです。もちろん、これは現実的な危険でした。
台湾民主化運動において彭の果たした大きな役割の紹介は、申し訳ありませんが、割愛します。
(2021年5月刊。税込2750円)

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