弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2021年10月13日

ちえもん

江戸時代


(霧山昴)
著者 松尾 清貴 、 出版 小学館

この本の始まりと終わりはオランダ交易船の沈没、そしてその引き上げです。ときは1798(寛政10)年11月から翌年2月のこと。つまり、松平定信の寛政の改革のころの話です。
長崎・出島のオランダ商館を拠点とするオランダとの交易は、ひそかに密貿易(抜け荷)も横行していたようです。しかも、幕府の禁止をかいくぐって藩当局の黙認のもとに...。もちろん、見つかれば処刑されます。実際にも、見せしめのために処刑された商人や通詞(通訳)がいたようです。
オランダ交易船は、全長42メートル、幅11メートル、総積載高1万石、鋼鉄張り、大帆柱3本の巨大な船。海中に沈没してしまっているのではなく、座礁している。このオランダ交易船を地元の香焼(こうやぎ)島の島民とともに、引き上げる。その先頭に立ったのが山口県徳山湾に面した漁村で育った漁民だった。
村の青年は若衆宿に属する。そして、夜這いをかける。寝ている娘の枕元に忍び寄る。娘に誰何(すいか)され、拒絶されると、夜這いは中止。男は黙って帰り、その夜のことを忘れなければならない。それが宿の掟だ。強姦者は若衆宿からも村からも制裁を受け、ろくな人生を送れない。死ぬまで負の烙印を押される恐怖から、どんな乱暴者も夜這いの作法だけはかたくなに遵守した。
若衆組は、下から順に小若勢(わかぜ)、並若勢、大若勢、年寄若勢と格付けされ、年次ごとに昇進する。新入りの指導は並若勢の役目だ。新入りは小若勢ですらない。宿の上下関係は絶対で、年次の差は埋まらない。
官途成(かんとなり)。名を改めるとき、特別な儀式が催された。官途名、大夫、兵衛、左衛門、右衛門など昔は武家が名乗った官名を百姓が名乗る。それ自体は珍しいことではないが、それへの改名は段取りを踏まなければならない。神職から名を授かるのに、相応の寄進が求められた。なので、官途成ができるのは有力百姓に限られ、そして、たいては跡取り息子だけだった。
瀬戸内は廻船の通り道。北陸や山陰などの日本海側から出発した船は、赤間関(今の下関)を超えて瀬戸内に入り、さらに大坂へ出て太平洋沿岸を経由して江戸に向かった。西廻り航路と呼ばれる開運物流の主流の一つだった。
瀬戸内には、米を大坂や江戸に運ぶ米廻船だけでなく、木綿・油・しょう油などの日用品を運ぶ菱垣(ひがき)廻船や、上方の酒を諸国へ下らせる樽(たる)廻船も頻繁に往来した。
そして、これらの回船は、江戸、大坂の問屋どうしが組合仲間をつくり、扱う商品によって棲み分けした。
沈没して海中の泥に半ば埋まっているオランダ交易船の周囲に、幅2間(3.6メートル)の筏(いかだ)2組を並べた。大きな足場となる。この巨大筏を固定するための支柱を22本も用意した。また、筏の上に、50石、60石積みの漁船70艘を筏の上に引き上げ、網で結んだ。こうやって沈船の引き揚げについに成功したというわけです。
私には技術的に理解するのが困難ではありましたが、その大変な苦労は雰囲気として理解できました。
(2020年9月刊。税込2090円)

  • URL

カテゴリー

Backnumber

最近のエントリー