弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2007年8月27日

終生、ヒトのオスは飼わず

著者:米原万里、出版社:文藝春秋
 いかにも著者ごのみのタイトルです。実は、これは、自分で書いた死亡記事のタイトルでした。多くの著名人が自分の死亡記事を書いていて、文春文庫『私の死亡記事』になっています。それによると、著者は2025年に75歳で死んだことになっています。
 この本の大半は、雑誌『ドッグワールド』の2003年5月から2005年12月まで32回にわたって連載されたエッセイがおさめられています。要するに、著者の親愛なる家族たち(犬と猫のことです)の、大変でもあり、愛らしくもある行状記です。いやいや、ペットを飼うというのは大変なことだと思いました。
 猫にミドニングというのがあるのを初めて知りました。
 ミドニングとはトイレの場所を間違えたり、排便しそこねて外にしてしまうというものではなく、きわめてはっきりした行為である。猫はトイレ以外の特定の場所を選び、そこに糞を残すことによって、なわばりの占有・使用・通行などの権利を示そうとする。およそ、前から少し神経質だとか、気の弱い性質の猫が、何らかの大きな変化やチャレンジに遭遇したとき、こうなることが多い。
 著者は飼い猫(龍馬という名前です)をしっかり抱きしめ、そのストレスを軽減させることによって、その症状を半年で完治させたのです。獣医師は感嘆の声を上げました。うむむ、なるほど、ですね。
 著者のペットに対する愛情の深さを示すエピソードを紹介します。飼犬(ゲン)が落雷のあった日に家をとび出して行方不明になってしまいました。そのあと、著者はなんと1年にわたって、4日に一度、近くの動物管理事務所に電話を入れて確認したのです。犬はそこに保護されると5日目には薬殺処理へ回されてしまう。だから、その前日、4日目の午後4時から5時に、動物管理事務所に電話を入れる。それは、日本国内にいようと、アメリカにいたときも、チェコにいたときも、4日に一度の電話を欠かしたことはなかった。そして、それを1年も続けた、というのです。すごーい、頭が下がります。
 犬は、たしかに雷をひどく怖がります。私が子どものころ飼っていたスピッツ犬(ルミという名のオス犬で、座敷犬でした)は、雷鳴を聞くと、家中を走りまわったあげく、押し入れの奥に頭を突っこんで、全身をブルブル震わせていました。哀れなほどです。
 結局、ゲンは出てきませんでした。きっと、どこかの家で飼われたのだろうと思います。なかなか頭の良い犬だったようですから、おおいにありうることと思います。
 私が小学1年生のとき、我が家は大きな引っ越しをしました。同じ市内でしたが、トラックに乗って引っ越したのです。そして、その途中で、飼犬(ペット)がいなくなってしましました。泣き叫んで、親にバカバカ、どうして、どうして、と大声で抗議したことを今もはっきり覚えています。
 猫一般の常識がある。見知らぬ猫であれ、子猫には優しくすることになっているようだ。たとえば子猫が食べ終わってからでないと、大人猫は食べない。同居していた親しい仲間の猫が死んだとき、猫たちはいつもの夕食の催促をせず、ほとんど口をつけなかった。
 真夜中、死んだ猫の周囲にしっかり目を見開いて座り、まんじりともせず夜を明かした。
 ええーっ、これって、まさにお通夜の光景ではありませんか。驚いてしまいます。猫がお通夜をしてるなんて・・・。今では人間社会のお通夜はほとんど形式ばかりになってしまいましたのに・・・。
 共産党の高名な代議士(米原いたる)の長女として生まれた著者は、小学3年生のときチェコスロバキアに両親とともに渡ります。著者の年譜によると、チェコにいたのは5年間ほどのようです。私はもっと長くいたのかと思っていました。
 父の米原いたる代議士も語学の才能があったようです。英語、ドイツ語、フランス語、ロシア語ができたというのです。でしたら、著者の語学力は父親譲りの才能だったのでしょうね。
 何回も繰り返しますが、本当に惜しい人を早々と亡くしてしまいました。75歳まで生きて、大いに世間に対して毒舌もふるってほしかったと思います。残念でなりません。それにしても、ヒトのオスも飼っていてほしかったですね・・・。
 日曜日の朝、異変を感じました。妙に静かすぎるのです。蝉の声がまったくしません。うむむ、これは一体どうしたことだろう。わが家の庭木で鳴かないどころか、近隣でもまったく蝉が鳴いていません。夏の終わりを告げるツクツク法師もクマ蝉も鳴いていないのです。連日の猛暑のために蝉たちも一休みしているのでしょうか・・・。
 蝉の声といえば、10年以上前、南フランスで一夏を過ごしたことがあります。フランスの蝉の鳴き声はジジジジと、とても単調です。しかも、めったにいません。ですから、フランスの夏は、日本と違って基本的に静かです。ついフランスでの夏の朝まで連想してしまいました。また南フランス、プロヴァンスに行きたくなりました。そうなんです。すごく料理が美味しいんです。よーし、来夏は、行ってこようっと・・・。
(2007年5月刊。1381円+税)

2007年7月 9日

犬も平気でうそをつく?

著者:スタンレー・コレン、出版社:文春文庫
 犬の鼻は、よく見ると、こまかい畝ができている。この模様と鼻孔の輪郭で構成される鼻紋は、人間の指紋のように個体によって違い、一つとして同じものはない。
 犬は人間より積極的に臭いを集める。左右の鼻孔を別々に動かして、臭いがどの方向から来たかを探る。そして、一瞬、息をとめて臭いを嗅ぐ。犬の鼻がいつも冷たく濡れているのは、匂いの分子を集めやすくするため。鼻の中には、こまかい毛のようなものがあり、それが匂いの分子を鼻腔へと送りこむ。この毛状のものが溶けた匂いの分子を内側へ押していき、匂いを感じとる特別な細胞の近くに分子を集める。この仕組みを常に効果的にはたらかせるためには、大量の粘液が必要になる。
 人間の嗅細胞は500万個しかないが、ジャーマン・シェパードは2億2,500万個ももっている。最高はブラッドハウンドで3億個。だから、1グラムの酪酸を10階建のビルの中で蒸発させても犬は嗅ぎ分けることができる。
 これに反して、犬の視力は、最高で0.26しかない。犬は飼い主が動いているときは1.5キロ離れても見分けることができるが、動かないとわずか90メートルしか離れていなくても見分けられない。ただし、犬の視界は270度ある。
 犬は人間ほど味にこだわらない。犬の味蕾(みらい)は、人間の5分の1しかない。犬は塩分をほしがらないし、敏感でもない。それは肉食だから。肉にはナトリウムが含まれている。犬は慣れ親しんだ味より、新しい味を好む。新しいもの好きだ。
 犬のヒゲが切られると、犬は不安になり、ストレスを感じる。そして、自分の周囲を十分に感じとれなくなる。
 犬は、人間と違って痛みを表現せず、じっとガマンする。群れの仲間から襲われないためだ。だから犬が痛みをあらわすのは、身を守るためのガマンを限界を超えたということ。
 犬は抱かれることをいやがる。動きを制限され、拘束されたように感じるからだ。
 犬が生まれて3週目から12週目までの期間内に人間にふれあうことが大切で、それによって子犬は人間との関係に自信をもつ、知らない人を怖がらなくなる。生まれて8週間きょうだいと一緒に育った子犬に比べて、すぐに引き離された子犬は、相手を強くかんでしまう傾向がある。
 生後10週目までにまったく罰を受けずに育った子犬は、ほとんど訓練不可能な犬になる。犬に罰を正しく与えるのは、非常に難しい。不適切な懲罰は、犬に非常にマイナスの心理的影響を与え、飼い主と犬とのきずなを完全に壊してしまう。
 10歳以上の犬の62%に認知症の症状があると推定されている。認知症でない健康な老犬でも、加齢によって頭の働きは鈍ってくる。
 うちの犬は、自分を人間だと思っている。この考えは間違っている。犬は、私たち人間を犬だと思っている。二本足で歩く、妙な姿をした犬。犬的な行動に完全に反応できない、あまり頭の良くない犬。こう思っている。
 犬は人間について、擬犬化をしている。だからこそ、犬は、ほかの犬にするように人間に向かって尾をふり、前脚をのばして遊びに誘うおじぎをし、人間の匂いをかいでいるのだ。
 最後に、この本のタイトルにあるとおり、犬はほかの犬も人間に対してもうそをつくことができます。だますのもゲームのうちなんです。
 古くからの人間の良き友、犬についてまたまた認識を深めることのできる本でした。
 雨の少ない梅雨になりそうだというので、水不足の夏になるのかと心配していましたが、このところ大雨が降っています。蝉の鳴き声を7月2日に一度だけ聞きましたが、その後は、雨のため地上に出てこれないようです。実は鳴き声を聞く前、まだ雨の降らない6月末(6月30日だったと思います)に蝉の死骸が路上に落ちているのを早くも見つけ、えっ、今年は早いなあと思ったものでした。参院選も今週から始まります。世の中をいい方向に変えたいものですよね。

2007年4月27日

子犬のカイがやって来て

著者:清野恵理子、出版社:幻冬舎
 犬好きの人にはこたえられない本です。スソアキコの絵もまたいいんですよ。ワンちゃんが実に愛らしく生き生きしています。まさに、犬に笑い、犬に泣く本なのです。
 イギリスからラブラドールの子犬が届きます。ひょろっとしていて、お世辞にも可愛いと言えない妙なおっさん顔。目は小さい。たちまち寝息をたてる天使のようなカイ。
 ところが、初対面のカイが殊勝におとなしくしていたのは、長時間の空旅による疲労のせい。ぐっすり眠って、お腹いっぱい食べて元気を取り戻したカイのパワーは、予想をはるかに上まわった。
 まあ、その腕白ぶりをこれでもか、これでもかと紹介していくことになるわけですが、それがまた犬好きにはたまらないんですよね。たとえば。防犯システムの特別なリモコンを見つけてガシガシかじったばかりに、パトカー6台が出動する騒動を起こしてしまう。
 やんちゃ盛りの犬たちが日々繰り広げる悪戯に、ついついご近所に聞こえそうな大きな声も出す。そのたびにカイたちは、「大変なことをしてしまって、本当に申し訳ない」とばかりに、がっくりと首をうなだれ、殊勝な様子で尻尾を落とす。それでも、声を張り上げる飼い主の興奮がおさまるのを、しばらく我慢して待ちさえすれば、何事もなかったように甘えられることをちゃんと知っている。上目づかいで見つめられれば、それまですごい剣幕で叱っていた飼い主も、ついほっぺたが緩む。そうなると、カイたちの思うつぼ。あっという間に、ターボエンジン全開の腕白小僧に逆戻りしてしまう。
 犬も人間の幼児のように、特定の縫いぐるみを気にいることがあるというのに驚きました。熊の縫いぐるみに執心したワンちゃんがいたのです。
 著者は八ヶ岳のふもとに別荘をもち、冬と夏などを犬と一緒に過ごす。犬たちは生まれつき人間を友だちと思っているふしがあり、ためらうことなく体当たりで甘えてくる。
 犬種による性格の違いはたしかにある。柴犬やハスキーはシャイで、少しだけ距離をとってこちらを観察している。時折、気が向けば遠慮がちにやって来て、人間に背中を向けてお座りし、なでてと健気な様子で催促する。眠るのは、リビングのソファーや部屋の隅においた座布団の上で、あくまでも慎ましさを忘れない。
 しかし、「待て」をさせられていたレトリバー犬たちは、「よし」の号令で、ベッドに飛び乗ってくる。暗黙のポジション決めがなされているらしく、それぞれの定位置に落ち着くと、安心したように寝息をたてて眠る。掛け布団の上だから、40キロの体重の犬たちに囲まれて眠ると、からだ中に布を巻かれたミイラの状態で、寝苦しいことこの上ない。
 犬たちは言葉こそ話はしないが、目や尻尾、からだ全部をつかって饒舌に思いのたけを私たち人間に伝えようとする。なかでも目がすごい。私たちを信じきった無垢なまなざしに勝てる術はなく、いつだって勝利をおさめるのは、彼ら犬たちである。
 うーん、そうなんですよね。福岡の斉藤副会長も3歳のラブラドールを飼っていて、毎朝、早朝から海岸を散歩させているそうです。いいですよね。うらやましいです。

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