弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2006年5月31日

スターリングラード

著者:アントニー・ビーヴァー、出版社:朝日新聞社
 実にすさまじい戦場です。ヒトラーとスターリンの非情さが、これでもかこれでもかと繰り返し描かれています。それでも幸いなことにファシスト・ナチスは敗れてしまいました。また、暴虐・冷酷なスターリンの誤った作戦指導にもかかわらず、無数のロシア人が祖国ロシアに生命を捧げ、祖国を救いました。
 この本のすごいところは、スターリングラード戦に関わった将兵の日記や手紙を数多く紹介し、戦場の模様が刻明に再現されているところです。もちろん、参加者の戦後の回想録や手記からも引用されているのですが、ドイツ兵の手記や家族に宛てた手紙がソ連軍の手に落ち、記録庫に眠っていたものが日の目を見ているのです。捕虜の尋問記録も活用されています。ですから、当時の前線兵士たちの心理状況が手にとるように分かります。両軍とも、敵軍の内情を知るため、捕虜の尋問結果には相当の注意を払ったようです。
 スターリングラードでは、5万人をこえるソ連市民がナチスドイツ軍の軍服を着てソ連軍と戦った。むりやりというより、大半は志願者である。これは、今のロシアでもタブーとなっている。これは、それほどスターリンの懲罰部隊はひどかったということを意味している。最前線で少しでもドイツ軍への攻撃をためらうものは背後から射殺された。スターリンは臆病者はその場で射殺するという命令を発した。退却を許可した指揮官は階級章を剥奪され、懲罰中隊に入れられた。この懲罰中隊は、攻撃中の地雷撤去などの自殺行為に近い作業につかされる。42万人以上の赤軍兵士がこれで死んだ。臆病者・脱走兵を射殺するためNKVD特別局がつくられた。ドイツ軍兵士は、部下の命を実に粗末に扱う赤軍司令官の態度に絶えず驚かされた。
 スターリンの誤ちはあまりにも大きい。1941年6月、ヒトラーはソ連へ侵攻し、バルバロッサ作戦を始動させた。モスクワでは、スターリンが、それを知らせる緊急通知をすべて却下していた。「挑発」に乗ってはいけないと命令したのだ。ドイツ軍は、戦車3350両、野戦砲7000門、航空機2000機。そのうえ、フランス陸軍の車両をつかって輸送力を高めた。トラックの70%はフランスからもってきていた。また、60万頭の馬もつかった。
 ドイツ軍の侵攻から5日間で、30万人をこえるソ連赤軍兵士が包囲され、2500両の戦車が破壊・捕獲されてしまった。2000機の航空機も破壊された。
 スターリンの犯した誤りは大きかったが、その個人的名声は、一般大衆の政治的無知のおかげで助かった。スターリンのせいでソ連軍が敗れたとは思わなかったのだ。しかし、最初の3週間で、ソ連が失った戦車は3500両。航空機6000機、赤軍の兵士200万人。ドイツ軍の捕虜となったソ連赤軍兵士570万人のうち300万人が虐殺によってドイツの収容所で死んだ。アウシュビッツで1941年9月3日、600人のソ連軍捕虜がチクロンBをつかったガス室で殺された。最初の実験対象とされたのだ。
 ドイツ空軍による1942年8月のスターリングラード大空襲は、出撃回数1600回、投下した爆弾1000トン。損害は3機のみ。当時のスターリングラードの人口は60万人で、わずか1週間で4万人もの市民が殺された。
 反撃にうつったソ連軍は怒濤のごとくT34戦車と武器貸与政策によるアメリカの戦車をくり出した。アメリカ製の戦車は車高が高く、装甲板が薄いので、ドイツ軍から簡単に撃破された。ドイツ軍は戦闘中に3000人のスターリングラード市民を処刑し、6万人もの市民を強制労働につかせるためドイツ本国へ輸送した。
 ドイツ軍の第一線部隊には、その兵力の4分の1位以上にあたる5万人ものロシア補助兵がいた。その数は次第に増え、7万人にのぼるとみられている。ヒーヴィと呼ばれるドイツ軍に所属するロシア兵の多くは志願した地元住民や脱走した赤軍兵士たちで、ドイツ兵なみに厚遇された。
 映画「スターリングラード」に出てくる狙撃兵ザイツェフも紹介されています。ドイツ兵を149人も射殺したのですが、さらに224人殺した狙撃兵が別にいました。
 包囲されはじめたドイツ兵のうち、17歳から22歳という最年少の兵士がもっとも病気にかかりやすく、死者の55%を占めていた。太っていた兵士がやせた兵士より弱く、包囲戦のなかで、いち早く死んでいったことも明らかにされています。
 スターリンには、ヒトラーと違って、恥という観念がなかった。大失敗を犯したあと、いささかも取りすまさず、ジューコフの反撃作戦を承認した。
 ドイツが毎月500両の戦車を生産していたとき、ソ連は月平均2200両の戦車を生産した。航空機も、年に9600機から1万5800機に生産を増やした。ヒトラーは、このソ連の生産能力を信じることができなかった。ヒトラーがドイツ女性を工場で働かせるという考えを容認しなかったとき、ソ連では何万人もの女性が戦車の生産現場にいた。
 スターリンの反撃作戦は厳重に秘匿してすすめられた。100万を超える兵が前線に終結した。
 1942年11月。スターリングラードのドイツ軍はソ連赤軍によって包囲された。ヒトラーはそのニュースをドイツ国民に知らせないという厳しい指示を出した。しかし、ドイツ国民にはすぐにひそかに知れわたった。12月、スターリングラードに本格的な冬将軍が到来する。ドイツ軍は十分な冬支度ができていなかった。
 包囲されたドイツ第六軍は使者をヒトラーへ送った。軍部内の反ヒトラー運動への使者でもあった。ナチス・ドイツ軍のなかにも従来のドイツ軍の考え方に立ち、反ヒトラーの動きもあったことが分かります。これが後に、ヒトラー暗殺事件へつながっていきます。
 しかし、ヒトラーは第六軍の撤退も降伏も認めない。ヒトラーは、上級将校全員の集団自決を期待していた。ドイツ第六軍の指揮官パウルスは最後の瞬間に元帥へ昇進した。1943年1月31日、パウルスは降伏した。この時点でも、ドイツ軍に所属していた多くのヒーヴィ(ロシア人)はドイツ軍に忠実だった。
 ドイツ軍のパウルス元帥以下は、部下の将兵たちと異なり栄養状態も良く、そのまま特別待遇を受けた。スターリンは、将軍22人を含む9万1000人の捕虜を得た。
 スターリングラードでのドイツ軍壊滅のあと、ミュンヘンの学生グループが「白バラ」運動と呼ばれる抵抗運動をくり広げたが、すぐに逮捕され、ゾフィー・ショルと兄のハンスは死刑判決を受けて斬首された。
 ヒトラーは、スターリングラードの壊滅のあとは、テーブルについても以前のように長広告をふるわなくなり、一人で食事をするようになった。ひどく変わった。左手が震え、背中は曲がり、じっと凝視するが、飛び出した目には以前のような輝きはない。頬に赤い斑点が浮かんでいた。
 スターリングラードでの勝利で、ソ連の士気は大いに高まった。スターリンにはソ連元帥に任命された。1941年のスターリンによる惨禍は、あたかもスターリンがすべて考案した巧妙な計画の一部であるかに粉飾された。スターリンは、今や「ソ連人民の偉大なる指導者」「我らを勝利に導いた天才」とほめたたえられる存在になった。
 ドイツ将兵9万1000人の捕虜の半数は春を待たずに死亡した。
 ドイツ軍の死亡率にはきわだった違いがある。兵士と下士官の95%が戦死、下級将校の55%も戦死。ところが、上級将校の死亡率はたった5%。ええっ、信じられませんね。
 ロシア人にとってドイツとの戦争によって900万人に近い赤軍兵士が戦死し、
1800万人が負傷した。ドイツ軍の捕虜となった450万人の赤軍兵士のうち生還したのは180万人のみ。ソ連市民の死傷者は1800万人、ソ連の戦争犠牲者は2600万人をこえる。これはドイツのそれの5倍以上。
 1945年から、スターリングラードのドイツ兵捕虜3000人がソ連によって釈放されていった。最後は1955年9月。パウルスは1957年にドレスデンで死亡。
 実によく調べてある本です。読み終えると、精神的にぐったり疲れてしまいました。戦争の悲惨さ、馬鹿馬鹿しさが本当によく分かります。前線の兵士は自主的に考える力を奪われ、指揮官は自己の保身を真っ先に考える世界なのです。これは、軍隊については古今東西とこも変わらぬ真理です。前に紹介した「ベルリン」と同じ著者による本で、読みごたえがあります。私は3日間、もってまわって読み通しました。

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2006年5月30日

戦後裁判史断章

著者:竹澤哲夫、出版社光陽出版社
 著者は私の尊敬する弁護士の一人です。何度も講演をお聞きする機会がありましたが、いつも謙虚そのもので、真に才能があって、優れた実績のある人は違うなとそのたびに感服させられました。
 弁護士生活55年をふり返り、これだけの本が書けるというのは、本当にすごいことです。私も、これで弁護士生活は32年目になっていますが、質量ともに、著者の足もとにも及びません。
 まずは軍事裁判です。いま、裁判員裁判によって連日開廷が実現しそうになっていますが、終戦後のアメリカ軍による軍事裁判は週3日開廷、期日変更を許さない午前9時から午後3時までの審理でした。これは大変なことです。しかも被告人が18人(朝鮮人16人、日本人2人)もいたというのですから・・・。
 軍事裁判は警視庁の5階で開かれた。連合国の旗を背景とするものの、裁判官も検察官も警備のMPも制服の米軍人だった。布施辰治弁護士が審理の冒頭で、「少なくとも朝鮮へ行ってきた裁判官は朝鮮人を裁判する裁判所を構成する資格はない。裁判の公正を期するが故に質問する」と前置きし、5人の米軍人裁判官ひとりひとりに対して「朝鮮へ渡って戦争に参加したことはないか」と質問した。その結果、2人が朝鮮での戦闘参加を認めて裁判官席から去った。これは、朝鮮戦争のさなかのことであり、朝鮮人に対して米軍はあたかも捕虜に対するようなさっきがちらついていた状況下のこと。南への強制送還は死を意味していた。何か戦場の延長のような一面をもった雰囲気のなかでの布施弁護士の、何ものにも臆しない、道理をつくした申立に強い感銘を受けた。
 私は、この文章を読んで、本当に腰が抜けるほど驚いてしまいました。裁判官に向かって堂々と質問したこと、その結果、2人も裁判官が交代したなんて、とても信じられないことです。
 騒擾事件として有名な平(たいら)事件の場合は、1951年秋から、毎週月火の2開廷を3週間続けて1週休み、月に6開廷のペースで3年続けたそうです。被告人は、なんと150人あまり。一審判決は全員無罪となりましたが、控訴審は逆転有罪となり、上告審は弁論はあったものの、上告棄却の判決でした。
 平事件では、裁判所は平事件専門の部を構成しているから月8回開廷するという方針を変えようとしない。しかし、それでは被告人は生活ができない。裁判をそんなに頻繁に強行するのなら日当を出せと要求した。弁護人はそれはいくらなんでも・・・と絶句してしまう。
 生活が苦しくて法廷に出られないという被告の訴えは、結局、裁判における当事者の対等を奪い、それは裁判の公開をも奪う。だから、当事者の対等を維持して公正な裁判をするには、月8回開廷というのは裁判所が間違っているという主張なのだ。先輩の岡林・大塚弁護士から指摘された。
 裁判所もやがて徐々に被告らの真意や実態を理解するようになった。被告に日当を出せ、という切実な訴えは、裁判所が失対当局に裁判日当も日給を支給してほしいという行政的解決をもたらした。うーん、そんなこともあるんですね・・・。まったく考えられもしない発想です。
 法廷において、弁護士同士のあいだには、経歴の新旧、長幼序はない。弁護人として公判にのぞむからには、それぞれが被告に対し、大衆に対し、たたかいの全体に対して責任をもつとともに奮闘するのだ。個人プレーは無縁だ。
 著者はいくつもの再審無罪事件に深く関わっています。財田川事件というものがありました。そのなかに被告人の捜査段階の「自白」のなかに、「百円札80枚を逮捕されて押送途中に気づかれないようにポケットから取り出し自動車の外に投げ捨てた」というのがあったそうです。同乗警官が7人も8人もいるのに、札束を投げたのに気がつかなかったなんて、そんなバカな・・・、と思いました。でも、それで自白調書として堂々と通用していたというのですから、驚きです。
 刑事弁護人の心構えとして、著者は先輩弁護士の話を引いています。テクニック以前の問題として情熱だ。この被告人がもし自分の兄弟だったら、自分の子どもだったらと考える。そうすると、情熱が湧いてくる。なるほど、ですね・・・。
 徳島事件について、警察は一貫して外部犯行説であったのに、検察庁だけが妻であった冨士茂子さんを犯人として起訴した。実の娘も外部犯行説を裏づける証言をした。そして、母親とずっと一緒に生活していた。母親が「父親を殺した」のなら一緒に生活なんてできるはずがない。そして、その娘は、「私は裁判というもの信じていません」と証言し、再審には加わらなかった。徹底した裁判所不信を植えつけてしまった・・・。
 いろいろ本当に学ぶところの大きい本でした。多くの弁護士に読まれることを願います。

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2006年5月29日

生物時計はなぜリズムを刻むのか

著者:ラッセル・フォスター、出版社:日経BP社
 ヒトは、時計をもたずに暗い洞窟に入り、日光の届かない状態で数日過ごすと、遠い昔の生活パターンに戻る。時間を知る手がかりを失うと、ヒトのリズムは外界から徐々にずれていく。
 地球上の時間が体内の時間に正しく反映されるよう、生物時計は毎日の日の出と日没によってリセットされる。ちょうど、テレビやラジオの電波をつかって原子時計の正確な振動に腕時計をあわせるのと似ている。このたとえは、今や古くなってしまいました。私も、安い電子時計をもっています(もらいものです)。衛星から送られてくる電波によって、自動的に時刻を自分であわせる仕掛けになっています。
 機械式時計が地球上にあらわれたのは1300年ころのこと。花時計の方は1751年にできた。オニタビラコとタンポポの花が、毎日誤差30分以内の周期で開いたり閉じたりすることに目をつけて、オトギリソウ、マリーゴールド、スイレンなどを円形に植えてつくったもの。たとえば、ミモザも暗いところに置いても、その葉は、まるで昼夜が分かっているかのように周期的に開いたり、閉じたりする。
 ゴキブリも、暗いなかにおいても、およそ24時間ごとの2〜3時間に活動を集中させる。自分のなかで昼と夜を区別している。
 ハチの「8の字ダンス」は有名です。今ではハチの一匹一匹に小さなバーコードをつけ、巣箱を出入りしたらレーザースキャナーで個体を識別している。ええっ、そこまでしてるのかー・・・、おどろきました。探索バチが巣に戻る時間が夕方遅くなって、ほかのハチがもう出かけられないとき、どうするか。その日はダンスを踊らず、翌朝ダンスする。そして、距離を示す尻振り回数や太陽に対する方向を覚えていただけでなく、12時間の時間差まで正確に補正してみせた。なんという能力でしょうか・・・。
 ニワムシクイという鳥に、時間ごとにエサの置き場所を変えると、鳥は決まったパターンで飛んでいくようになった。では、この鳥を3時間エサ場に行かせなかったら、どうなるか。3時間後に放たれた鳥は、その時間にエサのある場所にまっすぐ飛んでいった。つまり、ニワムシクイは、3時間という時間をきちんと認識して、それにあわせて自分の飛行スケジュールを調整したのだ。うーむ、すごーい・・・。
 ヒトの体内では、1個1個の原子が1016ヘルツで振動している。
 17年セミがいる。このセミの幼虫で、15年間を地中で過ごした幼虫をとりだし、1年に2回花をつけるように操作した桃の木の根から栄養を取らせるようにした。すると、セミは1年早く地上に出てきた。セミは木の根から栄養を取りながら、木の生理学的な変化を感知し、年数をカウントしていることになる。でも、どうやって、カウントした数を覚えているのか、謎のままだ。
 砂漠のラクダはどうやって高温に耐えているか。ラクダの体温は昼は41度にもなるが、まだ死ぬほどではない。夜は、水分を失ったラクダの体温は34.2度まで下がる。これはヒトにとっては危険状態。しかし、ラクダにとって体を冷やしておけば、翌日、体温が高くなるまで長い時間かかるという利点がある。つまり、ラクダは、体を保護するため夜間の低体温症を利用しているということ。そうなんですか、すごい生物の仕掛けですよね。
 ヒトは基本的に昼行性動物である。ヒトは、本来、夜には活動しない。体のあらゆるリズムは24時間の昼行性リズムで動いており、短期間で夜行性のパターンに順応することはできない。午前3時に単独事故を起こす確率は、夜勤を4日続けると、50%上昇する。午前7時から8時には、さらに高くなる。
 チャレンジャー号の爆発事故の直前、NASAの主要スタッフの睡眠時間は2〜3時間であり、しかも、24時間、連続勤務していた。
 フィンランドの客室乗務員の乳ガンの有病率が高いという統計もある。
 ヒトと生き物の時間に対するかかわりを考えさせる本でした。
 百合の花が咲きはじめました。朱色の百合、そして白にピンクのふちどりのついた百合です。大輪のカサブランカを植えたこともあるのですが、見あたらなくなってしまいました。ヒマワリがぐんぐん伸びています。家の近くの小川にホタルが乱舞しています。いつ見ても心がなごみます。

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2006年5月26日

山内一豊と千代

著者:田端泰子、出版社:岩波新書
 戦国武士の家族像というサブタイトルがついています。
 山内一豊の妻・千代に対して内助の功と呼ぶのは正しくないと著者は指摘しています。
 戦国期の妻は、化粧料として特有財産をもち、夫とは対等な人格であった。一豊と千代の関係は、手柄を立てて出世する夫と、それを献身的に助ける妻という夫婦ではなく、妻に特有財産があって政治情勢も把握している、双方ともに賢い夫婦の共同歩調で獲得した出世だった。
 現代と戦国時代とのもっとも大きな差異は、戦国時代には妻の地位と役割の重かった点、妻が家庭にいて社会的活動をしていないという姿ではなかったという点にある。妻も夫も一緒に知恵を働かせ、大まかな役割分担をしながら、時代の変化に対応する手だてを考えたのであり、大まかな役割分担は相互に移行可能であったので、夫が亡くなり、後継者が幼い時には、妻が亡き夫に代わって後家として家を管轄した。妻は夫のパートナーであると同時に、夫のよき代理者でもあったというのが戦国期の夫婦の実態だった。「内助」の意味は現代とは大きく異なっている。
 戦国時代の婚姻はつねに離別を前提とした政略結婚だったというのも正しくない。婚姻関係を結ぶことによる家と家との平和的協力関係こそが、戦国期の武士階級の婚姻の目的だった。
 戦国期に生きた女性には男性と同じ賢さ、判断力、持続的な努力や忍耐力が、現在以上に必要だった。人形のように主体性のない一生を送ることは時代が許さなかった。
 鎌倉期の女性は、男性と同じく、所領や地頭職を持っていて、それを自分の意思で子孫に譲ることができた。
 日本の女性は古代だけでなく戦国期も、やはり強かったのです。

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スウェーデンに学ぶ「持続可能な社会」

著者:小澤徳太郎、出版社:朝日新聞社
 スウェーデンは「人間社会の健全性」と「エコシステムの健全性」のバランスがもっともよくとれていると評価され、「国家の持続可能性」1位にランクされた。日本は24位、アメリカは27位。
 スウェーデンの国土は日本の面積の1.2倍。人口は901万人なので、神奈川県や大阪府に相当する小さな国。
 スウェーデンの行動原理はきわめて常識的で、単純明快。あたりまえのことを、あたりまえのこととして実行する。たとえば、スウェーデン政府は、「地球は有限」を前提として、「経済は環境の一部」と見なしている。
 スウェーデンは、1813年のナポレオン戦争以来、戦争に参加していない。アメリカのイラク戦争にも軍隊を派遣していない。
 物流システムは、IT革命がいくら進もうとも、実体経済のなかで、必ず重要な地位を占める。消費者や事業所への配送ニーズは、これまで以上に高まるだろう。世界最高水準の燃費を誇る日本車や日本の省エネ型家電製品も、使用台数が増えれば、エネルギー総消費量は増える。
 インターネットを介してやりとりされる情報量の増大により、パソコンなどIT関連の機器の消費する電力量は10年間で8倍に増え、2010年には現在の日本の電力需要の3分の1にも達すると予測されている。
 スウェーデンは電磁波対策がもっともすすんでいる国。電磁波は光や電波の仲間で、レントゲン撮影につかわれるX線はがんを誘発したり、遺伝子を損傷する可能性がある。スウェーデンでの調査によって、電磁波は子どもの白血病とかかわりがあることが判明した。そこで、高圧の送電線を学校などの生活ゾーンから引き離したり、コンピューター画面から離れるように規制した。携帯電話からもれる電磁波も心配だが、通信状態を整備するために建てられるアンテナからの強い電磁波がさらに心配である。
 スウェーデンは景気回復と財政再建の二兎を追って、二兎を得た。日本はどちらも得ることができなかった。にもかかわらず、「経済大国日本」を自負する日本の政官は、アメリカ以外はお手本としないという、きわめて不遜な態度をとっている。
 スウェーデンでは、収入に応じて保険料を支払い、払った保険料の総額に応じて給付を受けとる単純明快な所得比例制度がとられている。低所得者のためには、税金でまかなわれる最低保障制度もある。ただし、スウェーデンの給付水準は現役の手取りの38%にすぎない。それでも、医療・介護・住宅といったサービス保障が充実しているから、老後は安心なので、現金支給は多くなくても安心してやっていける。
 スウェーデンの真似をしろというのでは決してありません。でも、スウェーデンに学ぶべきところが日本は大きいことを痛感させられました。

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団塊の世代だから定年後も出番がある

著者:布施克彦、出版社:洋泉社新書Y
 著者も団塊世代です。
 よど号ハイジャック事件や浅間山荘事件など、団塊の世代が世間を騒がせた。一部バカ者の行為なのに、世代全体がショックと自信喪失感に包まれた。
 この「一部バカ者」という表現にはアンチ全共闘だった私にも実は抵抗感があります。著者は当時の大学闘争に没交渉だったのではないでしょうか。よど号事件はともかくとして、連合赤軍事件が全共闘シンパ層に与えた影響は相当に深刻だったと思います。それを簡単に「一部バカ者の行為」として切り捨てられると、そう言われたら、確かにそうなんだけど・・・、という気がしてしまうのです。ただ、その点を除くと、この本で指摘されていることは、ほとんど同感できるものです。現在700万人ほどの団塊世代が生きている。人数が多いというのは、最大の武器である。
 団塊世代のもらう退職金総額は50〜80兆円。2010年の団塊世代関連市場は100兆円をこえる。国民総資産1400兆円の過半数を中高年世代が握っている。
 ところが、団塊世代の多くが自信を失っているように見える。かつて、腕に覚えがあり、仕事の虫だった団塊世代。順風と逆風の両時代を知る柔軟性もある。バブル経済時代までは、どこの会社にも鮮明な派閥があった。社内の人的関係の多くが、団塊世代をもって途切れてしまった。これから日本を背負うべき30代から50代前半の世代は、いま疲れているように見える。
 学生時代に世の矛盾をついて大人に食ってかかった団塊世代は、社会の一員になって実際の矛盾と向きあったとき沈黙した。毎年あがる給料やボーナスを捨てるのは賢くないと判断したのだ。はじめは違和感を覚えた矛盾が、いつか身体に染みこみ、感覚は麻痺してしまった。矛盾を器用にのみこむのが、組織で栄達する前提条件だった。
 団塊世代の多くは転職に自信がない。団塊の世代は後進国に生まれ、中進国に育ち、先進国で仕事する。しかし、団塊世代は自信を失う必要はない。今まで通過してきた人生のなかでこの世代はすでにしっかりと武器を身につけている。これから始まるシニア時代を生きていくうえで、必要なものを十分に身につけている。問題は、本人がそのことをあまり自覚していないこと。自信喪失とともに、本来武器であるべき要素を不要あるいは邪魔なものと考えていることさえある。
 団塊世代気質の核に、枠と標準によって固定された協調と競争の調和精神がある。
 永遠の若者であり続けたい団塊の世代の多様な人生経験のなかで勝ちパターンを知り、挫折も味わって、精神の鍛錬も経験した。ハザマの時代を生きて試行錯誤から、柔軟性も身につけている。そんな団塊の世代は、きっと世の中に役立つ多様な仕事ができるはずだ。そうなんです。お互い、もっと自信をもって、今の変てこな社会を変えるためにがんばろうじゃありませんか。変人・小泉になんか負けてなんかおれませんよ。

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2006年5月25日

えひめ丸事件

著者:ピーター・アーリンダー、出版社:新日本出版社
 2001年2月9日、宇和島水産高校の実習船「えひめ丸」がアメリカ海軍の原子力潜水艦の突上の浮上によって激突され、たちまちのうちに沈没し、9人もの死者を出しました。この事件の真相を追究した本です。
 潜水艦は静かに、そして深くという戦術から、海面下にいるときには、電波交信による航行・通信は不可能だから、「音」に頼るしかない。しかも、それはパッシブ・ソナーのみ。相手の発する音を聞くことで相手を識別し、危険物を避けている。自分から音を出して探るアクティブ・ソナーはとっていない。だから、海図にものってない海面下の山があったというときには気づかないまま衝突してしまうことが起こりうるし、現に起きている。なるほど、潜水艦というのは現代最高の科学技術の粋を尽くしているというわけではないのですね・・・。
 衝突したアメリカの原潜グリーンビルは特別招待客をのせていた。アメリカ海軍は、潜水艦や艦船などの建設・維持のための予算を獲得するため、ときどき特別な招待客を艦艇に招いて接待するという政治的・広報的な活動を長く続けている。ワルド艦長のような士官たちは、このツアーのホストをうまくつとめることが、海軍を利するだけでなく、上官に自分の仕事ぶりを印象づけ、昇進につながると期待する。
 つまり、「特別招待客プログラム」は、広い意味では国家の軍事政策に、狭い意味では個々の士官たちの昇進に影響を及ぼすという政治的性格をもっている。なるほど、そうなんですね。このとき潜水艦に乗っていた特別招待客は16人。その多くは、ブッシュ大統領ともつながりの深いテキサスの石油関連企業の重役たちとその妻だった。
 事件後、これらの特別招待客の氏名は隠されていたが、明るみに出た。しかし、彼らは海軍の審問委員会に呼ばれることはなかった。下手すると、海軍の全体としての組織構造による事故だと思われないようにするためだった。ちなみに、日本でも体験航海は実施されていて、2000年には日本近海で60人の民間人が乗艦している。
 原潜グリーンビルからは重要な証拠がいくつか失われた。航海図、録音テープ、ビデオテープなど。海軍が意図的に隠した疑いがある。ワルド艦長は軍法会議にかけられなかった。なぜか。コネツニ太平洋潜水艦隊司令官が原潜グリーンビルの体験航海を許可していたこと、この航海はマッキー退役大将からきたこと、海軍長官をふくむ海軍上層部もからんでいたことが暴露されないためだ。また、軍産共同体を守り抜きたいという深い動機があった。
 ところで、軍法会議は、下の者には厳しく、上の者には甘い。軍法会議にかけられたのは、この50年間で、大将はたった3人であるのに、軍人は1年間に7603人にものぼる。そして、その97%は有罪となった。
 ちなみに、この本は、原潜グリーンビルが「えひめ丸」を標的にしたという説を否定しています。要するに、ワルド艦長が特別招待客を喜ばせるパフォーマンスに終始したあげく、えひめ丸を見落としたという見解です。
 えひめ丸は600メートルの深さから海面下35メートルまで引き揚げられたものの、結局は水没させられました。船体を日本国民の目の前にさらしたくないという日米両政府の思惑からです。
 森喜朗首相(当時)は、当日午前10時40分に事件を知らされても、友人たちと横浜市内でしていたゴルフを中断せず、ゴルフ場を出たのは午後1時近くでした。国民の生命を軽視しているのは今の小泉首相とまったく同じです。
 この本では、最後に、愛媛県が被害者(遺族)と共通の弁護士をたててアメリカ海軍と折衝したことを問題としています。両者は利益相反関係にあるという指摘です。当然のことです。でも悲しいことに、多くの遺族が巨大な圧力を恐れて、県の弁護士に依頼してしまいました。真相究明に奮闘したのは、残った2遺族が依頼した豊田誠弁護士(自由法曹団の元団長です)を団長とする弁護士たちでした。私の敬愛する愛媛(宇和島)の井上正実弁護士も地元の弁護士として参加していました。そのがんばりで、真相究明が一歩前進し、ワルド艦長の謝罪訪問も実現したのです。
 アメリカとの関係で日本の置かれている深層状況を改めて思い知らせる良書です。
 スモークツリーが満開です。フワフワとカスミに覆われるのです。見てるだけで心がなごんできます。純白のジャーマンアイリスがひとつだけ遅れて咲きました。気品のある花です。紫色のネギ坊主そのもののアリウム(かな?)も咲いています。もうすぐホタルが飛びかう季節となります。駅舎の高いところでツバメが子育てでがんばっています。

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2006年5月24日

女帝の世紀

著者:仁藤敦史、出版社:角川選書
 明治来の皇室典範は、必ずしも日本の歴史と伝統を正確に反映するものではない。それは8世紀初頭の大宝令段階から女帝に関する規定が存在していたのを無視している。過去の女帝は単なる「中継ぎ」のための君主であるという、女帝の即位を認めない政治的な立場から恣意的な歴史解釈がなされている。
 7、8世紀には、7世紀と8世紀になぜ女帝が多かったのかという問いを著者は投げかけ、それを解明しています。
 この当時は、8代6人の女帝が即位している。7、8世紀は「女帝の世紀」と称されるのも当然のこと。皇后即位の習慣があったという説を肯定的に紹介しています。
 ところが、奈良時代まで皇室に女帝が次々に出ているのと対照的に、貴族層では一件の例外もなく女性の族長は存在していない。これは不思議なことです。
 奈良時代に僧の道鏡が即位する可能性がありました。孝謙上皇(女帝)が称徳天皇として重祚(ちょうそ)した(再び天皇になった)あと、道鏡は天皇なみの待遇である法王に就任し、天皇への即位をうかがいました。これを和気清麻呂が妨げたことはあまりに有名です。では、なぜ一介の僧にすぎない道鏡が天皇になりそうになったのか。ここを著者は解明しています。
 道鏡は女帝の子ではなく、女帝の夫として、先の聖武天皇の「我が子」に擬制的に位置づけられることによって即位の可能性が生じた。このころは、臣下の即位はタブーではなかった。むしろ、この事件以降にタブーとなったのだ。鋭い指摘だと思います。
 継体大王は前王の直系ではありません。継体大王の前には複数の王系が存在し、継体朝から王朝の血統が固定化して王族が形成された。つまり、王系の交替が常態であった継体朝以前の段階から、欽明系王統が五代連続することにより、欽明を祖とする世襲王権の観念が生じた。このように、日本は古来から、万世一系の天皇が支配していたというのは真赤な嘘なのです。天皇(当時は大王)になるべく有力氏族が果てしない殺しあいまでしていたのが実態です。日本人が、むしろ好戦的な民族だったことは第二次大戦をみれば分かるとおりです。小泉なんかにごまかされてはいけません。
 大王(当時は天皇とは言いません)即位の条件としては年齢が大きな要素であり、高齢であることが、むしろ有利だった。20代では即位の適齢期とされず、60代の方が有利となった。大王即位の適齢期は40歳前後だった。そのような適齢期の人間がいないときには、大后が王族の女性尊長として即位した。執政能力が群臣に認められると、女帝が即位した。したがって、女帝の資質・統治能力が男帝に対して劣っているとはいえない。
 有名な長屋王の変についての著者の指摘には、さすがと感心してしまいました。長屋王邸の跡はスーパーダイエーがたっていましたが、そこから大量の木簡が出土して、その分析がすすんでいます。長屋王は王権強化策に反対する畿内貴族層の利害を代弁しており、それを抑えつけるための王権によるクーデターではなかったかと著者は考えています。
 長屋王家の巨大な家産を背景とした藤原家と長屋王との政策的な対立があり、そこで支配層が合意してなした長屋王打倒のクーデターだった、というのです。
 日本史における権力者内部の政争は、今の自民党と民主党だけではないのです。

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2006年5月23日

ヒルズ黙示録、検証・ライブドア

著者:大鹿靖明、出版社:朝日新聞社
 ヤツらはどんな「ワル」だったのか?オビにこう書かれています。一瞬、日本をダメにしたワルはほかにいるんじゃないの。例によって、マスコミの悪のりじゃないのかな、という反発を感じてしまいました。アエラ記者によるレポートです。
 たしかに、日本をだめにしている、ひどい若者たちです。でも、村上ファンドなんて、今も世の中を騒がし続けているのです。それで喜んでいる連中もいるわけなので、ホリエモンだけが悪いとは思えません。楽天KCの三木谷なんて、ちゃっかり澄ました顔してクレジット業界でのさばっていますし・・・。私の日常業務と関係おおありの若者です。毎日毎日、楽天KCから大量の手紙とFAXをもらっています。
 ライブドアの堀江は両親としっくりいっていなかった。宮内(税理士)は、生後まもなく両親と離れて暮らした。熊谷史人は学生結婚し、子どもの養育費稼ぎのため、深夜までバイトに追われた。このように、ライブドアの中心メンバーの多くは30から35歳の団塊ジュニアで、高度成長からバブル期にかけて人格形成をしたが、一億総中流社会とは縁が薄かった者が多い。しかも、就職時は氷河期で、就職にも苦労した。幸福や豊かさには縁が薄かった。こうした背景が、強烈なコンプレックスとして内面に沈殿し、それをバネにした敵愾心や復讐心がある日突然、やってやる、目にもの見せてやるという荒々しい行動に転じやすかった。彼らの行動は挑発的で、刺激的だった。だが、一発、二発は相手に不意打ちを食らわす強烈なパンチを繰り出せても、周囲の大人たちが警戒して身構えると、もはや小僧では歯が立たなかった。
 堀江が一人で請け負っていた時期は高い収益率だったが、人数が多くなると、品質が安定しなくなり、収益率は低下していく。2002年10月、経営がいきづまった旧ライブドアの事業を譲り受けて業態を全面的に転換した。法人向けのホームページ作成ではなく、一般の個人客相手のモデルへ転換した。
 東証マザーズ上場銘柄は、3ヶ月おきの4半期決算の開示が求められる。そこで、常に収益を稼げる金融部門をビジネスの柱にすえた。本業の不振を補って、金融部門が売上高や利益が常に右肩上がりに成長しているように演出することを余儀なくされた。堀江は、人が変わったように、世間から注目を集めることに熱中するようになった。
 堀江の住む六本木ヒルズのレジデンシャル・タワーは、家賃が月に220万円。
 堀江の原動力は、他に類をみないほど深く自分を愛することができる力にある。広報担当の乙部綾子はこう語る。堀江さんは女性を本当に愛したことがないと思う。誰かと熱烈な恋愛をしたり、失恋して傷ついたりすることができない人なんです。あの人、自分が一番好きだから。自己肯定が人一倍強い堀江は、自己愛の強さが他者をいたわる心の乏しさになって現れる。堀江は八女出身で久留米大学附設高校から東大に入り、東大を中退した。
 ホリエモンの逮捕は、2時間前にNHKがライブドア本社を家宅捜査したと報道したことから始まった。前年秋から取材を始めていたマスコミは準備していた予定原稿を2時間前に本番と間違って流してしまったのだ。前代未聞のミスだろう。まさに劇場型捜査の幕が切って落とされた。
 ライブドアの株価は一時、時価総額が8000億円にまで膨らんだ。ところが、ポータルサイト事業の利益はわずか3臆円でしかなかった。まさに虚像というしかない。
 村上ファンドの村上世彰は、灘中、灘高から一浪して東大に入った。小学4年生のとき、父親から100万円を小遣いとして渡され株を自分で運用するようにすすめられた。とんでもない父親です。世の中、おカネだけがモノをいうと身にしみた人間ほど怖いものはいないでしょう。まったくバカげています。もっともっと大切なことが世の中にはあるということを親は子に伝えるべきではないでしょうか。
 ホリエモンを高く買った経済界の大物がいました。日本経団連の奥田硯(ひろし)前会長です。堀江は東京からヘリコプターで名古屋にいる奥田に泣きつきに言っています。
 堀江は衆議院選挙に出馬するまで実は一度も投票に行ったことがなかった。しかし、
20億円つかえば20人くらいは当選できると豪語し、当選したらマスコミの力を借りて総理大臣を目ざしていたというのです。驚きです、その甘さには・・・。
 互いに刺激しあって、天まで届けと高みに登りつめる六本木ヒルズの競争は、もはや自分たちでは止められない自己肥大化の競争になりつつあった。堀江、三木谷、村上、そしてリーマン・ブラザーズ、ゴールドマン・サックス。ヒルズに巣くう男たちの自意識はもはや止まらない。みなが自分自身を「神」と思うようになっていた。ホントに恐ろしい世界です。お金は集まるところには雪ダルマがころがるようにどんどん集まっていくものなんですね。みんな勝ち馬に乗ろうとしているのでしょう。いつ負け組になってしまうかも分からない、まさに食うか食われるかの世界です。
 私は今日も、一日やっと一食しか食べられないという、ホームレス寸前の中年男性と話をしました。多いんです、そんな人が・・・。

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2006年5月18日

喧嘩両成敗

著者:清水克行、出版社:講談社選書メチエ
 実に面白い本です。まだ35歳の若手学者の本ですが、その分析力にはほとほと感心してしまいました。このくらいの分析力を持てたらなあと長嘆息するばかりです。私も人並みに年齢(とし)だけはとったのですが、とてもかないません。
 日本人は昔から争いごとを好まない。和をもって貴しとする民族だから・・・。なんていうのは真赤な嘘です。ところが聖徳太子(その実在も疑われています)の十七条憲法を額面どおりに受けとり、それが定着しているのが日本人だと誤解している人のなんと多いことか・・・。そもそも十七条憲法に、和をもっと大切にせよと書かれたのは、当時の日本であまりに争いごとが多かったからです。同じように、十七条憲法は、裁判があまりに多いから、ほどほどにしなさいとも言っているのです。ご存知でしたか。ぜひ一度、十七条憲法の全文を読んでみてください。といっても、全文とそれを解説した本って、なぜか驚くほど少ないんですよ・・・。
 それはともかく、日本人は昔から執念深かったようです。16世紀に日本にやってきた有名な宣教師ヴァリニャーノは、日本人の恐るべき執念深さを次のように本国に報告しているそうです。
 日本人は感情をあらわすことに大変慎み深く、胸中に抱く感情を外部に示さず、憤怒の情を抑えつけているので、怒りを発するのは珍しい。お互いに残忍な敵であっても、表面上は明るく儀礼的で鄭重に装う。時節が到来して勝てるようになるまで堪え忍ぶのだ。
 果たして陰湿なのは室町時代の日本人だけなのか。著者は中世日本人の激情的で執念深い厄介な気質は、現代日本人にも受け継がれているのではないかと指摘しています。私も、それはあたっている気がします。
 現在、中世社会では必ずしも敵討(かたきうち)が違法行為とはされていなかったことが明らかにされている。ただし、本当は親の敵(かたき)でもないのに、自分が殺した相手を親敵だと言いはって罪を逃れようとする者も当時いたようだ。
 間男を本夫が殺害するという行為自体は、当事者間では何ら違法という認識はなかった。むしろ、そうした法習慣を禁じようとした鎌倉幕府の方が非常識なものと受けとめられていた。敵から危害を加えられた者は、公的裁判に訴えるのも、自力救済に走るのも、その選択はまったく自由だった。復讐は公認されていたというより、むしろ放任されていた。
 室町時代、人を殺した人間がある人の屋敷に逃げこんできたとき、「憑む(頼む)」と言えば、頼まれた側はその人間の主人として保護する義務が生じた。
 鎌倉から南北朝までのあいだ、墓所(ぼしょ)の法理というものがあった。殺された人の属した宗教集団が犯行現場ないし加害者の権益地である広大な土地を、被害者の墓所として加害者側に請求するという宗教的慣行があった。
 室町時代の大名にとって、政治的な失脚は、その政治力や発言力を失うだけでなく、生命・財産・すべてを奪われかねない深刻な重大事だった。そして、京都に住む一般の都市民衆は、度重なる政争のなかで、ただ逃げ惑っていたり、傍観していたわけではなく、ここを稼ぎ場と、たくましく生き抜いていた。
 流罪途中に、流人が殺害されることは多く、当時の人々は流罪は死刑と同じように考えていた。なぜか・・・。
 流人を途中で殺害する行為は、落武者狩りや没落大名の屋形からの財産掠奪と同様、ほとんど慣行として社会に許容されていた。つまり、法の保護を失った人間に対して、殺害、刃傷、恥辱、横難そのほか、いかなる危害を加えようと、何ら問題にならなかった。
 流罪というのは、室町殿にとって堂々と処刑するのははばかられるときの刑。建前上は死刑でないとしつつ、実質的に死刑とする方策として流罪とされたのではないか・・・。
 中世に取得時効が認められていた。それは20年だった。鎌倉幕府の御成敗式目第8条に、知行(ちぎょう)年紀法という有名な条文がある。そこでは、たとえ不法な占拠であっても、その土地での20年以上にわたる当知行(とうちぎょう)つまり用益事実が認められると、その者を正式な土地の支配者として認めることが規定されていた。
 折中(せっちゅう)の法というのがあった。足して二で割る解決方式のことである。中世社会では、最善の策として奨励される重要な法思想だった。たとえば、降参半分(こうさんはんぶん)の法というのもあった。降参した敵の所領については、半分だけは没収せずに残してやるというもの。
 中世社会に生きる人々にとっては、真実や善悪の究明などはどうでもよく、むしろ紛争によって失われた社会秩序をもとの状態に戻すことに最大の価値を求めていた。衡平感覚や相殺主義に細心の配慮を払っていた。
 解死人(げしにん)と呼ばれる謝罪の意を表す人間を差し出す紛争解決慣行があった。その解死人は相手に行ったら殺される危険もあったが、原則としてそのまま解放されることになっていた。下手人は犯罪の実行者、死をまぬがれる解死人そして、派遣されるだけという下使人となっていった。
 喧嘩両成敗と裁判というのは、本質的に相矛盾するもの。喧嘩両成敗は戦時ないし準戦時の特別立法であって、平時の法令ではなかった。戦国大名にしても、織田・豊臣政権にしても、また江戸幕府においても、最終的な目標は喧嘩両成敗なんかではなく、公正な裁判の実現にあった。これによって自らの支配権を公的なものに高めることを目ざした。なぜなら、喧嘩両成敗は、権力主体からすると弱さの表現でしかなかった。むしろ、喧嘩両成敗法を積極的に普及させ、天下の大法(一般的な法習慣)にまで高めていったのは、公権力の側ではなく、一般の武士や庶民たちだった。
 この本を読むと、いかに日本人が昔からケンカ(争闘)を好きだったか、いくつもの実例が紹介されていて、驚くほどです。こんな事実を知らずに、日本人は昔から平和を好んでいた民族だなんて言わないようにしましょう。日清・日露戦争そして第二次世界大戦を起こしたのは、私たちの祖先の日本人だったのは歴史的な事実なのです。これは自虐史観なんていうものではありません。

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小説電通

著者:大下英治、出版社:徳間文庫
 あの電通が、いかにして日本のテレビそして広告業界全体を支配するまでにのしあがったのかを描いた実録小説です。といっても、この本は25年も前のものです。私は図書館から借りて読みました。本は買って読む主義なのですが、残念なことにもう売っていなかったのです。
 Fマッチ・ポンプ集団が狙う相手は、同業他社の広告代理店がメイン代理店になっている企業に限られる。スキャンダルを流された企業のイメージは傷つけられ、その企業のメイン代理店の立場も悪くなる。そこに電通が救世主のようにあらわれる。ポンプ役を果たし、それまでのメイン代理店に取ってかわって、新たに電通がメイン代理店となる。そして、ひとたびクライアントになった企業に対しては消火作業専門にあたる。うーむ、よくできているというか、えげつないというか・・・。
 電通が強い理由のひとつは、テレビのゴールデンタイムの占有率が5割とか6割を占めていること。2位の博報堂はせいぜい10%程度なので、比較にならない。
 電通は、昭和48年以来、広告界において世界一の座を誇り続けている。日本の総広告費の4分の1以上を電通が占めている。海外ではまったく無名にひとしいのに・・・。今はどうなんでしょうか・・・。
 日本の広告代理店には一位があって二位がなく、五、六位に博報堂がある。電通はガリバー型巨人である。媒体を確保し、媒体を売ることが日本の広告代理店の主な仕事。この媒体確保能力において電通の力は絶大なのである。
 電通は人脈づくりに力を注いでいる。政界にも財界にも強力なコネを築きあげている。しかも、人質作戦まで敢行している。要するに、政財界の大物の子息や親戚をいざというときのために電通の社員としている。マスコミ関係者の縁者も多い。電通の開祖・吉田秀雄は、東大出のインテリを採用すると同時に、有名人の血縁者を縁故採用するという両面作戦をとり、これがあたった。
 電通は政府広報にもくいこんでいる。その4割以上を電通が占めている。自民党広報については8割以上で、ほぼ独占している。
 いやあ、すごいものです。日本を牛耳っているのは小泉・自民党というより、うしろで操っている電通だ。そんな気がしてきました。背筋が寒くなります。25年たった今は、どうなんでしょうか・・・。

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卜伴はまだ咲かないか

著者:小林尚子、出版社:文芸社
 医師が患者になったとき、大病院でどのような治療を受けるのか。寒々とした実態がその妻である医師によって淡々と暴かれた本です。
 ところが、逆に、主治医は、患者である先輩医師について、我々を次々に切り捨てたという感想を述べました。これに対して、医師でもある妻は、病んだことのない医師には、そんなに分からないものかと、次のように痛烈に皮肉っています。
 人間は神ではない。だから、すべてを分かるはずもない。でも、分からない、できない、ということを告げる勇気や良心は持てるはず。まして尊い人の命の問題である。心の問題も含め、そうしたことに真っ正面から挑むのが医師としてのつとめではないのか。
 卜伴(ぼくはん)は、患者である夫が、田舎の植木屋で求め、庭に植えたツバキのこと。夫が病床で、その咲く日を楽しみにしていたことから、このタイトルがとられました。
 濃紅色の花弁と紅色の花茎に白色の葯(やく)が鮮明に対比する唐子咲きの花をつけるツバキ。江戸の初めから知られ、関西では月光(がっこう)と呼ぶ。見てみたいものです。
 その医師が亡くなったのは1993年のこと。61歳でした。放射線によるガンに冒されながらも、ガンの放射線診療技術の向上に生涯をささげた外科医と報じられたとのことです。
 ところで、その大学病院では、他の大学から来た連中には絶対に協力しないことという申し合わせがなされていたそうです。1965年のことですから、今から40年も前のことになります。今では、そんなことはないのでしょうか・・・。
 学会について、会長職を得るための選挙運動、学会費用のための寄付集め、少しずつ狂っていくような気がする。そう書かれています。組織というのは、どこでも人間の嫌らしさが出てくるもののようです。
 ここでも、政治の世界と同じく、人を蹴落とすには、お金と女性関係。
 知人が入院したとき、早速、お見舞いにかけつける。しかし、病人にとってお見舞いは疲れるもの。こんなに疲れるものとは知らなかった。これからは、相手の気持ち、意向を聞いてからにしよう。そっとしておいてほしい。そんな気持ちも病人にはある。そうなんですね。親切の押し売りはいけないんです・・・。
 病人である夫の痛みをやわらげるため、ハリもしてみた。一時的には効果があった。しかし、一番きいたのは、妻によるマッサージだった。これにはなるほど、と思いました。
 医師が病気になったとき、自分のいた大学病院に入院していても、これほど患者と家族の気持ちからかけ離れた処遇を受けるというのに、正直いって驚いてしまいました。これでは、医者でないフツーの人が患者になったときに受ける処遇がひどいのも当然のことです。もちろん、どこでもそうだ、ということではないのでしょうが・・・。
 しかし、まあ、恐るべきは妻の愛ですよね。その執念にはほとほと敬服しました。

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深海のパイロット

著者:藤崎慎吾、出版社:光文社新書
 海の底深く、何千メートルもの深海はものすごい気圧がかかって、地上とはまったく別世界。しかし、そこにもさまざまな生き物がいます。子どものころ、「海底2万海里」の本を読み、ノーチラス号の冒険に胸をワクワクさせていたことをなつかしく思い出します。
 4000メートルより深く潜れる潜水調査船は、世界に5隻しかない。一番深く潜行できるのは、日本の「しんかい6500」。
 宇宙飛行士は、全世界に280人、日本に8人いるのに対して、深海潜水調査船のパイロットは全世界に40人、日本に20人しかいない。
 潜水調査船には当然のことながらトイレはない。大人3人が入るのに。小便をゼリー状に固める薬品を入れたビニール袋が用意されている。大便用に組立式になった紙製のオマルもあるが、船内から臭いは除去されない。私は高所恐怖症であり、閉所恐怖症でもあります。トイレにも、行けないと思ったら、余計に何度でも行きたくなってしまいます。
 日本海溝の割れ目にスーパーの袋がたまっている写真がのっています。そら恐ろしいほどの環境破壊が進行中なのです。
 これまでの最高記録は水深1万916メートルです。アメリカの「トリエステ」が1960年に達成しました。このとき、ヒラメのような魚を見たというのです。ヒラメは8000メートルまでしか生息できないというのに・・・。まだまだ深海の底にはたくさんの謎がひそんでいるのです。
 海底においては、水の中は光の減衰が激しいので、どんなに強力なライトをつかっても、せいぜい15メートルまで。通常は7メートルまでしか見ることができない。
 海中では、減衰が大きいため、電波は利用できない。かわりに音波を使う。音波は水中でも減衰することがなく、遠く何万キロの彼方まで届く。音波は、陸上の5倍の速度、秒速1500メートルで伝わる。したがって、自分がしゃべったあと、10秒間以上も相手の返事を待たされることになる。
 人間が船内に吐き出す二酸化炭素は耐圧殻内の空気をファンで強制的に循環させ、「水酸化ナチュウム」で吸収する。潜水船の船内は寒い。純酸素をつかっているので、火気は厳禁。防寒の対処方法は「厚着」するのみ。こんなにしてまで、なぜ人間が潜るのか。
 やはりビデオではだめ。人間の目で海底を見ると、第六感によって得られるものがある。というのです。なんだか分かる気がします。
 深海にも、さまざまな生き物が人知れず生存していることを知りました。

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米軍再編

著者:久江雅彦、出版社:講談社現代新書
 著者は、冒頭で何万人もの外国軍隊を何十年にもわたって国内に駐留させることが、はたして正常な二国間関係と言えるのだろうかと疑問を投げかけています。まさに、そのとおりです。どうして、アメリカ軍が今も日本の首都周辺にいて、沖縄に大量に駐留しているのでしょうか。日本はまったく独立主権国家ではありません。
 小泉政権は、その発足以来、対米関係を何よりも最優先させ、同盟強化の道をひた走ってきた。イラク戦争後、サマワへの自衛隊投入にもふみ切った。対米関係に最大限の配慮を払った結果である。
 日本には、今、3万7000人の米兵が駐留している。アメリカの国外に40万人ほど展開しているうち、イラクを除くと、日本はドイツに次いで世界第2位(韓国と同じ)。日本にアメリカ軍が駐留しているのは、戦略的な価値が高いから。大量の生活物資が必要になるが、日本だと、それは容易だ。武器を修理するのも能力に心配はない。地政学的な優位性、豊富な物資、艦艇・航空機の修理に必要な熟練した労働力など、どれをとっても日本に駐留することは最高に高い評価を得ている。そのうえ、日本は思いやり予算として46億ドルも負担してくれている。アメリカ兵1人あたり年間1380万円も日本は税金を投入して負担している。これだけ負担する能力があるのに、司法修習生への給費は負担できないというのです。まったく間違ってますよね。ちなみに、韓国は日本の6分の1、ドイツは12分の1でしかありません。日本の負担が異常に大きいのです。思いやり予算は、きっと日本の軍需産業もうるおわせていると私は見ています。どうなんでしょうか。
 このように、アメリカにとって、数あるアメリカ軍の海外駐留先のなかでも、日本はけっして手放したくない基地なのである。そうなんです。日本はアメリカに守られているのではなく、単にアメリカに利用されているにすぎないのです。そもそも、アメリカが日本を本気で守ってくれるなんて考えられますか。それを信じている人は、私に言わせれば、よほどの甘ちゃんでしかありません。アメリカ人は、自分のこと、せいぜい自分の国のことしか考えていないのです。
 日本にいるアメリカ陸軍第一軍団とは何者か、が紹介されています。
 この第一軍団は2万人の兵力に加えて、2万人の予備役兵や州兵を動員できる。機動・戦闘能力に優れた最新鋭の装甲車両「ストライカー」の旅団を擁している。数ある軍団のなかで、もっとも豊富な戦闘経験を積んでいる。
 アメリカの大半の政治家と官僚の知識と関心はヨーロッパにある。それと中東地域だ。経済面を除いて、アメリカにとって日本は対等のパートナーとは位置づけられていない。在日米軍司令官の主たる任務は日本政府との調整と要人の接待だった。
 在韓アメリカ軍司令官は大将(四つ星)であり、在日アメリカ軍司令官は中将(三つ星)である。アメリカ軍の運用実態は極東条項と大きくかけ離れていることは、日米安保条約に精通した官僚は、公言しないだけで、熟知している。
 いま、日本はアメリカ軍基地の海外移転・整備にともなって3兆円の負担を求められています。当初は7000億円ということでしたが、すぐに3兆円になってしまいました。大変な金額です。政府は新しい税をつくってまで負担しようとしています。いったいなぜ、日本がアメリカ軍のため3兆円もの大金を負担しなくてはいけないのですか。まったく何の根拠もありません。まさに、日本はアメリカの属国でしかないということです。
 こんな状態でありながら、愛国心教育を押しつけようとするのですから、信じられません。いったいどんな国を愛せというのですか。いつもアメリカべったり、いつだってアメリカの言いなりでお金を出さされる。そんな自主性・主体性のない国をどうやって愛せというのでしょう。ひどい国です。いえ、今の小泉内閣の政策が間違っているというだけのことです。

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2006年5月17日

ゾウを消せ

著者:ジム・ステインメイヤー、出版社:河出書房新社
 バーの片隅でやるにはもってこいのマジックがある。そうなんです。東京には、手品を売り物にするクラブがあります。酒を飲みながら、テーブルの向こうであざやかな手品を見せてくれます。カードをつかったり、お客が財布から取り出した紙幣をどんどん増やしてくれたり、その鮮やかな手品に目を見張っているうちに時間がたってしまいます。
 これに対して、ステージで大がかりの演技を行うマジシャンをイリュージョニストというそうです。この春、ハウステンボスで世界的に名高いイリュージョンというふれこみの大がかりのマジックショーを見てきました。この本のタイトルであるゾウが消えるではありませんが、突然、舞台上に大きなオープンカーが登場したり、さっきまで舞台にいたマジシャンが観客席に出現するなど、手に汗を握りながら、くいいるように舞台を見つめて過ごしました。
 マジシャンが守っている金庫は空っぽだ。その技は、高校で習う以上の科学や輪ゴムや鏡、長い糸よりも複雑な道具を必要とするものなど、ほとんどない。やり方を知ってしまえば、観客は、なーんだそれだけかと、その技をバッサリ切り捨ててしまう程度のもの。
 しかし、マジシャンたちは、わざと演技の綿密な相互作用を理解し、微妙な技を展開する力を備えている。小道具を突きとめたり、トリックを暴いたりすることを求める凡人は、つまらない部分に注目し、あっけなくがっかりする。それはミステリー小説の最後のページを、最初に読んでしまうようなものだ。
 マジック・ショーで人をだますには、鏡や糸や輪ゴムといった小道具そのものは、あまり重要ではない。観客の手を引き、自分からだまされるようにし向けなければならない。マジシャンとは、マジシャンの役を演じている役者にすぎない。
 まあ、しかし、そうは言っても、凡人はタネも仕掛けも知りたいものです。この本は、それを少しだけ満足させてくれます。
 ゴーストを踊らせるマジックがある。これには、透明なガラスをつかう。舞台の手前の底に人を置いて、舞台には大型のガラス板を設置する。ガラス板の角度が難しい。これは特許として出願されている。そうなんです。有名なマジックは、それを考案した人によって特許として出願されて権利が守られているのです。うーむ、知らなかった・・・。
 箱のなかにゾウや人間を隠すのには、鏡を利用する。その仕掛けが図解されています。あとは、観客の目をいかにしてごまかすか、です。
 人体の空中浮揚術は天井からピアノ線で吊り上げるということのようで、それも図解されています。でも、観客席にいると、ピアノ線で吊り上げているようにはとても見えないのですが・・・。ピアノ線に科学的な処理を施して黒っぽくすれば、観客から見えなくなる。ただ、浮いている人間の真上の空間がぼんやり霞がかかったようになってしまう。
 ゾウを消すには、鏡をセットした巨大なテーブルをつかう。ゾウをテーブルの上に立たせて天幕でおおう。ステージ上でくり広げられる演技の合間に鏡をそっとステージに上げ、必要なあいだだけテーブルの下にとどめ、このあいだにゾウを大型エレベーターで降ろす。
 美女の胴体切りというのがあります。凡人の私には、何回見ても、そのトリックが見抜けません。もちろん、これにも特許があります。残念なことに、この本でも、そのトリックは解説されていません。でも、まあ、楽しい本です。
 15日のヘビの話は訂正します。よくよく見たらヘビの頭がありませんでした。イタチに頭を食べられたのでしょう。
 スモークツリー(カスミの木とも言います)が、紅茶色の花を咲かせました。スモークとあるように、モヤモヤふんわりした面白い花です。山法師の白い花も咲いています。

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2006年5月16日

世界史のなかの満州帝国

著者:宮脇淳子、出版社:PHP新書
 満州という言葉は清の太祖ヌルハチの「マンジュ・グルン」から来ている。グルンは国のこと。この「マンジュ」を文殊菩薩の原語のマンジュシュリからきているというのは誤りである。なるほど、そうだったのですか・・・。
 満州と書くと満人の地という意味になるが、この言葉に土地の意味はなく、種族の名前であった。満州は、もともとは清朝を建てた女直人(女真とよばれることもある)のこと、つまり民族名であって、地名ではなかった。
 中国人とは、漢字を学んだ人々のこと。日常の話しことばがどんなにかけ離れていてもいい。漢字を知っている一握りのエリートが読書人と呼ばれて、本当の中国人。漢字を知らない労働者階級は実際には「夷狄」扱いを受けてきた。中国人とは、都市に住む人々のこと。城内に住んだのは、役人と兵士と商工業者。これらの人々が中国人であった。
 随も唐も、帝室の祖先は、もともと大興安嶺出身の鮮卑族である。倭国と軍事同盟を結んでいた朝鮮半島にあった百済には倭人の住民も多かった。日本列島のほうも同じような状況で、倭人の聚落と秦(はた)人、漢(あや)人、高句麗(こま)人、百済(くだら)人、新羅(しらぎ)人、加羅(から)人など、雑多な系統の移民の聚落が散在する地帯だった。
 当時の日本列島に倭国という国家があって、それを治めるものが倭王だったわけではなく、倭王が先にあって、その支配下にある土地と人民を倭国といった。
 共通の日本語をつくり、新しい国語を創造したのは、漢字を使える渡来人だった。彼らは漢字でつづった中国語の文語を下敷きにして、一語一語を倭人の土語で置き換えて、日本語をつくり出した。
 文化的に朝鮮人が日本人の兄だというのは誤りで、朝鮮=韓国人と日本人は、このようにしてほとんど同時に中国から独立して民族形成をはじめた、双子のような関係である。
 著者のこの指摘に、私はとても新鮮な衝撃を受けました。まったく新しい角度からの鋭い問題提起だと思います。
 1392年、高麗国王の位に就いた李成桂は、元末に咸鏡南道で高麗軍に降伏した女直人の息子だった。明の洪武帝が国号をどうするのかとたずねてきたので、高麗王朝は「朝鮮」と「和寧」の2つを候補としてあげて洪武帝に選んでもらった。洪武帝は、むかし前漢の武帝にほろぼされた王国の名前である「朝鮮」を選んだ。こうして朝鮮王国が誕生した。そうなんですか・・・。ちっとも知りませんでした。
 日露戦争の前、ロシアは日本の軍事力をまったくみくびっていた。たとえば、日露開戦まで4年間、駐日陸軍武官だったブノフスキー陸軍大佐は、日本陸軍がヨーロッパにおける最弱の軍隊の水準に達するのに100年は必要だろうと本国に報告した。
 また、ロシアの巡洋艦の艦長は、日本海軍は外国から艦艇を購入し、物質的装備だけは整えたが、海軍軍人としての精神はとうてい我々には及ばない。軍艦の操縦や運用はきわめて幼稚であると語った。さらに、開戦8ヶ月前に来日して陸軍戸山学校を視察したクロパトキン大将は、日本兵3人にロシア兵は1人でまにあう。来るべき戦争は、単に軍事的散歩にすぎない、こう述べた。これって、なんだか第二次大戦のときに、日本軍がアメリカ兵をどう見ていたを思い出させる言葉ですよね。
 終戦当時、満州在住の日本人は155万人。そのうち17万6千人が死亡した。101万人が1946年10月末までほとんど民間の力で内地へ引き揚げた。
 日本と満州の関係を古代から現代まで論じた本です。いくつもの鋭い指摘があり、私の目は大きく見開かされました。

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2006年5月15日

女性のからだの不思議

著者:ナタリー・アンジェ、出版社:集英社
 東京都知事の石原慎太郎は生理のとまった女性は役に立たないババアだと口汚くののしりました。まるで自分には母親がいないかのような下品な口調で、顰蹙を買いました。ところが、金持ちマダムには石原慎太郎のファンが多いのです。あーら、そんなことは私のことではないざます。それは、きっとしもじものうらぶれたおばさんたちを悪く言っただけでございますわ・・・。とても信じられない発想です。きっと人種が違うのでしょう。
 閉経後の50代の女性には体調が大変よい人が多い。閉経後の女性たちは一番の働き者であることが多い。オランウータンに閉経はない。死ぬ前に生殖能力のプログラムが停止するのは、人間の女性だけ。
 年をとった女性は、頭がやわらかくて戦略的で、援助する相手を自分の子どもや孫に限定しない。一族のなかで助けが必要な子どもの誰にでも手を差しのべる。人間の女性をほかの霊長類と区別するものは閉経ではなく、丈夫で長持ちな閉経後の寿命だ。
 最初の役割分担は、男と女ではなく、子を産む女と閉経後の女にあった。母親が産み、祖母が世話をする。この盟約があれば、生殖力と移動性に限界はない。
 肉体の壮健さが最大に発揮されるのは女性。男性は女性ほど長生きせず、寿命の男女差はどこの国にもある。たぶん、男はそれほど長生きする必要がないし、長生きしたがらないのだろう。
 そうなんですか、男は長生きする必要がないので、長生きできないんですか・・・。いやあ、これは私にとってかなりのショックでした。社会にいきるストレスが男の方に強いから長生きできないのだとばかり思っていました。
 世界は女を中心にまわっている。大多数の霊長類は社会集団をつくって暮らし、集団の核は雌である。雌は生まれた集団に生涯とどまり、雄は思春期に集団を離れて近親交配を防ぐ。外部の雄が集団に入れてもらうときには、仲間にするかどうかは雌が決める。雌は余計な雄がいるのを好まない。だいたいにおいて雄はあまり役に立たず、子どもの世話もせず、すぐに退屈してケンカを始めてしまう。そのうえ、雄はしばしば雌に嫌がらせをする。
 チンパンジーは明らかに雄が雌を支配している。ボノボの雌はグループをつくることによって雄よりも優位に立つ。ボノボは祖先の特徴をより多く備えた種で、チンパンジーとヒトはそこから派生したサルなのかもしれない。
 アメリカでは、貧困層の大半は母子家庭である。子どものいる夫婦が離婚すると、ふつう女性は貧しくなり、男性は逆に豊かになる。男と男社会の投資や庇護を失うようなふるまいは、いまも代償が高く、うっかりしたことはできない。
 人間の赤ん坊は顔を母親の背側に向けて膣から姿を現しはじめる。ほかの霊長類では仰向けで出てくる。赤ん坊を上向きにしてやろうとすると、背骨と首を痛めてしまう危険がある。ヘソの緒がからんでいても、ほどいてやることもできない。母親には助けが必要だ。
 赤ん坊は無力で、痛々しいほどぎこちなくしか動けないが、母親のお腹の上にのせると、においの手がかりだけで胸にまでにじり寄っていく。乳房の片方だけ洗うと、赤ん坊は洗っていない乳首を探しあてる。
 胎児は自分のサイン入りのにおいを尿に分泌し、それが羊水に混じる。羊水は循環して母親の尿として排出される。こうして母親は出産前に赤ん坊のにおいがわかり、近くにいる父親も胎児のにおいになじむのだろう。
 夫婦のどちらかが相手のにおいを嫌いだと、その結婚は破綻する。触覚、味覚、嗅覚。愛を求めるときには、あらゆる感覚が総動員される。
 うーむ、人間のなかで女性はやっぱり半分以上の地位を占めているのですね・・・。弁護士の仕事を通じて、日々、実感しています。
 庭に朱色のアマリリスの双花が咲いています。ジャーマンアイリスは終わりかけ、すっくと背の高いカキツバタの青い花が誇らしげです。シャクヤクは固いツボミのままです。昨年はとうとう花開くことができないままでした。何かが足りないようです。
 今朝、庭先に黒い小さなヘビを見つけました。じっと動かないので変だなと思ってよく見ると、お腹がふくれています。きっとカエルを飲みこんで、消化中なのでしょう。きのう庭を手入れしていると、カエルがたくさんとびはねていました。

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2006年5月12日

みんなが殺人者ではなかった

著者:ミヒャエル・デーゲン、出版社:影書房
 ドイツで著名なユダヤ人俳優である著者が、11歳のころ、ユダヤ人の母と一緒にベルリンで奇跡的に生きのびた実話です。たんたんと情景が描かれています。信じられない話のオンパレードです。
 ユダヤ人の母と子を助けたのは、もちろん一人ではありませんが、その真先に来るのは、なんとナチ親衛隊の若者でした。キリスト教徒の家庭に育った彼は、ユダヤ人迫害の真相を知ってナチ党を脱退し、後に、危険な東部前線に追いやられて戦死してしまいます。
 次に、亡命ロシア貴族の女性、そして売春宿の老婆、もと共産党員、などなどです。ユダヤ人母子であることを知りながら、誰もナチスに密告しませんでした。それどころか、母子を助けるためにナチ団体に入り、あとに命を落とした女性もいました。ええっ、そういうこともあったの・・・。とても信じられませんでした。
 訳者あとがきによると、ナチス・ドイツになって地下に潜ったユダヤ人は1万人以上いたそうです。そのうち半数はベルリン市内とその周辺に住んでいました。生き残ったユダヤ人は1500人。ベルリンにはユダヤ人救援組織もあったそうです。さまざまな方法でユダヤ人を助けた人々は2500人以上いたことが確認されています。みんな、見つかったら確実に即処刑される危険を冒していたのです。すごい勇気です。ですから、ナチス支配下のドイツであってもナチス賛美一色に塗りつぶすわけにはいきません。
 人は何事にも慣れるものだと言われている。しかし、ぼくにはどうしても慣れることが出来なかったのが、高射砲の甲高い発射音であり、爆弾の命中音であり、大型爆弾のピューピュー鳴る音だった。それから突然はじまる静寂。その静けさのなかに「空飛ぶ要塞」の爆音が聞こえてくる。そしてあらたに始まる対空射撃、極度のヒステリー状態にまで昇じていく爆発音。そう、こうしたものにぼくはどうしてもなじめなかった。
 私もこの状態を想像することができます。身体で恐怖心を感じ、震えがとまらなかったのではないでしょうか。
 いま、イラクの人々は、自爆攻撃そしてアメリカ軍による無差別ピンポイント攻撃によって恐怖におののきながら生活していると思います。アメリカの無法なイラク侵略戦争、そしえ日本の自衛隊がそれに荷担していることを、私は絶対に許すことができません

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ジプシー・ミュージックの真実

著者:関口義人、出版社:青土社
 インドの音楽には楽譜から音楽を再生する習慣はない。音楽は耳と身体で体得するもの。楽譜らしきものはあるが、それは記憶の一助になるにすぎない。楽譜を完全に習得しても、音楽を再現することはできない。あくまで口頭伝承によって受け継がれている。
 ジプシーではなくロマと呼ぶべきだという意見があるが、必ずしも彼らの総意ではない。 ジプシーは現在、世界におよそ1000〜1200万人は存在する。
 ロマの住む集落には、いろいろなタイプやサイズがある。20〜30人という、ごく小規模なものから、最大で5万人ほどにふくれあがった集落まで、さまざま。ロマの居住地は1万5000前後もある。定住せず、今も馬車などで移動し続けているロマは、全体からみて2〜3%にすぎない。漂流するジプシーというのは既に過去のものとなりつつある。 ヨーロッパのロマ人口は800万人。なかでもブルガリアは世界で3番目のロマ集積国。人口比で9.4%。スリヴェンはバルカン最大のロマの集中居住地。スリヴェンの人口15万人のうち、ロマは6万人、40%を占める。
 現在までの長い歴史のなかで、どの時期をとっても、ロマがもっとも多く居留したのはルーマニア。ルーマニアの南部にはロマ御殿が立ち並んでいる。インド以来、移動に適した資産として、ロマは金銀そして宝飾品を携える文化があった。
 人口200万人のマケドニアに居住するロマは25万人ほど。人口比率は12%に及ぶ。
 現在、ヨーロッパだけでも、電気も水もない場所で暮らすロマは200万人を下らない。そこに数ヶ月、いや10年以上も住む。
 ロマの少女は、14〜16歳で結婚してしまう。18歳の母親が3人の子どもを育てるというのは日常茶飯事。7、8人が狭い一部屋に暮らすのは珍しいことではない。したがって、家族の前で性関係が結ばれる。夫婦による性交渉が幼い子どもたちの眼前で行われ、子どもたちもほどなく同じことをくり返す。ロマたちは、平均3〜5人の子どもをもつ。ロマ社会では内婚制が現在もかなり守られている。
 本来、ロマは大変穏やかで、平和を好む人々である。しかし、集落における暮らしがストレスを生んでいる。
 ロマは、本来、宗教をもたないので、不信仰の輩と排斥された。
 暮から暮らしをするジプシー、政治・言論などで活躍するジプシーも多数いる。
 ジプシーの豊かな芸術的才能と生活の一端を知ることができました。日本人が、ここまでジプシーの生活に入りこんで体験的に調べること自体にも感心してしまいました。

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近世の女旅日記事典

著者:柴 桂子、出版社:東京堂出版
 江戸時代の女性が日本各地を旅行したときの日記が、こんなにたくさんあること自体に私は感動してしまいました。すごいものです。
 「入り鉄砲に出女」と呼ばれたように、江戸時代は、武器の江戸への流入と諸大名の妻女の江戸からの脱出を厳しく取調べたことは有名です。このイメージが強いものですから、女性が旅行するなんて考えられないことです。しかし、この本を読むと、とんでもない。江戸だけでなく、東北でも九州でも、たくさんの女性が日本各地を自由気ままに旅行していました。なかには一人旅を楽しむ女性すらいたのです。そうそう。そうなんです。日本の女性が昔から弱かったはずはありませんよ。長く弁護士をしていて、私はつくづくそう思います。
 たしかに、女手形があり、きびしい女改めはありました。しかし、同時に関所抜けも公然たるものでした。抜け道の案内賃として100文を払えばよかったのです。宿屋で案内人を斡旋してもらい、夜のうちに垣根や塀などの穴をくぐって関所抜けするのです。関所で手形をもたずに通れなかった女性は、茶屋の亭主に頼み、役人に50文の袖の下をつかって通過しています。
 昔は女人禁制の山が、あちこちにありました。富士山も通常は女人禁制。しかし、僧に導かれて頂上まで登った女性もいました。
 道中の食事はあまりおいしいものではなかったようです。でも、伊勢神宮のときには、桁はずれのご馳走でした。鯛も鮑もつき、酒と肴がふるまわれました。
 女性の一人旅も珍しいことではありませんでした。しかも、女盛りの41歳の女性一人旅です。各地の俳諧仲間を訪ねて歩いた山口県(長門)の女性(田上菊舎)がいます。
 旅の目的はさまざまです。人質、国替という公式のものから、吟行、湯治、観光、そして参詣、巡礼などの私的なものまで、いろいろあります。
 今も昔も、日本女性の旅行好きは変わらないことが、この本を読んで改めて実感することができます。うちのわがまま娘も、定職に就かないまま、気ままな世界旅行を夢見ています。これまでにも、さんざん海外旅行しているのに・・・。

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2006年5月11日

考えるトヨタの現場

著者:田中正和、出版社:ビジネス社
 名古屋大学の大学院を出て、600人の部下をもつ完成車組立工場の課長職を5年間つとめた経験をふまえ、ものつくり大学の教授である著者がトヨタ方式を実践的に考察した本です。
 私がトヨタの車に乗っているから、ニッサンがルノーに乗っ取られて悔しいから、トヨタ方式を賛美するというわけでは決してありません。でも、この本には紹介するだけの内容があると思いました。
 会社あっての従業員であり、従業員あっての会社である。従業員を解雇したくないという経営方針が生きている。
 トヨタ方式における人間性尊重とは、ありのままの個人の能力を受けいれて、その能力で手の届くちょっと上の目標に挑戦していくことで、持てる能力を存分に発揮してもらうこと。ありのままの個人の能力を受けいれる。うーん、いい言葉ですよね・・・。
 難しいことは自社でやる。やさしいものを外注に出す。楽をしたいと思うのが人の性。放置しておくと、簡単な仕事だけが自社内に残り、肝心な技術は外に出してしまう。これでは厳しい市場競争で戦えなくなる。
 バブル以降、多くの会社が金もうけだけを考えるようになってしまったのが残念。いつのまにか、MBAを取得したアメリカかぶれのビジネスマンや経営コンサルタントの口車に乗せされて、目の色を変えて金もうけに走るようになってしまった。ところが、血眼になって金もうけをすればするほど、目の前からお金が逃げていくのが、この世の理である。
 本当にそうなんですよね。弁護士を長くしていて、実感として、そう思います。お金は天下のまわりもの、というのが一番の真理のように思います。
 トヨタ方式のジャスト・イン・タイムはジャスト・オン・タイム(同期生産)とは異なる。単に在庫低減だけでなく、間に合うギリギリの設備能力と、ギリギリの作業要員数で生産するのを狙うやり方なのだ。このジャスト・イン・タイムは、アメリカの大資本自動車メーカーに、少ない資金で対抗するために考えだされた方法。少ない資金で動かすためには、リードタイムを短縮し、入った材料で出ていくまでの時間を短縮し、資金繰りをよくするしかない。
 ストレスのかかる職場に働いている人は活性化し、バリバリ仕事をこなす人に育っていく。ストレスがかかっていない職場では、人の能力は衰える一方である。いやあ、まったくそうなんですよね。私も忙しいときの方が本をたくさん読めますし、また、頭が生き生きとよく働きます。ヒマだと、ボーッとしているだけなんです。もっとも、あまりヒマなことはありませんが・・・。
 安住こそが一番よくない。いつも何かに挑戦していないといけない。人生とはこんなものだと諦めてしまったら、明日から生きる意味はなくなってしまう。まだまだやることがあると思うことで、人は生きている。
 改善とは、波瀾万丈に対応しながら生きることであり、真理を見きわめることであり、何かを求め続けることである。まったく同感です。私にとって、毎日の書評とフランス語そしてモノカキは、日々の挑戦です。安住したくありません。ずっとずっと挑戦していきます。さあ、あなたもご一緒にどうぞ。

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2006年5月10日

政治改革論争史

著者:臼井貞夫、出版社:第一法規
 著者とは、先日、ある会合で初めてお会いしました。といっても、親しく話でもしたというのではなく、この本をぜひ読むようにすすめられたのです。まあ、せっかく先輩の書いた本なら、読んであげなくっちゃ、という思いでFAXで注文して読んでみました。
 あまり期待せずに読みはじめたのですが、議院法制局からみた政界裏面史は意外に面白いものでした。まあ、それも、日本の政治が激動期だったので、それをあとづけているからかもしれません。それにしても、平成3年から6年にかけての「政治改革」推進のマスコミ・キャンペーンは異常といえるほどのものでしたね。
 平成5年にいたっては、現状維持派に対して「守旧派」なる言葉を投げつけ、選挙制度改革の世論誘導までした。その積極推進派は学者とマスコミ関係者が多い。
 私も、当時を思い出して、なるほど、そうだったと思います。マスコミによる小選挙区で日本は良くなると言わんばかりの大ゲサで間違ったキャンペーンに辟易もしましたが、国民は素直に誘導されてしまいました。今でも2大政党制を絶対視して、民主党なる自民党分派を天まで高くもちあげ、「左翼」をバッサリ切り捨ています。フランスで若者の解雇を容易にする法律(CPE)に反対するデモやストライキが盛りあがったとき、国会で決めた法律を街頭デモで覆すなんて民主主義に反する暴挙だ。日本のマスコミはこのように非難したのです。とんでもない民主主義観です。
 議員立法の立案過程は、政党または議院から依頼があると、電話でまたは議員室を訪問して疑問点を質し、依頼の趣旨を確定し、関係法律等の調査を行い、原案を起案する。起案中に疑問が生じると、さらに依頼者側に説明をしながら、要望を聞き、細部を調整し、課段段案の最終案を確定する。そして、局内の審査を経て法律案が策定される。
 著者の属する第一部第二課の7人は、平成5年2、3、4月の2ヶ月あまり、一切の休暇なく、連日の深夜勤務、このうち完全徹夜2日で懸命にとりくんだ。土・日勤務の次の月曜日には弁当の空箱で部屋の入り口が埋まるほどだった。
 議院法制局は、起案するが、国会での議論の推移に任せ、積極的に憲法判断をしないという場合もある。
 議院法制局には2つの役割がある。一つは、客観的な意見を述べる法制局の役割。もう一つは、依頼者の意見の補佐をする法制局の役割である。内閣法制局が内閣や閣法のため、どんな理屈でもいうのと同じ役割を果たすべきである。こんな考えがあるそうです。後者には驚きました。へ理屈つけろ、というんですよね。
 平成5年は著者の人生のなかでも、とくに大変だった。とにかく忙しかった。19回の休日出勤、2回の完全徹夜をふくみ、数えきれないほどの深夜・早朝勤務。10数回にも及ぶ午前2時、3時のタクシーでの帰宅(1回、1万8,500円かかる)など。平均睡眠時間は1日4時間を割っていた。電車のなかで立ったまま眠るのが、しばしば。膝がガクンと折れて、全身が吊革にぶら下がる。とにかく寝たい、風呂にゆっくり入りたい、床屋に行きたい。これが、この年の個人的願望だった。
 細川内閣の存立を支えた二大ブレーンは、閣内にあっては武村正義官房長官であり、閣外にあっては小沢一郎・新生党代表幹事であった。小沢代表幹事が連立与党各派のなかでイニシアチブをとれたのは、市川公明党書記長との固い連携があったから。
 この小沢一郎が、今や民主党代表です。細川・武村・市川の3氏は、そろって政界を引退してしまったのと対照的です。
 現行の小選挙区制度の生みの親として、著者は2人の議員をあげています。故後藤田正晴と小沢一郎です。2人とも、誤った政策をすれば他の政党がこれに取って代われるという常に緊張感ある政治を実現する必要があると強く主張していた。しかし、ベタナギ国会と呼ばれるほど、今や国会の議論は低調になっている。それは、世論と国会との勢力比のギャップが大きすぎることにある。
 そこで、著者は、衆議院は全国比例代表制に、参議院は都道府県代表制に変えるべしと提唱しています。私も、もろ手をあげて、これに賛同します。
 国民の政治離れを防ぎ、国民と国家の一体性を今後とも維持するためには、より民意を反映した選挙制度の方が国家としても繁栄するのではないかと思う。
 著者の考えです。同感です。私も、国民の多様性を保障することこそ、日本が全体として発展していく前提条件だと確信しています。金子みすずの詩ではありませんが、人はいろいろいるから、いいんです。画一的ばかりでは矛盾がないので、発展もしません。いかがでしょうか?
 連休が明け、ジャーマン・アイリスが花盛りです。薄い青紫色の気品のある大きな花に心が魅かれます。

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2006年5月 9日

書きたがる脳

著者:アリス・W・フラハティ、出版社:ランダムハウス講談社
 書くことは人間の至高の営みに一つである。いや、書くことこそ至高の営みである。そうなんです。まったく同感です。よくぞ言ってくれました。私は、こうやって毎日毎日、一時間以上は机に向かって書いています。ええ、そうです。キーボードを叩いているのではありません。ペンを握って、一字一句、手で書いているのです。そっちの方が断然はやいのです。
 書くためには、読む必要がある。言葉には色が見える共感覚がある。ホント、そうなんですよ。私も年間500冊以上の単行本を読み、定期購読の雑誌が5冊以上、そして毎日、新聞を5紙読んでいます。本を読むと、なんだか著者の語りが聞こえてくる気のすることもあります。
 ドストエフスキーは側頭葉てんかんの患者だった。異常にモチベーションの高い作家である。ルイス・キャロルも同じ病気だった。ほかにも、同じ患者としてモーパッサン、パスカル、ダンテ、フローベルなどがいる。
 アイザック・アシモフは、死ぬまでに477冊の著書を完成させた。すごいものです。なんとも言いようがありません。私も、この30年間、年に1冊以上の本を出してきました。今も、2冊の本を完成させようとがんばっています。
 百万匹のサルに百万台のタイプを叩かせておいたら、いつかは傑作が生まれるかもしれないという説があった。しかし、インターネットのおかげで、この説が間違っていることが証明された。うーん、なるほど・・・。といっても、いまやケータイで小説を書く人がいて、それをケータイで読む大量の読者がいるというのです。とても信じられません。どうやって著者はインスピレーションを湧かせるのでしょうか。
 絵画や音楽のときには右脳が活性化するが、書くときには左脳の活動が活発になる。
 一般人の強迫的な読書は、生まれつきの性質と学習があいまって、さらにときには違う世界に避難したいという傾向も働いている。そう、そうなんです。私も、毎日、トラブルの渦中に首をつっこんでいますので、トラブルのない、心静かな世界に逃れてみたいのです。ですから、それを逃避と言われると、抵抗感もありますが、そうなんだろうなと自分でも認めざるをえません。
 書きたいという衝動は、もっと基本的な衝動、つまりコミュニケーションをしたいという衝動から派生した二次的な衝動だ。うーむ、まったくそうですね。
 言葉は最初の向精神薬だった。言葉は、慰める、楽しませる、感情のはけ口となるなど、いくつかの方法で気分をよくしてくれる。言葉が気分を変える最後の技術は、感情のはけ口となること。人間は不満を言いたいという根深い必要性をみたすために言葉を発明した。だが、気持ちを吐き出してほっとするためには、聞き手がたとえ黙っていても、熱心に耳を傾けてくれることが、ぜひとも必要なのである。話していると、脳は脳内麻薬を放出して気分を改善してくれる。書くのは、おしゃべりの代わりだ。おしゃべりほど効き目はないが・・・。
 私の脳も、まさに書きたがる脳なんですよね。

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2006年5月 8日

制服捜査

著者:佐々木 譲、出版社:新潮社
 これが本物の警察小説だ。オビに書かれているキャッチ・フレーズに偽りはありません。「うたう警官」(角川春樹事務所)も北海道警の醜い側面を鋭くえぐった面白い警察小説でしたが、今回もじっくり読ませました。その筆力に感心します。たいしたものです。
 稲葉警部の不祥事が発覚して以来、北海道警は警察官の管理を極端に厳しくした。ひとつの職場に7年在籍した者は無条件に異動させる。同じ地方で10年勤めたら有無を言わさず、よそへ移すことにした。その結果、所轄の警察署にはベテランと呼ばれる捜査員がまったくいなくなった。経験の必要とされる刑事課強行犯係の年配刑事が、べつの地方で運転免許証の更新事務に携わる。小さな町で地元と長い信頼関係を築いてきた駐在所の警察官が、札幌で慣れない鑑識の仕事についている。犯罪者の検挙率が多少落ちてもかまわない。それより稲葉警部のような暴走する警官を出さないことの方が重大事だ。これが道警本部の方針。ふむふむ、そういうことが警察の世界で起きているのか、知らなかった。
 無能な刑事は、まわりの人間の人生をあっさりとぶち壊す。
 こんな鋭い言葉が出てきて、しびれます。
 駐在所の警察官の最大の任務は、被害者を出さないことではない。犯罪者を出さないこと。選挙違反の摘発だって、簡単にしてもらっては困る。選挙違反に手を染めるのは、地域への献身の証なのだ。それを摘発する警察は、地域の事情を知らない馬鹿役所だ。
 昔ながらの有力者による買収・供応という選挙違反がはびこるのは、ごめんです。でも、戸別訪問やビラ配りは一刻も早く全面解禁すべきです。
 駐在所に単身赴任した警察官が、地域の事情を少しずつのみこみながら、地域の政財界の有力者から圧力を受け、軋轢のなかで、所轄署ともたたかいながら犯人究明に乗り出していく苦労話でもあります。すごく読みやすい警察小説でした。
 ところで、私の住む町の身近な交番が2つも最近なくなってしまいました。警察官は大幅に増員されているのに、地域からはいなくなっているのです。これで地域の安全をどうやって守るというのでしょうか。
 日本の警察は優秀だと長く言われてきましたが、最近ではあまり評価されないようになっています。スーパーで万引きしたら、すぐに捕まります。私は今、コンビニでタバコ2箱を万引きしようとした青年の国選弁護人です。もちろん、万引きを放任しろ、なんてことは絶対に言いません。でも、暴力団がのさばっているのを本当になんとかしてほしいと市民の一人として思います。多くの市民の商売の邪魔になっているのですから。それに重大事件はなかなか捕まりません。ましてやグリコ事件のような知能犯は容易に捕まらない。いろんな理由があるでしょうが、その一つに警備・公安警察の優遇があるように思います。なにしろS(スパイ)対策費として、支出のチェックを受けないお金を自由に処理できるのですから、腐敗が起きないはずはありません。この本でも、駐在所の巡査の関心事が、教職員組合の動向と民主党と共産党の裏事情だという話が紹介されています。政権党を守ることが国家秩序の維持なんだ。ゴミのような事件なんて、どうでもいい。そこには、こんな警察トップの本音が隠されています。やはり、警察官にも労働組合を認めるべきです。

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2006年5月 2日

コールガール

著者:ジャネット・エンジェル、出版社:筑摩書房
 イエール大学で修士、ボストン大学で人類学博士号を取得した女性が、昼間は教壇に立ちながら、夜は娼婦として生活していた。男は娼婦をどう扱うか。娼婦は客をどうみているか。女性人類学者が自らの売春体験をつづった、驚きのノンフィクション。
 これはオビに書かれている言葉です。こんなことって本当にアリか・・・と思うと、スナップ写真もあって、どうやら本当のようですから、驚いてしまいます。アメリカって、まったくもって変な国ですよね。もっとも、アメリカにも東電OLが・・・と書かれていますので、私が知らないだけで、日本もあまりアメリカと変わらないのかもしれません。
 コールガール組織で働く女性の少なくとも半分、もしかすると4分の3が車と運転手をあてがわれており、その大半は学生寮に住む女子学生だ。
 コールガール組織の元締めをしている女性の取り分は1時間で60ドル。2時間なら 120ドル。この1時間の仕事をとるための電話の交渉は、たいてい2分そこそこですんでしまう。しかし、彼女は2分で60ドル以上の仕事をしている。客を入念にチェックして、女の子たちの盾となり、危険を承知のうえで新聞の広告欄に自分の名前と電話番号をのせている。
 彼女は午前2時に営業を終える。午前2時以降にコールガールを求めて電話してくるのは、やけっぱちになった問題ありの連中だからだ。
 彼女のコールガール組織は小さく、その規模の小ささから摘発を免れることができた。経営者はひとり、待機するコールガールも20人そこそこ。この程度の組織では、警察にとっては逮捕のしがいがない。
 著者は、彼女のもとで仕事をつづけ、週に4、5人のお客をこなした。お客をとらない日は彼氏と会い、この2つを完璧に分けていた。お客とするのは仕事、彼氏とはセックス。 コールガールがダブルを好む一番の理由。それは、お金だ。ダブルの仕事は、客の支払いもダブルになり、それぞれ一時間分の料金を稼げる。ふところが暖かい客をうまく乗せれば、契約時間の延長も難しくない。一時間で仕事を切りあげて次に電話を待つより、延長のほうがはるかに楽だ。
 コールガールが気にするのは、セックスの中身や回数ではなく、むしろ無為につぶす時間のほうだ。新規の客と連絡をとり、ほんとうに自分でいいかどうか確認し、相手が何を求めているか探りを入れる。これが結構手間だし、ストレスにもなる。だから、35歳の著者にとって、コールガールしているときは、コカインは習慣であり、日課だった。コカインのない朝など考えられなかった。
 若いコールガールのなかには、高額の報酬を得ることに慣れっこになっている人がいた。彼女らは金遣いが荒い。突然、大金が稼げるようになり、良識的な判断ができなくなってしまう。八方ふさがりの困窮生活を長く続けてきた若い女が突如として大金を手にしたら、なおさらのこと。金遣いが荒くなると、よりいっそう多くの仕事をこなさなければならない。それによってこの仕事にともなう危険もいっそう増すことになる。
 客は自分の思っているほどにはコールガールを支配してはいない。コールガールは客の欲望を探り、相手が自分を支配したがっていると読みとれば、それ相応に対処する。
 この仕事をしているかぎり、誰かと深い仲になったときは気の重い二者択一に直面することになる。つまり、エスコート・サービスで働いていることを打ち明けるか、それとも嘘をついて押し隠すか。隠せば、いつか見つかるのではないかと恐れつつ毎日を過ごすことになる。だが、打ち明けたところで、どうなるのか。その関係が破局を迎えるまで、そう長くはかからないはず。
 結局、実生活においても、客を相手にするのと同じような関係しか、男たちと結べないのではないか。退屈な妻とありきたりのセックスをすることに飽きた男たちが、性的ファンタジーを満たすという、ただそれだけが目的で求めるにすぎないのではないか・・・。 売春に携わる多くの女性がドラッグの奴隷になっている。ドラッグは女たちを仕事の奴隷とするために故意に押しつけられる。人の命がそれほど安く扱われている。依存症は恐ろしい病だ。
 私も弁護士を長くしていますが、新規の客と接するときには毎回、緊張しています。ほんとうに自分でいいのか、相手が何を求めているのか探りを入れます。相性のない客だったら、あとでトラブルになり、支払った着手金の返金を求められることもあります。コールガールと弁護士は似たところがある、なんてことは言いません。でも、職業としてみたときには、どこの世界でも共通するものがあるという気がします。

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ブンブンブン ハチがとぶ

著者:國房 魁、出版社:新日本出版社
 「ドンと鳴った花火だ」「かあさん、おかたをたたきましょ」に続く「歌いたくなる写真集」シリーズの3冊目です。まだ見ていない人は、一度、本屋の店先で手にとってみて下さい。子どもたちの笑顔にひきこまれてしまいますよ。見てる方まで自然に楽しくなって、つい笑顔がこぼれてくる本です。
 子どもたちが自然のなかで、伸び伸び、目が光り輝いています。野山のなか、雪のなか、田んぼのなかで焦点が見事にあっています。さすがはプロのカメラマンです。脱帽です。
 子どもたちが木登りしています。ジャンプして飛び上がっています。ミドリガエル(青蛙)を小さい鼻の頭にのっけています。そんな動きの一瞬を写真にすばやく切り取っているのです。たいした力です。
 古沢小学校の1年生は、全員で15人しかいません。梅雨どきの田んぼの道を一列に並んで傘を差しながら下校していきます。カラフルないい映像です。都会では絶対に見れません。雑木林でカブトムシをつかまえます。真剣な目つきです。
 いつのことだか思いだしてごらん
 あんなことこんなこと あったでしょう
 うれしかったこと おもしろかったこと
 いつになってもわすれない
 大人のちょっと疲れた傷ついたこころを十分いやしてくれる素敵な絵本でもあります。2500円は、ちっとも高くなんかありません。だって、明日に生きる勇気が自然にわきあがってくるのですから。

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人間は脳で食べている

著者:伏木 亨、出版社:ちくま新書
 人間は脳で食べている。口で味わう前に、脳が情報を処理している。口は、それを確かめる作業をする程度である。
 私も本当にそうだと思います。たとえば、わが家で一人ワインを飲んでも、ちっとも美味しくありません。美味しいワインをいただくためには、まずもって講釈が必要です。私の行きつけのフランス家庭料理の店(「ア・ラ・メゾン」)では、シェフが、このワインはフランスのどこそこの地方でとれたもので、そのファミリーはどういう出身で、ワインの作り方には、こんな工夫と苦労をしている。この年はワインのあたり年だった。などと、ひとくさり、ありがたい説明を聞かされます。もちろん保存状態は家庭と違って抜群です。ボトルからデカンタに移しかえるときも、ロウソクの炎に照らしながらの作業です。目にも楽しい作業で、鮮やかなワインの赤色を見せつけられますので、いかにも美味しそうだと期待にみちみちてきます。そして、広口の大きなワイングラスにそそがれ、手にもって揺らして、まず鼻で香りをかぎ、そして舌の上にワインをころがすようにのせて味わうのです。シェフがじっと側にいて見守っていますので、うん、うん、美味しいですと言ってしまいます。すると、本当に美味しく感じられるのです。
 幼いころから食べ慣れた味わいには、安心感を与え、おいしさを感じさせる。逆に、食べ慣れない味や食材には、しばしば違和感を覚える。子どものころから刷り込まれた味や匂いは、安全で信頼できる風味として、定着し、安心できる。
 やみつきのおいしさは、脳の報酬系で発生する。快感を強く生じる食べ物には、動物や人はやみつきになる。サーカスの熊のごほうびは、角砂糖かチョコレート。報酬効果は、快感を発生する前頭前脳束と呼ばれる神経の束が興奮する状態を示している。情報がおいしさを誘導する。私たちのおいしいと感じる味の多くは、実は、他人から与えられた情報で成りたっている。ところが、眼窩前頭前野を破壊すると、新しいやみつき感を獲得することができなくなる。
 絶対的なおいしさと思われているものにも、実は集団の総意にすぎない面がある。食べたいという期待や切ない欲求は、脳内のドーパミン神経が興奮している。
 匂いの判断は、味よりもかなり正確。多くの有害物の匂いを引っかける網をもっている。匂いの方が安全性のチェックに適している。
 ラットを用いた実権によると、ラットは清酒やビールをほぼ完璧に飲み分けることができる。ラットの選ぶビールの銘柄と、人間が極限近くまで大量に飲んだときにまだおいしく飲めるビールの銘柄とがほぼ完全に一致した。
 食物を口のなかでかむ。かんでいるあいだに、食物成分がだ液とまじる。これが舌を刺激する。舌は、食べ物の成分をキャッチして、甘味、酸味、苦味、塩味、うま味、そして脂肪の刺激などの信号に変える。渋味や辛味などが含まれている場合には、これらも信号として脳に送り出す。さらに、歯触りや舌触り、粘つきやとろみなど食感も物理的な信号となる。
 舌や口の中からの信号は、脳の入り口と言える延髄孤束核に伝えられる。これは後頭部にある。延髄孤束核は、すべての信号を舌の先、舌の奥、咽頭、内臓などの順に整列させる。延髄孤束核に整列した信号は、脳の一次味覚野に別々に送られて、味覚が統合される。舌は食べ物を単純な味覚成分に分解して脳に伝え、味覚野がこれを再び組み立て直して食品の味わいに戻す。再構成された情報は、価値を判断するために扁頭体に送られる。ここで、おいしさの判断が下される。
 おいしいと判断するまでの複雑なプロセスを初めて知りました。
 好き嫌いの程度は、実際には信号の頻度で強弱が表される。好きならば信号が何度も出て、そうでなければパラパラとした頻度でしか信号は出ない。この回数が好き嫌いに比例する。そうなんですか。そういうものなんですね。脳科学って、ここまで解明してるんですね。すごいものです。
 味と匂いの信号は、独自の道をすすみながら、最後に合流する。
 小さな飽きは、同じものを食べ続けないようにするための脳の摂食抑制信号である。同じものばかりを食べていると、リスクが大きいからだ。
 マクドナルドは、ターゲットを女子高校生と女子大生にしぼった。10年、15年したら、子どもを連れて戻ってくるからだ。マクドナルドなどのファーストフードは、人間の味覚を台無しにするだけでなく、地球環境を回復不可能なまでに破壊するものでもあるというのが私の考えです。マックやケンタは人類の敵なんですよ、まじで・・・。

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平和創造・人間回復、つなげよう、いのち

著者:毛利正道、出版社:合同出版
 団塊の世代の弁護士も元気いっぱい頑張っている。そんなメッセージを伝えてくれる本です。著者はホームページも開設していて、日々、果敢に問題提起をしています。かなりの読者をかかえているようです。ぜひ、あなたもアクセスしてみてください。
 「被害者の母親に叱られた私」という文章に出会いました。著者が45歳のとき、集団リンチにあって息子を殺された親の話を聞いているとき、その母親がバンバンとテーブルを叩いて怒ったのです。著者の態度が共感をもってきいていないという怒りがぶつけられました。つらかったでしょう、そんな気持ちがまるで感じられない、非常に事務的な態度だと非難されたというのです。
 これには、私も思いあたる苦い経験があります。相談者に対して、そんなの無理ですよ、と冷ややかに言い放ったのです。その言い方に相談者からくってかかられました。もっと親身になって話を聞いてくれてもいいではないのか、そんなもっともな苦情でした。私は、なるほどと思い、心から反省しました。あとで苦情の手紙が送られてきました。私は、お詫びの手紙に相談料5000円を同封しました。本当は5000円返すだけでは足りないと思ったのですが・・・。こんな失敗をときどきしてしまいます。人間としての未熟さからです。申し訳ないです。
 著者が強く感銘するのは、日本国憲法が、いつ、いかなるときも、いのちを人の手で奪うことは一切許されないとしている、その哲学。
 軍隊では人を殺す訓練をする。お隣りの韓国にも徴兵制がある。日本は違う。日本は戦後60年間、憲法9条をもち、戦争をせず、国民としては戦争の準備も、人を殺す訓練も受けずにきた。このことが、日本で犯罪による死者が少ない背景となっている。
 私も、まったく同感です。自民党や民主党のいうように憲法9条2項を廃止してしまったら、日本は戦争をする国になってしまいます。
 フツーの人が人殺しするのをあたりまえと思いはじめたら、日本はアメリカと同じように、隣りで殺人事件が起きても平気という、おぞましい国になってしまいます。平気で海外に攻めていって人殺しをしてはばからないアメリカのような国に日本をしてはいけません。

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下級武士の食日記

著者:青木直己、出版社:NHK生活人新書
 幕末、万延元年(1860年)、紀州・和歌山藩の勤番侍であった酒井伴四郎が江戸での単身赴任中に書き記した詳細な日記帳から、その食生活を再現したものです。
 桜田門外の変で大老井伊直弼が暗殺された2ヶ月後に江戸勤務を始めた28歳の青年節の生活がよく分かります。伴四郎は細かい字で毎日、日記をつけていたのです。もちろん、毛筆です。だから、現代人の私にさっと読めないのが残念ですが、こうやって活字で紹介されると、本当によく分かります。
 享保6年(1721年)ころ、江戸は110万の人口をかかえていた。ロンドンは70万人、パリ50万人、北京70万人だったので、江戸は世界一の人口だった。
 伴四郎は、猪ではなく豚をよく食べた。外出先でも、豚鍋で酒を飲んでいる。ただ、多くの場合、カゼを理由に、豚肉を薬と称している。豚肉は、多くは味噌やタレなどで味をつけ、猪同様、ねぎと一緒に煮て食べていた。15代将軍の慶喜は豚肉好きだったことから、「豚一殿」と呼ばれていた。うへー、そうなんですか・・・。
 江戸時代、一番格式の高い鶴はとくに珍重されていた。二番目は白鳥だった。鷹狩りの獲物として、将軍家から天皇へ塩漬けの白鳥が献上されていた。ただし、一般に好まれたのは鴨だった。
 伴四郎は、昼に飯を炊いて、朝や夕方は粥や茶漬けなどですませていた。京都・大阪の上方では飯は昼に炊いて、煮物や煮魚をおかずに、味噌汁など、2、3種と一緒に食べていた。これに対して、江戸では、朝に飯を炊いて、味噌汁と一緒に食べていた。昼は冷や飯だが、必ず野菜や魚などをおかずとしていた。夕食の多くは、茶漬けに香の物だった。昼食のおかずに重きをおいていた。
 上方の酒は、下り酒として江戸でもてはやされていた。江戸近郊でつくられるものは、地まわりものと呼ばれ、上質な下り物に対して品質的に劣っていた。だから、くだらないという言葉がうまれた。ふーん、そうなんですかー・・・。
 伴四郎の江戸詰手当は年に39両。支出は年に23両ほど。約4割を節約していた。ほかに米が現物支給され、食べた残りの米を売って、2両を得ていた。
 独身の伴四郎が楽しむことのできる場所と仕掛けが、江戸のあちこちにありました。武士といっても案外、固苦しい生活を過ごしていたわけではないことがよく分かります。

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アマゾン源流生活

著者:高野 潤、出版社:平凡社
 私もヘビは嫌いです。見ただけで背筋がゾクゾクしてきます。アマゾン源流には、長さ2メートル、胴まわり直径6センチの大蛇がいるそうです。絶対に近寄りたくありません。ヘビについて、背と腹の模様が同じものは本物の毒ヘビで、違うものは毒ヘビに擬態したモドキもの、なんだそうです。
 ヘビを見たら、細い棒で、頭や胴ではなく、首を狙うのがもっとも確実。下手に切断すると、頭だけがとびついてきたり、逃げられてしまう。
 大蛇をボアと呼ぶ。水中にすむアナコンダなどのこと。長さは15メートルもあるボアがいる。ボアは臭う。体内で獲物を消化させているときのボアは、ひどい悪臭を放つ。だから、嗅覚は敏感になってくるし、また匂いをかぐ力が大切だ。
 テントを張ってキャンプしていると、ジャガーが襲ってくることがある。ジャガーは、いつ、どこで、誰が一人になっているのか、人間の繰り返す行動パターンを観察してから狙っている。とくに、自ら狩りができなくなった老ジャガーが危険。だから、ベース番として残る人は案山子もたてる。ベース周辺に複数の人間の気配を漂わせておくようにする。
 野営したときにアリの大群に狙われたら、おしまい。とくにハキリアリ。ふだんは葉を背負って行列しているおとなしいハキリアリが、自分たちの巣に運ぶ価値があると判断してキャンプ地を狙ったら、もうどうしようもない。食料だけではない。包装しているビニール、テント、蚊帳、なんでも手当たり次第に食らいつき、かみきって運んでいってしまう。
 不用意に捨てたゴミから、何が襲来してくるかわからない。それで、消せる匂いはできるだけ消す。生ゴミも、魚の骨はすべて焼却する。そうしないと、昆虫や哺乳類だけでなく、コンドルのような鳥までやって来る。
 アマゾン流域は、森にしても川にしても、いったん奥に入ってみると、視界をはじめ、期待するような変化はない。生活パターンも単調になってしまう。
 絶対に行きたくない土地ですが、このアマゾンのおかげで地球上の酸素の相当部分が生産されています。また、人類の生存に役立つはずの薬の成分がまだまだたくさん眠っているとみられています。そんなアマゾン流域を開発の名のもとに荒らしているのがアメリカと日本です。日本の責任は重大だと思います。
 それにしても、私はほとんど同世代の著者のタフさと勇気には感心します。アマゾンにテントをはってキャンプするなんて、私にはとても出来ません。まあ、だから、こうやって代わりにアマゾンの話を読んでいるのです・・・。
 ちなみに、わが家の庭にいるヘビはヤマカガシのようです。茶色に黒がまじっています。近づくと音をたてて接近するな、注意しろと教えてくれます。

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2006年5月 1日

小さな蝶たち

著者:西口親雄、出版社:八坂書房
 てふてふの話です。なんて書くと、昔の古文時代に生きる人間のように思われてしまいますね。そうです。チョウチョの話です。
 イモムシがチョウチョに変化するなんて、この世の不思議のひとつだと思いませんか。醜いアヒルの子なんてよりも、ずっとずっと不可思議なことだと私は昔から考えています。どうして、地上をはいまわるモッタリした生き物が、いつのまにか変身して、あのように身軽にヒラヒラと華麗に空を飛びまわれるようになったのでしょうか・・・。
 私は、その不思議さをもとにした絵本をつくったことがあります。もっとも絵を描いたのは私ではありません。子どもがセミやトンボに変身して空を飛びまわるというお話で、我ながらうまいストーリーだと思ったのですが、残念なことにサッパリ売れませんでした。そのおかげか、私の絵本を出した出版社は、つい最近、倒産してしまいました。東京地裁から破産宣告の通知が送られてきたのには驚いてしまいました。
 蝶の幼虫、そうイモムシのことです、の基本構造は、筒状の胴体と、足と、鋭い歯をもった口からできている。動く消化管である。蝶の蝶中の関心事は、ただひとつ。餌をしっかり食べて、よく成長し、健康優良児になること。注意事項は、野鳥に食べられて、命を落とすことのないように用心すること。だから、幼虫は野鳥が寄ってこないようなグロテスクな姿をしている。
 うーん、そうだったんですか・・・。そうなんですね・・・。でも、でも、それにしても、あのイモムシが変身して空を飛ぶというのは、どうしても結びつきません。
 なぜ、幼虫で冬を越すのか。それは、春、できるだけ早く、若葉を食べたいから。越冬まえの脱皮は、冬の寒さに耐えられるよう、水分を少なく、脂肪分を多くするという体質改造のため。
 蛾は、もともと森の中で生活していた生きもの。日中に飛行する蛾は、昼飛性の蛾と呼ばれている。ベニモンマダラは蛾群と蝶群のあいだに位置する。前羽と後羽との間には連結器がある。どうして蛾は前羽と後羽を連結器でつないでいるのか。それは蛾が、飛び方がへただから。 セセリチョウは、蛾から蝶に変身した最初の、偉大な生きものだ。
 著者はチョウチョが何を食べているのかを手がかりとして、謎の解明を試みています。なるほど、と思わせる推理がなされていて感嘆します。たとえば、ササは中国中部に自生する背の低い竹が日本に進出し、日本の風土に適応して小型化し、草木的となった日本特産の植物だそうです。その笹を唯一の食餌にしている蝶がいるというのです。ヒカゲチョウです。ところが、クロヒカゲという、ヒカゲチョウによく似た蝶がいます。いくらか小型で、飛び方ははるかに敏捷。だから、ヒカゲチョウよりずっと進化しているので、ヒカゲチョウはクロヒカゲを恐れているというのです。
 いくつもの蝶の見事な写真があります。ホントホント、どうして蝶はこんなにも美しいのでしょうね。どこの誰が、こんなデザインを考えたのでしょうか。信じられませんよね。
 ギフチョウもヒメギクチョウは、色こそ多少違いますが、形はよく似ています。でも、新しい種が誕生するには、数百万年以上の年月が必要だそうです。ちょっとした突然異変が固定するのに、そんなにもかかるのですね。でも、犬は、もっと短い期間に、いろんな種がうまれたのではありませんか。それとも、あれは種の違いではないのでしょうか。
 春になり、わが家の庭にも蝶が飛びまわるようになってきました。ヒラヒラヒラヒラ、優雅な飛び方をするチョウを眺めていると、見ている方まで心が軽くなってきます。
 いま、アイリスが花盛りです。華麗な青色の花が咲くジャーマンアイリスもやがて咲いてくれそうです。

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