弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2006年5月 9日

書きたがる脳

著者:アリス・W・フラハティ、出版社:ランダムハウス講談社
 書くことは人間の至高の営みに一つである。いや、書くことこそ至高の営みである。そうなんです。まったく同感です。よくぞ言ってくれました。私は、こうやって毎日毎日、一時間以上は机に向かって書いています。ええ、そうです。キーボードを叩いているのではありません。ペンを握って、一字一句、手で書いているのです。そっちの方が断然はやいのです。
 書くためには、読む必要がある。言葉には色が見える共感覚がある。ホント、そうなんですよ。私も年間500冊以上の単行本を読み、定期購読の雑誌が5冊以上、そして毎日、新聞を5紙読んでいます。本を読むと、なんだか著者の語りが聞こえてくる気のすることもあります。
 ドストエフスキーは側頭葉てんかんの患者だった。異常にモチベーションの高い作家である。ルイス・キャロルも同じ病気だった。ほかにも、同じ患者としてモーパッサン、パスカル、ダンテ、フローベルなどがいる。
 アイザック・アシモフは、死ぬまでに477冊の著書を完成させた。すごいものです。なんとも言いようがありません。私も、この30年間、年に1冊以上の本を出してきました。今も、2冊の本を完成させようとがんばっています。
 百万匹のサルに百万台のタイプを叩かせておいたら、いつかは傑作が生まれるかもしれないという説があった。しかし、インターネットのおかげで、この説が間違っていることが証明された。うーん、なるほど・・・。といっても、いまやケータイで小説を書く人がいて、それをケータイで読む大量の読者がいるというのです。とても信じられません。どうやって著者はインスピレーションを湧かせるのでしょうか。
 絵画や音楽のときには右脳が活性化するが、書くときには左脳の活動が活発になる。
 一般人の強迫的な読書は、生まれつきの性質と学習があいまって、さらにときには違う世界に避難したいという傾向も働いている。そう、そうなんです。私も、毎日、トラブルの渦中に首をつっこんでいますので、トラブルのない、心静かな世界に逃れてみたいのです。ですから、それを逃避と言われると、抵抗感もありますが、そうなんだろうなと自分でも認めざるをえません。
 書きたいという衝動は、もっと基本的な衝動、つまりコミュニケーションをしたいという衝動から派生した二次的な衝動だ。うーむ、まったくそうですね。
 言葉は最初の向精神薬だった。言葉は、慰める、楽しませる、感情のはけ口となるなど、いくつかの方法で気分をよくしてくれる。言葉が気分を変える最後の技術は、感情のはけ口となること。人間は不満を言いたいという根深い必要性をみたすために言葉を発明した。だが、気持ちを吐き出してほっとするためには、聞き手がたとえ黙っていても、熱心に耳を傾けてくれることが、ぜひとも必要なのである。話していると、脳は脳内麻薬を放出して気分を改善してくれる。書くのは、おしゃべりの代わりだ。おしゃべりほど効き目はないが・・・。
 私の脳も、まさに書きたがる脳なんですよね。

  • URL

カテゴリー

Backnumber

最近のエントリー