弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2019年2月24日

熱狂のソムリエを追え!

アメリカ

(霧山昴)
著者 ビアンカ・ボスカー 、 出版  光文社

私は赤ワインを少々たしなみます。フランスを旅行するときは、カフェにすわって、コーヒーではなく、一杯のグラスワインの赤を道行く人を眺めながらちびりちびりと飲むのが楽しみです。夜のディナーのときは、大き目のグラスで2杯の赤ワインを飲みます。陶然とした気味を味わうのです。
この本は、ソムリエとは何かを究めようとしています。ソムリエとは、レストランでの食事のとき、ワインを選んですすめてくれる給仕役の人物です。ソムリエとは、フランス中部で駄馬を意味するソミエという語から来ていて、あっちからこっちへと物を運ぶ荷役動物的能力を発揮する仕事に就いた人物のこと。
高級レストランでは、一般に1杯のグラスワインに対して、そのボトル1本の卸値と同額を請求される。ボトルで頼むと卸価格の4倍を請求される。グラス4杯がボトル1本の値段になる。グラス売りのワインは誰にとってもおいしい商売だ。生産者と卸業者はグラス売りの場を欲しがる。というのも、商品の回転が速いし、安定して注文が入るから。
マスター・ソムリエのブラインド・テイスティングでは、25分で赤3本、白3本の計6本の評価をしなければならない。
第一段階でワインの外観を見る。グラスの脚をつまんで、手首を数回すばやく回す。ワインが回転し、グラスの内側に薄く付く。滴(しずく)の広がりとそのスピードを見守る。手をとめて、ころがり落ちる「涙」を観察する。濃くてゆっくりと落ちる涙は明らかに高アルコールであることを示し、いっぽう薄くてさっと落ちる涙は、またシート状になって落ちるときはアルコール度が低いことを意味する。
次は香り。グラスを持ち上げ、ほぼ床と平行になるまで傾けてワインの表面を空気にさらす。あらゆる角度からアロマを嗅ぐ。
一流のテイスターたちは、ソムリエコンクールに挑戦するずっと以前から舌と鼻を調整している。グラスの前に座る数日前、数時間前、数分前まで自分の身体をどう整えているかが、テイスティングと嗅ぐ技の結果を左右する。
テイスティング前の飲食と歯磨きをやめる。空腹状態で、フレーヴァ―を嗅ぐのだ。マスター・ソムリエ試験の前、舌がやけどしないように、1年半ものあいだ微温以上の飲み物は一切口にしなかった。冷たい飲食物だけの人もいる。テイスティングの前日は、重たい食事は避ける。生のタマネギ、ニンニク、強いカクテルも遠慮する。
合法的にワインに入れることのできる添加物は60以上もある。1000ドルもする樽の代わりに1袋のオークチップをつかう。コクがなければ、アラビアゴムで口あたりを重くする。メガ・パープルを数滴たらせば、ワインをふくよかにし、フィニッシュを甘くし、色を濃くし、青臭さを覆い隠してくれる。20ドル以下のワインには、すべて入っている。
高級レストランの売上げの3分の1はワインからというのが現実。ソムリエが店の運命を担っている。
完璧なソムリエとは、帰宅した客の記憶に残らないような存在でなければならない。
楽しい会話、客の懐(ふところ)具合と要望を知り、1000種もの候補のなかから適切な数本を選ぶのがソムリエの任務であるとしても・・・。
ワイン選びのむずかしさ、そしてソムリエの存在について教えてくれる本です。
(2018年9月刊。2300円+税)

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2019年2月23日

大名家の秘密

日本史(江戸)

(霧山昴)
著者 氏家 幹人 、 出版  草思社

この本を読むと、つくづく、江戸時代も現代日本と共通する思考があったことに気がつき、驚かされます。いえ、もちろん、この本のなかでは同じ江戸時代でも考え方が大きく変わっているという指摘がなされていて、すべて同じだったということではありません。
たとえば、残虐な復讐が平気でなされていた時代がありました。でも、親と子の難しい関係や勢力争い(派閥抗争)、からかいや嫉妬が横行していたことなど、現代日本の大企業で起きていることにつながっていると思わずにはいられませんでした。
江戸時代の下級武士、町人そして庶民の本当の生態を知りたいなら、『世事見聞録』(青蛙房)をぜひ読んでください。なんだなんだ、現代日本で起きていることは江戸時代に起源があった(いえ、当時も同じだった)ことを知ることができます。たとえば、江戸時代の庶民の家庭ではカカア天下がどこでもあたりまえで、亭主は女房の尻に敷かれてもがいていたなんてことが手にとるように分かります。
この本は、四国の高松藩士である小神野(おがの)与兵衛が18世紀半ばに書いた『盛衰記』と、それを徹底的に検討した中村十竹の『消暑漫筆』によって、水戸藩の初代殿様である徳川頼房(よりふさ)、2代の徳川光圀(みつくに)、そして高松藩の初代殿様の松平頼重(よりしげ)、2代の松平頼常という殿様の行状を生々しく明らかにしていて、とても興味深い読みものになっています。
そこでは、武士の忠臣美談など「武士道」のイメージなんてまるで通用しません。江戸前期の激越な武士世界(ワールド)を目のあたりにすることができます。ぜひ、あなたも覗いてみてください。
頼重は徳川頼房(徳川家康の末子)の最初の男子でありながら、頼房の命で見ずにされる(堕胎)ところを、家臣に救われ、京都で少年時代を過ごしたあと、頼房の養母(英勝院)の尽力で徳川家光に拝謁し、高松藩主となった。また、頼重の弟である徳川光圀は、本来なら兄の頼重が継ぐべき水戸徳川家を自分が継いだことを悔い、兄頼重の子を水戸藩主に迎えようと考え、自身がはらませた子を強制的に水にするよう命じた。こうして光圀の長男である頼常もまた犠牲になるところだったが、頼重の尽力で無事に誕生し、京都に身を隠したあと、こっそり高松に迎えられた。
家光もまた、長男でありながら父母に嫌われ、祖父の家康と春日局(かすがのつぼね)の力で継嗣となった。このように、親子の情愛から疎外された者たちが、それぞれに絆(きずな)を求めた。
「指切りげんまん、嘘ついたら針千本飲ます」
は私も知っています。ところが、
「ゆびきり、かまきり、これっきり」
「ゆびきり、かまきり、嘘ついたものは地獄の釜へ突き落せ」
「ゆびきりげんまん、嘘ついたらカマキリのタマシイ飲ます」
いろいろなヴァージョンがあるのですね、驚きました。
頼房は威公、頼重は英公、頼房は青年時代、かぶき者だった。ところが、青年期を過ぎても、頼房は泰平の世にうまく順応できなかった。
光圀も、若いころは、キレると何をするか分からない乱暴者。とりわけ16.7歳のころは、奔放なふるまいが目立った。三味線を弾き、刀は突っ込み差し。衣服は伊達に染めさせ、襟はビロウドという典型的なかぶき者ファッションで、両手を振りながら闊歩していた。このため、世間から、「とても水戸様の世子とは見えない。言語道断のかぶき者だ」と後ろ指をさされていた。
江戸初期には想像を絶する報傷(復讐)がありえた。たとえば、領主の苛政に対する不満が爆発し、年貢の取り立てに来た役人を殺害する事件が起きた(1609年ころ)。領主側は直ちに兵を差し向けてその村を包囲し、村人を皆殺しにした。
高松藩の2代殿様の頼常(節公)は、光圀の子だったが、水にされかけた。光圀の兄頼重(英公)の指示によって生後1ヶ月足らずで節公は京都に逃げて生きながらえた。
高松藩主として、英公と節公は、どちらも名君として定評がある。しかし、この二人のあいだには、終生、埋めることのない溝が横たわっていた。
英公は隠居してもなお、あまりに不遜で気ままに振る舞い、節公にはそれが気に入らなかった。そして、節公には、その息子に無関心で冷淡だった。
節公の子を流した家臣は徹底してイジメられた。ひそかに養育することを内心では期待していたのに、指示された言葉どおりに赤児を殺したことを命じた殿様(節公)は許せなかった。
こりゃあ、たまりませんね、家臣の身からすると・・・。
いやはや、江戸時代の殿様も大変だったんですね。しみじみそう思いました。
(2018年9月刊。2000円+税)

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2019年2月22日

公卿会議

日本史(平安時代)

(霧山昴)
著者 美川 圭 、 出版  中公新書

貴族政治って、意外にも会議体をもって議論して決めていたのですね。驚きでした。
公卿(くぎょう)とは、貴族の上層の人たちのこと。
律令制のもとには、太政官(だじょうかん)の議政官会議というものが存在した。議政官とは、左右内大臣、大納言(だいなごん)、中納言、参議らのこと。
太政官がいかなる提案をしたとしても、天皇はそれに制約されずに決定できるというのが律令制の原則。天皇と太政官は対立的に存在しているのではなく、天皇を輔弼(ほひつ)する太政官議政官の会議は、天皇の君主権の一部を構成していた。
藤原道長は摂政にはなったが、関白にはなってはいない。一条天皇は外戚(母の父)である道長の言いなりの人物ではなかったので、道長の立場は盤石ではなかった。
一条天皇が亡くなり、皇位を継承した三条天皇は、道長に関白就任を要請するが、それを道長は受けなかった。道長は関白ではなく、内覧左大臣の地位を自ら選択した。
三条天皇は眼病のため失明に近い状態となった。その三条天皇に道長はたびたび譲位を迫った。そして、後一条天皇が即位すると、外祖父の道長は摂政となった。
幼帝のもとで、奏上なしに決裁できるのが摂政。天皇が成人となったとき、奏上や招勅発給などに拒否権を行使できるのが関白。
摂政にも、関白にも、内覧の職務が包含されるから、制度上は摂関になったほうがよい。
天皇の外戚という非制度的な関係をもたないときには、権力が弱体化する恐れが常にあった。摂関政治といいながら、外戚、つまり天皇のミウチであることが、とても重要だった。
このころ、実務能力をもった貴族たちが、蔵人頭(くろうどのとう)を終えたあと、公卿として陣定に出席するようになった。
道長は関白として公卿会議に超然として臨むよりも、会議の中に身を置いて、彼らの信頼を得ることが重要だと考えた。そのため、あえて一上(いちのかみ)、つまり筆頭大臣として会議の中にとどまり、現場で発言しながら会議の進行をリードしようとした。
三条天皇のころは、もはや道長に対立する貴族はほとんどいなかった。それでも道長は関白にならなかった。道長は、内覧で一上左大臣という立場の有効性を確信していた。
そして、外孫である後一条天皇になると、初めて一上左大臣の地位を離れて、摂政に就任する。以後、道長は陣定に出席していない。
170年間、藤原氏は天皇の外戚を独占した。
御前での公卿会議が、天皇と関白の対決の場になった。
13世紀の日本では、神社の荘園が押収されたため訴訟が次々に起こされ、朝廷にもち込まれた。院政期には、所領相論(そうろん)、つまり不動産紛争の問題が、陣定(じんのさだめ)の議題として多くあがった。
日本人は昔から紛争が起きるとすぐに「裁判」に訴えていたのです。日本人が昔から裁判が嫌いだなんて、とんでもない嘘っぱち、私は、そう確信しています。
13世紀、雑訴評定においては、訴人(原告)と論人(ろんじん。被告)の双方を院文殿(いんのふみどの)に召し出して、その意見を聴取することになった。これが文殿庭中(ふどのていちゅう)である。
鎌倉時代の後期には訴訟が増大した。鎌倉後期には、幕府が訴訟の増大に対処することに追われた。貴族の分家が対立し、貴族内部の争いが家産、官位の争奪というかたちをとって深刻化したため、朝廷での裁判の重要性はいっそう高まった。
圧倒的な軍事力をもつ鎌倉幕府が成立してから200年、承久の乱で敗北してから150年、ほとんど幕府に対抗できる武力をもたない朝廷が、合意形成をしながら政治権力として一定の統治能力を維持したことは再評価してよい。宮廷貴族たちは、院や天皇のもとに結集して、公卿会議で論戦しつつ、朝廷を自立的に運営していった。
朝廷と貴族(公卿)の関係について、難しいながらも面白い本でした。宮廷貴族たちは、意外なほど会議での合意を目ざし、それなりの努力を続けていたのでした。
(2018年10月刊。840円+税)

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2019年2月21日

原発ゼロ、やればできる

社会


(霧山昴)
著者 小泉 純一郎 、 出版  太田出版

あの3.11から8年たちました。原子力発電所が事故を起こしたときの怖さを多くの日本人がすっかり忘れたかのように、原発再稼働がすすんでいて、私は不思議さと恐ろしさの双方を実感しています。
小泉元首相は、自分は騙されていた。原発は安全だと思い込んでいた。でも、それは嘘だった、嘘だと分かったからには原発に反対せざるをえないと主張しています。まったく同感です。
3.11事故のとき、日本は下手すると5000万人もの人々が非難しなければいけないところだった。幸い、そうはならなかったけれど、あのとき、アメリカは、米軍人の家族にアメリカ本国への帰還命令が出ていた。それほど深刻な事態に直面していた。
5000万人というと、日本の全人口の半分に近いものですし、首都東京に人が住めないということです。こんな狭い島国ニッポンのどこに逃げる場所がありますか・・・。
この本には書いてありませんが、「北朝鮮の脅威」を声高に言う人が、原発へのテロ攻撃の危険性に言及しないのが、私には不思議でなりません。
著者の主張はきわめて単純明快です。
総理大臣という責任ある立場でありながら、どうしてあんなウソを信じてしまったのか、じつに悔しいし、腹立たしい。
世界全体で原発の占める割合がどんどん下がっているというのに、日本政府は、世界の動きと反対の方向に進もうとしている。
騙されたことが分かったら、そのまま騙され続けるわけにはいかない。知らないフリをして間違いをそのままにしておくのは、よほど無責任なこと。
3.11は、自然災害ではなく、人災だ。
原発に関する基準が、日本は世界一厳しいということはない。たとえば、日本ではまともな避難計画を用意していない原発がたくさんある。
日本は原発ゼロをすでに経験したが、何も不都合は起きなかった。原発ゼロでも、自然エネルギーで日本は十分やっていける。
私が不思議なのは、自民党・公明党を支持する人たちが原発再稼働を本気で容認しているのだろうか、ということです。いやいや、原発問題とは別のことで自・公を支持しているというのかもしれません。でも、原発って、たくさんある問題点の一つというレベルではなくて、私たちと子々孫々が今後も生存していけるかどうか、という極めて重大なことなのではありませんか。
本分136頁で1500円の本です。ぜひ、あなたも手にとって読んでみてください。
著者がすすめた郵政民営化によってひどい目にあっていますが、原発問題では著者の提唱に異存はありません。原発は私たちの生存そのものがかかっている、きわめて重大な問題だと思います。
(2019年1月刊。1500円+税)

 フランス語検定試験(準一級)の合格証書が届きました。やれやれです。これで2009年以来、8枚目になります。口述試験の成績は23点で、合格基準点23点と同じですので、ギリギリでパスしたわけです。ヒヤヒヤものです。ちなみに合格率は17.4%とのこと。フランス語の力が低下しているのを心配していますが、毎日の勉強のなかで、1分間暗誦できるよう心がけています。もちろん、口に出して言うようにしています。黙読だけではダメなんですよね、語学は・・・。これからもフランス語、がんばります。

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2019年2月20日

一路

司法

(霧山昴)
著者 環 直彌 、 出版  日本評論社

裁判官懇話会の呼びかけ人の一人として私も名前だけは知っていましたが、なんと特捜部検事だったこともあるのですね。驚きました。検事、判事、そして弁護士と渡り歩いていますが、そこには一本の太い筋が通っています。
戦前の思想検事がエリートだったこと、裁判官は検事に逆らえず、検事の言いなりだったことを改めて認識しました。
一高を出て、優秀な人間を選んで思想検事にしていた。裁判官は、検事さんがおっしゃるんだから間違いないと、確かめもしなかった。
敗戦で思想検事がやめた(パージになった)だけで、他は何も変わらなかった。裁判官も検事も、公職追放以外は、まったく手がつかず、そのままだった。
戦後、弁護士になってチャタレイ事件の弁護人になります。百里基地訴訟で地主側の代理人にもなりました。そして、そのあと再び裁判官になったのです。それにしても11年間の弁護士生活のなかで12件もの無罪判決をとったというのですから、えらいものです。
東京地裁の裁判官のとき、戸別訪問禁止違反で起訴された被告人について無罪判決を出しています。公選法は違憲だから無罪だというのではありません。本件では有罪するまでの必要性もなく無罪、という判決でした。
宮本康昭裁判官の再任拒否があったとき、それを公然と批判し、裁判官懇話会の呼びかけ人になりました。懇話会の第1回は昭和46年(1971年)10月です。ちょうど私が司法試験の口述試験を受け終わった直後です。
定年退官したあと、再び弁護士になり、横浜事件の再審事件に関わります。
権威に弱い、批判精神に乏しく、安直に能率的な裁判官が増える傾向にあるとすれば、由々しい問題だ。
裁判官は、学者ほど頭が良い必要はない。良心こそ大切なのだ。頭の良い人は、相反するどちらの見解を正当らしくみせかける能力がある。もし、その人に裁判官の良心に欠けるものがあると、もっとも危険な存在になる。
まさしくそのとおりだと思います。
福岡で長く裁判官をしていて、現在は弁護士である西理氏が弟子の一人であることを初めて知りました。今、裁判所の内部にいる人にぜひ読んで欲しいと思った本でした。
(2019年1月刊。1400円+税)

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