弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2024年4月28日

徳川夢声とその時代

日本史(戦前)


(霧山昴)
著者 三國 一朗 、 出版 講談社

 無声映画時代に、活弁(かつべん。活動弁士)として活躍し、戦後はラジオ朗読で美声をふるった徳川夢声に関する本です。
無声映画というのは、まったく音がありません。なので、まずは音楽をつけます。生演奏です。
 映画館の面前、スクリーンの下にオーケストラ、ボックスがあります。かすかな明りがあり、そのボックスからなまのヴァイオリン・ピアノ・セロ(チェロ)が奏(かな)でられます。この音楽によって、騒々しかった場内が静かに落ち着きます。
そして、次に正面に向かって左側のスクリーンの端の舞台にある小さなガラス箱に薄いグリーン色の灯がつき、活弁の弁士名が洒落た文字で浮かび上がる。さあ、弁士の登場です。弁士はフロックコートか黒紋付に袴(はかま)姿。
 弁士は「前説(まえせつ)」を美文調で語り始めます。この前説は、映画そのものが5分か10分なのに対して20分から30分も長く話します。そんな長い「前説」を廃したのが徳川夢声。
 徳川夢声と名乗るようになったのは、赤坂溜池にある映画館「葵(あおい)館」で語るようになってからのこと。「蔡」というから「徳川」と名乗ったのです。
 徳川夢声の弁士としての給料は80円から100円。当時としては大変な高級取りです。
 そして、さらに月給は上昇し、160円、いや400円という、とんでもない超高級取りになりました。それくらい弁士に高額の給料を払ってでも客の入りが良ければ会社としてはもうかったというわけです。27歳で400円というのですから、いったい今のお金にしたら、いくらになるのでしょうか...。
 ところが、やがてトーキーの時代になります。弁士なんて不要です。弁士のストライキも起こったりしましたが、徳川夢声は声の良さからラジオに進出するのです。私は聴いていませんが、ラジオでの「宮本武蔵」の朗読は大好評だったようです。
 徳川夢声は1971(昭和46)年8月に77歳で亡くなりましたが、その前、私もラジオやテレビでその味わい深い声を聞いたことがあります。
戦前の無声映画時代の活動弁士(活弁)のことが知りたくて読んだ本ですが、他にもいろいろ教えられることのある本でした。
(1986年6月刊。1100円)

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