弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2021年11月20日

こうして生まれた日本の歌

人間


(霧山昴)
著者 伊藤 千尋 、 出版 新日本出版社

『心の歌よ』シリーズ第2作です。前回は21曲でしたが、今回は3倍近い57曲です。その分、1曲あたりの紹介文が短くなっていて、歌詞を思い出せない曲もありました。
福岡県大牟田市出身の荒木栄の歌も紹介されています。大牟田市の中心部に「九条の会おおむた」の事務所があり、そこには畳4枚分の大看板があって「平和への力、憲法九条」と訴えている(今はそこにはありません。事務所が移転しました)。
『がんばろう』は、筑豊の炭鉱の売店で働いていた森田ヤエ子の詞を荒木栄が作曲し、たちまち全国に広がった。
「沖縄を返せ」は、全司法福岡高裁支部(土肥昭三)が作詞し、荒木栄が編曲した。
荒木栄は1985年に亡くなったが、その碑は今も「米の山病院」の正面玄関前にある。
柳川市出身の北原白秋は、「からたちの花」を作詞した。柳川市には、鋭くて長い棘(とげ)のあるからたちの木が生け垣として、町のあちこちに植えられていた。
同じく北原白秋が作詞した「この道」は、北海道の風景を描いているが、同時に、幼いとき、母に手を引かれて歩いた玉名郡南関町の道も重なりあっている。うむむ、そうなんですか...。
サトーハチローは、少年のころは「神武以来の悪童」と呼ばれた悪ガキだった。落第3回、父(作家の佐藤紅緑)からの勘当は17回。山手線の内側にあるすべての警察署で捕まった。父の浮気癖にたまりかねて母親が家を出て、長男として父親のもとに残ったハチローは母を失った寂しさと父へのあてつけから不良になった。そのため、15歳のとき、小笠原諸島の父島へ追いやられて、そこの民家で4ヶ月のあいだ謹慎することになった。ここで、島の教会のポルトガル人宣教師の娘に恋をし、童話や詩集を熟読。島を出るとき、ノートが詩で埋まっていた。サトーハチローが一生のうちに書いた詩は2万1千編。そのうち3500編が母を慕う詩。これまた、すごいものですね...。
「ぞうれっしゃがやってきた」という歌もいいですね。戦争中、全国どこの動物園でも猛獣は殺せという命令がおりていたのに、名古屋の東山動物園では、4頭いた象のうち2頭を軍人もひそかに協力して生きのびさせることができた。いやあ、これってすごいことですよね。食糧難のなか、象のエサの確保は大変だったことでしょう。
そして、戦後、東京の子どもたちが象を見たいという。でも、2頭の象を離そうとすると、嫌がって暴れる。それなら、逆に東京の子どもたちを名古屋まで連れていこうということで、象を見る専用列車を仕立てた。1949年のこと。この列車で、6万人の子どもたちが東山動物園にやってきて、象を見た。この話が絵本となった。そして、それが合唱曲となって、大勢で歌うようになった。1986年の初演には定員850人の会場に1200人が集まった。うたが生きていた。2015年に名古屋で開かれた「日本のうたごえ祭典」では、2000人が舞台に上がって大合唱した。東山動物園の人たちは戦争の時代でも、あきらめず、仕方がないと思わず、守り抜いた。そのすごいことをみんなで歌うことで体感していく喜びがそこにあった。
著者が週刊「うたごえ新聞」に連載した記事をもとにした本です。私も、学生セツルメントの思い出を本(『星よ、おまえは知っているね』)にしたとき、この「うたごえ新聞」に紹介してもらったことを思い出しました
歌は、生きる力、明日への希望を心のうちに呼び起こす力をもっていることを実感させてくれる良書です。ぜひ、ご一読ください。
(2021年5月刊。税込1760円)

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