弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2021年10月30日

信長徹底解読

日本史(戦国)


(霧山昴)
著者 堀 新、井上 泰至 、 出版 文学通信

信長が今川義元を討ち取った桶狭間(おけはざま)の戦いの実相が語られています。
この本の結論は、桶狭間での信長の劇的な勝利は、いくつかの偶然と、戦国武将の心性が原因だったというものです。それは、①義元が伊勢・志摩侵攻を目指していたこと、②信長は、今川の尾張素通りに激怒し、軍議もなく、突然に出陣したこと、③思いがけない信長の出陣に、義元は作戦を一時変更して鳴海城方面へ前進したこと、④信長は目前の今川軍を「くたびれた武者」と誤解したまま、家臣の制止をふり切って正面攻撃したこと。
つまり、天候の変化があったとしても、信長に計算された作戦はなく、戦国武将の心性にもとづく軍事行動が勝利を呼んだ。ということになっています。うむむ、そうだったのですか...。
義元は、このとき大高城下に武者千艘を終結させていたというのは初めて知りました。
そして、今川義元が京の貴族が乗るような「塗輿」を持参していたのは事実として認めながらも、それは京都で使うつもりのもので、ふだんの義元は乗馬していたのだろうとしています。なーるほど、です。
長篠の戦いで、信長が鉄砲三千挺を三弾撃ちで待ちかまえていたので、武田軍が惨敗したというのは、今の通説は、これを否定している。ただ、鉄砲勢が三段構えをすること自体はありえたのではないかと今でも主張する人はいますよね...。
この本では、信長も武田軍も、どちらも長篠の戦いで両軍激突というのは考えていなかったとしています。信長は大坂の本願寺との戦いを重視して兵力を温存したかった、というのです。
信長を知るためには、やはり安土城に行くしかありません。私は二度、行きました。ここに400年ほど前に信長が歩いていて、立っていたのかと思うと感慨深いものがありました。
信長の話は尽きません...。
(2020年7月刊。税込2970円)

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