弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2021年7月30日

中世は核家族だったのか

日本史(中世)


(霧山昴)
著者 西谷 正浩 、 出版 吉川弘文館

この本のタイトルになっている問いかけに対して、本書は繰り返し、そのとおりだと答え、立証につとめています。なるほど、中世の家族というのは、そうだったのか、それは農業生産力の発展段階に見合ったものなのか...、得心がいきました。
中世の村では、おそらく男子も女子も生家を出て新たに世帯を形成する慣習が存在し、核家族が支配的な家族形態だった。
一般に男子は15歳、女子は12歳から14歳で成人した。男女ともに、人は結婚して所帯をもって、はじめて真の一人前とみなされた。男子の適齢期は16歳から25歳で、20歳にピークがあり、女子の適齢期は14歳から20歳で、17、8歳がピークだった。当時の若者には、親元からの速い巣立ちと結婚をうながす強力な社会的圧力が働いており、早婚社会だった。中世の民衆社会は、夫婦関係に依存して生きていくほかない社会であり、独身のままでいることには大きな困難をともなった。
親と成人した子どもは、それぞれ独立して財産を所有し、農業経営も核家族単位でおこなうというのが、当時の常識的な考え方だった。
配偶者の死亡率は高く、若い寡婦は再婚するのが普通だった。
中世民衆の家族構造は、単婚の核家族で、分割相続を基本とした。
中世においては、階層をこえて親子二世代夫婦不動居の原則が根強く存在していた。中世社会は、その原点において、夫婦一代ごとの家族形成を原則とする核家族社会だった。
支配者層は米を常食としたが、中世・近世の庶民の主食は麦だった。米の価格は、麦の3倍もした。庶民が米を食べるのは、正月・盆など年に26日あるハレの日だけ。
お米はベトナム南部(占城、チャンパ)から渡来してきた大唐米(だいとうまい)。風害に弱く、味も悪かったが、虫害・干害に強く、価格が低かった。
中世には、農業は男の仕事で、女は衣料の生産に従事していた。木綿は江戸時代から庶民の日常衣料となったが、中世は「苧麻」(からむし)の時代だった。女性は、この苧麻から衣料をつくるのに時間をとられた。近世になって、衣料が商品化したことで、女性は衣料生産労働から解放され、女性も農作業に本格的に参加できる(する)ようになった。百姓の妻女が紡(つむ)いだ衣料は、百姓自身の日用品であるとともに、一家の大事な収入源でもあった。
古代の百姓(はくせい、ひゃくせい)は、一般人民(公民)を表した。中世になると「ひゃくしょう」と読み、一般庶民や荘園の年貢の負担者を指した。必ずしも農民ではない。
日本の農業は規模が小さく、中世前期の農業は、「中農の時代」だった。
中世社会では「百姓の習(なら)ひは、一味(いちみ)なり」と言われるが、日常的に団結していたのではない。むしろ、利害関係が錯綜しているなかで、矛盾や対立を抱えた者たちが共通する強敵を前にして、他の問題を当面棚上げして臨時的に結成したのが中世の一揆だった。
古代村落の大半は9世紀から10世紀にかけて消滅していて、中世にはつながっていない。中世の村の多くは、地域開発にともなって、11世紀以降に誕生した。
中世の村と人々についてのイメージを大きく変える感のある力作です。
(2021年6月刊。税込1870円)

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