弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2021年7月25日

アウシュヴィッツの画家の部屋

ドイツ


(霧山昴)
著者 大内田 わこ 、 出版 東銀座出版社

ナチス・ドイツによるユダヤ人絶滅収容所として名高いアウシュヴィッツ強制収容所のなかにポーランド人画家が絵を描く部屋があった。なんて、まったく知りませんでした。音楽隊が組織されていて、ヨーロッパ各地から強制的に連行されてきた人を音楽で出迎えていたことは知っていました(暴動を起こさないように、嘘をつき通す道具として利用されていました)が、画家の部屋なるものは知りませんでした。そして、意外にも絵がいくつも残っているのです。
収容所美術館は、1941年10月から1944年2月まで、アウシュヴィッツ第1収容所24号棟に存在し、画家たちの工房だった「画家の部屋」は、地下にあった。画家たちはSS(ナチス)が発注する作品を描きながら、収容所の状況をひそかにスケッチして、今日に残した。たとえば1947年に収容所の焼却炉の近くで地中に埋められていたビンの中から、MMのイニシャルのついた22枚の小さな鉛筆画とチョーク画が見つかった。収容所の虐殺、虐殺が描かれている。
1941年の半ばごろ、ポーランド人政治犯フランシスチェクタルゴシュは中世の騎馬による戦闘シーンを描いているのをルドルフ・ヘス所長に見つかった。いつもなら、すぐに処刑されるところ、ヘスは三度の食事より馬が好きだったので、馬の絵を描くことで死罪を免れた。
そのタルゴシュは大胆にもヘスに収容所の描いた絵を集めた部屋をつくってはどうかと提案した。ヘスはその場で、この提案を受け入れて、収容所美術館が発足することになった。ええーっ、ウソでしょ...と思わず叫びたくなるような話です。世の中、本当に何が起きるか分かりませんね。
このタルゴシュは美術館の管理をまかされ、収容者の作品の保存につとめた。そして、無事に解放の日を迎え、1979年9月に故郷で亡くなった。うーん、そんな人もいたのですね。まさしく芸は身を助けるというわけです。
コルベ神父は、日本で6年のあいだ布教活動に従事して、ポーランドに帰国して5年後に、カトリック教徒だという理由で逮捕されてアウシュヴィッツ収容所に入れられた。
そして、1人の収容者が脱走した。その報復としてナチスは10人を餓死させることにする。ランダムに選ばれたその10人のうちの1人が泣き叫んだ。
「私は死にたくない。私には妻も子もいる。私は生きていたい」
当然の叫びですよね。この叫びを聞いていたコルベ神父は「私が彼の身代わりに」とすすみ出た。ナチスにとって頭数さえそろっていれば問題はない。このとき47歳のコルベ神父は、見ず知らずの人のために自分の生命を犠牲にしたのだった。
収容所のなかで描かれた絵を外に持ち出すために、大勢の善意の人々が協力した。鉄道の機関士、洗濯場の親子、パン屋の親子などなど...。その活動がナチスに発覚して処刑された親子もいます。収容所の内外がまさしく生命がけの仕事なのです。
人間の狂気は恐ろしいばかりですが、善意のほうも大がかりというより、根強い基盤を持っているように思われます。いいことですよね。人間って、ギリギリ信じられます...。
(2021年4月刊。税込1500円)

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