弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2006年2月28日

標的は11人

著者:ジョージ・ジョナス、出版社:新潮文庫
 映画「ミュンヘン」の参考図書だとオビにかかれています。1972年9月5日、ミュンヘンで開かれていたオリンピックの選手村に8人のアラブ人テロリストがしのびこみ、イスラエル選手団を襲いました。11人の選手と役員が殺されたのです。それからイスラエル政府の反撃が始まります。モサドは暗殺チームを結成し、同数の11人をターゲットとします。イスラエルのメイア首相が暗殺チームにじきじきに特命を下したという場面が描かれていますが、本当のことでしょうか・・・。
 暗殺チームに対する訓練の様子が紹介されています。
 殺しあいの撃ち方は、まず相手の用いる拳銃の種類を学ぶこと。弾のよけ方を知っておくには、相手のもつ拳銃の種類をとっさに判断することが肝要だ。どんな拳銃にも癖がある。
 特殊工作では、小火器の射程距離や貫通力より命中の精度、発射時の低音、携行する際の秘匿性が重要。22口径の半自動小型拳銃ベレッタ。これこそが最高の武器だ。でっかいやつは役に立たない。
 いったん銃を抜いたら、必ず撃て。撃つ意思がなければ、絶対に銃を抜くな。そして、引き金をひくときは、いつも2度ひけ。いちど狙いをつけて発射したあと、少しでも間をおくと、手を2度と同じ位置に安定させることはできない。もし2度とも的をはずしたら、狙いなおして、続けざまにもう2発、撃て。いいか、引き金は常に2度ひくのだ。
 人間を撃ち殺すのは難しい。百年かけて訓練しても、できない人にはできない。人間を撃つときには、頭や脚ではなく、胴体という大きな的を選ばなければならない。もちろん、続けて2発。
 偽造文書を見破るコツは心理学、読心術にある。所持者の目色にあらわれる微妙な変化を読みとれるかどうかだ。どんなに精巧な偽造証明書を所持していても、もっている者がそれに100%の自信をもたなければ、きっと簡単に見破られる。偽造証明書は所持する者の気構えひとつで生きもし、死にもする。盗んだ他人の運転免許証だって、心底から自分のものだと信ずれば、堂々とまかりとおる。
 これって、私たちの日常生活でも似たようなものを体験することがありますよね。思いこみによって、本当は他人のものがバレないということがあります。
 工作中、たえず周辺の変化に神経をくばれ。眼球をレーダーのように働かせろ。一つのものを数秒間以上、凝視してはならない。そうしていると、いつしかめったに笑わなくなってしまう。異常といえるほど表情のない顔となる。顔面の筋肉を動かしたのでは、たえず眼球を働かせるわけにはいかなくなるから。
 暗殺チームのメンバーは、10人並みの性格でいい。しかし、すべてに几帳面、信頼するに足る冷静な人物でなければならない。むしろヒーロー志向は嫌われる。信頼されない。さらに敵対感情の強すぎる者もご遠慮願う。熱狂的な愛国者でなければならないが、狂信性があってはいけない。むしろ抜け目ない人間である必要がある。大胆不敵であると同時に、クールさが求められる。
 テロリストは、飛行機に乗ったとき、通路際の座席が合理的のはずなのに、なぜか窓際に坐りたがる。
 モサドの暗殺チームは、与えられたターゲット(標的)の11人を次々に1人ずつ殺していきます。少人数でも、資金とわずかな決断力さえあれば、人をわけもなく見つけ出して殺せる、というのです。
 しかし、報復の連鎖は今日なお、とどまるところを知りません。実のところ、アラブのテロリストが殺しを始めたというのではありません。どこかでこの果てしない殺しあいを止めなくてはいけない。そのことを痛感させる本でもあります。でも、日本政府はいつだってアメリカの言いなりです。日本人の我々も黙っていたら殺し合いの連鎖に手を貸しているだけだということを、もっと自覚しなければいけません。

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2006年2月27日

官邸主導

著者:清水真人、出版社:日本経済新聞社
 自民党をぶっつぶすと叫び、多くの国民の喝采をあびて登場した小泉純一郎は、自民党の支配構造をしっかり温存したうえで、日本社会を根底からぶっつぶしつつあると私は考えています。かつての総中流意識は今は昔の物語になってしまい、今では一部の富める者はますます金持ちになり、多くの貧しい者は日々に貧しくみじめになりつつあって、日本社会が大きく揺らいでいます。このまますすめば、暴力が横行するアメリカと同じで、私たちの生命も健康も危険にさらされ、ゆとりとうるおいのない日本社会に早晩なるのは必至です。マスコミもホリエモン逮捕以来、少しはその点を報道していますが、根本的な問題提起はごくわずかなままです。
 この本は、まず小泉純一郎が登場するまでの激動する政界のあゆみをたどっています。村山富市、橋本龍太郎、小渕恵三そして森喜朗と、歴代首相は相次いで失政を重ね、国民が離反していきました。そこへ、「変人」首相が割りこんできたわけです。2005年9月の総選挙は、マスコミを抱きこんで、ひどいものでした。
 竹中平蔵は小泉内閣メルマガで諮問会議の舞台まわしを次のように紹介している。
 1回2時間の諮問会議のために、スタッフとの打合せ数時間、提言をする民間メンバーとの打合せ数時間、そして首相・官房長官との打合せが1時間。これに根まわしの時間を加えると、合計して1回あたり20時間をこえることが少なくない。
 要するに、諮問会議というのも、小泉の手のひらのうえに乗っているということを自白しているようなものです。
 小泉なくして竹中なし。竹中なくして小泉なし。それが真実だ。
 内閣総理大臣の権力とは、とことん突きつめると、まず第一に衆院議員全員のクビを一瞬にして切ることができる衆院の解散権。同時に、閣僚や党首脳の人事権は解散権の行使を円滑にするため、表裏一体のものとして欠かせない。結局のところ、この二つをどう有効に活用するかに集約される。
 小泉は、政権担当以来、一貫して党三役や閣僚の人事を派閥の領袖の推薦を受けつけず、相談もせず、断片的な情報もれさえ極度に嫌って、たった一人で決めてきた。
 人事権のもっとも効果的な使い方は、この役職に就くことができたのは、誰のおかげなのかを明白にすること。小泉は、それが総理総裁の専権事項であると徹底して思い知らせる戦略を貫徹し、派閥を完全にカヤの外に置いて、ガタガタになるまで弱体化させた。
 小泉政権下では、どの党三役も閣僚も100%、小泉のおかげでポストに就けたことは明確であり、党執行部と閣内の求心力は抜群に高まった。小泉は、いざ政局有事の造反の可能性を極小化してきた。
 小泉が自民党幹事長を求めたのは、総裁に代わって党内を押さえこむ剛腕ではなかった。解散などの政局有事に裏切るおそれのない総裁への忠誠心こそが第一であり、忠実に小泉の方針を実行する能力に尽きている。
 怖い政治家です。国民が「強い」政治家を待望すると、このようなとんでもない政治家が出現し、日本社会をズダズダに切り刻んで、これまで国民のなかにあった、なんとなく、ほんわかとした連帯心がなくなってしまい、ギスギスして夜道を女も男も安心して歩けない日本社会になってしまうのです。
 400頁をこす、ぎっしりと重たい内容の詰まった本でした。

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石器時代の経済学

著者:M・サーリンズ、出版社:法政大学出版局
 20年ほど前に出版された本です。図書から借りました。調査自体はもっと古く、今から40年前くらいになります。しかし、その意義は決して薄れていません。というのも、石器時代の人類の生活がどんなものであったか、その名残をとどめている民族を調査したものだからです。
 石器時代の人類は生きるために、耕作民や牧畜民よりも、はるかに激しく働かねばならないという考えは必ずしも正しくはない。このことが調査によって明らかにされた。
 カラハリ砂漠にすむブッシュマンは、食物と水はさておき、日用品については、ある種の物質的な潤沢さを享受している。必要に応じて加工品をつくりかえる材料は、たいてい身近に潤沢にあったので、恒久的な貯蔵手段を開発する必要もなければ、じゃまな剰余物や予備品をかかえこむ必要も欲求ももたなかった。明日を思いわずらって貯える必要がなかったので、物品の蓄積と社会的身分とのあいだにはなんの関連もなかった。
 大部分の狩猟民は、非生活資料部門では、ありあまる富ではないにしても、あふれる豊かさのなかで生きている。狩猟民は、何も持たないから、貧乏だと、我々は考えがちだ。しかし、むしろそのゆえに彼らは自由なものだと考えた方がよい。きわめて限られた物的所有物のおかげで、彼らは、日々の必需品にかんする心配からまったく免れており、生活を享受しているのである。
 すごい指摘ですよね。まったくそのとおりではないでしょうか。現代人は、あれもこれも必要だと思いこまされて、実際に使いもしないものを家じゅうに貯えておき、その支払いに汲々として、心のゆとりを喪っているように思います。
 狩猟民は、食物生産に一日あたり平均3時間から4時間しか費やしていない。狩猟民は、1日働いて、1日休むという間歇性を特色としている。1人あたりの労働量は、文化の進化につれて増大し、その反対に余暇量は減少した。
 ブッシュマンの若い人々は、結婚するまで、定期的な食物の調達を期待されていない。少女たちは15歳から20歳までに結婚し、少年はそれより5歳ほど遅れる。年とった親類たちが若者たちのために食物供給すべく働いているあいだ、健康で活発な十代の若者たちが遊び歩いているのは珍しいことではない。
 ニューギニアのカパウク族は、人生でのバランス感覚をもっているため、労働するのは一日おき。しばしば数日のあいだ激しく働く。仕事を完了すると、また数日ゆっくり休息する。なにごとにも、ほどほどを方針にしている。祭りや休養には、たっぷり時間をとってある。どうでしょう。未開の野蛮な社会だと私たちが思っていた社会は、人々が生き生きと、ゆったり暮らしていたのではないかというのです。
 アリやハチの最近の研究でも、すべてのアリ・ハチが忙しく働いているのではなく、のんびり、ごろごろしている働きアリ、ハチもたくさんいて、忙しく働いていたアリ・ハチがいなくなると、補充兵のようにして自分が欠員を埋め、忙しく働きはじめる。こんな話を聞いた覚えがあります。
 ところが、残念ながら、万物の霊長と自称する人間は、そのような調節ができていません。仕事がなくて困っている若者がいる一方、働きすぎて過労自殺、病気にかかる人があまりにも多い日本です。

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2006年2月24日

雇用破壊、非正社員という生き方

著者:鹿嶋 敬、出版社:岩波書店
 高校を卒業してすぐに就職し、同じ会社に正社員としてずっと勤務している人の生涯賃金(19歳から60歳までの年間収入の累計)は2億1500万円。高校卒業後、ずっとアルバイトを続けている人(パート労働者)は5200万円。生涯賃金の格差は4.2倍、1億6000万円の差がつく。
 フリーターが正社員になれないことによる経済的損失は、税収面では1.2兆円、消費額は8.8兆円、貯蓄額では3.5兆円になると推測されている。
 フリーターの7割はサービス業に従事している。そして、半数以上が従業員30人未満の小規模な企業・事業所に勤務している。
 フリーターの平均年収は、男性156万円、女性は122万円。フリーターの生活は気楽などころか、先を考えれば考えるほど、不安で押しつぶされそうになる。
 非正社員の親との同居率は高く、結婚している比率は低い。経済的に不安定なフリーターが増えれば増えるほど、非婚・晩婚というライフスタイルの選択に拍車をかけ、少子化はさらに進む。
 中高年フリーターが100万人時代となっている。若いうちからずっとフリーターで流されていく漂流組が100万人となり、近い将来には300万人をこすことになるだろう。
 25〜29歳の未婚男性フリーターの有配偶率は28.2%、男性フリーターの未婚は顕著だ。
 悲劇を増幅しやすい夫婦とは、夫はプライドがあって失業したことを言い出せない、妻は夫の失業を知ったとき、あなたがだらしないから、こんなことになると怒る、というケースだ。経済から疎外された男性のあせり、屈辱感は相当なものだ。
 正社員は多忙すぎ、非正社員は安すぎ。まさに言い得て妙です。うちの娘も朝7時すぎに家を出て、夜10時すぎに帰ってくる生活です。はたでみていても、本当に大変そうです。3月半ばに会社を辞めるというのを、とめる気にはなれません。

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宮中賢所物語

著者:?谷朝子、出版社:ビジネス社 
 賢所は「かしこどころ」と読むのが正しい。しかし、著者たちは「けんしょ」と呼んでいた。皇居にある宮中三殿の全体を賢所(けんしょ)と呼ぶ。ここは神様が来るところで、年に20数回のお祭りがあり、月に3回の旬祭(しゅんさい)がある。平安時代から途切れることなくお祭りしてきた。ここで57年間も内掌典(ないしょうてん)としてつとめてきた人の聞き語りによる本です。
 戦前、滋賀県大津にあった高等女学校を卒業し、19歳のときにつとめはじめたのです。賢所の儀式は書き残すことが許されず、すべて口伝によるといいます。
 内掌典は、公務員に準ずる内廷の職員という身分である。宮中三殿は、明治になって京都から東京へ移ってきてから建てられたもの。明治22年建築。戦災にもあわず、そのまま残っている。アメリカ軍は政策的検地から皇居は爆撃しなかったのです。
 賢所では、動物の肉を食べることが禁じられている。牛乳やバター、肉のエキスの入った加工品もダメ。しかし、二本足のニワトリ、カモなどの鳥肉は良しとされている。ラーメンも、鶏肉だけでスープをつくるしかない。調理するのは雑仕という大学を出たばかりの若い女性がつくるもの。宮中と違って専用のコックがいるわけではない。ただし、内掌典も、皇居の外に出たら肉を食べることは許されている。なお、お酒の方は飲むことが認められている。
 賢所の生活で重要かつ基本となるのは、「次清(つぎきよ)」のしきたり。内掌典は常に身を清め、衣服を清くして、居住まいをただし、手を清くしてつとめる。その清浄でないことを「次」(つぎ)という。
 財布(お金)に触れたら「次」、外部から来た郵便物に手が触れたら「次」といった具合。このときは、手を水や塩(おしろもの、という)で清められる。水で洗うときにも、「次」となった手で直接触れることはできず、手の甲で栓をひねって水を出す。
 生理のとき、またトイレ(よそよそ、という)をつかうときも、同じように大変です。
 生理(まけ)の1週間は、着物や化粧品は専用のものをつかう。トイレ(よそよそ)のなかでは、手を着物の表に決して触れないようにする。
 手をケガして血(あせ、という)が出たら、御殿の水で手を清めることはできない。
 この本には、賢所の1年がことこまかに紹介されています。驚くのは、12月29日に、賢所は、もうお正月になるというのです。1月1日には、午前0時に起床して、おつとめがあります。大変ですね。
 著者が内掌典になったときには、いったんつとめはじめたら10年が期限だったそうです。それを聞いて父親は反対しました。3年間は、外出もできなかったといいます。
 内掌典は、著者をいれて6人。今では、4年です。魚と繊維質の多い野菜が中心の食生活。結局、結婚しないまま57年ものあいだ内掌典をつとめたのです。賢所のあいさつは、芸能界は夜でも「おはようございます」といいますが、「ご機嫌よう」というのだそうです。
 御所言葉が最後に紹介されています。お金は、おぞろ、そうめんおたから。食事は、おばん。寿司は、おすもじ。お魚は、おまな。
 神殿につかえる巫女さんの一生が紹介されたということでしょうか。
 私には、なぜ、この本がベストセラーになるのか、不思議でなりません。実をいうと、私は皇居に住む天皇一家の私生活が紹介されているのかと誤解して読んだのです。

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2006年2月23日

名をこそ惜しめ

著者:津本 陽、出版社:文芸春秋
 硫黄島、魂の記録と銘打った本です。日本軍が玉砕したとされていたとき、実は、まだ日本兵1万人が地底に掘った坑道や洞窟などに生き残っていました。大本営が降伏を呼びかけていたら助かったのではないかという指摘がなされています。本当に胸の痛む思いがしました。
 敵弾で戦死したのは3割で、6割は自殺したとみられています。なぜか。出れば殺されると思ったから。誰からか。アメリカ軍からではない。上官または同僚から殺されるという心配が一番頭にあったのだ。うーん、そうだったのですね・・・。可哀想です。
 硫黄島は、面積20平方キロの火山島。東京北区と同じ広さ。島には自然に湧き出る水はまったくなく、すべて天水でまかなう。地面の温度は50℃。
 日本軍の将兵が体力を消耗するのは、下痢による。1日10回ぐらいなら健常者。寝こんだ患者は1日に30回、40回と下痢する。それでも生きているのは、一日に水筒一杯 の硫黄と塩分のまじった水と、日に三度の重湯のおかげ。風土病であるアメーバ赤痢も流行していた。病人は、2万人いる日本軍全体の2割、絶えず4000名はいた。
 日本軍のトップ栗林中将は、妻へ送った手紙に、こう書いています。
 私はまもなく死ぬ。あなたはその事実を納得しなければならない。遺骨も故郷に戻らないだろう。それは承知のうえだ。私の魂は、あなたと子どもらの中に住むことになる。
 硫黄島に上陸したアメリカ軍は、海兵隊が3個師団、7万5000。そのほか、あわせて11万。飛行機は1000機。大変な物量作戦ですが、それでも日本軍は全滅していなかったのです。地下にもぐらのような生活をして耐えていました。
 栗林中将は、アメリカ軍が来る前、硫黄島に視察に来た大本営陸軍作戦部真田少将に対して次のように言ったそうです。
 サイパン玉砕の戦訓にかんがみ、このうえ、わが国が無駄な損害をかさねないよう、すみやかに和戦の方途を講じられるよう、大本営に対して具申していただきたい。
 もちろん、そのような具申はされず、日本軍は無駄な損害をかさねていったわけです。
 栗林中将は、バンザイ攻撃をいっさいせず、最後の一兵まで戦わせ、一人十殺をなし遂げさせようと思いきわめていた。そうするよりほかに、眼前に迫っている滅亡を甘受する意味を見つけ出すことはできない。自分を抹殺しにくる者を、一人でも多く死出の道連にするのだ。
 有名な摺鉢山の頂上に星条旗が立った写真は1945年2月23日のこと。ところが、翌24日未明、日章旗にかわった。夜があけると、また星条旗が立つ。4日目の26日未明、ついに日章旗は見られなくなった。うーん、そうだったのですか・・・。日本軍も最後まで粘り強くたたかったのですね。アメリカ側の本も読みましたが、3日目まで山頂の旗が入れかわったというのは初耳でした。
 アメリカ兵が日本軍将校の自決する様子を見ていました。次のように紹介されています。
 将校は一枚の写真をポケットから取りだし、見ながらなにかつぶやき、その写真に幾度となく頭を下げては涙を拭っていた。彼は頭を下げたのち、胸のポケットに写真を入れ、大声でフサコ、トシヤスと幾度も絶叫したのち、アメリカの戦車兵が壕内を焼き払っている火焔のなかに飛びこんだ。
 本当にむごく、痛ましい光景です。将校も「天皇陛下バンザイ」を叫んで死んでいったのではないのですね。
 硫黄島には、いまも1万2000体をこえる日本軍将兵の遺体が埋まったままだそうです。なぜなのでしょう。本当に、日本っていう国は冷たい国ですね。靖国神社への公式参拝には熱心でも、遺骨の収集にお金をかけることはしないのですね。それでいて、英霊の顕彰なんていう小泉首相は許せません。もちろん、無謀な戦争に国民をひっぱっていった当時の日本支配層は、もっと許せませんが・・・。

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2006年2月22日

脳内汚染

著者:岡田尊司、出版社:文芸春秋
 タイトルが少しばかりドギツイので、トンデモ本の印象を与えますが、内容はしごくもっともな指摘です。
 子どもたちが幼いころからテレビ漬けになっていると、対人関係が乏しくなるということは古くから指摘されてきました。しかし、テレビ漬け以上にゲーム漬けになったら、もっと怖いということです。ところが、今では、ゲーム産業はビッグビジネス化しているので、マスコミは批判できないようになっているというのです。本当に困ったことです。
 テレビに次ぐメディア産業となっているのが、ゲーム業界である。1997年にゲームの総出荷額は1兆円をこし、2001年に1兆5000億円となった。国外への出荷額が3分の2以上。国内市場は縮小傾向だが、アーケードゲームが6000億円、ビデオゲームが5000億円。世界全体のビデオゲーム市場は20億ドル(2兆円)で、日本のゲーム産業は4分の3のシェアを占めている。ゲームの最大の消費国はアメリカ。アメリカだけで世界の半分以上を消費している。今や、映像メディアだけで国内に7兆円をこえる市場規模をもつ巨大産業である。
 平均的なアメリカ人の子どもは、18歳になるまでに、少なくとも暴力的なシーンを 20万回、殺人を4万回、目撃する。小学校を卒業するまでに、8000件の殺人と10
万件の暴力行為を目撃させられる。ビデオゲームには、1時間のプレイあたり最大で  1291回、平均で61回、人間が死ぬ(殺される)。
 FBIなどの射撃訓練センターでつかわれている訓練用装置と基本的に同じものがビデオゲームとして売られている。だから、アメリカのコロンバイン高校での大虐殺事件の高校生たちは、本物の銃を扱ったことがほとんどなく、ビデオゲームをみていただけなのに、銃を発射して人間に命中させることができた。
 8歳の時点で、テレビをどれくらい見ていたかによって、30歳までに犯した犯罪行為の程度を予測できる。つまり、8歳の時点で、どれだけテレビを診ていたかによって攻撃性の強さは左右される。
 暴力的な映像の洪水には、3つの有害な影響がある。第1に、感覚麻痺によって、暴力に対して無感覚になる。第2に、感じないことを、あたかも優れた美質であるかのようにみなす傾向になる。第3に、世界や人間に対して過度に悲観的になり、醜く危険で希望のないものとみなす傾向を植え付けてしまう。これは、子どもにとってその心に対する暴力であり、虐待にほかならない。
 ビデオゲームは、最高の叡智を傾け、中毒を起こしやすく設計された、一種の合成麻薬である。ビデオゲームは、すべてアドレナリンを出せるかどうかにかかっている。アドレナリンを出せる一番てっとり早い方法は、やられたと思わせることだ。つまり、やるか、やられるかという危険のなかで、必死に戦うか、逃げている瞬間にアドレナリンがもっとも盛んに放出される。敵を倒し、危地を脱したと、達成感とともに、脳の中ではドーパミンが放出される。
 ゲームに入り込むと、アドレナリンが放出され、瞳孔が開いて瞬目率が下がる。
 ゲーム依存、ネット依存が生じている最初の重要な徴候は、時間を守って終えることができないという症状である。依存がすすんでくると、ずっとやっていたいという気持ちを抱くようになる。そして、やっているときは、激しいワクワク感と気分の高揚を覚えている。メディアによって、あまりにも易々と代償的な満足が得られるために、苦労の多い努力をして、現実の中で満足感を得ようとは思わなくなってしまう。
 非行に走った子どもをみてみると、生物学的な基盤よりも、心理社会的な要因の方が、問題をこじらせる原因となっていることが多い。
 現実の中で寂しさを抱きながら、それをメディアの中の存在で満たすという状況におかれてしまうと、子どもの中で、現実の存在に対する尊厳や同一化が起こる機会は永久に失われる。その結果、多くの若者たちに、自我理想の形成不全がみられる。
 現実の人間は、画面の中のヒーローに比べると、格好悪い存在でしかない。身近な現実の存在は、最初理想化されたとしても、やがて失望を生む。対人関係は不安定なものにならざるをえない。
 快感を組みこまれ、いわば信者となった幼い脳は、親や教師の言うことに耳を貸さない。カルト宗教の信者のようなものだ。
 手づくりの体験が心をよみがえらせる。刺激のない状態の静けさや、安らかさを心と脳に取り戻してやることが大切だ。新たな刺激を際限なく求め続けることは、長期的にみれば、心をどんどん鈍磨させ、幸せを感じにくい心をつくり出してしまう。ささやかな楽しみが楽しみとして感じられることこそが、幸せの本質なのである。
 毎朝、出勤する前、フランス語の書きとりをしています。頭をあげると、わが家の庭の向こうに、緑あふれる低い山並みがあります。晴れた青空をバックとして目にしみる静かな緑に心が落ち着きます。心にゆとりを感じるひとときです。私はテレビを見ませんし、テレビゲームも一度もしたことがありません。1978年から流行したインベーダーゲームは何回かしましたが、私にはとてもできないと思いました。
 子どもたちに豊かな自然環境を残すだけでは足りない。社会環境についても考えるべきことは大きい。そういうことなんですね。

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2006年2月21日

カリスマ幻想

著者:ラケシュ・クラーナ、出版社:税務経理協会
 古くはダイエーの中内、マクドナルドの藤田。最近ではライブドアの堀江そしてソフトバンクの孫。まさにカリスマCEOです。アメリカもたくさんいます。クライスラーのリー・アイアコッカ、GEのジャック・ウェルチ、そして、ビル・ゲイツなどなど。
 この本は、こられのカリスマ経営者に企業再建を頼ることの愚を明らかにしています。カリスマCEOに対する礼賛、カリスマCEOを存在させている継承プロセス、これらを容認する文化、これらすべてはオズの魔法の神秘化とまったく同じだ。我々は、より成熟した、そして自己をより深く認識した人たちによる、責任ある社会を構築するために、ベールに包まれているそのなかをしっかりと見極めなければならない。
 ビジネス・スクールで学生はカリスマ幻想を学ばされる。というのも、リーダーシップ論のテキストは主人公はCEO1人という前提で作成されているからだ。
 1992年、アメリカのGE(ゼネラル・モーターズ)で株主である機関投資家が経営陣をすべて更迭した。権力が経営者サイドから投資家サイドに移行したことを物語る。社内の生え抜きがトップになると、それまでの会社のカルチャーを台無しにすることはできない。いやな奴にはなり切れない。そもそも、会社にずっといたのだから、こんな会社にした責任の一端がある。だから、社外の人間を呼ぶことになる。
 優れたCEOというのは、有能な経営者から、カリスマ性を備えたリーダーに変わった。会社は単に利益だけでなく、より壮大で、より高潔なミッションをも追求していると従業員が納得してくれるよう、CEOは従業員を指導しなければならない。
 つまり、これからの時代のCEOには、メディアやアナリストの注目を集める能力が評価の基準になる。この能力によって、投資家やそのほかの人たちから信頼感を勝ちとり、また、企業に対する高い評価を定着させることができる。CEOほど、よい広報マンはいない。
 CEOは外部の人間に求める。うまく機能していない社内の仕組みを変え、順調なことはそのまま維持してくれる。そんな人物を探すことになる。
 CEOは企業間を転々と移り、報酬を螺旋的に吊り上げている。それはサーチ会社が後押ししている。経営能力とは関係なく、企業や株主の利益から、かつては見られなかったほどの巨額の報酬・慰労金をかすめとっている実態がある。
 ところが、今日行われている社外人材によるCEOの継承の実態は、門戸開放や競争原理とはほど遠い。今日のCEO人材市場は、本来の開かれた市場と同じだと擁護されているが、実態はそうではない。外部CEO人材サーチのプロセスは、トップ経営者層だけの閉鎖生態系を形成している。
 アメリカにおいては、大企業のリーダーを選ぶプロセスが、かつての旧東ベルリンの壁のように、囲い込まれてしまっているのが事実だ。そこは、市場原理から隔離されている。
 つまり、カリスマCEOというカルトと、それを生み出し助長する閉鎖的な後継者人選のプロセスは、歴史的にみて不思議な現象以上のものである。それは、企業と社会の双方に重大な損害を与える恐れがある。
 2000年度の大企業のCEOは、平均して、2000万ドル(20億ドル)の報酬を受けとっていた。これは、1999年度に比べて22〜50%増だ。CEOの報酬全体の3分の2はストック・オプションで占める。企業は株価とストック・オプションの権利行使価格の差額を負担することになる。
 1980年代には、平均的CEOは平均的ブルーカラーの42倍の報酬をとっていた。1990年までにその格差は倍の85倍となった。そして、2000年には、CEOの報酬は工場労働者の531倍となった。これは拡大する富の不平等、社会基盤を徐々に崩壊させている。
 企業のなかで一個人だけが大きく注目をあび、たくさんの報酬を一人占めしている現実は、企業の実績は一個人の力だけで達成できたのではないという点をまったく無視している。そういう意味でも、社内の人材を無視し、スター経営者の争奪戦に走る傾向は有害である。
 外部人材によるCEO継承プロセスが生起した2つの事態、高騰したCEOの報酬とポジションへの膠着した人材流動性、をつぶさに調べてみると、その影響力は重大であり、広範囲に及んでいる。
 日本もアメリカに遅れてではありますが、似たような現象が進行中ですので、大変参考になりました。

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2006年2月20日

結婚式、幸せを創る儀式

著者:石井研士、出版社:NHKブックス
 1947年の婚姻率は12.0%で戦後最高。2004年は半分以下の5.7%でしかない。婚姻件数の最高は1972年の110万件。
 初婚年齢は上昇している。1947年には、夫26.1歳、妻22.9歳だった。2004年は夫は29.6歳、妻27.8歳。
 神前結婚式は明治になってつくられた儀式。一般へ普及したのは第二次大戦後。8割の実施率だった神前結婚式が2割にまで減少するのに15年しかかかっていない。
 1996年に66%だった神前結婚式は、2002年には28%になった。キリスト教結婚式は26%から56%へ増加した。なぜ日本人がチャペルで挙式するのを好むようになったのか?
 それは信仰の表明ということではない。日本のキリスト教信者は215万人、人口の 1.7%少ししか増えていない。
 カトリック教会は結婚に対する制約が厳しく、めったに日本人の結婚式はなされない。受け入れているのは、ほとんどプロテスタント教会だ。チャペルは、日本の結婚プロデュース会社が建てた日本人の結婚式専用の礼拝堂だ。つまり、日本人カップルは本物の教会ではなく、教会のような建物で挙式しているにすぎない。
 海外で結婚式をあげる日本人は年間およそ4万組。ハワイの教会にとって、日本人の挙式は大きな収入源となっている。いまや、ハワイのビッグビジネスだ。
 カトリック教会は、海外で禁止されている未信者同士の結婚式を、日本での特例としてバチカンに認めさせた。日本でのカトリック信徒は、わずか人口の0.3%でしかない。
 教会での結婚式の魅力のひとつが、衣裳について、神主式よりも個性を発揮しやすいことにある。手作りをふくめて多様な選択肢がある。
 結婚式は儀式化がすすみ、土曜、日曜に8割以上が集中している。大安などの六輝を重視するカップルが5割をこえる。結婚式は、多くの人にとって人生で唯一のハレ舞台。
 江戸時代の嫁入りは夕方か夜に行われた。
 戦後しばらくは、結婚式は家で行われるのが一般的だった。1950年代から60年代までは神社での挙式が増加した。神前結婚式は1964年以降、場所を神社からホテルや結婚式場、専門式場へと移した。そして、挙式と披露宴を同じ会場で行うことが多くなってきた。
 仏前結婚式は少ない。それは、一般的にいって、日本人と仏教とは、死者を媒介してつながっているから。新しい門出のイメージと寺院のイメージは、うまく結びつかない。
 特定の宗教団体に属している日本人は1割にすぎない。しかし、一見すると宗教的でない日本人は、実は十分に宗教的なのである。ただ、宗教者の関与しない人前結婚式もふえている。
 バレンタインデーは、1950年代からデパートのセールとしてあったが、1968年をピークに減少。そのかわり1970年代になって、小学校高学年から高校生の女の子が好きな男にチョコレートを贈るようになってブームになった。
 ちなみに私は、冷房もない労働会館で夏の終わりに会費制の人前結婚式をあげました。今も残る8ミリビデオに参加者が汗をふき、扇子をあおいでいる姿がうつっていて、申し訳ない気がします。セツルメントの大先輩の夫妻に仲人になっていただきました。まったく手持ち資金がなかったため、親から10万円もらい、別に10万円を借りました。会費制の結婚式の収支は黒字となり、カメラ(アサヒペンタックス)を買いました。親へは、弁護士になってから利子をつけて返済しました。当時は実行委員会をつくって会費制で結婚式をあげるのがはやっていたのです。結婚記念文集もつくりました。

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明治の結婚、明治の離婚

 著者:湯沢雍彦、出版社:角川選書
 明治時代は、半ば過ぎまで離婚がとても多い社会だった。その離婚率は昭和40年ころに比べると3倍近く、最近と比べても5割近く高い。当時、統計が発表されている諸国のなかでは日本がトップだった。
 明治16年の離婚件数は12万7162件、離婚率3.39。2004年の離婚率は
2.15なので、その1.5倍も高い。明治30年までの離婚率は2.6〜3.4という高い水準にあった。以降、今日までこれほど高い離婚率はない。ところが明治民法が施行された明治31、32年に急激に低下した。
 2003年の離婚件数は28万3854件、うち判決離婚は2575件(0.9%)、調停離婚は2万3856件(8.4%)、
 明治は親孝行の精神にあふれ、「家」の制度も強かったから離婚は少なかったはずだという現代人の認識は大はずれなのだ。夫婦間で財産契約するというのが明治31年の民法に定められた。しかし、50年間にわずか368件しか利用されていない。現行民法にも同じ規定があるが、この35年間に69件の利用しかない。私も弁護士になって30年になりますが、この契約をした人に出会ったことがありません。
 明治時代の前期は、全国的に早婚だった。14歳以下でも結婚していた。娘盛りは14歳から17歳までとみなされていた。中等以上の階層の子弟についても、男は20歳前後、女は14歳で結婚するのが常態とされていた。
 貧民層においては、婚約なし、仲人なし、挙式なし、届出なしの同居というのが結婚であり、これは昭和30年代まで続いていた。
 著者が講演会のとき、参加者に対して、結婚して妻になったときと、出産して母になったときとを比べて、どちらがうれしかったと尋ねると、圧倒的多数の女性が母になったときに手をあげたという。ところが、ドイツ人に同じ質問をすると、まったく逆の答えが返ってくる。結婚したときの方がうれしいに決まっている。結婚にはまず異性を選ぶ喜びがある。出産には選択の余地などない。いい男だと狙う男には必ず競争相手がいる。その女性たちとの争いに勝ち抜いて結婚したのだから、勝者の喜びがある。なーるほど、ですね。意外でした。こんなにも感覚の差があるんですね。ところで、あなたは、いかがですか?
 離婚した女性は再婚するのが通例なので、離縁状がないとトラブルが起きかねない。離縁状というのは再婚承認状のことである。土佐藩には7回以上離婚することは許さないという規則があった。これは離婚・再婚がいかに多かったかを示すもの。
 本州の中央部(フォッサマグナライン)を境として、東側に離婚率が高く、西側は低い。農村漁村の方が都市部よりも離婚率は高い。
 女性は処女性よりも労働力として評価されており、再婚についての違和感がほとんどない。嫁の逃げ出し離婚も多い。離婚することを恥じとも残念とも思わない人が多かった。
 なるほど、そういうことだったんですね。離婚率の高い今の日本は日本史のなかで決して特異な時代ではないということですよね。むしろ、非婚率が高いことが特異なのではないでしょうか・・・。

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皮膚は考える

著者:傳田光洋、出版社:岩波科学ライブラリー
 皮膚は、それ自体が独自に、感じ、考え、判断し、行動する。皮膚は単に環境と生体の境界をつくるだけでなく、環境の変化に応じて、さまざまな信号を発信している。その表皮からの信号は免疫系や中枢神経系などと密接な関係をもっている。
 成人の皮膚の面積は1.6平方メートル、たたみ一畳分の大きさ。重さはおよそ3キログラム。表皮はパワフルな電池でもある。表皮は裏側を基準にすると100ミリボルトに近いマイナスの電圧をもっている。表皮の裏と表とに電位差がある。つまり表皮そのものが電池なのである。細胞の内外にイオンの濃度差ができるので、電位差が発生する。皮膚の表面電位は、生きている表皮細胞がエネルギーをつかって起こしているものだ。老人のカサカサ肌の原因は、この電池切れによって起きている。
 皮膚は他の臓器と違って他人のものを移植することはできない。皮膚には自分のものではない物質を見分ける機能がある。
 皮膚は光を感じて、その情報を内分泌系、神経系に伝えている可能性がある。
 皮膚は興奮しっぱなしだと肌荒れがおきる。その興奮を鎮めてやることが肌荒れを改善し、皮膚のバリア機能を健康に保つ。
 環境からのさまざまな心的ストレスは皮膚機能に影響を及ぼす。逆に、リラクゼーションによって、その影響を緩和できる。
 皮膚の健康は身体全体の健康をもたらす。ヤリイカも弱ってくるときは、まず皮膚がダメになってくる。
 私は、十数年来、ほとんど風邪をひきません。毎週のようにプールで30分かけて1キロ泳ぎ、毎朝、冷水シャワーをあび、毎晩、お風呂あがりに冷水シャワーをあびているおかげです。若いときにはお風呂でタワシをつかって皮膚を鍛えていました(少なくとも、そのつもりでした)。ところが、背中の皮膚がカサカサになって痒いので、皮膚科の医師(私の小学校の同級生です)に診てもらったところ、年とったら、そんなことをしてはいけない。大切な表皮をはぎとるようなもので、良くない、もう年齢(とし)を考えなさいと戒められました。それからは、手にせっけんを塗って身体をなでまわすだけにしています。この本は表皮の大切さを強調しています。
 ところで、1960年生まれの著者はうつ病にかかりましたが、気功で治ったといいます。気功と同じようなものとして鍼灸があります。経絡という「気」の伝達経路が知られています。著者は、その経絡についても皮膚の科学が発達すれば、解明されていくだろうと予測しています。なーるほど、皮膚の果たしている役割を知ると、そうかもしれないなと私は思いました。

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2006年2月17日

アマゾン・ドット・コム

著者:横田増生、出版社:情報センター出版局
 アマゾン・ドット・コムの物流センターに2003年11月から2004年3月までの半年間、作業員として潜入して働いた体験をもとにした本です。
 アマゾンの顧客1人あたりの平均単価は3000円。2003年の売上げは500億円をこえたという。
 アマゾンは1500円以上の注文については送料をタダにしている。しかも、24時間以内に発送できる。その仕組みは何かを追跡した本でもあります。
 物流センターは、日通の子会社が運営している。アマゾンが1500円の本を業界平均の78%で仕入れたとすると、粗利は330円。送料300円を負担しても、まだ30円が残る。ちなみに、ヤマト運輸の宅急便は1個あたりの平均単価は700円。アマゾンは、その半分以下。物流センターで働くアルバイトの時給は900円。1分間に3冊の本を抜き出す作業を広大な倉庫のなかで手作業ですすめる。本の大きさが一つ一つ違うために、自動化できず、人海戦術をとらざるをえない。アルバイトをしているのは意外にも50代の男性が多い。もちろん、主婦も多い。
 アマゾンで本が売れるのは、読者の好みをコンピューターが把握し、それによって同じジャンルの本をすすめてくれるから。つまり、アマゾンンのサイトを訪れたら、欲しい本が簡単に手に入るだけでなく、さらにお金をつかおうという気にさせる仕掛けが満載されているからだ。
 ちなみに私はアマゾンを利用したことは一度もありません。今のところ、利用する気もまったくありません。インターネットの世界にこれ以上かかわりあいをもちたくないからです。でも、いまやパソコンの前に坐ってインターネットで本を注文するのが常識なのですね。私の本も買ってくださーい。えっ、何の本かって・・・。それはヒミツです。(なんだか矛盾していますね。ゴメンナサイ)

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2006年2月16日

心で知る韓国

著者:小倉紀蔵、出版社:岩波書店
 この著者の本はいくつも読みましたが、毎回、なるほどなるほど、とつい感心してしまいます。さすが哲学専攻の教授だけはあります。
 韓国のドラマでは、恋愛ものであろうが社会ものであろうが何であろうが、最初の数回は主人公の子ども時代の話をするのが定番だ。これがないとドラマが始まらない。そこでは、主人公とその周囲の人物がいかなる不幸を背負わされたのかという説明過多の描写がなされる。
 恨はハンと読む。日本語のうらみとは意味が違う。うらみは相手に対して抱くものだが、ハンは自己のなかで醸(かも)すもの。ハンは、特定の相手に対する復讐によって解消されるというよりは、いつの日にか解消されるもの。
 韓国ドラマはハッピーエンドで終わる。そうでないと視聴者がいっせいに抗議してくる。スポーツ選手も歌手も俳優も、自分たちの技術のみによっては評価されない。その人がいかに道徳的であるかということによって評価される。それは、社会的に俳優という職業の地位が低く、そのため社会から道徳的なふるまいを要求される圧力が日本よりずっと強いからだ。つまり、そのようなふるまいをしなければ社会的に葬られてしまう危険性を常にともなっている。
 韓国人は、人の容姿に非常に強い関心を示す。また、人の容姿を評価するのにいたって積極的で、遠慮がない。小さいものは欠陥のひとつ。とにかく嫌われる。
 若い世代は男性が多く、女性をゲットするのに必死だ。10回切って倒れない木はないというのが彼らの信条だから、とにかく猪突猛進する。たとえば、公衆の面前で女性に花束をあげたり、友だちとの集まりで自分の恋人を徹底的にほめあげる。日本の女性なら恥ずかしいからやめてというところ、韓国女性は意外にこういうのを喜ぶ。自尊心が満足されるから。
 うーん、本当でしょうか。もし本当だとしたら、やっぱりお国柄はかなり違いますね。日本では自宅に来客があったとき、出前の寿司をとってもてなすことがあり、それは失礼にあたらない。ところが韓国では絶対にありえないこと。韓国人は、自分が著しく蔑視されているか、存在を軽視されていると思う。その悔しさと怒りを一生忘れないだろう。
 えーっ、そうなんですかー・・・。寿司の出前って、日本ではそこそこのおもてなしですよね。
 韓国では詩集がよく売れる。書店で日本人はマンガを立ち読みするが、韓国人は詩集を立ち読みする。しかし、だからといって韓国社会が浪漫あふれるポエジーの世界かといえば、その正反対で、弱肉強食のドロドロの世界でもある。だからこそ、人々は厳しく苦しく現実から目をそらすために純粋な叙情性を求める傾向がある。そうなんですか・・・。
 大統領になった年齢は、朴正熈 46歳、全斗煥 49歳、盧泰愚55歳、金泳三65歳、金大中72歳。そして、今の盧武鉉大統領は・・・。商業高校卒業から弁護士となり、国会議員、大統領とのぼりつめ、コリアン・ドリームを体現している。
 韓国社会ははげしい上昇志向の渦巻く社会である。
 近くて遠い国。似ているようで違う国。つい、そんな気になってしまう本でした。

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2006年2月15日

陸軍尋問官

著者:クリス・マッケイ、出版社:扶桑社
 アフガニスタンで、アメリカ軍がつかまえた捕虜を尋問する役目を担った軍人の体験記です。
 アフガニスタン戦争をアメリカが始めたとき、アメリカ陸軍は510人の尋問官をかかえていた。このうち108人がアラビア語を話せた。アメリカ陸軍は、1971年、南部アリゾナ州のフォートチュカに情報官養成施設をつくり、毎年ここから数百人の尋問官が巣立っている。
 そこでは、尋問の目的は捕虜に話をさせることではなく、真実を語らせることだという教育を受ける。捕虜の口を割らせる技術は基本的には心理的な駆け引きである。
 軍隊はさまざまな人間が寄り集まる人種のるつぼだが、情報部門は違う。圧倒的に白人が多く、教育水準も高い。だから、戦闘要員よりも考え方はリベラルだ。
 尋問で注目すべきは、普通の会話と同じように、目である。悪智恵にたけた容疑者は、尋問官から目をそむければ嘘をついている証拠とみなされることが分かっているので、その逆、つまり普通以上に長くアイコンタクトを続けようとする。
 心の動揺が激しいときには、とくに手の動きが活発になる。だから、手足の動きを細かく観察するのが大切。自分が弱く無防備と感じたときには、性器の前に手を置いたり、内臓を守ろうとするかのように腹部の前で腕を組んだりする。肩をそびやかすのは、服従拒否、挑戦のしるしだ。
 収容所の場所は捕虜には明かさない。捕虜を半信半疑の状態に置き、その不安感を利用して、尋問を有利に展開する。捕虜を震えあがらせる。
 奴らをモンスター、つまり化け物扱いするんだ。人間じゃないと思え。
 捕虜か尋問官のどっちかが倒れるまで、ぶっ通しで取り調べをする。連続15時間ということもある。
 あるときにはアラブの将官やイギリス将校に変装する。衛星写真を改ざんし、新聞を偽造することも平気だ。
 アフガニスタンで尋問した結果、もっと調べたいと思った人間は、キューバにある米軍のグアンタナモ基地内の収容所へ移送する。
 付録として、16の尋問テクニックが紹介されています。プライドと自尊心を鼓舞したり、くじいたり、恐怖を煽ったり鎮めたり、さまざまのテクニックが駆使されています。
 イラクのアブグレイブ刑務所での捕虜虐待は考えられないこととされています。でも、実のところ、日常茶飯事だったのではないでしょうか。
 アメリカ軍の言い分はこうです。フセイン政権の方がもっと残虐なことをしていたじゃないか・・・。たしかに、そうなのかもしれません。でも、かといってイラクやアフガニスタンへ侵攻したアメリカ軍が同じように残虐な行為を捕虜にしてよいことにはなりませんよね。

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2006年2月14日

君の星は輝いているか

著者:伊藤千尋、出版社:シネ・フロント社
 私と同じ団塊世代です(正確には私の一歳下)。東大法学部を卒業して朝日新聞社に入り、世界各地に特派員として赴任しています。ブラジルのサンパウロ、スペインのバルセロナ、アメリカのロサンゼルスの、それぞれ支局長をつとめています。南アメリカ特派員の体験にもとづく「太陽の汗、月の涙」(すずさわ書店)を読んだのが、この著者との出会いでした。すごく爽やかで、深い感銘を受けたことを覚えています。
 驚いたことに、著者は大学時代にキューバに出かけて、半年間も砂糖キビ刈り国際ボランティアをしたというのです。すごいですね。1971年のことです。東大闘争も終わり、私が司法試験を受けている年のことです。著者も裕福ではなかったようですが、貧乏学生だった私には海外へ出かけるなどと考えたこともありませんでした。セツルメント活動という地をはいまわるような活動をしていたせいもありますが・・・。
 この本で、著者は海外で体験したことを、みた映画と結びつけて紹介しています。味わい深い内容です。ついつい感心しながら読みすすめていきました。私も見た映画がいくつもあり、うれしく思いました。
 「華氏911」、「フリーダ」、「JSA」、「二重スパイ」、「ボウリング・フォー・コロンバイ」、「 蝶の舌」、「レセ・パセ」、「戦場のピアニスト」、「この素晴らしき世界」です。でも、この本を読むと、たくさんのいい映画を私は見損なっているようです。
 民主主義とは、すでにあるものではない。日々、つくり出すものである。
 世界はバラ色ではないが、しかし、前に比べるとよくなっている。身近な問題から達成しよう。教育や組織化によって社会は変えられる。意思さえあれば何でもできる。権力を倒すために正しい運動をすべきだ。一人一人が声を上げることだ。
 私も、まったく同感です。
 マイアミでは日本製の時計が異様なほど大量に売れる。これは、麻薬組織が麻薬の売上金でいったん日本製の時計を大量に買い、その時計をメキシコや南米のコロンビアなどにいる麻薬マフィアに「輸出」する。受けとった麻薬組織は現地で時計を売る。こうすると正当な時計の売り上げとなって記録され、麻薬売買の跡形が残らない。汚い金が、こうやって洗浄される。
 アメリカでは年間に銃で殺された人は1万1127人。カナダでは165人。日本は 39人。
 ダスティン・ホフマンは、中学生のとき、背が低くてコンプレックスの塊だった。高校生のときは、成績が悪くて退学寸前だった。俳優を目ざしたのは、俳優の多くは成功しない。成功しなくても、俳優として尊敬される。尊厳を保てるし、失うものがない。チビだ、無能だと蔑まれながら、誇りだけは失わないのが彼の青春時代だった。ホフマンは言う。人生で大切なのは、自分が情熱を持てることをやることだ。成功することより、そっちの方が大切だ。
 いい言葉ですよね。たくさん本を読んでいると、素晴らしい言葉にめぐりあうことができます。

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2006年2月13日

集団訴訟、セクハラと闘った女たち

著者:クララ・ビンガム、出版社:竹書房文庫
 ハリウッド映画「スタンドアップ」の原作です。私は中洲の小さな映画館でみました。観客は私をふくめて6人しかいませんでした。アメリカはミネソタ州にある鉱山で働く女性たちの話です。彼女たちは、同じ職場の男性労働者から次から次にすさまじく、えげつない嫌がらせを受けます。映画には映像の限界があります。この本によると、もっともっととんでもなくひどいハラスメントを絶え間なく受け続けます。その詳細は、とてもここに書くことはできません。もちろん、この本には書かれていますが・・・。書くこと自体が男である私にも苦痛ですし、嫌なのです。男たちは、彼女らから自分たちの仕事を奪われることを心配しており、現場から追い出す意図もあったようです。
 女性たちも、ついにこれはセクハラだと考えて、裁判に訴えることにしました。しかし、それからがまた凄まじいのです。弁護士選びも大変でした。そして、公開の法廷で、さらにセクハラを受けてしまうのです。
 アメリカには原告側に立って訴えることを専門にする弁護士がいて、全米組織もあります。雇用差別に苦しむ人々からの訴えを専門とする弁護士もいるのです。
 雇用差別に苦しむ人々からの訴えを専門とするポール・スプレンガーは訴訟を引き受けるためには3つの条件があるとしていた。第1に、それが集団訴訟になる可能性があること。第2に、それ相当の金銭的な報酬が期待できること。第3に、原告が信頼できる人物であること。そして、その訴訟がいくらくらいの価値をもつのか、はっきりした期待をもっていること。
 なにより重要なのは、彼女たちがどんな原告になるかということだ。裁判の勝ち負けは、原告にどれほど訴える力があるかで多くが決まる。信頼できるか。共感を得られるか。欲をかいていないか。一緒に仕事をしやすいか。訴えが強力でも、陪審や判事の共感を得にくい者もいれば、すぐに動揺して自滅してしまう者もいる。
 裁判費用は弁護士が負担する。その代わり賠償金の33%を弁護士がもらう。そのほか、依頼者は毎月50ドルを24ヶ月間にわたって支払う。これが弁護士報酬契約だった。集団訴訟は弁護士費用を払えない人々の権利を守るものになっていた。
 会社側は、集団訴訟にならないよう、同じ職場に働く女性労働者から、職場にはセクハラなんてないという署名をとってまわり、ほとんどが署名に応じた。彼女たちは職を失いたくなかったからだ。
 会社側の雇った女性弁護士は有能だった。アメリカには宣誓供述という手続がある。裁判前に、相手方弁護士から尋問されるのだ。この本によると、5時間とか9時間という長時間、しつこい嫌がらせのような尋問がなされたという。
 セクハラを受けて悩んでいるといっても、男たちと同じくらい粗野で下品であり、感情的にも精神的にも不安定だった。男たちの違法な嫌がらせによってではなく、自らの過ちと弱さによる犠牲なのだということを「明らか」にすべく徹底的に追及された。この追求によって依頼者はひどく落ちこんだ。心の底から怖がった。
 そのうえ、さらに法廷で追いうちがかけられた。反対尋問で、性生活や、子ども時代に虐待やネグレクトを受けたことがあるか、夫から不快な性行為を求められたか、精液の臭いを嫌だとは思っていなかったのではないか、などなど・・・。女性を打ちのめし、いたたまれなくさせる尋問が続き、裁判官がそれを許した。
 しかし、幸いにして、その裁判官の下したひどい判決は連邦裁判所によって破棄された。
 ところが、次に開かれた陪審法廷は男性が大半、それも肉体労働者ばかり。これに不安を感じ、原告らは判決ではなく、和解に応じるという決断を下した。
 映画はハッピーエンドで終わりますが、この本は必ずしもハッピーエンドという感じではありません。この話は、驚くべきことに、ごく最近のアメリカで起き、裁判になった実話なのです。裁判が起きたのは1988年で、終わったのは1998年なのです。
 いやあ、アメリカって、本当にひどい国なんだなー・・・、と思いつつ、しかし、それが映画になるっていうのもすごいことだと思い直しました。みなさん、ぜひ映画をみて、この本を読んでみて下さい。アメリカの一断面が良きにつけ、悪しきにつけ、よく分かりますよ。

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2006年2月10日

戦争の時代と社会

著者:安田 浩、出版社:青木書店
 朝鮮戦争に日本は事実上「参戦」していたという指摘があり、目を見開かされました。
 第1に国鉄の大動員。国鉄は朝鮮戦争が始まるとともに、米軍の人員と物資輸送にとりくみ、大量の臨時列車、客車・貨車を動員した。その規模は国鉄の軍事輸送史上最大のもので、15年戦争期のそれを上まわっていた。
 第2は、海上保安庁の特別掃海艇25隻の出動。朝鮮水域の掃海に出動した者は2ヶ月間でのべ1200人いた。
 第3に、米軍によって調達に応じさせられ動員された日本人船員。特別調達庁との関係で朝鮮戦争に協力して死亡した日本人が56人いた。
 第4に、看護婦の動員。国連軍の野戦病院には九州各地の日赤支部から多数の看護婦が動員されていった。
 第5に、兵士として戦死した日本人がいた。コックや塗装工として米軍基地で働いていた若者が、そのまま朝鮮へ連れていかれて兵士として参加し、戦死した例がある。
 第6に、民団系在日韓国人団体による義勇軍の存在。総数642人が参戦した。
 本当にいろいろと知らないことがあるものです。驚いてしまいました。

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続・台湾新時代

著者:近藤伸二、出版社:凱風社
 2008年に北京五輪そして2010年に上海万国博覧会が予定されている。2008年には台湾の総統選挙もある。2004年3月の総統選挙のときには、投票日前日に陳水扁候補が銃撃されるという事件も起き、コンマ以下の投票率の差しかなかったのには驚かされた。
 台湾経済は躍進著しい。外貨準備高は2519億アメリカドルで、日本、中国に次いで世界第3位。
 台湾はIT大国で有名だ。アメリカ(686億ドル)、中国(605億米ドル)、日本(205億ドル)に次ぐ世界4番目(108億米ドル)。
 世界のノートブックパソコンの7割以上は台湾製。ただし、ノーブランドだ。
 台北市には世界一のノッポビル、「台北101」がある。地上101階 、高さ508メートル。台湾には外国人労働者も多い。6ヶ国30万人をこえる。タイ・フィリピン・ベトナムがそれぞれ9万人。インドネシアが2万人、台湾社会の出生率が低いことにもよる。
 台湾は中国へ積極的に投資しており、その累計総額は11兆円をこえるものとみられている。たしかに、私も中国へ行ったとき、台湾資本の豪華なホテルに泊まったことがあります。
 台湾の70%は福?(ホーロー)系 漢民族。次に客家(ハッカ)系漢民族の15%。第二次大戦後、国民党政権とともに中国大陸から渡ってきた外省人は13%。その大部分は漢民族だが、モンゴル族や満州族も含まれている。先住民は2%という少数派。
 実は、私はまだ台湾に行ったことがありません。なかなか複雑な社会・政治の国だという印象をもっています。行ってみたい国ではあります。

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十面埋伏

著者:張 平、出版社:新風舎
 すさまじい逆巻く怒濤のような本です。本を手にとって読みはじめると、怒りにみちた静電気で腕がビリビリしびれ、前身の膚が毛穴から汗のにじむように鳥毛だってきます。
 次から次に息つくひまもなく囚人の隠された悪業の数々が暴き出されていく。ところが、刑務所当局はいっこうに動こうとしません。なぜか、刑務所は収容されている人間だけでなく、所長以下の職員までも買収され、悪の巣窟と化しています。では、どこにも光明はないのか・・・。いえ、権力機構の中にも、まだ良心を辛うじて保っている人間はいるのです。その人たちが少しずつ、恐る恐る連携を広げ、悪のネットワークに抗して立ち上がろうとします。
 しかし、悪のネットワークも黙視しているわけではありません。彼らは彼らの力をフルに活用して、それを封じようとします。そうなると、先手必勝。どっちが先に手をうつか、時間とのたたかいにもなります。
 刑務所、警察(公安)組織、政界、実業界さまざまな人脈がうごめいています。農民の土地をタダ同然で取りあげ、金持ち階級が抑圧していきます。その過程で、金と権力が惜しげもなくつぎ込まれます。お金も権力もない庶民は口に指をくわえて見ているしかありません。
 上下2巻。それぞれ370頁ほどもあるこの本を電車に乗って4時間で読み切りました。読みはじめると、あまりのすさまじさに息を呑み、いつ終点の駅に着いたのかと思うほど一心に読みふけってしまいました。
 この著者は、前に「凶犯」という本(新風舎文庫)を出しています。前の本にも圧倒されましたが、この本はさらにそれを上まわるド迫力があります。
 中国三大文学賞を受賞した。映画化が決定した。オビに書かれています。それも当然だと、ついうなずいてしまいました。みなさんに、一読をおすすめします。

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2006年2月 9日

なぜ資本主義は暴走するのか

著者:ロジャー・ローウェンスタイン、出版社:日本経済新聞社
 アメリカでステークホルダーという考え方が流行した。これは企業は株主だけでなく、従業員、地域社会、下請け業者といった利害関係者の一団に奉仕する存在だということ。ステークホルダー運動は、本質的にアメリカの土壌に日本のモデルを移植しようとする試みだった。しかし、この運動はなかなか実を結ばなかった。ステークホルダーという概念はあいまいだし、法的根拠にも欠けていた。それだけでなく、深い意味で、これはアメリカ的発想ではなかったからだ。
 コーポレート・ファイナンスが盛んになるのと並行して、CFOの存在感が増した。かつては単なる管理者、つまり数字屋にすぎなかったCFOが、最前線の経営者、利益をうみ出す最高責任者となった。CFOの地位向上にともない、ウォール街と企業中枢との距離は、さらに縮まった。
 ストックオプションの75%は社会でトップから5番目までの役員に渡っている。残り25%のうち半分以上が、その下に続く15人の役員の懐に入った。ストックオプションを受けとった現場の従業員は300万人で、それは10%を分け合うものだった。オプションがミドルクラスの権利となっているというのは、まったくの嘘だ。
 取締役の報酬を決定する取締役会は市場とはほど遠い。取締役たちはなれあいの関係にあり、また権力争いに明け暮れている。
 CEOは、成功すればいつでも莫大な報酬を手にしたが、失敗しても罰を受けることはなかった。CEOは失うものがなかったので、ますます危険な賭けに出るようになった。CEOは、かつて政治のものだった尊大さを身にまとった。宮殿のような豪邸から、広報担当、副社長、側近の一行を引き連れてジェット機で飛び立ち、契約がある場合ならどこへでも向かった。そして、痛みを分かちあうのは、CEOの役目ではない。従業員が解雇されても、利益が激減しても、株価が下がっても、CEOが減給されることはない。
 これは、まるで今のニッポンのホリエモンたちのことを言っているように聞こえます。
 GEのCEOであるジャック・ウェルチは、10年間で給料、ボーナス・オプションをあわせると4億ドルを稼いだ。ジャック・ウェルチに生涯保障されるのは次のようなもの。マンハッタンにある1500万ドルのマンションの使用権、ワイン、食品、ランドリーサービス、新聞、化粧品などの経費、会社所有のジェット機の使用権、NBAのニューヨーク・ニックスの試合の一階フロア席チケット、テニスの全米オープンのコートサイド席、メトロポリタン劇場のボックス席、運転手つきの車がある。そのうえ、ウェルチは月額35万ドルの年金をもらう。
 1990年代末、資金はどこへでも流れていったし、道徳規範はすっかり忘れ去られていた。ジャーナリストも銀行家も、経営者も監査役も、ブローカーも弁護士も、みんなすっかり同じ土俵に乗ってしまっていた。短期的な利益を計上するために株主資本をリスクにさらしていた。この短期的な利益こそ、まさに株主価値の定義として定着していたものである。
 企業に雇われた監査法人や弁護士たち専門家は長い時間を経営者たちと過ごし、十二分に報酬を受けとった。ここから利害関係の一致と、それにもとづく共謀関係が生まれた。
 なるほど、そうなんですね。お金の力は、かくも偉大なのです。
 経営者が帳尻とつじつまをあわせることに辛うじて成功した企業では、必ず裏に弁護士がいて、経営者の良心の呵責を軽減し、取引の正当性に太鼓判を押していた。合法性という、見栄えのよい覆いを弁護士が提供していた。
 いやあー、すごいですね、こんなアメリカの資本主義って。まさにハイエナかオオカミといった弱肉強食の世界です。弱者に温かい目というものがまったく欠落し、強い者同士の権力闘争によって周囲にいる圧倒的多数の弱者は押しつぶされています。むき出しの資本主義って、ホント、最悪ですよね。

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ぼくは13歳。職業、兵士

著者:鬼丸昌也、出版社:合同出版
 恐るべき本です。世の中に、こんなに重く辛い現実があるなんて・・・。ホラー映画なんて、そんなもの目じゃありません。背筋に氷をずっとずっと注ぎこまれて止まらない。そんな冷え冷えとした状況が世界いたるところにあるというのです。そして、日本という国もそれに一役買っているのです。いえ、もっと大胆に乗り出そうというのが小泉・自民党です。
 この本を読んで、私がもっともショックを受けたのは、ウガンダのナイトコミューターの話です。ナイトコミューターというのは夜の通勤者のこと。大人のことか?いえ。夜の女性のことか?それも違います。なんと、夜になると都会周辺の村々から子どもたちが4000人とか
6000人も、市の中心部へ向かい、眠りに来るのです。なぜ?「神の抵抗軍」が村を襲い、子どもたちを連れ去って子ども兵士に仕立てあげるのから逃れるためです。村では子どもたちは安心して夜に眠れないのです。
 早朝、数千人の子どもたちは、一斉に自分の村へ帰っていきます。10キロも離れた村へ、です。10歳以上の子どもたちが素足で毎日毎晩、往復するのです。これが、もう 20年近くも続いているというのですから、大変なことです。とても信じられません。
 「神の抵抗軍」と呼ばれるウガンダの反政府軍に拉致された子どもの数は2万人以上にものぼる。それは「神の抵抗軍」を構成する3分の1にもなる。そして、「神の抵抗軍」の3分の2は17歳以下の子ども兵士だといいます。子ども兵士は自分の出身の部落で残虐な殺人などを命じられ、自分の出身地には戻れなくされてしまいます。
 子ども兵士が救出されても、その子には顔から表情が消え、目の焦点が定まっていない、じっと遠くを見つめるのみ、鋭い目つきでにらみつける・・・、というロウ人形のような表情です。
 アフガニスタンでは、10歳をふくめて総数12万近くの子ども兵士がいて、全兵力の45%を占めている。
 現在、小型武器の輸出額は、アメリカが1位、2位はイタリアで、3位ベルギー、4位ドイツとなっている。日本は猟銃などを輸出していて、輸出額は世界第9位。
 アメリカ、イギリス、フランスの3ヶ国が武器貿易によって得ている利益はODAの額よりも大きい。人助けより、人殺しの方でもうけているのですね、この文明国は・・・。
 このくだりを読んで、先日みたニコラス・ケイジ主演の映画「戦争商人」を思い出しました。アメリカの青年がアフリカなど、武力紛争の起きている国へ武器を売りこみに行き、もうけている実際をよくイメージすることができました。戦争はそれでもうかる人間がいるから起きるのだということがよく分かる映画でした。
 子ども兵士だった子どもたちに笑顔を取り戻させる地道な取り組みがすすんでいることも知り、少し救われる思いがしました。日本政府は、この方面にもっと力を入れるべきです。いい本をつくっていただき、ありがとうございました。

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2006年2月 7日

働きすぎの時代

著者:森岡孝二、出版社:岩波新書
 踏切事故について、それが自殺かどうかを争う事件を担当しています。自殺は例外的な現象だと主張したところ、保険会社の方から、今の日本では自殺は決して例外的な現象なんていうものではない。そんな反論が出てきて、驚きました。
 たしかに、年間の自殺者はこのところ、ずっと3万人台です。働きすぎからノイローゼやうつ病になったり、倒産して保険金目あてに自殺するという事件を、私は弁護士としてコンスタントに扱っています。
 労働基準監督署が2003年度に受理した過労によるPTSDやうつ病などの精神障害の労災申請は438人(前年度比28%増)。精神障害の労災認定は過去最高の108人(同8%増)で、うち40人は過労自殺。
 平均的な会社員が一日に受信するメールは61.5通。メール処理その他の関連作業に4.2時間かかっている。パソコンに向かっている時間(6.8時間)の6割がメールがらみとなっている。携帯がつながらなかったら罰金だと上司に命じられていた社員がついに過労自殺した。
 現在、日本の労働者の4人に1人は年収150万円未満、2人に1人は年収300万円未満、4人に3人は500万円未満。
 日本の労働者のおよそ半分は、ひとりの賃金では生活できないパラサイト水準にある。
 アメリカで働きすぎを象徴する職業として知られているのは弁護士と研修医。
 働き過ぎと浪費が蔓延するアメリカ社会のなかでも、所得よりも自由時間を、出世よりも生活の質や自己実現を追求する生き方を選び、以前より少ない収入で幸せで暮らしている人々が増えている。このような人をダウンシフター(減速生活者)と呼んでいる。
 この本の最後に、労働者、労働組合は何をなすべきかが提唱されています。
 たとえば、次のようなことです。
 自分と家族の時間を大切にし、仕事以外にも生き甲斐をもつ。
 年休は目いっぱい取得し、年に一度は一、二週間の連続休暇をとる。
 なかなか難しいことですが、私は実践しているつもりです。
 日本の公務員は実は少なすぎる。東大の前経済学部長(神野直彦教授)がこのように書いている論文を読み、そうだ、そのとおり、我が意を得たりと叫んでしまいました。
 福祉サービスの立ち後れは公務員の少なさにあらわれる。これは私が、かつてデンマークとスウェーデンに行ったときに知ったことである。北欧は税金の高いことで有名だ、それは国民が貯蓄しているのと同じことなのだ。つまり、税金は老後の豊かな生活を保障してくれるもの。実際、福祉サービスに従事する公務員は、あっと思うほど多い。スウェーデンでは、市町村の公務員だけで、雇用に占める割合が日本の3倍をこえる20%強。その市町村の公務員の40%が高齢者のケアに、20%が子どものケアに従事している。つまり、税金は身近な公務員、つまり介護サービスに従事している人のために使われているのであり、その人は隣りに住む人、いえ私かもしれない。
 日本の消費税のように、導入するときには福祉のためと言っていたけれど、実際にはイラクへ自衛隊を派遣するために使われているというようなごまかしがそこにはありません。
 このように、先進諸国では福祉サービスの供給に従事する公務員を増やしている。OECD諸国の平均で17.5%、アメリカでさえ15.4%になっている。ところが、日本は6.9%にすぎない。
 2004年度、日本に国家公務員は62万人いるが、その40%、25万人は自衛隊。地方公務員308万人のうち教育が115万人、37.4%、警察が8.8%、消防が15万人、5.0%。つまり、教育・警察・消防で地方公務員の51.2%を占めている。公務員の数があまりにも少なすぎて、政府は国民の生活を支えていない。ところが、政府は少なすぎて国民の生活を支えることのできていない公務員を、さらに一律に1割削減を強行しようとしている。その目的は、日本の社会を破滅させること以外に見いだすことはできない。
 国民のとって国がそもそも何のためにあるべきなのか考えるべきだと思います。ホリエモンなどのようなヒルズ族は昔からいました。貴族がいて、財閥があり、特権階級がいました。お金と権力をもつ者が好き勝手にすることを許したら、お金のない弱者は生きていけません。だから、憲法で国は生存権を定めたのです。国は国民ひとりひとりに最低限の文化的生活を保障する責務があります。今こそ、弱者のための福祉の充実が図られるべきです。

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2006年2月 6日

ディープ・スロート、大統領を葬った男

著者:ボブ・ウッドワード、出版社:文芸春秋
 「大統領の陰謀」は、もちろん私も読みました。誰が新聞記者に情報を提供していたディープ・スロートだったのか、長いあいだの謎となっていました。それこそ日の目を見ずに「迷宮入り」になると思っていたところ、ディープ・スロート本人が名乗り出てきたのです。
 正直いって、この本は犯人の答えが分かって読む推理小説のようなものだから・・・と、読む前は、まったく期待していませんでした。ところが、どうしてどうして、さすがアメリカの敏腕記者だけのことはあります。地下駐車場での会合の様子、連絡のとりあい方などをふくめて、当時の状況がリアルに再現されていて、再びウォーターゲート事件の発覚当時の状況を追体験することができました。
 それにしても、FBI副長官がスパイだったとは・・・。
 ニクソン政権は記者に情報を漏らしている高官を突きとめるため、ホワイトハウスの補佐官の電話回線17本を盗聴していたそうです。日本は、どうなんでしょうか・・・。
 ボブウッドワードがフェルト副長官と知りあったのは、まだボブウッドワードが記者になる前からのことだったのです。人生の出会い、そして体当たり取材の大切さをしみじみ感じました。
 なぜフェルト副長官はスパイ行為をはたらいたのか。今にして思えば、フェルトは自分がFBIを護っていると自負していたのだ。ウォーターゲート事件に無数の触手があることを示す材料をFBIはつかんでいたが、それらは顧みられず、葬り去られていた。政治的理由からFBIを操ろうとしたニクソン政権とそのやり口を、フェルトは徹底的に侮蔑していた。フェルトは恐らくボブウッドワードを自分の諜報員と見なしていたのだろう。
 ところで、ニクソン大統領はフェルトがディープ・スロートだということを補佐官から知らされた。そのときの秘密録音テープには次のような会話がある。
 「フェルトはFBIのトップの地位が欲しいのです」
 「やつはカトリックか?」
 「いいえ、ユダヤ教徒です」
 「なんだと、ユダヤ人がFBI上層部にいたのか?」
 「それで万事説明がつくでしょう」
 このやりとりは、ボブウッドワードの周辺に、つまりポスト紙にもディープ・スロートがいたことを示しています。
 フェルトはたしかにフーヴァーFBI長官が死んだあとの長官になるつもりでいました。ところが、それが2回も裏切られてしまったのです。ただし、それだけが原因でポスト紙への情報提供者になったのではないようです。
 フェルトはFBI副長官として、1972年当時の現場捜査官の不満と疑念を知っていた。FBI局内は、ニクソンは嘘をついている、ホワイトハウスはもみ消そうとしているという叫び声があがっている。
 ニクソン政権がFBIにとってきわめて由々しい問題になったのは、上層部ぐるみで支配権を握ろうとしたから。FBIの中立公正とそれにともなう優位をふたたび強化する道具としてフェルトはウォーターゲート事件を利用した。最終的には、FBIは深刻ではないものの長い歳月癒えない損害をこうむった。ニクソンの痛手はさらに大きかった。いや、すべてを失った。大統領職、権力、道徳的権威の残滓。ニクソンは汚辱にまみれた。マーク・フェルトはそれと対照的に、わが道を歩み、ひそかな人生に耐えて生き延び、勝利をおさめた。
 ニクソンの側近のほとんど全員がニクソンを裏切った。証言し、回顧録を書いた。ニクソンの不満や怒りについて語り、大統領の権力を利用して仮想の敵や現実の宿敵に対する過去と現在の借りを返すのにいそしんでいたことを明らかにした。
 ウォーターゲート事件が起きたのは1972年6月のことです。当時、私は司法修習生でした。当時、私たちのクラスに青法協についてスパイ活動をしているとしか思えない人もいました。日刊のクラス新聞を出したり、堂々と活動していたのですが、研修所当局からは目の上のタンコブみたいに思われていたのでしょうね。なにしろ、研修所に入所する前に、司法修習生の全員について公安調査庁が身元調査をしていたのですから。今はしていないのでしょうか・・・。
 やがてニクソン大統領が辞任発表するに至ったわけですが、アメリカって本当に奇妙な国だなと感じたことを今でも覚えています。

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2006年2月 3日

北朝鮮軍の全貌

著者:清水 惇、出版社:光人社
 北朝鮮軍の現状は、兵器の老朽化、士気の低下、規律の弛緩などで、戦争での勝利はおろか、組織的な戦闘を展開できるのかどうかも怪しい状態にある。
 正規軍は大規模な演習や挑発行動や軍事パレードを行うことで、弱体化しているように見えるが、本当は戦えるのだというパフォーマンスを諸外国に向けて演じている。
 北朝鮮軍の内部には4重の監視体制が敷かれている。総政治局に所属する政治将校、秘密警察である国家安全保衛部、軍の情報機関である保衛司令部、さらに労働党組織指導部直属の通報員。このため、1995年以降3回あったクーデターはすべて未遂で終わっている。
 北朝鮮軍がクーデターを起こすとすれば、治安機関や金正日の親衛隊ともいえる護衛司令部が寝返るなど、体制維持システムが末期状態になったとき以外には考えられない。
 金正日は、いまだに金日成の威光を利用せざるを得ない。それは金正日にカリスマ性がないから。
 北朝鮮では金日成と金正日だけが将軍と呼ばれる。金正日の生母である金正淑も白頭山の女将軍と称しているので、この3人を白頭山三大将軍と呼ぶ。
 人民軍の兵力は、地上軍が100万人、海軍が6万人、空軍が11万人であり、正規軍だけで117万人いる。このほか、教導隊や労農赤衛隊などの準軍事組織があり、こちらは700万人ほどいる。北朝鮮軍のなかで日本にとってもっとも脅威となるのは特殊部隊12万人の存在である。
 北朝鮮軍が朝鮮戦争のときのように南侵を開始したときに、ソウルは火の海になるかどうか検証されています。結論は、ならないというものです。なぜか?
 北朝鮮軍の長射程砲300門はその大半が地下施設にあるため、ソウルを火の海にするのは難しい。その前にDMZ(非武装遅滞)を突破するため10万発をうちこむ必要がある。それすらやっとではないかと思われるから、ましてやソウルを火の海になどできるはずがない。
 そしてDMZを突破するには、自軍と米韓両軍が埋めた地雷を処理しなければならない。南侵トンネルは有効に機能しないだろう。そのうえ、制空・制空権を米韓両軍に握られている。これでどうして南侵できるというのか・・・。
 北朝鮮軍が、いわば破れかぶれの状態で南侵してくる危険性がないわけではありません。しかし、それについては外交上の努力でくいとめるしかないのです。北朝鮮軍の脅威をことさらあおりたて、日本の自衛隊をもっと強くしなければいけない。そのためには憲法9条をなくせ、と叫ぶ人がいます。しかし、私はそれは間違っていると考えています。戦争にならないように努力すべきなのです。その最大の武器が憲法9条だと私は考えています。

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ガダルカナル

著者:西村 誠、出版社:光人社
 2万人の日本兵が斃れ、餓島とも呼ばれた苛酷な戦場だったガダルカナル。その今を現地踏査し、カラー写真で再現した本です。
 澄み切った青空と太平洋の海原に囲まれた南海の楽園の島です。ここが、あの有名なガダルカナル島と言われても、ちょっとピンと来ませんでした。
 ガダルカナルの日本軍はもっとも多いときには3万人からいた。日本軍が次々に敗退し撤収作戦が始まった昭和18年1月の時点での日本軍は1万4千人ほど。3度の撤収作戦はいずれも成功したとされ、残った日本兵の大半が引き揚げた。
 アメリカ軍のかまえる堅固な陣地に突撃した一木支隊は2000人のうち生存者はわずか128人のみ。一木大佐の最後は不明とされている。無謀な突撃を敢行した一木大佐は廬溝橋事件のときの現地の大隊長。銃剣突撃による夜戦の達人とされていた。アメリカ軍が砲兵と機関銃で鉄壁の陣をしいているところへ、真昼間、歩兵が銃剣突撃をしてバタバタと倒れていったというのですから、そのお粗末さと、兵の命を軽んじているのはお話になりません。一日で一木支隊が壊滅してしまったのも当然です。
 そのあと、今度は6000人の川口支隊がジャングルから攻めこもうとし、アメリカ軍の猛反撃にあって1000人もの死傷者を出して敗退します。残った5000人は、ジャングルのなかを歩くうちに飢えと過労でバタバタと倒れていきました。
 ジャングルは、今でもムッとする熱気で、20メートルも入ったら方向感覚を失うといいます。四国の3分の1ほどの大きさがあるそうですが、こんなきれいな島でかつて悲惨な戦争があり、日本兵が上官の無謀な指揮によって無駄死にさせられたかと思うと、本当に哀れです。靖国神社に私は行ったことはありませんが、無謀な戦争を起こし、上官の命令は絶対だなどといって兵をむざむざ死地に追いやっていた軍上層部の反省がないことは絶対に許せません。

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ウォール街、欺瞞の血筋

著者:チャールズ・ガスパリーノ、出版社:東洋経済新報社
 人々はインターネットでお金持ちになると信じたかった。感情が牽引力となった。
 建設労働者、秘書、バーテン、学校教員など、経済学を学んだことさえない人々が、銀行から預金をおろしてミューチュアルファンドに投資をしたり、証券会社から株を直接買って買いあさりはじめた。アナリストは投資家に下がったら買えと勧めることによって、値動きの激しいハイテク銘柄が下落したときでさえ、何十億ドルという資金を誘導して市場を下支えした。多くの投資家が、いい時期は永続きするものではない、という話を聞きたくないのは当然だろう。
 ウォール街のブローカーたちは、できるだけ多くのカモの資金を市場に呼びこむという、より大きな戦略の一翼を担っているにすぎない。最優良顧客は大企業だ。個人投資家が公平に取り扱われることは決してない。大手証券会社は、小売顧客を第二級市民として取り扱っている。
 貧困層に個人的なサービスを提供する時間的な余裕はない。このようにうそぶいている。
2000年3月からのピークから2001年3月までの1年間で、株価は60%も下落した。この損失はアメリカの歴史上最大規模の破壊(クラッシュ)だ。それは2兆5000万ドル、いや、他の市場をあわせると4兆5000億ドルが雲散霧消した。
 ウォール街の仕組みについてほとんど知識のない中産階級のアメリカ人が、ゲームのやり方を熟知しているブローカーに一生涯の貯蓄を預けてしまった。それは、短期間はうまく機能していた。しかし、市場が暴落したとき、すべてを喪ってしまうことになった。
 わずか3年ほど前には、アナリストはウォール街でもっとも人気のある職種だった。それが今では、大きなトラブルを引き起こすため、投資家にもブローカーにも、そして証券会社の法務部にも嫌われるパリア(最下層民)だ。
 ホント、アナリストって、今では口先だけの、あることないこと口からでまかせを言って信じこませようとするペテン師のイメージがすっかり身についてしまいましたよね。
 投資家にだまされるな。サブタイトルにそう書いてあります。今や多くの日本人の若者が自分こそはだまされないと信じ、ひがな一日、パソコンの前にすわりこんで投機の道に走っています。いえ、家庭の主婦も参加しているそうです。こんなことでいいのでしょうか。こんなことしてたら、日本の将来はお先まっ暗なのではありませんか。

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2006年2月 2日

安田講堂

著者:島 泰三、出版社:中公新書
 1969年1月、安田講堂の攻防戦がテレビで実況中継されました。東大闘争とはこの攻防戦のことと思いこんでいる人があまりに多いので、私の親しい友人は、そのような誤った認識を少しでも解消しようと「清冽の炎」(花伝社)第1巻を発刊しました。
 この「安田講堂」は、社青同解放派のメンバーとして安田講堂に残留し、機動隊と「華々しく」闘い、懲役2年の実刑を受けた人による本です。
 要するに、安田講堂から東大生は卑怯にも全員逃亡したと世間から思われているが、実は、70人も残って闘ったのだ。そして、著者をはじめ懲役刑を受けた東大生が何人もいたということが著者の言いたいことです。そこには何の反省もありません。悪かったのは日本共産党系の学生であり、全共闘は正しかったという言葉のオンパレードです。いえ、考え方が違うのは、お互い、どうしようもないことです。でも、事実をこんなに曲げてしまっては困ります。私は当時、駒場の一学生でしたが、駒場には全共闘対日本共産党系学生そして右翼の学生しかいなかった、などと単純に片づけられていることにはすごい異和感があります。
 著者はマダガスカルのなぜのサル、アイアイの研究者でもありますので、私も、それらの本は感心しながら読みました。しかし、この本は、全共闘賛美につらぬかれているだけではなく、宮崎学の本「突破者」をうのみにした間違いが多すぎて嫌になってしまいます。「東大闘争資料集」を参照したのなら、もう少し事実を確認してほしかったと思います。
 たとえば、11月12日の総合図書館前の激突について、全共闘がぶつかったのは宮崎学らが指揮する「あかつき部隊」500人だとしています。全都よりすぐりの暴力部隊、暴力のプロだとされています。たしかに都学連部隊が予備として控えていたそうです。しかし、ここで全共闘と激突したのは駒場の学生(東大生)が主力でした(私も、その一人です)。
 12月13日の駒場の代議員大会についても、「日本共産党系部隊の公然たる暴力のなかで開かせ、その暴力で実現した会議決定」というのには、とんでもないデタラメさに噴き出してしまいました。あまりに全共闘を美化すると、こんなにも世の中のことが見えなくなるのですね。むき出しの暴力をふるったのは、当時すでに少数・孤立化していた全共闘の方だったことは、駒場の関係者に少し聞いたらすぐに分かることです。
 1月10日夜の駒場寮の攻防戦にしても、「部屋のひとつひとつの取りあいという市街戦に似た攻争」というのはまったくの間違いではないにしても、全共闘が制圧したのは三棟のうちの一つ、明寮の1階のみです。寮生であった私は、その2階にいたので(たまたま1階にいたら、全共闘に攻めこまれて2階へ逃げたのです)間違いありません。私の周囲には、ほかにも大勢の寮生がいました。いわゆる民青の外人部隊が大勢いたのも事実です。そして、このときには、たしかに「あかつき部隊」が来るというマイク放送があっていました。それにしても、中公新書という伝統を誇る新書にこのような間違った記述があると、それが歴史的事実だとして定着するのでしょうね。本当に恐ろしいことです。
 私の友人の本(先ほどの「清冽の炎」)は小説ですし、すべて真実だとは言いませんが、やはり歴史を語るのであればもっと客観的な事実をふまえてほしいと思います。「清冽の炎」はちっとも売れていないそうです。このままでは、2巻目以降の発刊は危ぶまれています。みなさん、ぜひ買って応援してやってください。

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