弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2006年2月22日

脳内汚染

著者:岡田尊司、出版社:文芸春秋
 タイトルが少しばかりドギツイので、トンデモ本の印象を与えますが、内容はしごくもっともな指摘です。
 子どもたちが幼いころからテレビ漬けになっていると、対人関係が乏しくなるということは古くから指摘されてきました。しかし、テレビ漬け以上にゲーム漬けになったら、もっと怖いということです。ところが、今では、ゲーム産業はビッグビジネス化しているので、マスコミは批判できないようになっているというのです。本当に困ったことです。
 テレビに次ぐメディア産業となっているのが、ゲーム業界である。1997年にゲームの総出荷額は1兆円をこし、2001年に1兆5000億円となった。国外への出荷額が3分の2以上。国内市場は縮小傾向だが、アーケードゲームが6000億円、ビデオゲームが5000億円。世界全体のビデオゲーム市場は20億ドル(2兆円)で、日本のゲーム産業は4分の3のシェアを占めている。ゲームの最大の消費国はアメリカ。アメリカだけで世界の半分以上を消費している。今や、映像メディアだけで国内に7兆円をこえる市場規模をもつ巨大産業である。
 平均的なアメリカ人の子どもは、18歳になるまでに、少なくとも暴力的なシーンを 20万回、殺人を4万回、目撃する。小学校を卒業するまでに、8000件の殺人と10
万件の暴力行為を目撃させられる。ビデオゲームには、1時間のプレイあたり最大で  1291回、平均で61回、人間が死ぬ(殺される)。
 FBIなどの射撃訓練センターでつかわれている訓練用装置と基本的に同じものがビデオゲームとして売られている。だから、アメリカのコロンバイン高校での大虐殺事件の高校生たちは、本物の銃を扱ったことがほとんどなく、ビデオゲームをみていただけなのに、銃を発射して人間に命中させることができた。
 8歳の時点で、テレビをどれくらい見ていたかによって、30歳までに犯した犯罪行為の程度を予測できる。つまり、8歳の時点で、どれだけテレビを診ていたかによって攻撃性の強さは左右される。
 暴力的な映像の洪水には、3つの有害な影響がある。第1に、感覚麻痺によって、暴力に対して無感覚になる。第2に、感じないことを、あたかも優れた美質であるかのようにみなす傾向になる。第3に、世界や人間に対して過度に悲観的になり、醜く危険で希望のないものとみなす傾向を植え付けてしまう。これは、子どもにとってその心に対する暴力であり、虐待にほかならない。
 ビデオゲームは、最高の叡智を傾け、中毒を起こしやすく設計された、一種の合成麻薬である。ビデオゲームは、すべてアドレナリンを出せるかどうかにかかっている。アドレナリンを出せる一番てっとり早い方法は、やられたと思わせることだ。つまり、やるか、やられるかという危険のなかで、必死に戦うか、逃げている瞬間にアドレナリンがもっとも盛んに放出される。敵を倒し、危地を脱したと、達成感とともに、脳の中ではドーパミンが放出される。
 ゲームに入り込むと、アドレナリンが放出され、瞳孔が開いて瞬目率が下がる。
 ゲーム依存、ネット依存が生じている最初の重要な徴候は、時間を守って終えることができないという症状である。依存がすすんでくると、ずっとやっていたいという気持ちを抱くようになる。そして、やっているときは、激しいワクワク感と気分の高揚を覚えている。メディアによって、あまりにも易々と代償的な満足が得られるために、苦労の多い努力をして、現実の中で満足感を得ようとは思わなくなってしまう。
 非行に走った子どもをみてみると、生物学的な基盤よりも、心理社会的な要因の方が、問題をこじらせる原因となっていることが多い。
 現実の中で寂しさを抱きながら、それをメディアの中の存在で満たすという状況におかれてしまうと、子どもの中で、現実の存在に対する尊厳や同一化が起こる機会は永久に失われる。その結果、多くの若者たちに、自我理想の形成不全がみられる。
 現実の人間は、画面の中のヒーローに比べると、格好悪い存在でしかない。身近な現実の存在は、最初理想化されたとしても、やがて失望を生む。対人関係は不安定なものにならざるをえない。
 快感を組みこまれ、いわば信者となった幼い脳は、親や教師の言うことに耳を貸さない。カルト宗教の信者のようなものだ。
 手づくりの体験が心をよみがえらせる。刺激のない状態の静けさや、安らかさを心と脳に取り戻してやることが大切だ。新たな刺激を際限なく求め続けることは、長期的にみれば、心をどんどん鈍磨させ、幸せを感じにくい心をつくり出してしまう。ささやかな楽しみが楽しみとして感じられることこそが、幸せの本質なのである。
 毎朝、出勤する前、フランス語の書きとりをしています。頭をあげると、わが家の庭の向こうに、緑あふれる低い山並みがあります。晴れた青空をバックとして目にしみる静かな緑に心が落ち着きます。心にゆとりを感じるひとときです。私はテレビを見ませんし、テレビゲームも一度もしたことがありません。1978年から流行したインベーダーゲームは何回かしましたが、私にはとてもできないと思いました。
 子どもたちに豊かな自然環境を残すだけでは足りない。社会環境についても考えるべきことは大きい。そういうことなんですね。

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