弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2021年7月 2日

シルクロード全史(下)

ヨーロッパ


(霧山昴)
著者 ピーター・フランコパン 、 出版 河出書房新社

17世紀から18世紀にかけてイギリスは最大級の成功をおさめたが、その理由はいくつもある。ほかのヨーロッパ諸国に比べて社会や経済の不平等が少なかったこと、最下層の労働者たちのカロリー摂取量が大陸と比べてはるかに多かったこと、経済成長にともなって労働の効率が格段に上がったこと、生活様式の変化も重要だった。
イギリスには、独創性に富む人材が多く存在した。出生率がヨーロッパの大半の国よりも低かったのは、一人あたりの収入に重大な影響を与えた。大陸に比べて、少ない人数で資源や資産を分けることができた。そして最強の切り札は、海に取り囲まれているという地理的条件。守るべき陸上の国境がないため、イギリス軍事費は、大陸の国々に比べて非常に低く抑えることができた。
第二次世界大戦の前、イギリスは戦争という脅しでドイツを牽制し、東の隣国への攻撃をふみとどまらせようとした。ところが、ヒトラーは、最強の手札が配られたと瞬時に判断した。それは並はずれた度胸が必要なゲームだった。
1932年に、ソ連の輸入品の50%近くがドイツからだった。それが6年後には、5%以下にまで落ち込んだ。スターリンとヒトラーの利害が一致したのは、ポーランドを分けあうということだった。スターリンは、すでに「ポーランド軍事組織のスパイ網の一掃」を名目に、ポーランドの内政に干渉し、数万人を逮捕し、5分の4以上は銃殺していた。
ソ連社会は、スターリンの圧制の下、数年間にわたって自滅の道を突きすすんでいた。
1917年の革命の英雄たちをはじめとする大勢の人々が、ヴィシンスキー検察官の下で、ファシストの犬、テロリスト、ならず者、害虫などと罵(ののし)られ、そして殺された。知識人や文化人が虐(しいた)げられた。101人の軍高官のうち、10人を残して全員が逮捕された。91人のうち9人以外は銃殺された。このなかには5人の元帥のうちの3人、大将2人、空軍幹部全員、各軍管区のすべての長、ほぼすべての師団長が含まれていた。赤軍は崩壊した。この状況のなかでスターリンには一息つく時間が必要だった。ヒトラー・ドイツの不可侵条約の提案は天の恵みだった。
なあるほど、そういうことだったのですか...。
一方のヒトラーにとって、最大の弱みは国内の農業だった。ドイツは食糧自給ができないため、輸入に大きく頼っていた。餓死する国民をひとりも出さないためには、ウクライナの穀倉地帯が「必要」なのだ。ロシア南部とウクライナの農業は、急成長していた。
ヘルベルト・バッケはヒトラーに対して、カギはウクライナにあると強調した。ゲッペルスも、ソ連を攻撃する狙いが小麦とその他の穀物を中心とする資源であると理解していた。戦争の開始は、穀物とパンのためであり、豊富な朝食と昼食、夕食のためだと明言した。目ざすべきは、ドイツとヨーロッパのすべての人々を養ってあまりまるほどの、黄金の小麦がゆらめく東の広大な農地の占領だった。
切迫した現実があった。ドイツでは、食糧をはじめとする必需品が急激に不足していた。ソ連からの穀物輸送だけでは、慢性的な供給不足を解消できなかった。1941年の夏には、ベルリンの店は品薄で、野菜が売られている店はめったに見かけないとゲッペルスは日記に書いた。ドイツ民族が食べていくためには、数百万人が餓死することは避けられない。次のようにナチスの内部文書に明記された。
「すべてはソ連南部の小麦畑の獲得にかかっている」
ソ連侵略の前に出された、ヒトラー・ナチスの軍隊の内部指令は次のとおりだった。
「完膚なきまでに、敵を全滅させる。あらゆる行動において、鉄の意思をもって、無慈悲かつ徹底的であらねばならない」
スラブ民族への侮蔑、ポルシェビズム(共産主義)への憎悪、そして反ユダヤ主義で一貫していた。
ヒトラー・ナチスがソ連領内に進攻する徴候はたくさんあり、スターリンに届いていた。しかし、スターリンは、まだヒトラーが牙をむく段階には至っていないと、ひとり合点していた。
チモシェンコ元帥(国防人民委員)、ジューコフ将軍(ノモンハン事件のときのソ連軍最高司令官)の二人が、ドイツへの先制攻撃を提案したとき、スターリンは、「頭がおかしくなったのか」と言ってとりあわなかった。
ドイツ軍はソ連領土内に侵攻して華々しい成果をあげた。しかし、それも束の間、今では必要な量の食糧すら確保できなくなっていた。
大量のロシア人捕虜が餓死したのは、ナチス・ドイツの自国民優先(ファースト)からだった。
スターリンのソ連には、やがて、ロンドンとワシントンから、戦車や航空機、兵器そして物資が投入されるようになった。流れが決定的に変わったのは、1942年の夏、ドイツ軍のロンメルが、アフリカ北部のエル・アラメインで大敗したこと。スターリングラードでも、1942年秋にはドイツ軍が苦境に立たされていた。
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(2020年11月刊。税込3960円)

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