弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2021年4月 7日

お気の毒な弁護士

司法


(霧山昴)
著者 山浦 善樹 、 出版 弘文堂

いやあ大変勉強になりました。これから弁護士になろうと思っている若い人にぜひ読んでもらいたいものだと思います。
お金は、あると役には立つが、人生の目標はお金ではない。お金を目標として生きるのではなく、金銭は一つの道具にすぎない。だから弁護士にとっては、法律だけでなく、目の前にいる依頼者がもっている夢や希望、好きな人との約束が実現するよう応援し、また他人には理解されないかもしれない心の隙間を理解し、一緒になって新しい生き方を探るという姿勢をもち続けることが大切。それがマチ弁の仕事。
そうなんです。著者はマチ弁として、弁護士1人、事務員1人の法律事務所を営んできて、最高裁判所の判事になり、定年退官したあと、また元の事務所を再開してマチ弁に戻ったのでした。
事件の依頼を受けたら、現場には必ず行き、依頼者の自宅や店舗を訪問する。そして、依頼者から、事件以外の昔話やムダ話を聞く。依頼者は最良の証拠であり、現場や依頼者の記憶には、必ず痕跡が残っている。著者が事実を徹底して調べ尽くし、また、依頼者(相手方のときも)とじっくり何度も話し込んでいって解決した話は、まさしく感動的です。
都心の巨大法律事務所のパートナーになり、何人もの弁護士を雇った、多額の収入があったということを自慢するより、地域の人々から頼りにされた、依頼を得たと子や孫たちが誇りに思うような生き方を選ぶ。
著者の言葉に、マチ弁ならぬ田舎弁の私は強く共感します。
法律事務所の損益基準は1件決算とか1年決算ではない。「人生」そのものを期間損益の単位としている。
いやはや、まったく同感です。著者は20年前の事件の依頼者が再訪してくれる喜びを紹介していますが、私も同じです。
口コミの威力はすごい。生涯を一会計年度として考えるべき...。
恒産が必要か否か...。恒産がないと弁護士業はできないというのであれば、金持ちしか弁護士にはなれないし、やっていけないことになる。やっぱり、そうではありませんよね。
著者は、酒も飲まない、ゴルフもやめた。自宅は雨露をしのぐ程度のもの(木造2階建て、敷地28坪)。お昼はコンビニ弁当かサンドウィッチ、ネクタイは1000円程度の安物。住宅ローン、学費ローンもあった...。
それでも多くの依頼者に恵まれ、「マイ・クライアント」がいて、その仲間たちが「恒産」だ。
なにしろ最高裁判事になるとき、手持ち金があまりないので、裁判所に「支度金」を求めて、担当者が絶句した...というのです。恐れ入ります。
父親は日雇労働者(にこよん。日給240円)、母親は内職。そして、質屋通いの生活。ゴミ捨て場に行ってくず鉄を拾って換金してあんパンを手に入れて空腹をみたす生活。いやあ、これにはまいりましたね。私は、小売酒屋の息子として育ちましたので、こずかいこそもらえず、紙芝居を間近で見ることができない寂しさはありましたが、ゴミ捨て場でくず鉄拾いするほどの貧しさは体験していません。
そして、著者は中学を卒業したら、就職するつもりだったのです。信用金庫に入るつもりでそろばん2級をとっています。ところが、担任の教師が、高校には奨学金制度があるからと言って、親を説得して高校に進学できたのです。教師はありがたいものでよす。
高校では新聞班に入り、また、英字新聞を定期購読したとのこと。親が偉いですね。そして、対人関係がうまくやれないことを自覚し、それを克服すべく生徒会長に立候補。
私も高校では生徒会長をつとめました。休み時間にタスキがけで立候補の挨拶をして3学年の全クラスをまわったことを覚えています。そのころは、それが当然でした。
そして、ついに一橋大学の法学部に進学。大学ではベトナム反戦運動とアルバイトに明け暮れていたそうです。築地魚市場そして立川の米軍基地で社会の実相をじっくり体験。
私もベトナム反戦の集会とデモには何十回となく参加しました。あとは、セツルメント活動に没頭する日々です。いえ、もちろんアルバイトもしました。家庭教師、オカムラ家具の搬出入、そして、ぬいぐるみで格闘。
著者は宝生流の能もサークルで演じています。そんな余裕もあったのですね...。
そして、卒業論文を書いたとのこと。これには驚きました。私は卒論なんて書いていませんし、考えたこともありません。私はゼミにも所属していませんので、東大教授と新しく話したことは大学生のとき1度もありません。遠くから仰ぎ見るだけの壇上の人でした。
著者は三菱銀行に入社したものの、たちまち後悔して、すぐに退社。
このとき、奥様から、「いい加減にしなさい。ぐずぐず言うあんた、嫌いよ」と叱られ、「そんなとこ、もう辞めなさい。私が食わしてやるから」と言われたといいます。すごい奥様(高校の同級生)です。そして妻の「ひも」になって、猛勉強して、1年で合格したというのです。
その受験生活がすさまじい。6畳1間のアパート。妻は昼間は薬剤師の仕事に出かける。一日中、そのアパートで勉強。朝8時から夜中の2時まで。エアコンがないので、お尻はあせもで真っ赤っか。座るのも辛いほど。家を出るのは1週間に1日だけ近くの銭湯に行く。そして月に2回、本屋に「ジュリスト」を買いに行く。そして、真法会の答練を郵便で送る。それだけ...。いやはや、これは、すごい。すごすぎます。私も、『司法試験』(花伝社)に自分の受験生活を描きましたが、寮生活でしたので、もう少し、うるおいがありました(女っ気は、ほとんどありませんでしたが...)。著者は、そんな猛勉強の甲斐あって、上位1割に入っていたとのこと。私のほうは、辛うじて「2桁」でした。
論文試験のとき、細字と太字の2本の万年筆を使用できて、答案で差をつけたとのこと。ええっ、そ、そんなことが許されていたのですか...。知りませんでした(今では禁止)。
司法試験に合格したことを報告に、郷里のお世話になったお寺に行くと、そこの和尚から「それは、お気の毒に...」と言われたといいます。この本のタイトルですが、今なお私には、よく分からない禅問答です。
司法修習生のとき、教官に「勝つな負けるな、ほどほどに」と言われ、そのときは理解できなかったとあります。しかし、私も、今では、本気でそう考えています。一般民事事件では、勝ちすぎるのは、あまり良いことではないのが大半だと考えています。「ほどほど」にしないと相手方に恨みが残って、よくないのです。
著者は最高裁の判事として再婚禁止100日間の期間事件と夫婦同氏強制違憲訴訟に関与して、それこそマチ弁の感覚を生かしたとのこと。再婚事件は13対2、夫婦同氏事件では10対5と、15人の最高裁判事の意見が分かれた。
裁判官は法律にしたがって事件を審理しているようにみえるが、その根底にあるのは裁判官の人生観や価値観。
これもまた、まったく同感です。その人生観・価値観が薄っぺらになりすぎている裁判官があまりに多い、多すぎるのが現状で、その点が残念でなりません。
ただ、その点について、著者は、若い人たちに指導する側のマインド、指導力に問題があるのではないかと、耳の痛い指摘もしています。
450頁もの大部の本です。実は、読む前は、タイトルもピンと来ないし、どうなのかな...と思っていたのです。朝7時の電車に乗って、読みはじめると、たちまち惹きつけられ、午前中のフランス語教室のあと昼食をとりながら、また、コーヒーを飲みながら、ずっと読み続けて午後3時に読了しました。まったく面識はありませんが、同期(26期)で最高裁判事になった人なので読んでおこうかなという軽い気持ちでしたが、ずんずんと来る手応えがありました。
少し高価ですが、改めて若い人にぜひ読んでほしいと繰り返します。
(2021年3月刊。税込3850円)

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