弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2005年11月30日

アルジャジーラ

著者:ヒュー・マイルズ、出版社:光文社
 イラク戦争をきっかけとして、私たち日本人にも急に有名になったテレビ局の実像に迫った本です。アメリカのCNNより、ある意味では親しみがあり、信頼できる映像でした。
 アルジャジーラとは、アラビア語で島あるいは半島という意味。その本部はカタールにある。カタールは、1916年以来、イギリスの保護領となっていて、1971年に独立したが、サーニ家が支配している。人口は61万人で、生粋のカタール人の成人人口はなんと、たった8万人でしかない。あと40万人はパキスタン・インド・エジプトなどからやってきた移民労働者。人口の半分が16歳未満。ロシアとイランに次いで世界第3位の天然ガス埋蔵量があるため、1人あたりの国民所得は世界の上位にある。したがって所得税はない。水もガスも電気もタダ。ガソリンは非常に安く、医療もすべて無料。政府の職員は、退職後も現役時代の年収の同額の年金が生涯支給される。
 エジプトの国営放送局には、毎晩、情報相から電話がかかってきて、閣僚の名前と放映する時の順番について指示がある。夜のニュースではムバラク大統領夫人の一日の行動が紹介されるし、大統領の息子の活動を伝える長時間番組もしばしば放映される。
 アルジャジーラにはオーナーはいない。が、カタール政府から資金援助を受けている。株式はカタール政府と少数の個人が所有している。それでも、政府の意向と離れて放送している。
 アルジャジーラのスタッフのうち、4分の1はカタール出身で、残りは他のアラブ諸国の出身者。ゲスト同士が激しくののしりあい、ついには途中で退席してしまうという「反対意見」という番組がある。そこには一般市民も電話で論戦に参加できる。これが圧倒的な人気を呼んでいる。
 もうひとつ、「宗教と生活」という人気番組がある。そこではイスラム聖職者が政治からセックスまでズバリ語る。だから、毎晩、3500万人が観ているという。
 ところが、アルジャジーラはシオニストの手先だと疑われ、アラブ世界に多くの敵をつくってしまった。でも、アメリカやイスラエルのマスコミからはテロの温床だと非難されている。
 アルジャジーラは、広告主へサウジアラビアが圧力をかけるため、年間3000万ドルの赤字を計上した。日本のNHKから入る映像使用料収入が、その赤字を埋めあわせている。なかなか独立採算でもうかっていくのは大変のようです。
 アメリカ軍はバグダッドの中心部の住宅街にあるアルジャジーラの支局をミサイル攻撃して記者を殺した。アルジャジーラをアメリカ軍が敵視したからとしか思えません。
 アルジャジーラは、イラク侵攻と読んで報道していたが、イラクにも米英にも、どちらにも味方してはいなかった。フセイン政権にも米英軍によるイラク侵攻にも反対していた。
 今やアルジャジーラが欧米諸国のアラブ人コミュニティーに与えている影響は大きい。アメリカに180万人、イギリスに40万人、ドイツに80万人のアラビア語人口がいるからである。
 日本にも、このような独立系の、ニュース番組を主体とした局ができたら、ちょっとはマシな日本になるのではないか、つい夢想してしまいました・・・。

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2005年11月29日

雲の都、第2部、時計台

著者:加賀乙彦、出版社:新潮社
 1949年、19歳の小暮悠太が東大医学部に入学した。これは著者の自伝的大河小説の第2部です。先に出版された第1部の方が時間的に先ということでないことに途中で気がつきました。
 医学部ではまず人体解剖の実習をさせられる。ホルマリン漬けの人体を解剖する。その臭いが全身に染みついてしまう。死体がたくさん並んでいる部屋に入っていくんですね。私には耐えられません。つくづく医学部なんかに入らなくて良かったと思いました。
 大学内で学生運動が分裂している。共産党は国際派と主流派に分かれて対立している。
 1950年。東大本郷の五月祭の展示に悠太たちは原爆展に取り組んだ。アメリカ(ABCC)の禁止令がまだ生きているときのことで、市民からも大きな反響があった。
 6月25日、朝鮮戦争が始まった。しかし、日本にとって経済回復には寄与したとしても、他国の戦争でしかなく、平和な日々が続いていた。この年の4月、東大セツルメントが発足した。戦前の東京帝大セツルメントを復活させたのだ。
 セツルメントは、完全にパルタイの下部組織だ。今に徴発されて北朝鮮解放軍の兵士に仕立てられる羽目になるぞ。そんな会話が出てきます。ちょっとオーバーですけど、セツルメントの雰囲気は伝えています。
 1951年。東大セツルメントは大井町と江戸川区葛西のほかに新しい拠点として川崎の古市場と亀有の大山田地区に進出することに決めた。悠太は亀有セツルに入った。
 私は、もうひとつの川崎古市場のセツルに入りました。1967年のことです。この年、同時に入ったセツラーは少なくとも30人はいたと思います。東大だけでなく、学芸大学や津田塾大学そして横浜市立大学、神奈川栄養短大など、多いときには20以上の大学から集まり、セツラーも100人を軽くこえていました。
 悠太は土曜の昼から日曜日いっぱいをセツルに通った。診療にあたるのだ。それでも悠太は、ある種の貧困者が住む、それだけで青春の時代を喜んでささげるという彼ら(セツラー)の夢を十分には理解できなかった。発言の端に革命とかプロレタリアートとかアメ帝とか、情熱を支えるキーワードが衣の下の鎧のように見え隠れしていたが、悠太には無縁の言葉だった。悠太は未知の土地を見るという楽しみ、好奇心で動いていた。
 セツルメントを五月祭の展示に出しても見る人は少なかった。まだ世間からは認知されていない言葉だった。
 これは私がセツルメントに入った1967年当時もそうでした。実際、セツルメントって何のことやら分かりませんでした。先輩に誘われて面白そうだと思ったのですが、地域の現実を知ってみたいなと思ったのです。その地域とは、ドヤ街とか最底辺の人々が生きるというより、フツーの労働者が多く住んでいる町のことでした。そして、私が丸々3年間以上もセツルメント活動を続けたのは、心魅かれる素敵な女子大生がたくさんいて一緒に活動できたことも大きかったと思います。今思えば、夢のように楽しい日々でした。悠太も同じように看護婦に好感をもち、好かれるようになりました。
 悠太は卒業後、精神病院に入り、また東京拘置所に入ります。そこで、書物から得た知識とはまるで違う現実を見せつけられました。犯罪者の人々と向きあう毎日を過ごすようになったのです。すごい体験です。私も、法廷で、被告人が人を殺すためには憎悪の念をかき立てる必要があると語るときの被告人を見て、その表情の怖さにゾクゾクしてしまいました。まるで夜叉のように表情が固まり強張っていました。
 さらに、人妻との恋も進行していきます。悩み多き青春を生きる精神科医。本のオビにそう紹介されています。当時の世相と学生の心理状態がよく分かります。
 私の親しい友人が、1968年の東大駒場にいた学生群像を描いた自伝的小説を出版しました。東大闘争の実情とあわせてセツルメント活動の様子も紹介しています。加賀乙彦のように高名ではないので、どれだけ売れるのか心配ですが、せいぜい販売に協力したいと考えています。みなさんもぜひ買って読んでやって下さい。花伝社「清冽の炎」第1巻です。1968年4月から1969年3月までの1年間を5巻に分けて描いていく第1弾なのです。第1巻がまったく売れなかったら、第2巻以降の出版が危ぶまれるところではあります・・・。どうぞ、よろしくお願いします。

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2005年11月28日

庭仕事の喜び

著者:ダイアン・アッカーマン、出版社:河出書房新社
 田舎で弁護士をする最大のメリットは、なんといっても恵まれた自然のなかで毎日の生活を送ることができることです。四季の移り変わりを愛でて楽しむには、なにより庭に出て草花と触れあうのが不可欠です。いえ、地中にはミミズもモグラもいて、地上には小鳥だけでなく、クモもヘビもいます。といっても、クモの巣が庭にはりめぐらされるのは廃屋のようで、困ります。ですから、クモさん、悪いね。そう言いながら、クモの巣を払いのけています。
 これを書いている11月上旬の今、わが家の庭にはツメレンゲの白い花が咲き、ネムの木が線香花火のような艶やかなピンクの花を咲かせています。妖しいほどの魅力がありますので、ついつい触れてみたくなります。これって美人と同じですよね。
 四季咲きのクレマチスも2輪ほど花を咲かせています。キンモクセイは10月末に咲き匂い終わりました。芙蓉の花が終わったので、根元から枝を切ってやりました。酔芙蓉もあります。午前に純白の花を咲かせ、午後遅くなると赤みの濃い花となりますので、その名のとおり酔っ払った佳人(美女)のなまめかしい風情です。
 花は詩に似ている。喜びを求めれば、花はあなたを喜ばせてくれる。深い真実を求めて花を眺めれば、思いをめぐらす種は尽きない。
 花はとても大胆な目的を持っている。官能的であることが仕事であり、欺くことは天賦の才だ。賄賂を差し出したり、変装したりは得意技で、疑うことを知らない旅人たちを騙す。彼らがかたる物語は正直で、淫乱さとは無縁なので、自然は裁かないし意図しない。ただ実行するだけだとつくづく感じさせる。
 ザゼンソウは早春に、主根のでんぷんを糖に変化させることによって、花が熱を発する。糖はすばやく激しく燃焼し、ときには周囲の雪をとかすことさえある。ザゼンソウは動物のようだともいえる。寒いときには、熱を発して体を温める。
 ひやー、そうなんだー・・・。ちっとも知りませんでした。まるで動物ですよね。
 チューリップは数年しか花を咲かせない。秋に植えた元の球根は複数の子球根をつくり、それらは親のエネルギーを不均等に受け継いでいる。花を咲かせた後、元の球根は死んでしまい、子のなかでもっとも強いものが次の季節に花を咲かせる。毎年エネルギーが分散されるので、そのうちに球根は単純に、自ら消耗してしまう。だから私は、チューリップは一年草として扱い、咲いているあいだを楽しみ、約束を期待せず、翌年も花が咲いたら幸運だと思うようにしている。
 私も、毎年秋になると、300個から500個のチューリップの球根を植えています。チューリップは密植した方が見映えがいいのです。ですから、畳一枚分くらいに100個ではスカスカした感じで、とても足りません。庭のあちこちに分散し、そして集中して植えていきます。9月から12月にかけての日曜日ごとの楽しい作業です。春、チューリップの花が咲き終わっても、しばらくそのままにしておきます。そのうち掘りあげてしまうのですが、それは次の花を植えるためのものです。掘りあげた球根を翌年につかうつもりで何度か試みましたが、たいていは小さく分球していてモノになりませんでした。ですから、まあ花屋さんが喜んでくれるのだからと考え、いつも数万円分の球根を買って植えています。もちろん一度に買うのではありません。生協で大量に注文し、そして町の花屋さんでも少しずつ買っては植えていくのです。
 ちなみに、チューリップにもいろいろな新種がありますが、やはり昔ながらのチューリップが一番いいようです。小学校1年生のときの教科書にチューリップの花の絵があったことを、今もよく覚えています。フリンジのついたものとか、八重咲きのものなどは、そのうちに飽きがきてしまいます。

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2005年11月25日

峠越え

著者:山本一力、出版社:PHP研究所
 人生にはいくつもの峠がある。
 ここまでやれたんです。手をたずさえて、あの虹をくぐりましょう。
 そんな温かい呼びかけが聞こえてくる本です。
 私と同じ団塊世代の著者の心やさしいまなざしが、読み手の心を熱く溶かしてくれます。読み終わったとき、ほんわか心にぬくもりを感じることができて、心地よく感じられる本です。
 女衒(ぜげん)の新三郎が主人公です。でも、女衒なんて言われても、いったい何のことやらピンと来ませんよね。とはいっても、江戸時代から現代日本に至るまで、現実にひそかに続いている嫌な職業です。
 新三郎は女衒である。女の気持ちの裏表を見抜く眼力が命綱の稼業だ。相手を見詰めながら、おりゅうは新三郎の器量に賭けた。両目に込めた気持ちが汲み取れないようであれば、先の見込みはないと肚を決めていた。
 江戸で、江の島弁財天の出開帳(でがいちょう)を初めてやってみようとした話です。私も江の島には30年以上も前に行ったことがありますが、あそこには弁財天があったのですか・・・。銭洗い弁天なら知っているのですが、知りませんでした。銭洗い弁天でお札を洗った枚数が少なかったせいか、私は今もってお札のまわり方がもうひとつ足りないようです。まあ別に、だから不満だというわけでもないのですが・・・。
 株仲間、香具師(やし)、興行師、そして時ならぬ台風もやってきて、出開帳がうまくいくのかハラハラさせられます。次がどうなるのかという心配をかきたれ、頁を繰るのがもどかしいほどです。なんとか出開帳が成功したと思ったら、次には、てきやの元締めの親分たちが登場します。その親分たちを箱根まで連れていくという難題を背負わされるのです。一癖も二癖もある親分たちです。どうやってまとめていくかが、また見物です。
 話の運びがうまいですね。ついつい、この先どうなるんだろう、と心配してしまいます。賭場の様子など、実によく調べてあると感心するほど見事に描かれています。このあたりの筆の運びには、たいしたものだと、うなるばかりです。
 ハッピーエンドなので、胸をなでおろすことができます。江戸情緒をたっぷり味わうことのできる本でした。

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だから、アメリカの牛肉は危ない

著者:ドナルド・スタル、出版社:河出書房新社
 アメリカ産牛肉の輸入が再開されようとしています。吉野屋の牛丼はまだ復活していませんが、同じ牛肉なのに、オーストラリアやニュージーランド産ではダメだという理由が私にはさっぱり分かりません。ところが、私の依頼者でもある焼肉屋の主(あるじ)によると、やっぱりアメリカ産とオージー産とでは、牛肉の味がまるで違うのだそうです。本当かな、と思うのですが、プロが言うのですから間違いないのでしょう。
 アメリカで牛の飼育は、1980年にはテキサス、カンザス、ネブラスカの3州で全土の40%を占めていた。2002年にはこれが54%に増えた。いまや、牛は工場飼育と呼ばれる大規模生産である。牛の解体処理ラインの速度は1時間に400頭が処理できる。ちなみに、鶏なら1分間に200羽、豚は1時間1000頭。
 いまアメリカの牛肉市場は、四大精肉企業が市場の85%を支配している。少し前までは、五大企業の占有率は55%だったのが、さらにすすんだ。精肉企業で世界最大のタイソン社の売上は、1991年に39億ドルだったのが、2001年には107億ドルにまでなっている。3倍の伸びである。
 精肉処理過程で一番の出費は労賃であり、精肉企業は賃金カットと、かつては強力だった労働組合の弱体化に成功している。
 牛肉工場で働く労働者の離職率は驚くほど高い。低いところでも72〜96%。新しい工場では250%にも達する。単純作業に細分化されているため、仕事にうんざりし、疲れ果て、傷つき、さっさと仕事を辞めていく。食肉工場にとって、離職と労働災害が最大
の問題。精肉工場で働く労働者の賃金が低く、環境も劣悪なため、ラテンアメリカやアジア、そしてイラク、ソマリア、ボスニア、カンボジアなどからの移民によって担われるようになっている。
 アメリカでは毎年、食中毒が7600万件発生している。それによって32万5000人が入院し、5200人が死亡している。
 アメリカで販売されている抗生物質の40〜70%が農業につかわれている。長いあいだ抗生物質を混ぜて餌を与え続けると、家畜の肉で人間の健康を脅かしかねない。
 牛からとれるものは無数にある。接着剤、石けん、獣脂、皮革製品、デオドラント、洗剤、マシュマロ、マヨネーズ、アスファルト、ブレーキ液、シャンプー、シェービングクリーム、シガレットペーパー、マッチ、シートロック、壁紙、インスリン、アミノ酸、血漿、コーチゾン、エストロゲン、手術用縫合糸、ビタミンB12など。ええっ、こんなのまで、牛からとれるの・・・。うっそー、と叫んでしまいました。信じられませんよね。
 私も、若いころには、マクドナルドのハンバーガーやケンタッキーフライドチキンを美味しいと思って食べていました。でも、その牛肉や鶏肉が抗生物質を多用し、工場飼育という大量生産されたものであり、化学調味料で味がごまかされているという事実を知ってから食べるのを止めました。
 今日も、これらのファーストフードの店に若者たち(いえ、中年の客も多いです)が群らがっているのを横目で見て、自分たちの健康そして地球環境について、もう少し考えてほしいものだと、つい年寄りのようにつぶやいてしまったことでした。

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源義経

著者:近藤好和、出版社:ミネルヴァ書房
 さすが有職故実(ゆうそくこじつ)を専門とする学者の書いた本だけあって、なるほどそうだったのかと思ったところがいくつもありました。
 甲冑は甲と冑であり、甲が「よろい」、冑が「かぶと」である。しかし、10世紀以降、しばしば逆によまれてきた。よろいは鎧ともかく。大鎧は、弓射騎兵の主戦法である騎射戦での防御をよく考慮したもので、全重量は30キロにもなる。
 馬には前歯と臼歯との間に、歯槽間縁といって歯のない部分があり、啣(はみ)は、そこに銜(くわ)えさせる。
 日本の馬は体高4尺(120センチ)を基準とする。サラブレッドは小さくても体高160センチあるので、日本の馬はかなり小さいことになる。しかし、アジアの草原馬のなかでは日本の馬は標準的な大きさなのであり、日本だけがことさら小さいわけではない。むしろ、競争馬に改良されたサラブレッドやアラブ種の大きさが特殊なのだ。とくに、馬は群をなすのが本能なのに、サラブレッドは逆に他の馬が近づいてくるのを嫌うことから、馬とは言えないという見方もある。
 大鎧などの武具を着装した騎兵は体重ともに100キロはこえていたから、それを乗せた日本の馬は力強かった。気性の荒い駻馬(かんば)だったろう。明治より前の日本には馬を去勢したり、蹄鉄の技術はなかった。なお、外国では左側から馬に乗るが、日本では右側から乗った。
 ところで、現在の走歩行は左右の手足が交互に出るのがふつう。しかし、江戸時代までは左右の手足が同時に出ていた。これをナンバという。相撲のすり足である。これを常足(なみあし)ともいう。四つ足動物は常足だ。騎兵にとって、騎乗者も常足が常態なら、人馬一体の動きができるわけである。現在感覚で考えてはいけない。
 この本で私がもっとも注目したのは、騎馬で断崖絶壁を降りていっている写真です。まさしく直角の絶壁を馬に乗った騎兵が降りています。なるほど、これだったら義経が一ノ谷合戦のとき、鵯越(ひよどりごえ)で坂落としすることはできたのでしょう。訓練(調教)次第で馬は何でもできるようです。著者はいろいろの説はあるが、義経は「吾妻鏡」では70騎をひきつれて鵯越の坂落としを敢行したという見解です。だから現実味があるとしています。ふむふむ、かなり説得的ですね・・・。
 また、壇ノ浦合戦のときの平氏の敗因を潮流が変わったことに求める説には科学的根拠がないとしています。さらに、義経が当時の慣習に反して水手(すいしゅ)や梶取(かんどり)をまず殺して平氏方の船の自由を奪い、それから船内に乱入したことが平氏の敗因になったという説にも根拠が乏しいとしています。むしろ、そうではなくて著者は、平氏に長年つかえてきた阿波重能の裏切りが敗因だとしています。
 歴史にはまだまだ語られるべきことは多い。そういうことのようです。

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2005年11月24日

クルド、イラク、窮屈な日々

著者:渡辺 悟、出版社:現代書館
 クルドやイラクの現実がどうなっているのか。新聞やテレビにまったく出てきませんので、この本は貴重な情報です。
 自爆未遂犯として刑務所に入っている20歳(犯行当時は19歳)の青年に面会しています。ベストとベルトに5キロのTNN火薬を仕込んで軍施設の前に行った。ところが発火のスイッチを押す手が震えているうちに、番兵に疑われて捕まったというのです。組織(アンサール・イスラム)に入って4ヶ月たったとき、「パラダイスに行け」と命じられて自爆犯に選ばれたという話にも驚かされます。
 著者はサマワにも出かけました。サマワの人々は日本に対して復興支援ということで期待している。自衛隊のあとに企業が来てくれると信じているわけだ。自衛隊は、あとから来る日本企業を護りに来たというわけ。それをごまかすため、日本政府は、2004年度に15億ドル(1650億円)を寄付し、2007年度までに円借款で35億ドル(3850億円)を援助する。このお金は給水車の購入や病院・学校の修復につかわれる。
 自衛隊を派遣するのに必要な費用は年に377億円。ざっと1日1億円かかるというわけです。そのうち7割の250億円は自衛隊出身の装備費。自衛隊は自己完結型で、食糧も装備も日本から持参するので、現地にはほとんどお金を落とさない。費用対効果という面では、まるで話にならない。自衛隊の給水能力は1日80トン。これに対して、フランスのNGOは年間6千万円で10万人を対象とする給水活動を展開している。給水トラック70台と契約し、合計800トンの飲料水を毎日運んでいる。
 いま、西日本新聞は毎日、サマワにいる自衛隊員の生活ぶりを写真入りで大きく連載しています。しかし、そこにはイラクの人々の生活の様子がまったく見当りません。イラクの人々と接点のない生活をしているからです。町に出たら生命の保障は全然ありません。
 いまNHKはバグダットのパレスチナホテルの2階の奥にいて、外には出ない(会社命令で出られない)のです。高遠さんたち3人がイラクで拘束されたとき、サマワには70人のマスコミ記者がいましたが、会社命令ですぐ自衛隊の宿営地に逃げこみました。そして、自衛隊機に乗ってクウェートまで運ばれたのです。人命尊重というわけです。
 日本のマスコミがアメリカ軍と自衛隊の発表した情報しか報道しないため、著者のようなフリージャーナリストはますます貴重です。外務省の奥大使と井ノ上書記官が殺された事件も犯人は不明のままです。この事件も、実はアメリカ軍による誤射の確率が非常に高いと言われていますが、うやむやのままとなっています。真相究明の努力はまったくなされていないのです。
 サマワにはアメリカ軍による劣化ウラン弾の影響が残っているとみられています。これは、すぐに影響が出てくるものではなく、派遣された自衛隊員は、その精子が壊され、奇形児が生まれる危険性が高いとみられています。しかし、それは5年先、10年先のことですから、そのとき、今の小泉首相がいるはずはありません。
 日本のマスコミは、小泉首相の提灯もちのような報道ばかりせず、もっとイラクの人々のおかれている真実を現地から報道する努力をすべきではないでしょうか。

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2005年11月22日

放送中止事件50年

著者:メディア総合研究所、出版社:花伝社
 森繁久弥と佐藤栄作首相が対談した番組(1965年10月13日、TBS)で、森繁が「だいたい政治家になる連中は少し知能程度が低いのでは」と言ったところ、佐藤首相も「たしかに政治家というのは、どこか狂っていなくてはならない」と答えました。しかし、この部分は橋本官房長官によってカットされてしまいました。
 この佐藤首相が引退するときの記者会見(1972年)で、「テレビはどこだ。NHKはどこだ。新聞記者の諸君とは話さない。国民に直接話したいんだ。偏向的新聞は大きらいだ」と言って、内閣記者会が総退場して空っぽとなった記者席を前に、首相がひとりテレビカメラに向かってしゃべったという有名な事件がありました。いま、内閣記者会は小泉首相の手のひらで踊らされるだけで、抗議の総退場なんて考えられもしません。残念でなりません。
 NHKの花鳥風月を扱った番組にはいいものも多いが、肝心な政治・社会の問題には触れないし、迫らない。海外ものに力作があっても、日本政治の核心に迫る問題は巧みに避けている。海外ものでも、日米同盟にかかわる問題になると、とたんに及び腰になってしまう。本当にそうですよねー・・・。だから私はNHKの受信料の支払いを依然として停めています、だって、NHK幹部は、政府・自民党による番組の事前検閲は今後しませんと確約しないのですよ。何が公正・中立・不偏・不党ですか、聞いて呆れます。
 政府と向きあうことをしなくなったというだけでなく、テレビは社会とも対面しなくなっている。憲法改正問題にしても、憲法のどこがどう問題なのか、問題でないのかについて、真正面からとりあげた番組がどれだけあるのか・・・。まったく同感です。日曜朝の、モノ好きな人しか見ていない時間帯での政治討論会だけでお茶を濁されては困ります。ゴールデンタイムに、とことん議論する番組を組むべきなのです。
 私は高校生のとき、紅白歌合戦なんて、あんなものは日本人を一億総白痴化するだけの番組でしかないという誰かの評論を新聞で読み、まったく同感だと思って以来、紅白歌合戦を見なくなりました。大晦日の夜にはほかにもやることがあると思いませんか・・・。
 同じく、高校生のときに朝の連続テレビ小説「おはなはん」をくいいるように見ていました。でも、弁護士になって何年目かのとき、テレビなんか見るのは人生のムダだと思うようになり、見るのをやめてしまいました。テレビを見ないと、頭で毎日すっきりした生活を過ごせます。困るのはたったひとつ、災害情報をすぐに知れないことです。でも、それは田舎に住んでいますので、どうせたいしたことありません。
 ライブドアの買収にあって、フジ・ニッポン放送グループは、放送には「高い公共性」が求められるとくり返し強調した。そのとおりだ。しかし、「面白くなければテレビじゃない」と言ってきたのはフジ・ニッポン放送だったことを忘れてはならない。そのとおりです。頭を空っぽにしてしまうバカバカしい面白さ。視聴率を上げて、いかに広告料を高くとるか。それしかテレビ局の首脳は考えていないのではありませんか・・・。
 かつて「若者たち」やベトナム反戦運動をとりあげた番組は「作品が重すぎる。暗すぎる」という理由で中止に追いこまれた。しかし、現実には重いし、暗いことが多い。お笑いショーばかりを国民が求めているわけではない。本当に、そのとおりです。
 わずか80頁足らずの薄っぺらな冊子ですが、ずっしり重い内容で、両手でもっても支えきれない思いがしたほどです。
 メディア内部の反発力が衰退している、圧力に対する社会的な反発力が乏しくなっている。このように指摘されています。日本をあきらめない。どこかの政党が総選挙のときにスローガンに使っていた言葉ですが、いまの私たちの合言葉にすべきではないかと真剣に思います。いかがでしょうか・・・。

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昔、革命的だったお父さんたちへ

著者:林 信吾、出版社:平凡社新書
 団塊世代の登場と終焉、そんなサブタイトルがついていることもあって、読まずにはおれませんでした。
 団塊世代は、会社人間の最後の世代である。彼らの多くは下の世代から嫌われた。部下を持つ身になって、どうもコミュニケーションがうまくとれない。建設的な議論ができない。キャッチコピーを連呼するだけの無内容なオヤジに過ぎない。みんなで一斉に動かねば気がすまず、反対意見には耳を貸さない。
 団塊世代はバブル景気の主役とは言えない。単に巨大なマーケッティング・ターゲットとして踊らされただけ。しかし、地上げ、土地転がしでもうけたカネを、株式市場でさらに転がすという狂気の経済活動の現場を駆けまわったのも団塊世代だった。団塊世代なくしてバブル景気はありえなかった。
 うーむ、なかなか鋭い。胸にグサリと来る指摘が次々にくり出されてきます。
 団塊世代には無党派層の比率が高い。議論好きで、かつては革命的であったはずの団塊世代が、実は政治的無関心を蔓延させ、それが社会的な閉塞感をもたらした。
 この本によると、それでも団塊世代は戦後日本の政治を2度だけは流れを大きく変えるのに貢献したといいます。1度目は1975年の田中角栄の退陣です。私が弁護士になった年、たまたま東京地域あたりをウロウロしていると、田中角栄がさっき逮捕されたという知らせが霞ヶ関をかけめぐっていました。角栄逮捕に同行した検察官は、私の横浜での実務修習のときの指導教官でした。今の小泉首相と同じように、マスコミは角栄を天まで高くもち上げたのですが・・・。
 2度目は、1993年の細川内閣の誕生です。非自民の8党派連立内閣に対して71%の支持率が集まりました。しかし、お殿さまが無様に政権を投げ出したあと、自民党が巻き返すと、団塊世代の多くは沈黙を決めこんでしまった。
 うーむ、なるほど、そうも言えるのかー・・・。団塊世代が学生時代と違って、ちっとも政治的な発言をしないことは事実ですよね。ともかく議員が少ない。もちろん議員になっている人はいます。しかし、こんな人が議員になっていいのかしらん、と思うような人ばっかりのような気がします。少し骨があると思った議員は、早々に自殺してしまいました。
 あれだけ政治を議論し、社会の変革を語っていたのに、政治の表舞台にあがった人の少なさは奇妙な感じがしてなりません。この点はヨーロッパともかなり様子が違うようです。フランスやドイツでは、あのころ街頭で名をはせた学生指導者が政治のリーダーに大勢なっていると聞きます。どうして日本はそうならなかったのでしょうか・・・。
 この本は、最後に団塊世代に呼びかけています。いよいよ定年退職を間近にして、自分の年金がどうなるのだけを心配している団塊世代に対する熱烈なアピール、そう思ってしばし耳を傾けてください。
 あなたたちが求めるべきは、年金の保証ではなく、60歳を過ぎてからも働いて社会に貢献できる環境であり、労働に対する正しい対価であるはずだ。
 そしてなにより、より若い世代が、やりがいのある仕事に就くことができ、子どもの可能性に対しては平等な機会が与えられるような社会であるはずだ。
 戦争と差別に反対し、一度は命がけの覚悟で立ち上がったではないか。その問題提起は、ある意味で正しかったことが、今まさに証明されているのではないか。
 あなたたちの子どもの世代は、勝ち組、負け組などと選別されようとしている。かつて疎外からの解放を叫んでいた身として、こうした言葉を聞いてなんとも思わないのか。
 かつてベトナムの子どもたちを殺す戦争には荷担できないと叫び、授業をぶちこわしたのに、今や自衛隊はイラクにまで行っている。若い世代の日本人が、大義なき戦争に駆り出され、砂漠で無意味に殺されるかも知れず、国家の命によってどこかの子どもを殺すかもしれないのだ。これを黙って見過ごすのか。
 団塊の世代は、このまま消えていくべきではない。もう一度、立ち上がるのだ。必要なのは、次世代のため、連帯を求めて孤立を恐れないこと。そうすると、下の世代も、必ずや後に続くだろう。
 久しぶりによくできたアジテーションを聞く思いでした。ここで指摘されているとおりだと団塊世代の一人として思います。私もあきらめることなく、もうひとがんばりするつもりです。私の親しい知人が1968年の東大闘争と学生セツルメントを長編小説にまとめ、近く本として発刊することになりました(「清冽の炎」、花伝社)。
 どうせ、そんな本、誰も読みやしないよ。いや、団塊世代は人生の総括時期にきているから、きっと読むはずだ。このように相反する2つの意見があります。いったい団塊世代は1968年ころ、どう生き、どんな青臭い議論をしていたのか。記録にもとづいて刻明に再現したノンフィクション風の小説です。ぜひ、あなたも読んでみて下さい。

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2005年11月21日

殴り合う貴族たち

著者:繁田信一、出版社:柏書房
 平安朝裏源氏物語というサブタイトルがついていますが、まさしく貴族に対する従来のイメージを一変させてしまう本でした。
 あの藤原道長が23歳のときのことです。権中納言(ごんのちゅうなごん)であった彼が宮中の官人採用試験の試験管(式部少輔、しきぶのしょう)を拉致して道長の邸宅まで歩かせたというのです。その目的は、試験結果に手心を加えるよう圧力をかけようということでした。また、48歳のとき、左大臣になっていた道長が2人の貴族を自邸の小屋に監禁しました。道長の妻の外出の準備を手際よくすすめることができなかったという理由からです。なんということでしょう。
 また、道長のオイの子(経輔)が天皇(後一条)の御前で殿中(紫宸殿)において取っ組み合いのケンカをはじめたというのです。お互いに相手の頭髪(もとどり)をつかんで、格闘したというのですから驚きです。でも、経輔が19歳だったというのを知れば、さもありなんと納得してしまいます。昔も今も、若者はとかく暴走しがちなのです。
 同じく道長の別のオイ(兼隆)は自分の従者を殴り殺してしまいました。そして、その子の兼房は宮中において蔵人頭(くろうどのとう)を追いかけまわし、さらには宮中で仏事の最中に少納言に対して一方的な暴行を働いたり、宮内少輔(くないのしょう)に集団リンチを加えたのです。
 すさまじい話が当時の「少右記」などの貴族の日誌に記録されています。ちっとも知りませんでした。この本によると、王朝時代に暴力沙汰を起こした貴公子は中関白道隆や粟田関白道兼の息子たちや孫たちばかりではなかったというのです。
 彼らは氷山の一角にすぎない。暴力事件につながるような不品行は、王朝時代の貴公子たちのあいだに蔓延していた。
 道長が成人してからは、その子どもたちが数々の不祥事を繰り返しています。道長の子(三位中将藤原能信・よしのぶ)は20歳のとき、僧侶の娘に対する強姦に手を貸そうとしています。その前、19歳のとき、衆人環境のなかで大路のまっただなかで貴族たちに暴行を加えてもいるのです。道長の息子たちは何度も暴力事件を起こしておきながら、けっして自分自身の手は汚さず、つねにすべてを従者たちにやらせていました。
 王朝時代の貴族社会においては、債権の回収に暴力が用いられるのは、それほど珍しいことではなかった。むしろ、悪質な債務者に対しては、王朝貴族たちはためらうことなく暴力に訴えていた。つまり、王朝貴族たちの行使した暴力は、しばしば債権回収と結びついていた。これでは、まるで、現代の悪徳金貸しです。
 後妻打(うわなりうち)も珍しくはなかった。これは1人の男の妻の座をめぐって、前妻が後妻を迫害するということ。北条政子が頼朝の新しい愛人となった女性(亀)を迫害したのは有名な話です。平安時代にもこの「うわなりうち」が激しくやられていました。ところが、当時の結婚は届出もないので、本人たちの気持ちひとつです。ですから、妻といい、妾と言っても、そこには法的な区別のつけようがありません。
 「源氏物語」の主人公である光源氏のモデルの一人であったはずの藤原道長は、お世辞にも理想的な貴公子とは言えない人物であるし、現実世界の貴公子たちは素行の悪い連中ばかりだった。著者はこのように指摘しています。そうだったのかー・・・。ちっとも知しませんでした。目を覚まされた思いです。

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2005年11月18日

隠蔽捜査

著者:今野 敏、出版社:新潮社
 東京は霞ヶ関に君臨する警察庁内部では、キャリア組の高級官僚同士が日々、醜い出世競争をくり広げている。その様子を背景とした小説です。
 官僚の世界は、部下であっても決して信用してはならない。官僚の世界は常に四面楚歌。
 20代の半ばで警察署長になる。部下のほとんどが自分より年上だから痛快だ。親のような年齢の部下がぺこぺこと頭を下げてくる。署長の経験を積むと、県警本部の役職が回ってくる。そして、いかに早く中央の警察庁に戻ってくるかが、出世の一つのバロメーターになる。キャリア組は出発の時点から、退官まで出世競争を強いられる。
 テレビでも新聞でも、本当に大切なことは報道しない。事件報道でも、警察が発表したことだけを報道する。政治に関していえば、もっと極端だ。本質は常に隠されている。国民はさまざまなブームに踊らされ、大切なことから目をそらすようにコントロールされている。うーん、本当にそうなんですよねー・・・。
 かつては日本国内で拳銃は特殊なものだった。しかし、80年代から事情が変わった。中国あたりから、トカレフのコピー銃などが大量に出まわりはじめた。今では、暴力団の3人の1人が拳銃をもっている。かつてのように拳銃は珍しいものではなくなった。うーん、恐ろしい世の中になってしまいました・・・。
 警察官が事件の犯人だったことが判明します。世間の目を恐れて何とか隠し通してしまおうという幹部と、早いところ明らかにした方がかえっていいという幹部とが対立します。これを読んで、すぐに國松長官を思い出しました。警察庁長官の狙撃犯とされた小杉巡査は、いったいその後、どうなったんでしょうか・・・。
 キャリア組で出世コースに乗る警察官僚の息子が受験の挫折から覚せい剤に手を出してしまいました。そのことを知ったとき、親としてどうしたらよいか・・・。こんな難問をおりまぜて話は展開していきます。たしかに、なかなか読ませます。新境地を拓く警察小説だというのも、まんざら嘘ではないでしょう。

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吉野ヶ里遺跡

著者:七田忠昭、出版社:同成社
 吉野ヶ里遺跡には何度か出かけました。今ではかなり整備されていますので、1989年の衝撃のデビュー当時の、いかにもにわか仕立ての発掘遺跡めぐりとはがらり様子が変わっています。すこぶる頑丈に想像復元されています。どれほどの科学的根拠があるのか素人の私には分かりませんが、なるほど当時はそういう状況だったのかと、ビジュアルに理解できて助かります。年に50万人もの見学者が訪れるそうです。私も知人が来たら、九州の観光地として、阿蘇と並んで吉野ヶ里を見ることをすすめています。ともかく、ペンペン草のはえるような工業団地になんかしなくて本当に良かったと思います。
 たくさんの甕棺墓があります。首のない人骨が入っていました。そのころにも、戦争があったのでしょうか。弥生時代のお墓が3300基もあるというのですから、半端な数ではありません。吉野ヶ里は、まだまだ発掘途中ですので、今後がますます楽しみです。
 この本には発掘直後の様子と復元後の現状とが写真で対比させられていますので、よく分かります。やはり素人は現地を見ただけでは、その意義がよく分からないのです。
 壮年女性の人骨の両腕にイモガイ製腕輪がありました。右腕に25個、左腕に11個もあったのです。このイモガイは、奄美大島より南でしかとれないものです。
 中国の新時代の銅貨「貨泉」も1枚発見されています。さらに銅鐸が出土して、世間の注目を集めました。また、さまざまな織りの絹布や繊細な大麻布が出土しています。これらは染色もされていました。縫製技術まであったのです。このことは、特別な身分の人々が存在したことも意味します。
 本書は、最後に、大胆にも吉野ヶ里遺跡は邪馬台国の有力な候補地の一つとしてクローズアップされるべきだとしています。九州説の私も、まさかとは思いますが、現地に立つと、あながち考えられないわけでもない、そんな気がしてくるのです。
 もし、これを読んだあなたがまだ一度も吉野ヶ里遺跡の現地を見たことがないのなら、あなたに古代日本を語る資格があるのか、私は疑問を呈したいと思います。さあ、一刻も早く現地に駆けつけましょう。

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隠居の日向ぼっこ

著者:杉浦日向子、出版社:新潮社
 著者による見事な、ふっくらとした挿し絵が付いていますから、江戸の風情を目でも味わいながら洒脱なエッセイを楽しめました。
 月代(さかやき)というのは、江戸時代の武士の頭部にある、頭頂部を剃るものです。これは、戦国期に、兜を被ったときのムレによる、のぼせを軽減するためのものでした。平和な江戸時代にも、男子たるものの覚悟の証しとして、その風習が残ったのです。
 江戸時代、ほとんどの人は鍵とは無縁の生活をしていました。外出して家を空けるときも近所の人に一声かけるだけでした。大きな家では留守番をたのみます。夜、寝るときは寝込みを襲われないように戸締まりはしていましたが・・・。
 鍵は、おもに蔵か銭函のものでしたから、鍵を持つ人とは、金持ちか信用の厚い人の代名詞だったのです。ふーん、なるほど、そうだったのかー・・・。
 肥後守(ひごのかみ)。私にも、もちろん覚えがあります。筆箱には必ず入っていました。今では学校の持ち物検査で見つかったら先生に取りあげられてしまうのでしょう。でも、私たちのときには、子どもたちの必携品のひとつでした。なまくら刀でしたが、それで工作をし、鉛筆を削っていました。
 この本を読んでもっとも驚いたのは、江戸時代には、耳掻きもひとつの生業(なりわい)になっていたということです。金の耳掻き、銀の耳掻き、竹の耳掻きの三種があって、それぞれ値段がついていました。
 金の山、銀の山、お宝掘りましょ、竹もすくすく伸び栄えます。
 こんな文句を調子よく言って、路地路地を歩いていました。おっさんの仕事です。美女ではありません。掘った耳垢を披露するのですが、かねて用意の松脂(まつやに)の削り屑をまぜて立派な耳垢にして示すのです。
 ホホウ、これはこれは、見事たくさん掘りあてました。津々浦々、評判きこえわたり、お家繁盛、代々万栄、きっと間違いありますまい。こうやって褒めそやしたそうです。
 お茶の子さいさい、という言葉の意味も知りました。江戸時代の食事は1日7回ありました。おめざ、朝飯、茶の子、昼飯、おやつ、夕飯、夜食。
 茶の子はおやつと同じで、菓子そのものも指し、お茶の子さいさいとは、菓子をつまむように手軽なことをいいます。
 私より10歳も若い著者ですが、残念なことに本年7月、病死されました。漫画家としてデビューし、江戸風俗をテーマとしたエッセイなどがあります。本当に惜しい人をなくしてしまいました。

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2005年11月17日

サラ金トップセールスマン物語

著者:笠虎 崇、出版社:花伝社
 中央大学法学部を卒業して、大手サラ金に入社し、不動産担保ローン部で2年4ヶ月のあいだ働いた体験記です。経歴を隠して潜入したのではありません。会社からは新卒が来たといって、新人教育も受け、大事にされたようです。無担保・無保証・小口貸付のサラリーローンとは違って、不動産を担保にとる大口の融資ですから、同じサラ金といっても、かなりの違いがあります。
 それでも、2年あまりのサラ金会社に勤めた体験が活字になるというのは貴重です。私のようにサラ金問題にとりくむ弁護士にとって、大いに勉強になりました。
 サラ金は、ほんとは悪いもんだけど、必要なもんなんや。しばらく仕事を続けていくと、オレの仕事って、社会の役に立っているんだろうかと思うかもしれん。だけど、金貸しは社会に必要なんや。タバコといっしょで、サラ金は必要悪なんや。
 私もそのとおりだと思います。高利貸しをなくそうというスローガンを叫ぶ人がいますけれど、それは売春をなくせというのと同じで、かなり無理があると思います。(念のために言っておきますが、もちろん私は売買春はなくすべきだと考えています。ただ、世界の現実は、スローガンを叫んでいたらいつかなくなるという単純なものではないということを言いたいのです。その点、誤解のないようにお願いします。同じことは高利貸しについても言えます。人間の欲望をみたす手段のひとつとして金融業が発達してきているのですから、単純になくせと叫ぶだけでは実現不可能だと思います)
 私は、サラ金を必要悪だということで肯定もしません。隣りに暴力団が住んでいるのと同じで、私個人は暴力団がなくなったらいいと思いつつ、暴力団やサラ金の撲滅運動に加わりたくはありません。サラ金は決して必要なものではありません。こんなものない方がいいに決まっています。昔は質屋はあっても、サラ金はなかったのです。もちろん、クレジットカードもありませんでした。パチンコ屋が繁盛しているのと同じで、サラ金が隆盛をきわめているのは、日本人の日常生活と文化の貧困を示しているものだと考えています。
 金融業の鉄則は性悪説。人を疑うことからはじめる。客の言ったことを、一つ一つ疑ってかかっていく。まずは疑ってかかること。自分で確認したものしか信じないこと。それが金融業の基本だ。
 会社の成績が悪いやつに限って残業したがる。成績があがらないから残業代で稼ぐ。遅くまでやっているのは、仕事ができない人間だ。仲良くない集団っていうのは、一人、その集団の中にいじめの対象をつくる。すると、他のみんなはうまくいく。弱い者をいじめるという共通の話題をつくっておけば、お互いに干渉しあわないですむ。
 サラ金は、貸すときは若い女性を窓口に立て、その管理は若い男性店長がして、取立はまとめて取り立てセンターで熟練の社員がやるというシステムだ。
 客っていうのは卑怯なもの。いざ契約となったら迷ったりとかして、営業担当者の同情をひこうとする。そこで優しい言葉をかけたら、あとが大変になる。あとで返済が遅れて、きっといろいろ言い出す。
 客との駆け引きは恋愛みたいなもの。ただ相手に気に入られようとして、いいことばかり言ってもダメ。ときには怒ったり突き放したり、相手をじらす。でないと、相手は高飛車になる一方。客がどうしても必要なのはお金。だから絶対にそのうち戻ってくる。
 取り立てするときは、自分じゃない別の人間になりきる。取立の極意は、役者になりきれるかどうか。のっけから喧嘩ごしというか脅し口調で迫る。
 おい、あんた。何ふざけたまねしてるんや。オイコラ、ちゃんと聞いてるんかい・・・。おたく、なめとるんかい。仏の顔も三度までやで。家財道具でも売って身辺整理しておきなはれ。
 電話が終わったら、演技は終わりだと切り替えて、普通の自分に戻る。そうしたら、自分が嫌な電話をかけたとは思わないから。演技だから、多少おおげさでもいい。自分を捨てて、役になりきる。
 大事なことは、返済の遅れを、こっちはものすごく気にしているということを相手にきちんと伝えること。返済が遅れている客には毎日必ず連絡をとること。取り立ては暴力というより、心理戦というか頭脳戦。自分が貸したお金だと思って回収にあたることが大切。
 うーん、そうなんだー・・・。やっぱり、どこの世界でも極意があるものなんですね。

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2005年11月16日

弁護士の仕事術・論理術

著者:矢部正秋、出版社:成美堂出版
 著者の「国境なき弁護士たち」を読んだことがあります。国際的に活躍する渉外弁護士と、地方をはいずりまわる「田舎」弁護士との違いこそあれ、本質的には変わらないんだと感銘を受け、私の本(「法律事務所を10倍活性化する法」)にも引用しました。
 弁護士として30年間、国際ビジネスに携わってきた著者は、弁護士にもっとも必要なのは人間学であると喝破します。まったく同感です。私も弁護になって30年以上たちましたが、相変わらず法理論の展開には自信がありません。とくに、最近のように次々と新法が出来て、法改正がすすむと、まったくお手上げです。それでも弁護士としてなんとかつとまるのは、それこそ年の功で、いささか人間を見る目ができ、大局感が少しは身についたと自負しているからです。
 トイレで用を足しながらケータイをつかっている若者やビジネスマンを見かけた。彼らは自分のもっともプライベートな時間まで、他人の干渉を許している。自分ではケータイをつかっているつもりなのだろうが、これではケータイに使われているだけで、自分というものがまったくない。
 ケータイを多用する人は、一種の躁状態にある。外部から注入される情報を無批判に受け入れ、自分で考える余裕もなくアウトプットする。多くの場合、それはジャンク情報を入手し、出力するにすぎない。饒舌は人を愚かにする。ケータイはなるべく使わない。
 実は、私も同じなんです。ケータイは一応もっていますが、一日に1回つかうかどうかです。ケータイはあくまで私から事務所へかけるためのものなのです。最近では裁判所にも公衆電話がないようになりましたから、ケータイがないと不便です。相手方との交渉のときにも自分のケータイはつかいません。自宅にまで電話があったら嫌だからです。そんなときには、わざわざ公衆電話を探しに出かけます。駅のほかにはコンビニにしかないようになって、本当に困っています。
 自分に制御できることと、できないこととを峻別する。これができれば、少なくともあせりの感情からは解放される。人は制御できないことをコントロールしようとするから、心を乱す。うーん、そうなんですよね。でも、これって、言うは易く、行うは難し・・・です。だけど、大切なことですね、うん。
 危機に直面したら、現状を把握し、対策を考えることが大切。過去のいきさつを批判する余裕なんかない。ふむふむ、そうなんだー・・・。やっぱり、どう打開するか前向きの発想に切り替えるしかないんですね・・・。
 人間の頭は複雑な思考をするようにできてはいない。それを補うにはメモが効果的。メモをとることは思考過程を目で見ること。考えの道筋を目でたどれるから、洩れも簡単に発見できる。見落としていたポイントにも気づき、常に現実的な思考に立ち戻ることができる。また、メモにはカタルシス効果(吐き出し効果)もある。つまり、メモをとることで、感情の揺らぎを吐き出して緩和し、理性的・論理的に考えることができる。
 私も絶えずメモ帳を持ち歩いています。自動車運転中にはっと気がつくことがあります。そんなときには、信号待ちのときにメモに書き込みます。助手席のすぐ手の届くところに、メモ用紙とペンを必ず置いています。
 文章は自分の分身である。効果的にアピールするには、必ず読み手を念頭に置くこと。
 これは私の胸にグサリとくる文章でした。私も、読み手を念頭において書いているつもりなのですが、つい、時間がないから、などの弁解とともに自分のひとりよがりを書いてしまい、反省しています。
 相手の小さな「間違い」を気にする人は、実は本人の精神が不安定なのだ。
 これは、けだし名言だと思いました。私もゆとりがないときには、相手のミスをあげつらうことがあります。でも心がゆったりしているときには、私はこんな間違いはしないようにしようと、ゆとりをもって接することができます。それにしても、この世の中には、なんと威張りちらす人が多いのでしょう。驚きますね。レストランでも、飛行機に乗っても、大声を出したり、ふんぞりかえって命令口調で指図する人が大勢います。そんな光景を見ると、きっとこの人は小さいときからよほど大切にされてこなかったんだな、お気の毒に・・・、とつい同情してしまいます。かといって、そんな人の味方をするつもりは決してありません。
 国際弁護士は、6分間きざみでタイム・シート(業務日誌)をつけなければいけません。1ヶ月に200時間も依頼者に請求するのです。30代の弁護士が年間3000時間も働いているというのに驚いたそうです。まったく考えられない長時間労働です。土・日も休まず、夜は事務所近くのホテル止まりというのです。これでは人間がこわれてしまいます。
 著者は、仕事で徹夜したことは一度もないとのこと。私もそうです。これまで徹夜したのは高校生のとき受験勉強中に実験的に1度したことと、大学生のとき合宿のときに1度あるだけです。翌日、まったく頭がまわらないので、合理的でないと思ってやめました。
 日頃の生活を見直すうえでも役に立つハウツー本です。

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2005年11月15日

自立への苦闘

著者:全国統一協会被害者家族の会、出版社:教文館
 今でもオウム真理教の信者が全国に何百人もいるといいます。まったく信じられません。統一協会の方もいぜんとして滅亡していないというのですから、驚くばかりです。例の集団結婚式によって韓国人男性と結婚し、韓国に住んでいる日本人女性が5000人はいるといいます。見ず知らずの人と結婚させられるなんて(結婚するなんて・・・)、どうなってるんでしょうか・・・。
 私も勝共連合の霊感商法で600万円もするツボを買わされた人の被害回復をめざしたことがあります(警官が出動するなどの騒動になりましたが、なんとか取り戻せました)。
 この本は、統一協会に入っていく過程を描いて、見事にその本質を暴いています。なるほど、そうだったのかー・・・。改めて、その巧妙さに感じいりました。
 統一協会に入会する信者は、決して特異な人格の人ではなく、むしろ、まじめな人たちだ。これまで親に反抗したことのないような人、向上心があって、人を疑うことのない、信じやすい人などが入会することが多い。
 伝道の入り口であるビデオ・センターで初めに見せられるのは、マザー・テレサや三浦綾子原作の映画「塩狩峠」など。献身的な犠牲精神が強調される。
 ビデオ・センターからツーデイズまでに半数が脱落するが、ツーデイズまで残ると、やめる率は激減する。暗い重い話を連続して聞かされ、強い絶望感が与えられる。イエスの処刑の場面がリアルに再現され、その悲惨と悲しみの激しさから、聞く人の頭の働きがとまったようになり、現実感が失われる。まるで、自分がその場にいるかのような感覚になり、物事の是非を判断する能力が著しく落ちてしまうのだ。その直後、メシアが今まさに、この世に存在するという希望にみちた話を聞かされる。この落差が聞く人の心をつかむ。
 照明が落とされた会場は号泣に包まれる。文鮮明がメシアであることについて、理論的とか合理的な説明はまったくない。感情をゆさぶって、受け入れさせてしまうのだ。
 ビデオ・センターに通った100人のうち、なんと5人が献身者になるといいます。大変な確率です。仕事を捨て、親を捨て、文鮮明の指示があれば道徳的・倫理的に間違ったことでさえ正しいことと信じて実践する人間になったのです。信じられない高率です。
 肉身生活はたかだか100年、霊界は永久。霊界における人生こそ本当の自分の人生。霊界での人生のために、現世の利益を捨て去ることは何でもない。どんなに親や夫やまわりの人たちから「おまえのやっていることは間違っている」と批判されても、霊界に行ったらみんな分かってくれる。霊界に行ったら感謝されると思うので、その批判は心をうたない。もともと、両親はけがれた性交によって自分を生んだ穢れた血統の存在である。サタンを長とするサタン側の編隊構造に両親は属している。
 こう思わせているのですから、親からの説得はよほど腹を決めてやらないと効き目がないわけです。信者を脱会させるには大変な苦労がともないます。文鮮明の指示に逆らうことは地獄に堕ちることと思い込まされているのですから大変です。そして、脱会したあとも、すぐに普通の人には戻れません。自主的に物事を考えることをしない(できない)生活を続けてきたため、自分の判断で考えられなくなっているからです。マインドコントロールは脱会後もなかなか脱することができません。どんなときにも希望を失わず、あわてず、あせらず、あきらめずにやっていくしかありません。愛情のみを頼りとして、心の扉を開いてもらい、心の残像を少しずつ取り除いていくしかないのです。
 統一協会の脱会に関する本ですが、オウム真理教をはじめとするカルト集団一般から脱出して自立するためにも役に立つ本だと思いました。

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クジャクの雄はなぜ美しい?

著者:長谷川眞理子、出版社:紀伊国屋書店
 10年前にも読みましたが、増補改訂版ということですので、また読んでみました。
 著者は人類学者ですが、最近では法曹の世界にも関わっています。裁判官を10年ごとに審査する機関が最近つくられましたが、そのメンバーの1人でもあります。このところ、裁判官が再任されないケースが増えているのですが、どこの世界にも思想・信条のレベルではなく、ふさわしくない人がいるものです。この分野における著者の積極的な関わりを大いに期待しています。
 なぜか知りませんが、JR久留米駅にもクジャクが飼われています。クジャクの雄が見事な羽をいっぱい広げている姿をたまに見かけますし、甲高い叫び声を聞くこともあります。ちょっとばかり、ぞっとする叫び声で、耳をふさぎたくなるのですが・・・。
 イギリスの学者がクジャクの行動をずっと観察していて、雌は配偶者を決めるまでに2羽から7羽、平均3羽の雄を訪ね歩く。配偶者として選ばれたのは常に雄のなかでもっとも目玉模様の数の多い雄だった。目玉模様は一羽の雄の尾羽に合計140個以上もある。どうやって目玉模様の一番多い雄を選び出せるのか・・・。
 ところが、日本の伊豆シャボテン公園にいるクジャクたちを10年かけて調べたところ、目玉模様の数は雄の繁殖成功度となんの関係もないことが分かったというのです。なんということでしょうか・・・。
 そして、日本でクジャクのあの「ケオーン」という甲高い鳴き声こそが、繁殖成功度と関連していることが判明しました。「ケオーン」という頻度の高い雄ほど、雄性ホルモンであるテストステロンの濃度も高かったのです。
 それにしても、ダーウィンが雌による配偶者選びを提唱したとき、当時の学者たちが声をそろえて、雌の好みが一定であるなどということは、人間の経験からして、まったく支持できないと反対したのだそうです。ふむふむ、なるほど、ですね。分かる気がします。
 オーストラリアのカエルは、雄の声の周波数を聞き比べ、ゆっくり時間をかけて自分の好みの周波数で鳴く雄を見つけて歩く。一晩のあいだに5、6匹の雄をめぐる。ここにも法則があることが分かりました。
 雌ガエルの体重は一匹ごとに少しずつ違う。でも、自分の体重の70%の雄とペアになっている。鳴き声の周波数は体重によって変わる。体格が小さいほど、高い周波数を出す。雌は、雄の声に耳を傾け、その周波数によって自分の体重の70%の体重の雄を見つけて選び出す。というのも、雌は雄を背中に乗せ、一粒ずつ卵を産み、それに雄が一粒ずつ精子をかけていく。だから、自分が背負える重さで、かつ、自分の卵に最大限受精してくれる雄を選ぶようにしているというわけだ。うむむ、すごーい。
 オオヨシキリという小鳥がいます。一夫多妻です。このオオヨシキリでは、雌は歌のレパートリーの豊富な雄を好み、そんな雄は多くの雌と繁殖し、生まれる子の数も多いということです。音痴の私は、オオヨシキリにうまれなくて良かったと思いました。
 ところで、鳥類の95%は一夫一妻です。しかし、学者が例のDNA鑑定で調べてみたところ、つがい以外の相手との交尾そして、つがいでない父の子がうまれるのは70%の確率ということが判明した。つまり、鳥の世界では「不倫」はあたりまえなのだ。これって人間と同じということですよね。でも、著者は、動物の行動のなかに人間の価値や道徳を見ようとしてはいけないと主張しています。うーむ、そうかもしれないけど・・・。
 この本によると、雄と雌との関係は、配偶相手の獲得をめぐる同性間の競争と配偶相手の選り好みと、雄と雌の葛藤と対立、という三つの軸で考えなければいけないとされています。ふむふむ、そうなのか、と思いました。
 選り好みという行動があるため、全員がハッピーになることは滅多にない。
 本当にそうなんですよね。だからヨン様に多くの女性があこがれるのですね、うん。

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2005年11月11日

私のアフガニスタン

著者:駒野欽一、出版社:明石書店
 駐アフガニスタン日本大使がアフガニスタンの復興のために活躍していることを知りました。やはり、日本は自衛隊を派兵するのではなく、もっと地道な国際貢献をすべきだと思います。そして、日本もフランスなどのように、もっとNPOの活動を支援すべきです。
 著者はDDRの運営委員会の委員長の要職にありました。DDRとは、武装解除、除隊、元兵士の市民社会復帰支援活動のことです。軍閥が群雄割拠するアフガニスタンで治安を回復して民生を安定させるために不可欠な活動です。国連の活動の一環ですから、私も DDRに声援を送りたいと思います。
 アフガニスタンは人口の3分の2が読み書きができず、人口の80%が交通不便な農村地帯です。そんな人口2500万人のアフガニスタンで大統領選挙のために1050万人が有権者登録をし、70%が投票したのです。すごいことです。国民はBBCとかVOAの現地語放送で、かなり外の出来事をつかんでいるといいます。
 DDRを前進させるために東京で開いた会議も役に立ったということです。
 アフガニスタンの指導者は、みな大変演説がうまい。なぜか。
 自分たちは、食べるものも武器・弾薬もままならないなかでの闘いを余儀なくされてきた。お腹をすかした部下に戦いを続けさせるのは大変なこと。彼らを説得するために、何を、どう言うか一生けん命考えた。教養があるわけでもない若い兵隊を納得させるには、こちらも必死に考えて話さなければならない。
 なーるほど、ですね。
 カブール市内には、日本から持ちこまれた中古自動車が氾濫していて、交通渋滞もあっているそうです。
 著者は現地の言葉であるタリー語を話せ、集会での挨拶をうまくこなしてきたとのこと。平和憲法をもっているからこそ、諸外国が日本を信頼している。このことを改めて思い知らされたことでした。日本もフランスにならって、もう少し自主的な外交努力をすべきではないでしょうか。いつもいつもアメリカに、下駄の雪のように、くっついているばかりでは情けなさ過ぎます。その意味で、私は日本の外交官の仕事はちっとも評価していないのですが・・・。

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宇宙はなぜ美しいのか

著者:キース・J・レイドラー、出版社:青土社
 この本には、いろんな数字が紹介されています。
 まずは、原子の大きさです。直径1ミリのボールベアリングがあったとする。これをどんどん大きくしていって、それを構成する原子1個が直径1ミリの大きさになったとしたときには、ベアリング自身は直径10キロメートルになっている。
 1リットルの水は3×1025 個の分子が含まれている。その数の水分子をつなぎあわせて一本の糸をつくったとする。その長さは、なんと10兆キロメートル。これは、1光年より少し長い。この糸は、地球と月とのあいだを1200万回も往復できる。
 原子と原子核の大きさの違い。原子を半径10メートルにまで拡大したとすると、その体積はバスの体積になる。ところが、そのとき原子核の半径は1ミリよりも小さい。今度は原子核を本の大きさにまで拡大したとすると、電子は1キロメートル以上も離れた先にある。
 金は、原子核の質量が大きいため、電子が光の速度に近い速さで動いている。これが金と銀が違って見える理由。うーん、これはなんだかよく分かりません。
 地球にもっとも近い恒星はプロキシマケンタウリ星で、4.3光年離れている。
 いまマッハ30(音速の30倍。毎秒10キロメートル)ですすむ宇宙船があるとする。光速の3万分の1。だから、1光年の距離を旅行すると、3万年かかる。それで、プロキシマケンタウリ星に到着するには13万年かかる。
 惑星をもつらしいもっとも近い恒星だと20光年先のところにあるから、そこに着くには60万年もかかる。惑星上でなければ生命は維持できない。しかし、それにしても60万年というのはあまりにも長い。
 人間の1個の細胞はブリタニカ大百科事典30巻の10倍の情報を蓄えることができる。ところが細菌の細胞はずっと容量が小さく、100万分の1ほどなので、新約聖書に含まれた情報くらいしか蓄えられない。
 ヒト細胞の核を100万倍に拡大してスーツケースの大きさにしたとする。すると、そこにある一本の染色体は長さ50キロメートル、太さ1ミリになる。つまり、スーツケースに太さ1ミリ、長さ50キロメートルのひもを46本詰めこんでいることになる。細胞はこれをやり、しかも46本の糸の上にあるコドン(塩基)のひとつひとつにアクセス可能なのである。1人の人間の全細胞の全DNAを引き伸ばせば、それは地球と月のあいだを8000回も(太陽となら250回)往復する。
 実際には、たった1本の染色体の長さが5センチであり、46本の染色体の全長は2メートル。それが小さな核のなかに詰めこまれていて、詰めこまれたあと相応の化学反応ができる。いやあ、すごい、すごい・・・。
 極大の世界と極小のそれとが似ているというのも、胸がワクワクするほどの面白さですよね。

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小泉純一郎、血脈の王朝

著者:佐野眞一、出版社:文芸春秋
 今の有権者は、スポーツ紙で政治を知り、ワイドショーでそれを確認している。
 この本に、このように書かれています。本当にそのとおりだと思います。そうでなければ、小泉・自民党が「大勝」できたはずはありません。この言葉は、小泉首相の秘書をつとめる飯島勲が記者にもらしたものです。このように、小泉首相はメディアにどう映るかを徹底して研究し、計算しているのです。
 小泉人気とは、突き放した見方をすれば、国民とメディアが総結託した構図のなかに、真紀子人気を光景として浮かびあがった蜃気楼にも似た現象だ。
 国民とメディアが結託したとは、私にはとても思えません。メディアの手のひらの上で国民は踊らされているだけでしょう。また、蜃気楼は間違いありませんが、意外なことに、残念なことに、かなり長続きするものではあります。
 小泉首相には心を開いて話せる盟友やブレーンは1人もいない。異常なほどの孤独癖がある。しかし、実姉の信子にだけは、どんな細かいことでも話をしているようだ。ところが、この信子は独身のまま小泉の世話をしてきたものの、マスコミとはまったく没交渉で、写真も今から40年前のものが1枚公表されているだけ。うーむ、なんという政界奥の院なのでしょう。今どき写真をとるなんて、マスコミがその気になったら、いとも簡単なことだと思うのですが・・・。
 小泉は周囲にほとんど誰も寄せつけず、肉親の信子を唯一心の拠り所として、その政権を長期化しようとしている。それほど一国の首相に近い存在でありながら、写真もないなんて、マスコミはだらしなさすぎます。
 小泉の祖父である小泉又次郎は普選運動の闘士として庶民の人気が高かった。逓信大臣を2度もつとめている。この又次郎は、鳶(とび)出身で、背中から二の腕、足首まで入れ墨を入れていた。なるほど、そんな人物がいたのですか・・・。
 小泉政権は、支持率、アメリカ、マスコミ、財務省の4つの要素で支えられている。唯一の支持基盤が国民的人気にあることが自分でも分かっているから、テレビカメラがまわっているときと、回っていないときとでは、別人のように小泉の態度が変わる。
 スイッチが入ってアドレナリンが出ているときは、すごくテンションが高い。ところが、アドレナリンが出ていないときは、声も聞きとれないくらい小さく、話もまったくつまらない。テレビカメラがまわっていないと、ものすごくお座なりな対応になる。その落差は日増しにひどくなっている。
 ふーん、なんとなく分かる対応です。それくらいの軽い男なんですね。こんな薄皮まんじゅうのようなペラペラ男に日本国民がいつまでも黙ってついていくとは思えませんし、思いたくないのですが・・・。
 この本には、田中真紀子がいかに人間としてつまらない、わがまま勝手をしてきたか、その実像が描かれています。でも、つい最近、新聞に、小泉首相を鋭く批判するコメントを寄せていました。若者はテレビなんか見るばかりで考えが足りなくなっている。もっと新聞や本を読んで自分の頭で考えようという訴えものっていました。その点はまったく同感です。田中真紀子の人間像には共感できませんが、たまにはいいこと言うと、つい手を叩いてしまいました。

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2005年11月10日

ジーニアス・ファクトリー

著者:ディヴィッド・プロッツ、出版社:早川書房
 ノーベル賞受賞者の精子をもらってわが子を育ててみたい。そんなことを夢見る女性がこの世には少なくないようです。
 妊娠しないので医師に診てもらったら、夫がベトナム戦争で負ったケガのせいだと分かったわ。そんなとき、ドナーが全員ノーベル賞受賞者だという画期的な精子バンクができたって話を聞いたのよ。なんて素晴らしいのかしらと思ったわ。あなたの父親は、ノーベル賞受賞者なのよ。
 母親から、こんな告白を聞いて、子どもは素直に喜べるものなのでしょうか・・・。
 1980年、アメリカはカリフォルニア州に精子バンク「レポジトリー・フオー・ジャーミナル・チョイス」が創設されました。1999年に資金難から閉鎖されるまで、200人以上の子どもがそこから誕生しました。創設者のロバート・グラハムは「10人の賢人は1000人のばかに勝る。人類は知的淘汰によって進化を管理できる」と豪語したそうです。ところが、実際には、ノーベル賞受賞者が高齢であったせいか、その精子を利用した女性は誰ひとり妊娠しませんでした。
 高齢者の精子から生まれた子どもの先天的欠損症のリスクは高いとのことです。遺伝的異常をきたしやすいため、ドナーは40歳以下に限定する精子バンクがほとんどです。
 1988年のアメリカ当局の調査によると、このとき精子バンクは数百軒あり、 1万1000人もの医師が人工授精術を実施していた。年間3万人の子どもが匿名のドナー精子で生まれていたから、既に100万人のドナー・ベイビーが誕生していることになる。
 そして、ドナー・ベイビーは成長してから自分の父親を知りたくなる。このところ、インターネットをつかって精子バンク家族を探し出そうとする試みが増えている。ヤフー・サイトにも2004年には3000人が登録している。探しているのは恋人ではなく、父親や子どもである。これによって血縁者が出会ったのも600件をこえている。
 ところで、刷り込み理論というのがあるそうです。父親側から刷り込まれた遺伝子は、根源的な感情や直感的な行動をつかさどる大脳辺縁系に関わりがちである。つまり、天才児をつくるためのに必要なのは、母親の方なのだ。だから、今や健康的で知的な女性の卵子はいまや垂涎の的で、いかがわしい巨額ビジネスを生んでいる。スマートで若い女子学生なら、健康な卵子を売って、1万ドル、2万ドル、果ては5万ドルの大金を手にできるようになっている。母親側の遺伝子が生まれてくる子どもの知性に関係するという認識が広まれば、この卵子バブルはもっとひどくなるだろう。うむむ、なんということ・・・。
 このグラハムがつくりだした天才児がいました。2歳でコンピューターを操り、5歳でハムレットを読み、IQは180。この天才児は成人してから次のように語りました。
 高いIQをもっているという事実は、ぼくを善人にも幸せにもしなかった。知性が人格をつくるのではない。それを生むのは、愛情ある家庭で愛情ある両親が、子どもに重圧を与えずに育てること。血筋で優れた人間をつくるとは思わない。
 子どものころから人目にさらされてきたことは、彼の人生を大いに歪めたようです。いつも人目にさらされぬいていたから、内気で孤独だった。子どもにとっては、もっと安心できる環境で育つ方がずっとよいのだ。
 なるほど、なるほど、そうなんだー・・・。すごく納得した気分になって最後のページを閉じました。

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2005年11月 9日

戦争の論理

著者:加藤陽子、出版社:勁草書房
 いくつかの論文の寄せ集めなので、体系的な掘り下げに欠ける弱点がありますが、そこで指摘されているのは鋭い気がします。
 たとえば、日露戦争について、海軍は極秘版の「海戦史」をつくっていたが、そこでは敵前大回頭後30分だけの砲撃でバルチック艦隊が潰滅したという大艦巨砲主義はとうてい導き出せないとのこと。そうではなく、主力艦と巡洋艦隊が丁字と乙字の戦法でバルチック艦隊を攻撃し、その後の水雷艇隊と駆逐隊による雷撃が勝敗を決したというのが正確な理解だ。
 秋山真之は乃木希典率いる陸軍第三軍に一日も欠かさず書簡を送っていた。
 旅順の攻略に4、5万の勇士を損するも、それほど大なる犠牲にあらず。国家存亡に関わるところだから。203高地は旅順の天王山というより日露戦争の天王山。
 もともと参謀本部は、開戦前の計画にはなかった遼東半島南部の旅順攻略という支作戦などに貴重な兵員と武器弾薬をさきたくないと考えていた。陸軍側は旅順攻略に躊躇していた。その消極的な陸軍を督励し、膨大な犠牲を払わせて203高地を奪取させたのが海軍だったという事実は、陸軍への負い目の感覚とともに、海軍としてはできれば忘れたいことであった。
 うーん、そうだったのかー・・・。
 日本軍は、このとき独自の戦略を創造したと軍事史研究者は指摘している。それは、旅順の攻防戦を、単に陸軍の要塞戦としてみるのではなく、陸海軍の共同作戦とみる見方である。なるほど、そのように見るべきなのかー・・・。
 日露戦争のはじまる前に、日本側の指導者の大部分、政党勢力、国民は、開戦数ヶ月前までは、この戦争に消極的な態度をとっていた。ところが、一大飛躍があった。たとえば、のちに大正デモクラシーの旗手となる知識人の吉野作造は、日露戦争の開戦直後に次のように述べた。
 ロシアによる満州の門戸閉鎖は非文明である。世界の平和的膨張のためにロシアを打倒しなければならない。
 ええーっ、そんなー・・・。あの吉野作造がこんなことを言ってたなんて、ちっとも知りませんでした。話はまったく変わりますが、日本人は好戦的かどうかという議論があります。しかし、やはり一般的に決めつけることはできないようです。同じ吉野作造は、こうも言っています。
 日本社会には徴兵忌避を容認する気風が根強く存する。しかし、これは排すべきだ。日本の兵役制度は、貴族富豪の子弟について、事実上、兵役拒否を黙認しているが、これはけしからんことだ。
 でも、誰だって兵隊にとられて死にたくはないですよね。お金があればなんとか戦場に行かないようにするのは当然のことでしょう。もちろん、金と権力のある連中が戦場の後方でのうのうとしていて、戦争でもうかり、名誉まで得るというのを認めるというわけではありません。
 最後に、日本人が兵隊も民間人も、侵略した先の外地から速やかに9割以上も日本へ帰国できたことの意味も考えられています。侵略した先の国々でさんざんひどいことをした割には大半の日本人が帰国できたという裏には、中国人の寛大な人道主義もありますが、アメリカや蒋介石の思惑と都合もあったようです。この本を読んで初めて知りました。
 なかなか味わい深い本だというのが私の読後感です。

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プロファイリング・ビジネス

著者:ロバート・オハロー、出版社:日経BP社
 9.11のあと、アメリカはますます監視社会と化しつつあります。
 FBIは2004年現在、4000万人について2億5000万セットの指紋を管理しており、さらに毎週3万7000個ずつ増えている。
 民間のデータ管理会社であるチョイスポイントの売上高は8億ドルをこえる。9.11前より30%も増加した。司法省だけでも6700万ドルを支払っている。
 アメリカ合衆国愛国者法は、9.11以前なら強硬派ですら不可能と考えていたような強硬手段を合法化した。アメリカ政府は直ちにこの権限を徹底的に行使している。1年目だけでも1000人をこえる外国人が令状なしで拘束され、その身元は公表されなかった。数千人のイスラム教徒がアメリカ国籍・外国籍を問わず、連邦捜査官の監視下に置かれた。彼らの動静、電話、eメール、インターネットへのアクセス、クレジットカードの支払い状況が四六時中、チェックされた。
 2003年には、アメリカ政府は、犯罪事件よりもテロの捜査に盗聴令状を申請し、 FBIは外国情報監視裁判所から1700件あまりの令状をとり、電子傍受の令状も  1442件うけとった。しかし、そこで誰が容疑者だったのかは、司法関係者以外には一切明らかにされていない。
 個人情報が盗まれ、他人になりすます犯罪が増えている。2002年だけで、700万人のアメリカ人がID詐欺の被害にあっているとみられている。熟練のハッカーなら、コンピューターのなかから名前や社会保障番号、口座番号を盗み出すことができる。最近発覚したケースでは、ハッカーは小売店に代わって決済をコンピュータ処理していた企業からVISA、マスターカード、アメリカンエキスプレスのカード番号を100万件も盗んでいた。しかも、カードの保有者はFBIが捜査を開始するまで、ハッカーが侵入したことを知らされていなかった。情報を盗むのはまったく簡単だが、犯罪を防ぐのは恐ろしく難しい。少なくとも現段階では不可能に近い。
 顔認識のシステムが売りに出されている。しかし、誤った警報が200回も鳴り、そのたびにシステムではなく、警察官が判断しなければならなかった。照明をコントロールする必要もあった。そこで、顔認識システムを採用する空港も警察も少ない。
 犯罪記録のデータベースのうち3分の1は不正確だとFBIも認めている。不正確なデータによって、かえって安全が侵され、潔白な人たちの権利まで侵害される危険がある。
 名前がテロリストと似ているというだけで、空港で足どめをくらう乗客が増えている。それぞれの諜報機関や国土安全保障者が搭乗拒否、要注意リストへの掲載を求めて連日のように名前を送りつけてくるため、連邦航空局と運輸保安局のブラックリストはふくれあがるばかりだ。
 どこの警察でも、システムをつかって人をチェックしたことのない警察官なんていない。ある警察官は、関心のある女性の身元をネットワークをつかって洗い交際を迫り、オンラインで知りあった女性を念入りに調べあげた。ある刑事は、このシステムをつかって別居中の妻の行状を追った。元FBI機関員で私立探偵のマイク・レビンは、FBIの全国犯罪情報センターから機密情報を盗み出し、1件100ドルで転売していた。警察関係の機密書類のブラックマーケットは繁盛している。
 日本でも恐らく同じことが起きているのでしょう。発覚していないのか、マスコミが報道しないのか、きっとどちらかです。少し前のことですが、東京・警視庁で幹部警察官の不倫を追求するためNシステムがつかわれたということが発覚したことがあります。不倫だけなら犯罪ではないのですから、明らかに逸脱ですが、そのとき何ら問題となりませんでした。
 もはや、私たちには隠れる場所すらない。
 これが、この本の結論です。ところが、隠すものがないのなら、何を心配する必要があるだろうか。こんな反論があるそうです。とんでもない言い草です。誰だって他人に知られたくない秘密のひとつやふたつはあってあたり前です。だからこそ個人のプライバシーは尊重されるべきなのです。本当に怖い世の中です。

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動物地理の自然史

著者:増田隆一、出版社:北海道大学図書刊行会
 わが家の庭の片隅に今年もヘビの抜け殻を発見しました。庭にはヘビ一家が住みついています。最近あまり姿を見かけないのが幸いです。一度は、ヒマワリの枝にぶら下がって昼寝しているのを見たことがあります。引っ越してきた早々にヘビを見たときには怖さのあまり棒で叩き殺しましたが、あとで無用の殺生はすべきでないと深く反省しました。以来、ヘビとは平和共存でやっています。それでも狭い庭ですから、いつ遭遇しないとも限りませんので、藪のなかに素手をつっこむようなことはしないよう用心はしています。
 ヘビがいるのは、モグラがいるからです。庭のなかに縦横無尽にトンネルをつくって走りまわっています。ところどころに噴火山のような特徴のある盛り土がありますので、すぐに分かります。モグラがいるのは、庭にたくさんのミミズがいるからです。家庭の生ゴミを堆肥とし、コンポストに入れた枯れ葉などと混ぜあわせて庭のあちこちを掘って埋めています。園芸用品店から庭の土も買ってきて、混ぜあわせて、土をつくるのです。私の日曜日の午後からの楽しみです。9月に入ってからチューリップの球根を植えはじめました。これは12月まで続けます。アマリリスなどの球根類も掘りあげて移しかえたりして、庭をきちんと整備します。春の来るのが待ち遠しくなります。
 この本によると、日本のモグラは、西日本のコウベモグラと東日本のアズマモグラに分かれています。その接点は静岡・長野・石川を結ぶ線あたりにあります。コウベモグラの方が新興勢力のようです。中期更新世に朝鮮半島を通じて大陸から西日本に侵入してきました。そして、どんどん勢力を拡大しながら日本列島を北上中だというのです。ところが、地下60センチほどの深さのところまで軟土層があるところではコウベモグラはアズマモグラを駆逐できるけれど、軟土層が30センチ以内と浅い地域ではアズマモグラの方がコウベモグラを撃退しています。
 ちなみに、コウベモグラの方がアズマモグラよりも体格は大きいそうですが、私はまだ一度も庭のモグラを見たことがありません。せっかく植えたチューリップの球根がモグラのために地表面に放り出されてしまうのだけには困っています・・・。
 この本には、ヒグマとツキノワグマのことも紹介されています。ヒグマは今は津軽海峡より北にしかいませんが、以前は東北地方にもいたようです。北海道では、毎年200〜 300頭のヒグマが捕殺されているそうですが、その10倍はいるものと推定されています。テディベアやくまのプーさんは、ヒグマがモデルです。ツキノワグマではありません。今年は、山の木の実が豊作のため、ツキノワグマが里におりて来て殺されるのは激減したそうです。かえって、ヒグマが里まで出てきているとのことです。札幌市内にまで出ているというのですから、怖いですね。
 DNA分析をすることによって、動物の祖先がどのように分化していったかが推定できるようになっています。100万年で10.6%の違いが生じるとのことです。
 動物地理学は面白い。著者たちは声を大にして叫んでいます。
 なるほど、分子情報から分岐年代が推定できるようになってから、さらに動物たちのルーツをたどりやすくなったことでしょう。それにしても、地表にはめったに顔を出さないモグラにも2大派閥があって、互いに勢力をきそって抗争中だというのには驚きました。
 なんだかワクワクしますよね、こんな話って・・・。

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2005年11月 4日

ワンダフル・バタフライ

著者:本田計一、出版社:化学同人
 庭でキャベツを栽培したことがあります。青虫の卵がキャベツの葉にくっつき、すぐに青虫となるのです。毎日毎朝、割りバシで青虫をつまんで殺しました。とてもじゃないけど追いつきませんでした。キャベツの葉はみるみるボロボロと食い荒らされていきました。この憎き青虫が、やがて優雅に空を舞うチョウに変身するなど、なんとも信じられません。
 チョウとガの違いは、葉にとまったとき羽(翅)を閉じているのがチョウで、開いているのがガだと一般に言われている。しかし、アゲハチョウは翅を開いてとまることが多いため、あまりあてにならない。結局のところ、専門的にはチョウとガの区別はされていない。しかし、ガの多くは夜行性であるのに対して、夜行性のチョウはいない。それに、よく見ると、触角も羽状(ガ)か棍棒状(チョウ)かの違いがある。
 前にも紹介したことがありますが、モンシロチョウは人間の目から見ると、オスもメスも真白です。ところが、紫外線フィルターを通して見ると、オスは真黒に見え、メスは真白に見えるのです。だから、オスはメスを見間違えることがありません。しかし、オスがメスを追いかけてディスプレイという求愛行動をしても、必ずうまくいくわけではありません。メスはオスと選択するのです。どんなオスでもいいというわけではありません。うーん、やっぱりキビシイのだー・・・。
 オスは光を頼りとして自分の交尾器(ペニス)をうまく調節している。交尾の時間は1時間程度。メスは産卵するとき、光を利用して産卵管の出具合を確認し、さらに産卵管の触覚で葉に触れたことを確認して、正確に産卵している。うーん、すごい・・・。
 チョウはお酒を飲めるそうです。樹液を飲むチョウは、アルコール系と酸のにおいを好むのです。それで、あのように昼間から酔っ払ったようにフラフラ飛んでいるのか。つい、そう思ってしまいました。
 チョウの祖先が地球上に出現したのは8000万年前ころのこと、白亜紀の後期にあたる時代です。アゲハチョウは5000万年前に出現したというのですから、すごいものですね。
 この本は、小学校の教室でチョウを飼ってみることをすすめています。大賛成です。といっても、簡単なことではないようです。
 ノーベル賞を受賞した福井博士や白川博士はチョウ少年だったとのこと。チョウ少年であることはノーベル賞への必須条件だと書かれています。なるほど、自然界の神秘に早くなら目覚めていることは、後に人間としても大成する基礎づくりになるでしょうね。
 それにしても、虫が変身して空を飛ぶようになるなんて、まさに世の中の不思議です。
 私が、神様は万物の創造主であるという説を信じないのも、ここに根拠のひとつがあります。こんなに手のこんだことを万能の主がする必要がどこにあるのでしょうか・・・。

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ロースクールの挑戦

著者:大宮フロンティア・ロースクール?期生、出版社:幻冬舎
 2005年度の法科大学院適性試験の志願者は2万人弱でした。2004年度は2万4000人でしたから、17%減です。そして、法学部出身者の割合は前年61%から66%へと増えています。
 大宮法科大学院は第二東京弁護士会が全面的にバックアップしてつくったロースクールですが、社会人の比率が75%と高いことで、全国的にみても異色の存在です。入学者の平均年齢は昼29.4歳、夜35.8歳となっています。
 ?期生は、97人のうち、理科系が34人。その内訳は医師11人、特許庁や中央官庁をふくむ公務員が13人、マスコミ5人、弁理士3人でした。ここでは、入るための学科試験は行わず、書面審査と最終面接のみです。
 この本は、その?期生のうち12人のインタビューにもとづくものです。カリスマ塾講師までいるのには驚いてしまいました。彼は自分の仕事に誇りをもてなくなったようです。
 塾生が合格する最大の要因は、よい学習環境を与えることのできる親のもとに生まれたこと。日本社会でいま階級の二極分化が進行している。高学歴で高収入を得ている親は、子どものためにつかえる軍資金が豊富である。
 結局、彼は、自分がやっているのは特殊部隊養成所だな、そうつぶやいて、弁護士への転身を考えたというわけです。うーん、そうなのかー・・・。
 短大助教授をやっていた女性が弁護士になろうと思って本屋で憲法の本を読んだところたちまち憲法に魅了されたという話に心が魅かれました。
 それまで憲法を読んだことはなかった。初めて読んで、無機質なものと思っていたのが、すごく熱いものに感じられた。国家権力が立法や法の適用によって、国民の基本的人権を侵害しようとするときに、国家権力に「待った」をかけるのが憲法であることを知って感激した。憲法は、他の法律と違って、国民に義務を課すものではなく、国家権力に遵守すべき義務を課すものである。そうなんですよね。だから、小泉政府が憲法改正を言い出すのはおかしいのです。そもそも、権力の横暴を止めるために憲法が生まれたのですから。
 異なる社会環境に生きてきた優秀な人材が、いま弁護士をめざして法科大学院に集まり、切磋琢磨しています。こんな若者たちがいるのなら日本の将来は決して暗いものではない。そんな確信も抱かせてくれる本です。

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「レクサス」

著者:チェスター・ドーソン、出版社:東洋経済新報社
 アメリカで売れていた最高級車レクサスを今年からトヨタは日本でも売りはじめた。なぜか・・・。
 レクサスはこれまでに世界中で200万台が売れた。レクサスが100万台売れるまでに10年以上かかった。しかし、200万台に達するまでには、それからわずか4年しかかからなかった。今後3年半で300万台に達する見込みだ。
 レクサスはアメリカでは売れているが、ヨーロッパではそれほどでもない。アメリカ人が快適さと信頼性を好むのに対して、ヨーロッパの人は車の操縦性・性能・伝統を重視するから。発展途上国でもレクサスは苦戦している。
 では、アメリカでレクサスはなぜ好調なのか・・・。アメリカでは金持ちはますます金持ちになりつつある。2001年、アメリカで年に10万ドル以上を稼ぐ世帯は人口の 13.8%を占めた。10年前の10%から増えている。
 レクサスのターゲットは、まさに、そのリッチ層なのである。レクサスの顧客の平均年収は25万ドル。ディーラーは、レクサスを1台売ると6000ドルの収入となる。
 高級車仕様の車をつくるため、トヨタのチームはロサンゼルス郊外の高級住宅地も訪問した。アメリカの大金持ちが尊ぶ美的感覚をつかみたかったのだ。アメリカでボボブと呼ばれているニューリッチ層をターゲットとした。
 日本でレクサスをトヨタが売りはじめたということは、日本もアメリカと同じように、金持ちと貧乏人との格差がますます増大していっていること、金持ち層はますます金持ちになっていることを意味します。
 しかし、それは同時に、アメリカを見たらよく分かるように(最近のロシアも同じようですが)、犯罪の多発、テロ攻撃など、社会不安もますます強くなることを意味します。本当に怖いことです。
 車の内装や音など、エンジンのほかにもさまざまに気をつかった。工場は自動化を重視しすぎないようにし、最後は人間が仕上げる。
 レクサスが日本車だと思われないような広告・宣伝も工夫した。その結果、レクサスの購入者の年齢中央値は52歳である。
 高級車の利幅は非常に大きく、一般的なコンパクト・セダンの2倍以上はある。トヨタの利益の70%はアメリカ市場からのもので、その4分の1がレクサスによる。それほどに高級車はもうかる。
 アメリカにベンツ・BMWなどの高級車と決してひけをとらない車としてレクサスをすごく苦労しながら売り出していく過程は感動的です。それでも、レクサスが売れる現象を決して手放しで礼賛するわけにはいきません。

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2005年11月 2日

日本がもしアメリカ51番目の州になったら

著者:日米問題研究会、出版社:現代書林
 小泉首相は国連で安保常任理事国になろうと必死に努力していますが、なったところでどうせアメリカの票が増えるだけという冷ややかな見方が国際社会の常識になっています。私も、そう思いますが、本当に情けない話です。
 この本は、だったらいっそのことアメリカの51番目の州になった方が日本人は幸福になれるんじゃないのか、ひとつそれを検証してみようというものです。面白い試みです。
 アメリカの人口は2億8千万人。日本は1億2千万人。だから新合衆国の人口の3分の1を日系アメリカ人(日本人)が占めることになる。同じく世界のGDPの45%も新合衆国が占める。そして、新合衆国の下院議員の3分の1、223人の下院議員がニッポン州から生まれる。しかし、今後少なくとも35年間はニッポン人大統領はうまれないことになるだろう。
 問題は、そんなことより、普通の人々にとって、生活が暮らしやすくなるかどうかでしょう。そこを見てみましょう。
 アメリカには自治体のない地域に住む人々が1億人いる(全人口の38%)。アメリカには戸籍制度はないし、住民票もない。
 アメリカでは1973年に徴兵制度は廃止され、いまは志願制。ただし、有事の際には、選抜徴兵が実行される。これは18〜25歳の男子の義務となっている。州軍には正規軍の予備役としての役割がある。現にイラクには、アメリカから招集令状を受けた州兵3万人が派兵されている。
 現在、アメリカでは2億5千万丁の銃を9千万人が保有しており、銃によって毎年3万人近く死亡している。しかし、アメリカより銃の所有率が高いカナダでは年間の死亡者は160人にすぎない。銃の所持を禁止している日本でも年に40人が死亡。
 アメリカって本当に怖い国なんですね。
 今の日本は国民皆保険制度だが、アメリカにはこのような制度はない。アメリカでは自分の健康は自分で守るもの。だから、低所得層は無保険とならざるをえない。人口の14%、4000万人が無保険者。公的医療保険制度が2つあるが、あわせても人口の24%が対象。メディケアは65歳以上と身障者が対象で、メディケイドは低所得者層が対象。お金さえ出せば超優秀な医療を受けられるが、そこそこの資産しかなく、メディケイドほど貧しくないという人々は、最先端の医療の恩恵に浴することはできない。
 アメリカでは老後も自己負担が原則。死ぬまで自己責任だ。アメリカの老人介護は、人生の「勝ち組」は超豪華な介護施設で老後を満喫することができる一方で、中間層はナーシングホームにも入れないという現実がある。
 こうやって、いろいろ検討していくと、やっぱり今の日本の方が断然いいと思います。いえ、アメリカがひどすぎるのです。アメリカみたいな国にはなりたくない、したくない。つくづくそう思います。
 「日本はダメな国なんかじゃない」。それがこの本の結論です。
 うーん、やっぱりそうなんですよね。いろいろ参考になりました。

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震度ゼロ

著者:横山秀夫、出版社:朝日新聞社
 警察小説はここまで進化した。
 これは本のオビのうたい文句です。なるほどなるほど、そうかもしれません。県警本部のキャリア組と準キャリア組、そして「地方」(じかた)と呼ばれる叩き上げのノンキャリア組の部長たちとの確執が見事に描き出されています。
 最近、福岡県警本部長が着任早々に病気入院して更迭され、後任の本部長が着任してきました。まだ40歳台のキャリア組です。県警何千人のトップに立つのですが、大変なプレッシャーがかかるのでしょう。
 県警本部長は、飯を食うこととトイレに行くこと以外、自分でやることがない。・・・この本には、そう書かれています。本当でしょうか?
 県警にとって好ましくない話が本部長の耳に入るのを周囲の人間はひどく恐れていて、接触を求めてくる者を厳しくチェックし、選別している。・・・うーん、なるほどー。
 マスコミへの情報漏洩は、気に食わない上司を叩く、腹いせに顔を潰す目的でなされる。これは警察でも当たり前のことになっている。へー、そうなんだー・・・。
 交通部長より生活安全部長の方が格が上。刑事部長は、さらにその上だ。しかし、その上にキャリア組の警務部長が坐っている。警備部長は準キャリアなので、公式の記者会見では交通部長より下に坐らされる。ただし、どこの県警本部にでもあてはまる公式というものではないのかもしれません。
 事件は警務課長の突然の失踪から始まります。もちろん、ここで結末は明かせませんが、あっという驚きのラストです。
 本部長と各部の部長たちはお互いにライバル視し、それぞれに情報を入手しようと疑心暗鬼となり、部下を動かしてしのぎを削ります。情報を一刻も早く握ったものが勝ちなのです。県警本部のなかの人間模様はいかにもドロドロしていて、野望と陰謀が渦巻いています。官舎住まいをしている奥様連中も、夫の地位をカサに来ながら、毎日、角突きあわせるのです。警察官が大変狭い社会に住んでいることがよく分かります。これではストレスがたまるばかりでしょう。心から同情します。
 キャリア組の本部長が、金貸し(ヤミ金の元締めのような存在です)から賄賂(英国高級紳士服のお仕立券。35万円相当)をうけとってしまい、それを返さなければいけないことがストーリーの伏線になっています。県警本部と暴力団・右翼そして財界との結びつきは想像以上に強いようです。政治家も同じです。なにしろ、本部長を1回やったら、それだけでマイホームが一軒たつというのです。オウム(?)から狙撃された国松長官は超高級マンションに住んでいました。でも、警察庁長官といっても公務員だ。そんな超高級マンションが買えるほどの高給取りではない。裏ガネをもらっていたとしか考えられない。そんな疑惑が当時からあります。
 同時に、県警本部の部長たちが退職後に天下りしていく先を確保するのに必死になっている様子も紹介されています。フツーの警察官なら誰でも警察署長になることを憧れるでしょう。キャリア組なら入省して何年かしたら20歳台でなれる地位なのですが・・・。
 いま、私の身内(71歳の元務員)が公選法違反で逮捕され、警察署の留置場に入っています。毎日のように面会しているのですが、身体がきつくてたまらないと嘆いています。朝9時から毎晩11時ころまで取調べが続いて、疲労困憊の状態です。耳元にきて大声で怒鳴る。机の上を平手でバーンと叩く。こんな調子で責め立てられるのです。
 警察って、今でもこんなことをやっているのですね。逮捕されて疲労のきわみにあるなかで、彼らは民主警察なんて、とんでもないウソっぱちだ。そう述懐しています。

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2005年11月 1日

プーチニズム

著者:アンナ・ポリトコフスカヤ、出版社:NHK出版
 ロシアの寒々としたというより、資本主義化したロシアの最悪面と軍隊の本質的悪をいやというほど認識させられる本です。これを読むと、資本主義万歳とか、軍隊に入れて性根をたたき直せという言葉が、いかに間違ったものであるか、よくよく分かります。
 まずは、資本主義国家ロシアの悲惨な実情です。
 1991年、事実上の市場経済が導入され、多くの人が大金を手にして、中流階級が生まれはじめた。ところが、今やそれが消え去っている。
 ロシアでの事業成功の3条件。第1に、最初に国家のおこぼれに与った者が成功する。つまり、国の資産をわがものにした者が勝つ。だから、現代ロシアの大企業の大半の経営者は、かつての共産党の特権官僚や共産党員だ。第2に国の資産をうまく手にしたら、当局と仲良くする。第3に治安機関と仲良くする。
 店舗を手に入れるためには、自分のお金で買う権利を役人に与えてもらわなければいけない。それがロシア式資本主義。ギャングにお金を渡すと、連中がほかのギャングや役人から守ってくれる。ギャングは本当に便利な存在だ。
 エリツィン時代のロシアに犯罪組織が生まれ、成長していった。現在のプーチン政権下では、彼らが国家の舵をとっている。プーチンは富の再分配は不可能であり、すべては現状のままであるべきだと語る。プーチンはチェチェンでは神、いや皇帝のような存在かもしれない。生殺与奪の権を有している。しかし、そんなプーチンもマフィアに手を出すのは恐れている。私たちの想像をはるかに超えて、ここではお金が力をもつ。利益が何百万ルーブルという額になったとき、人の命や尊厳など無価値に等しい。
 ロシア人はマフィア同士を比べて、よりましな方を尊敬する。こっちより向こうの方が性質(たち)が悪いから、と言って。
 法は無法の前にあまりにも無力だ。国民が受けられる司法サービスは国民の属する階級によって決められる。社会上層部、つまりVIPの身分はマフィアや新興財閥が占めてしまっている。持たざる者には、もともと司法などない。
 プーチンが権力の座に就くと、権力機構のあらゆる椅子にKGB出身の人物が座ることになった。6000人を超すKGBなどの出身者がプーチンに続いて表舞台に躍り出て、現在では、ロシアの最上層部にひしめいている。
 プーチンの権力の強大化には西側も手を貸している。イタリアのベルルスコーニ首相だけでなく、ブレア、シュレーダー、シラクの支持を取りつけているし、ブッシュも何ら批判しない。プーチンは、この4年間、政策を国民に説明したこともない。
 プーチンの得意技は軍隊式の独白。階級が下である限り、口を閉ざし、偉くなってから独白しろ。同意するそぶりをするのは部下の義務なのだから・・・。
 まだ日本はここまでひどくはないと私は思います。でも、資本主義万歳を叫んで、弱肉強食のどこが悪いとうそぶきつつ、勝ち組・負け組という小泉流の政治改革をこのまますすめていったら、日本もそのうちロシア式の最悪の資本主義国になってしまうでしょう。
 次にロシア軍の実情。
 兵士が群れをなし、ときに小隊や中隊単位で毎週のように脱走している。2002年の1年間だけで、500人という大隊規模の兵士が暴行によって死亡した。
 兵士は将校の奴隷なのだというのがロシア軍の伝統だ。このロシア軍は常に国家の根幹をなす柱だった。そこは、今も昔も、有刺鉄線に囲まれた強制収容所そのもの。兵士たちが裁判もなく投獄され、将校たちが気まぐれに決めた刑務所並の規則がまかり通っている。
 軍隊の将校は2つに分かれる。一方の現場の将校は、実際に戦闘に参加し、己の生命をかけて山中をかけ巡り、雪や泥の中に何日も身を隠して過ごす。多くは何度も負傷している。もう一方は、すばやく出世する。世の中をうまく泳ぎ切り、別荘などを手に入れる。
 この本には、ロシア軍大佐がチェチェン人の若い民間人女性を村から軍をつかって誘拐し、強姦したうえ殺した事件を、ロシア軍がチェチェンの女狙撃兵を逮捕したところ抵抗したので殺した、このようにごまかそうとした事件が紹介されています。この事件は西側が介入したため、なんとかプーチンによって有罪とされました。
 でも、これって、かつての日本軍も、そしてアメリカ軍もしてきたことではありませんか。軍隊というのは、そういうことをするものだし、軍人による犯罪をかばい、むしろ賞賛すらする組織だというのが本質です。
 本当に背筋まで凍ってしまうほど恐ろしい本です。だからこそ一読をおすすめします。

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