弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2005年11月17日

サラ金トップセールスマン物語

著者:笠虎 崇、出版社:花伝社
 中央大学法学部を卒業して、大手サラ金に入社し、不動産担保ローン部で2年4ヶ月のあいだ働いた体験記です。経歴を隠して潜入したのではありません。会社からは新卒が来たといって、新人教育も受け、大事にされたようです。無担保・無保証・小口貸付のサラリーローンとは違って、不動産を担保にとる大口の融資ですから、同じサラ金といっても、かなりの違いがあります。
 それでも、2年あまりのサラ金会社に勤めた体験が活字になるというのは貴重です。私のようにサラ金問題にとりくむ弁護士にとって、大いに勉強になりました。
 サラ金は、ほんとは悪いもんだけど、必要なもんなんや。しばらく仕事を続けていくと、オレの仕事って、社会の役に立っているんだろうかと思うかもしれん。だけど、金貸しは社会に必要なんや。タバコといっしょで、サラ金は必要悪なんや。
 私もそのとおりだと思います。高利貸しをなくそうというスローガンを叫ぶ人がいますけれど、それは売春をなくせというのと同じで、かなり無理があると思います。(念のために言っておきますが、もちろん私は売買春はなくすべきだと考えています。ただ、世界の現実は、スローガンを叫んでいたらいつかなくなるという単純なものではないということを言いたいのです。その点、誤解のないようにお願いします。同じことは高利貸しについても言えます。人間の欲望をみたす手段のひとつとして金融業が発達してきているのですから、単純になくせと叫ぶだけでは実現不可能だと思います)
 私は、サラ金を必要悪だということで肯定もしません。隣りに暴力団が住んでいるのと同じで、私個人は暴力団がなくなったらいいと思いつつ、暴力団やサラ金の撲滅運動に加わりたくはありません。サラ金は決して必要なものではありません。こんなものない方がいいに決まっています。昔は質屋はあっても、サラ金はなかったのです。もちろん、クレジットカードもありませんでした。パチンコ屋が繁盛しているのと同じで、サラ金が隆盛をきわめているのは、日本人の日常生活と文化の貧困を示しているものだと考えています。
 金融業の鉄則は性悪説。人を疑うことからはじめる。客の言ったことを、一つ一つ疑ってかかっていく。まずは疑ってかかること。自分で確認したものしか信じないこと。それが金融業の基本だ。
 会社の成績が悪いやつに限って残業したがる。成績があがらないから残業代で稼ぐ。遅くまでやっているのは、仕事ができない人間だ。仲良くない集団っていうのは、一人、その集団の中にいじめの対象をつくる。すると、他のみんなはうまくいく。弱い者をいじめるという共通の話題をつくっておけば、お互いに干渉しあわないですむ。
 サラ金は、貸すときは若い女性を窓口に立て、その管理は若い男性店長がして、取立はまとめて取り立てセンターで熟練の社員がやるというシステムだ。
 客っていうのは卑怯なもの。いざ契約となったら迷ったりとかして、営業担当者の同情をひこうとする。そこで優しい言葉をかけたら、あとが大変になる。あとで返済が遅れて、きっといろいろ言い出す。
 客との駆け引きは恋愛みたいなもの。ただ相手に気に入られようとして、いいことばかり言ってもダメ。ときには怒ったり突き放したり、相手をじらす。でないと、相手は高飛車になる一方。客がどうしても必要なのはお金。だから絶対にそのうち戻ってくる。
 取り立てするときは、自分じゃない別の人間になりきる。取立の極意は、役者になりきれるかどうか。のっけから喧嘩ごしというか脅し口調で迫る。
 おい、あんた。何ふざけたまねしてるんや。オイコラ、ちゃんと聞いてるんかい・・・。おたく、なめとるんかい。仏の顔も三度までやで。家財道具でも売って身辺整理しておきなはれ。
 電話が終わったら、演技は終わりだと切り替えて、普通の自分に戻る。そうしたら、自分が嫌な電話をかけたとは思わないから。演技だから、多少おおげさでもいい。自分を捨てて、役になりきる。
 大事なことは、返済の遅れを、こっちはものすごく気にしているということを相手にきちんと伝えること。返済が遅れている客には毎日必ず連絡をとること。取り立ては暴力というより、心理戦というか頭脳戦。自分が貸したお金だと思って回収にあたることが大切。
 うーん、そうなんだー・・・。やっぱり、どこの世界でも極意があるものなんですね。

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