弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2016年7月 1日

揺れる北朝鮮

朝鮮(韓国)

(霧山昴)
著者 朴 斗鎮  出版 花伝社  

金正恩の北朝鮮支配の実体に肉迫している本だと思いました。
金正恩政権の4年間で、父の金正日時代の党側近や軍の最高幹部は、ほとんど姿を消した。この急ぎすぎは、金正恩の未熟さと性格から来ている。
極度に中央集権化され、その権力が指導者一人に集中されている北朝鮮の政治体制(首領独裁)では、指導者の性格が国家の政策にそのまま反映される。
元在日朝鮮人の母から生れ、公にできない出自から、金日成にさえ秘密にされて育った金正恩は、生い立ちのコンプレックスから、「日陰者」「目立たない存在」が大嫌いな、わがままで感情の起伏が激しい若者に育った。
自身の権威不足と業績不足を後見人の活用でクリアしていくという「まだるっこい」方法は苦痛でしかたなかった。権威のない指導者の歩む道は、今も昔も「恐怖政治」しかない。
北朝鮮指導者の三代目選定は、手続省略ですすめられた。
金正日は、2008年8月に、脳溢血で倒れたあと、自分の寿命が長くないことを悟り、後継者選定を急いだ。消去法により金正恩を選んだと考えられる。
金正日は、自分の予想よりはるかに早く寿命を終え、後継者に十分な帝王学を授けないまま、この世を去った。
金正恩は、わずか2年間の後継者授業しか受けていない。金正恩は、準備期間も資質も足りなかったので、世襲ご後継者というイメージを否定せず、むしろ世襲であることを前面に出し、「白頭の血統」一本やりで正面突破をはかる方式を選んだ。
金正恩が、いつどこで生れたのか、その母親は誰で、金正恩はどのような学校を出て、いかなる役職について今日に至ったのかという経歴が北朝鮮の教科書には、まったく出てこない。
金日成が生存していたとき、正恩の母であるヨンヒの存在は隠されていた。だから、平壌にも母子は公然とは住めなかった。
金正恩が祖父の金日成と一緒にうつっている写真は一枚もない。
金正恩は、1996年から2001年まで、スイスに留学していた。正恩の母、高ヨンヒは、大阪・鶴橋で生れた、在日朝鮮人出身の舞踊家だった。最高権力者となって4年がたった今でも、金正恩は母親の偶像化に着手すら出来ていない。
金正恩は、重要会議で居眠りをする幹部は思想的にわずらっている人間だと決めつけた。玄永哲・人民武力部長を処刑したときの罪名も「居眠り」がつけ加えられている。
金正恩の思いつき現地指導は、幹部たちの悩みの種。金正恩が視察するところに資金と資材を集中させなければならないために、国家計画や企業計画が安定的に遂行できない。つまり金正恩の遊覧式視察は経済成長の妨げになっていた。
自信を偉大に見せようとした金正恩は軍の首脳をはじめとした幹部たちを頻繁に交代させ、祖父のようなとしうえの将軍に向かってタバコをふかす映像を意図的に流した。
張成沢は、金正恩体制をつくりあげる過程で、自分のシナリオどおり進んだことへの過信が油断とおごりをもたらしたのだろう。
張成沢は、人民保安部のなかの武力である内務軍を20万人まで大幅に拡大した。張成沢はクーデター防止の名目で党行政部の力を強化していた。外貨稼ぎをかされ、中国と関係悪化を望んでいなかった張成沢は、金正恩と意見対立を増幅させた。これに、張成沢に利権を侵害されていた軍が金正恩に加勢した。
張成沢は、2013年12月金正恩によって反逆罪で処刑され、遺体は、焼放射機で跡形もなく焼き尽くされた。享年67歳。その家族もまた、すべて処刑された。
金正恩の粛清は、これまでの粛清の枠から完全にはみ出た以上なもの。金正恩には、生涯を通じて義理の叔父殺し、叔母排除の汚名がつきまとうことになった。父親の金正日ですら犯さなかった親族殺しの犯罪に手を染めたということは、それだけ金正恩の能力に欠陥があり、その体制が機弱であることの証左である。
 経済的破綻だけでなく、道徳的正当性までも失った金正恩政権の将来は明るくない。「白頭の血統」とパルチザン伝統が色あせたら、北朝鮮の首領独裁権力の正統性は維持できない。金正恩は、自分の意のままに動く幹部で周辺を固めようとしている。金正恩は、伝統的権力の破壊に向かっている。
この本は北朝鮮内部の組織と人脈を具体的に明らかにしていて、とても説得力があります。ずっしり重たい280頁の本です。ぜひ、手にとって一読してみてください。

(2016年3月刊。2000円+税)

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2016年7月 2日

原始仏典を読む

インド

(霧山昴)
著者  中村 元 、 出版  岩波現代文庫

 仏教の経典は本当は難しいものではない。日本で仏教が難しいものだと思われているのは、日本のことばに直さないで、今から数百年前の中国のことばで書かれたものを、そのまま後生大事にたもっているから。
 パーリ語で書かれた原始仏典を「三蔵」という。サンスクリット語は、インドの雅語で、バラモンが多く用いていた。パーリ語は、南方仏教の聖典用語。パーリ語は聖典語ともいう。
老いというのは嫌なもの。なんじ、いやしき「老い」よ!いまいましい奴だな。おまえは、人を醜くするのだ! 麗しい姿も、老いによって粉砕されてしまう。
死は、あらゆる人に襲いかかる。朝(あした)には多くの人々を見かけるが、夕べにはある人々の姿が見られない。夕べには多くの人々を見かけるが、朝にはある人々の姿が見られない。
他人が罵(ののし)ったからといって、罵り返すことをしてはいけない。善いことばを口に出せ。悪いことばを口に出すと、悩みをもたらす。
仏教の開祖であるゴータマ・ブッダの死は、信徒にとって永久に忘れられない出来事だった。
ゴータマ・ブッダが神的存在として描かれている文章は後代の加筆である。そうではなく、人間らしい姿が描かれているのは、多分に歴史的人物としての真相に近い。
ゴータマ・ブッダの実在は疑いなく、紀元前463年に生まれ、前383年に亡くなった。
ゴータマ・ブッダは王宮の王子として育ったが、王宮の歓楽の世界にあきたらず、出家して修行者となった。
ゴータマ・ブッダはネパール生まれの人であった。
ゴータマ・ブッダは「戦争なんかしてはいけない」と頭から言わず、諄々と説いた。
ブッダは共和の精神を強調した。共同体の構成員が一致協力して仲よく暮らすというのを大切にした。この精神をもっていると、たやすく外敵に滅ぼされることもないと強調した。 
「おれは世を救う者である。おれに従えば助かるけれども、そうでなかったら、地獄におちるぞ」そんな説き方をブッダはしなかった。
日本の天台宗は、草木も国土もすべて救われるという教えを説いた。
「南無」は「ナム」で「屈する」という意味。屈する、頭をたれる、つまり敬礼し、敬礼し奉るという意味。
インドの挨拶言葉、「ナマステー」の「テー」は「あなたに」という意味。だから、「ナマステー」とは、「あなたに敬礼いたします」という意味。
「法」という字の「サンズイ」は水で、水は水平、公平意味する。「法」は一種の神獣を意味し、直ちに罪を知る。
「マヌ法典」は、この法律によって弱者も、その生活を擁護され、強者もむやみに弱者を迫害しえない。弱いものでも法の力を借りるならば強者を支配することをインド人は早くから自覚していた。
仏教では、人間は人間である限り平等であるという立場を表明した。生まれによって賤しい人となるのではない。行為によって賤しい人ともなり、行為によってバラモンともなる。
自己を愛するということが、まず自分を確立して行動を起こす出発点なのである。同様に他の人々もそれぞれ自己はいとしい。ゆえに自己を愛するものは他人を害してはいけない。 
人は、なぜ嘘をつくのか。それは何ものかをむさぼろうという執着があるから。人間が嘘をつくのは、とくに利益に迷わされたときが多い。
著は1912年に生まれたインド哲学を研究する仏教学者です。さすがに、仏教とブッダについて深い学識を感じさせられます。原始仏教について少し勉強してみました。
(2014年9月刊。1360円+税)

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2016年7月 3日

『闘戦経』に学ぶ日本人の闘い方

人間

(霧山昴)
著者 斎藤 孝 、 出版 致知出版社 

私は知りませんでしたが、平安時代の末期に書かれた戦いの極意の書であり、日本最古の兵書『闘戦経(とうせんきょう)』にもとづいて、いま考えるべき心得を分かりやすく解説した本です。
 著者は授業をはじめるとき、教室に入る前に体を上下に揺すったり、ジャンプしたりして気合いを入れ、心身を活性化してから中に入る。
今日は何だか、かったるいなんて気持ちで授業に向かったことは一度もない。授業も一つの闘いなのだ。
 「てん・しゅ・かく」の三つをしっかりしないといけない。「てん」はテンションを高く保つこと。「しゅ」は修正能力。「かく」は確認を怠らないこと。
メールのやりとりは、すべて記録として残るので、決していい加減なことは言わない。
問われたときには、とにかく答えること。大切なのは答えの出来不出来ではない。何かしら言うこと。それは決断するというのと同じこと。
ネットに写真や発言をアップするときには、全世界に拡散するという覚悟でのぞむ必要がある。
部下に対しては、相手を信じて、ちょっと難しいミッションを設定し、それを正当に評価し、できていたらほめてあげること。それで人は意気に感じてがんばる。
期待されると、その思いにこたえたくなる。それが人間の本道。
勝ちに不思議の勝ちあり。負けに不思議の負けなし。つまり、負けるときには、必ず理由があるということ。
臨機応変力こそ、今の時代に求められていること。
デカルトは『方法序説』で、とにかく考えて考えて考え抜けと説いた。これ以上は考えられないというところまで行った末に結論が出たら、一気に断行する。これを実践することによって、デカルトは、世の中の不安と後悔から一生脱却できた。
軍の基本は、攻めて相手を滅ぼすのではなく、災いをあらかじめ防ぐことにある。
現代に生きる私たちにも役立つ指摘というか教訓がたくさんありました。

(2016年1月刊。1400円+税)

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2016年7月 4日

白磁の人

朝鮮

(霧山昴)
著者 江宮 隆之 、 出版 河出文庫 

日本が朝鮮半島を植民地として支配していたとき、朝鮮民族の文化を尊重して、地を這うように活動していた日本人がいたんですね・・・。
浅川巧という人物です。いまもソウル郊外の共同墓地に眠っています。韓国の人々によって浅川巧の墓は今日まで守られてきました。碑文には、次のように書かれています。
「韓国が好きで、韓国人を愛し、韓国の山と民芸に身を捧げた日本人、ここに韓国の土地となれり」
日本帝国主義の先兵となった日本人ばかりではなかったことを知り、うれしく思いました。
浅川巧は明治24年(1891年)に山梨県に生まれた。生まれたのは山梨県北巨摩(きたこま)郡。この巨摩というのは朝鮮半島の高麗(こま)人が住んだところという意味。つまり、浅川巧には、遠い朝鮮民族の血が流れている・・・。
浅川巧の兄・浅川伯教は、近代日本人として初めて李朝白磁の美に着目した。李朝白磁は、それより前に高い評価が定着していた高麗青磁に比べて、まだその美しさが認められておらず、二束三文で当時の朝鮮で、古道具店に置かれていた。
日本に併合される前、朝鮮の山は、その多くが共同利用地となっていた。「無主公山」と呼ばれて、個人所有者こそいないものの、共同で入会権をもつ山である。ところが、日本政府は軍用木材を必要としていたことから、韓国政府に「無主公山」を国有林野とさせたうえ、日韓併合によって日本の国有林とした。それによって朝鮮の人々は、共同利用地としての入会権を失った。そして、次に朝鮮総督府は、「朝鮮特別縁故森林譲与令」という奇異な法令によって、日本人や親日派の朝鮮人地主に分け与えた。新しい地主は、軍用材の需要にこたえて、もらった山林を乱伐していった。こうやって、朝鮮の山が荒れていった。
浅川巧は、そんな状況下で林業試験場で働いた。
李朝の陶磁には、白磁が断然多い。それは李朝の人々が白を貴び、白を愛好し、白色についての認識と感覚に優れていたせいだろう。
白磁の原料である白土も全土で見つけることができた。量も質も、とても良好な白土だ。
李朝時代の人々は、清浄潔白に対する敬愛の念から人間としても『清白の人』を理想とした。着衣も、上下ひとしく白衣を用いた。祭礼用の儀器も祭器も、ほとんど白磁だった。
京城で、日本軍人から迫害される唯一の日本人・浅川巧を周囲の朝鮮人は、敬愛し、敬慕した。
浅川巧は、ひどい目にあってもチョゴリ・パジを脱ごうとせず、朝鮮語で話し、笑った。朝鮮人は日本人を憎んだが、浅川巧は愛した。
浅川巧は昭和6年(1931年)4月、40歳で病死した。
日本敗戦のあと、在朝日本人の立退を求めて朝鮮の民衆が押しかけてきた。浅川巧の遺族の家に来たとき、浅川巧の家であることを知ると、人々は何もしないで立ち去ったそうです。死せる巧は、最愛の二人、妻と娘を守った。
映画にもなったそうですね。残念なことに、私は知りませんでした。170頁ほどの文庫本ですが、涙なくしては読めませんでした。
(2012年6月刊。580円+税)

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2016年7月 5日

吉野家で経済入門

社会

(霧山昴)
著者 安部修仁・伊藤元重  出版 日本経済新聞出版社  

吉野家の牛丼は、若いころにはときどき食べていました。早い、安い、うまいという点で、文句はありませんでした。最近は食べていません。
牛丼を構成しているのは、牛肉、米、玉ねぎ、たれの4品種。
牛肉はアメリカ産のショートプレート。はじめは国産牛肉だった。スライサーできる牛肉の厚さは1.3ミリというのを、ずっと変えていない。季節によって牛肉の質が変わるので、そのつど0.1ミリ単位で食感テストをやっている。煮上がったとき、どの厚さがもっとも食べやすいかを常に研究している。大事にしているのは食感。
国産のショートプレートではバラつきが大きく、味をはじめ標準化に無理があった。質の安定は大きな問題。脂身とまろやかさにショートプレートが最適。アメリカ産のショートプレートはジャパンスペックという品名で呼ばれる。このジャパンスペックは歩留料が99%になる。
吉野家としては、牛丼が永遠に主力商品であるという認識には立っていない。
熟成肉は、中心温度をマイナス1.7度にして、2週間保管する。熟成肉は、うまみがあって柔らかい。
松屋はチルド牛肉。部分牛肉を一度も凍結させず、冷蔵で回している。2ヶ月日持ちしないのが難点。
牛丼の原価は40%をこえる。牛丼380円のうち、材料費が150円。お米は北海道のきらら397。丼の上からつゆをかけるので、それがうまく染み込んでくれるのがベスト。粒張りとか固さとか、水分含有率など、いろいろ研究した。
吉野家に適した玉ねぎは、今は中国産。はじめは台湾産で、次はアメリカ産だった。
生姜は、ずっとタイがメイン。たれは、毎日、全国の店に配達している。各店の在庫量は、最大で1.5日分。朝に到着したら、翌朝までに使い切る。たれには、輸入物の白ワインを入れている。
アメリカ産の牛肉が入ってこなかったのは2003年12月から2006年7月までの2年半。牛丼を止めたのは、アメリカ産牛肉以外では、吉野家の味が出ないから。外の穀物肥育以外の牛肉を使うと、それを加熱したときに出るジュースが違う。だから、たれの構成成分も変えなくてはいけない。別の牛丼になってしまう。期待を裏切らないというのは、最優先の必須条件だ。
中国に吉野家は350店ある。人口500~600万以上の都市が50店以上の規模を想定できる地域。つまり、少なくとも数十店舗が出店できる地域(マーケット)じゃないと進出できない。
吉野家の店舗は日本に1200店、海外に650店ある。人材は、どんどん現地化している。牛肉はアメリカから、その他は、お米も含めてすべて現地調達。経済は現地で回す。海外で日本人が経営している子会社は、一つもない。
丼に肉盛りするまで、半年はかかる。離職率をできるだけ低くする取り組みをしている。人材を確保して、定着性を高めることを目指している。
現実にそうなっているのか知りませんが、ブラックバイトをなくすという目標をかかげているというのには共感しました。
味は三つある。先味、中味、後味。先味はうまそうだな、食べたい。中味は、これは本当においしい。後味は、ああ、うまかった、また食べたい、というもの。このなかで後味がもっとも大切だ。
たかが牛丼、されど牛丼なんですね・・・。

(2016年2月刊。1300円+税)

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2016年7月 6日

夕張毒ぶどう酒事件・自白の罠を解く

司法

(霧山昴)
著者  浜田 寿美男 、 出版  岩波書店

 事件発生は1961年3月28日。25戸しかない小さな村で宴会に供されたぶどう酒を飲んで5人の女性が死亡するという大事件が起きた。犯人として逮捕された奥西勝は当時35歳。妻と愛人の女性二人が死亡したことからも疑われた。三角関係の清算のために殺したのではないか・・・。
奥西勝は、4月2日深夜から3日の未明にかけて「自白」した。しかし、4月24日には否認に転じた。奥西勝に犯行を裏付ける決定的証拠は何もなかった。
 第一審は、奥西勝に無罪の判決を言い渡した(1964年)。ところが、第二審は、逆転死刑判決を言い渡した(1969年)。そして、奥西勝は延々と再審請求し、ついに2015年10月4日、89歳で獄死した。
奥西勝の「自白」によって、何か新たな事実が明らかになったわけでも、それが物的証拠で裏づけられたわけでもない。
 無罪は、無実とは異なる。検察側は「有罪」の立証を求められるが、弁護側に無実の立証が求められるわけではない。検察側が黒だと証明できない限り、灰色は「無罪」なのである。これが法の理念である。ところが、現実には、しばしば、あたかも弁護側は「無実」を証明しなければならないかのような状況に置かれてしまう。
 無実の人が虚偽の自白をしたあと、世間に向けて謝罪するというのは珍しくないこと。無実の人であっても、犯人だとして自白してしまった以上、求められたら犯人として謝罪するほかないからである。だから、謝罪までしたんだから犯人に間違いないと考えるのは虚偽自白の実際を十分に知らない、素朴すぎる見方でしかない。
 足利事件では、DNA鑑定によって無実とされたS氏は、任意同行で取り調べされて10時間ほどで「自白」した。その後、公判廷でも一貫して自白を維持し、1年たって結審したあと、ようやく否認に転じた。
 S氏は裁判所でも犯人であるかのように振る舞い続け、求められるたびに被害女児への謝罪の言葉を繰り返した。
たとえ虚偽の自白であっても、自分の口で語る以上は、そこに被疑者の主体的な側面が皆無ということはありえない。その状況を自ら引き受けて、自分から嘘をつく。そうした一種の主体性が虚偽自白の背後には必ずある。
 「自白」する前の厳しく辛い状況にあと戻りしたくない、出来ない心境にいる。だから、本当はやっていないのだけれども、もし自分がやったとすれば、どうしたろうかと、その犯行筋書きを考えざるをえない。その筋書きを想像しても語り、それが捜査側のもっている証拠と合致していればよし、合致していなければ、取調官のチェックを受け、その追及内容にヒントを得て、それにそって修正していく。このようにして、無実の被疑者が取調官の追及にそいながら「犯人を演じていく」。
 自白調書は取調官と被疑者との相互作用の産物なのである。このとき相互作用は、対等なもの同士のものではなく、両者には圧倒的な落差がある。その場を主導し「支配する」のは取調官である。被疑者は取調官によって「支配される」。人は任意捜査段階でも、状況次第で心理的に身柄拘束下に等しい状況に追い込まれる。
無実の人にとっては、死刑への恐怖が現実感をもって感じられず、それが自白に落ちる歯止めにはなりにくい。裁判官は、自分の無実の訴えをちゃんと聞いて、正しく判断してくれるだろうと、無実の人は考える。
被疑者は、拷問で落ちるというより、むしろ孤立無援のなか、無力感にさいなまれ、それがいつまで続くのか分からないなかで、明日への見通しを失って「自白」に落ちる。これが典型である。
冤罪は、言葉の世界が生み出す罪過の一つである。だからこそ、裁判のなかで積み上げられてきた「ことばの迷宮」にメスを入れ、これを整理し、分析し、総合し可能なかぎり妥当な結論を導くことが人にとって大事な仕事になる。
裁判官をはじめとする法の実務家は、思いのほか虚偽自白の現実に無知である。冤罪を防ぐ立場にいる裁判が防げるのに見抜けなかったとしたら、それこそ重大な犯罪だと言われなければならない。
 裁判官そして法曹の責任は重大であることを痛感させられる本でした。いささか重複したところもありますが、300頁の本書は法律家がじっくり読んで味わうに足りるものだと思いました。
(2016年6月刊。3000円+税)

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2016年7月 7日

ガザの空の下、それでも明日は来るし人は生きる

(霧山昴)
著者  藤原 亮司 、 出版  インプレス

 自爆攻撃をして爆死した子の親は次のように語った。
 「その日もいつもと同じ時間に起きてきて、いつもと同じように家族と朝食を食べ、そして家を出た。息子は、パレスチナの子どもや女性が撃たれるニュースを見て、憤りを感じていた。10人いる兄弟のなかでも、とくに優しい子だった。世界では、息子のような人間をテロリストと呼ぶことは知っている。でも、戦闘機やヘリコプターでパレスチナ人を殺し、町を破壊するイスラエルと、せいぜいライフルくらいしかない我々がどう戦えというんだ。私は殉教した息子を誇りに思う」
 むむむ、なんということでしょうか・・・。
 パレスチナ人の女の子に「大きくなったら何になりたいの?」と質問をした。その答えは、「朝、目が覚めて自分が生きていると分かったら、その日、何をしようかと考えるけれど、いつ死ぬかもしれないから、先のことは分からないな」。そして、続けた。「将来のことは、大人になるまで生きていたら考えるよ」 これが10歳の少女の言葉です。なんと苛酷な状況下に生きているのでしょうか・・・。
 イスラエルでは、男女ともに18歳になると兵役義務があり、男性は3年、女性は2年弱の兵役に就き、男性は40歳までは毎年1ヶ月間の予備役義務がある。もし兵役拒否をしようものなら、イスラエル社会のコミュニティーからはみ出して生きることになる。
 イスラエルでは、学校教育の中で、軍がいかに素晴らしいものであるかを徹底的に刷り込んでいく。
分離壁の効果は絶大だった。それは、パレスチナ人「テロリスト」の侵入を防ぐとともに、イスラエル人の意識のなかで、パレスチナ人の存在を薄める効果をもたらした。ユダヤ人だけでなく、イスラエル国籍をもつアラブ人にとっても、パレスチナ人が同胞という意識は薄れた。
 今やイスラエル軍の姿は見えない。無人攻撃機やF16からの空爆と遠方からの砲撃。イスラエル軍の兵士や戦車を一般のパレスチナ人は見ることがない。そして、遠くから飛んできたミサイルで突然に殺され、家を壊される。
 危険がいっぱいのパレスチナ現地を取材している数少ない日本人ジャーナリストです。ヨミウリ・サンケイもパレスチナの現地に特派員を出して戦場の実際を生々しく報道したらいいと思うのですが・・・。
 たくさんの写真も臨場感にあふれています。
(2016年5月刊。1800円+税)

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2016年7月 8日

米軍基地がやってきたこと

アメリカ


(霧山昴)
著者  デイヴィット・ヴァイン 、 出版  原書房

 米軍基地は世界中に展開する超大型フランチャイズだ。アメリカ国内には独立した外国の基地はひとつもないのに、外国には米軍基地が800近くもあり、何十万人もの米兵が駐留している。
 米国国防総省(ペンタゴン)によると、戦後70年たった現在でも、ドイツに174、日本に13、韓国に83の米軍基地が存在する。世界の70ヶ国以上に米軍基地はある。
アメリカ以外の国々のもつ在外基地は30。それに対してアメリカは800。
海外で暮らす50万人以上のアメリカ人が基地関係者だ。日本やドイツのように受け入れ国が費用を一部負担していても、アメリカの納税者の負担は、国内にいる兵士と比べて年間平均で4万ドルも増える。在外基地や軍の駐留を維持する費用総額は少なくとも年間718億ドルにのぼる。
 アフガニスタンやイラクにおける基地と兵士にかかる経費をふくめると、総額では1700億ドルをこえてしまう。
 在外基地を維持するためには、アメリカは好ましくない相手と手を組むこともいとわない。イタリアでは、米軍とマフィアが癒着している。
基地の存在が受け入れ国の安全を実際にどこまで高めているのかは疑問である。
輸送技術が進歩した現在、アメリカが海外に軍を駐留させておくメリットは、実は、ほとんどない。アメリカ本土やハワイから軍を配備するのにかかる時間は、海外にある多くの基地とほぼ変わらなくなっている。
 外国の基地は、危険な地域を安定させるどころか、軍事的緊張を高め、紛争の外交的解決を妨げることが多い。
米軍は、アフガニスタンから正式に撤退したあとも、少なくとも9つもの大規模な基地を残している。イラクから撤退したあと58か所の持続的な基地を保持しようとして失敗したが、要塞のような大使館は基地のような存在であり、アメリカの民間軍事会社の大規模部隊も残っている。そして、ISとの新しい戦争が始まると、何千人もの米兵がイラクにある5つの基地に戻っている。
 1980年代に起きた大虐殺で、ニカラグアでは5万人、エルサルバドルでは7万5千人、グアテマラでは240万人が死亡あるいは行方不明となっている。犠牲者の大部分は、貧しい一般市民だった。そして何十万人もの難民が近隣の国々やアメリカに殺到した。その原因は、アメリカ政府が供与した銃弾にある。
 1980年代、アメリカ政府は麻薬取引に関与する残忍なコントラや、ホンジュラス、グアテマラ、エルサルバドルの圧倒的な政権を支援し、中米の汚い戦争をあおった。その戦争によって何十万人もの人々が殺傷され、社会的関係がずたずたに壊された結果、貧困と危険、麻薬密売が蔓延し、かなりの人々がアメリカなどへの移住を強いられた。
在外米軍基地からは、すさまじい量のゴミが出る。平均的な沖縄住民の出すごみの量は年間270キロであるのに対して、米軍兵士はその3倍近い年間680キロものゴミを出す。
基地の外で女性を搾取するように若い兵士にけしかけておきながら、その舌の根も乾かないうちに、軍の女性を仲間のひとりとして扱えなどといっても、それは無理な注文だ。
 米軍の女性兵士は、敵の兵士に殺されるよりも、軍の仲間であるはずの男性兵によってレイプされることのほうが多かった。人間の社会では、ある種の条件でレイプや性的暴行が起きやすくなる。そうした条件がそろっているのが米軍であり、世界にある在外基地だ。そこでは、女性が男性より劣った存在とみなされる。ポルノやショーで女性はセックスの対象でしかない。男性は男らしさを発揮するよう教え込まれ、そそのかされる。その男らしさの概念の中心を占めるのは自分より弱く劣っていて、支配されてもしかたのない人間に対しては、いくら力と権力をふるってもかまわないという思想なのだ。
 沖縄にいる海兵隊は、緊急時に重要な活動に参加するための輸送手段をもたない。沖縄から単独で、迅速に作戦行動がとれないということは、この地域に海兵隊がいても抑止力があると言えるのか、疑問だ。海兵隊が沖縄に配属されるのは、訓練に絶好の場所だからだ。 
この本は、アメリカ軍の海外基地が日本にとっても有害無益であることを実証しているといって過言ではありません。
(2016年4月刊。2800円+税)

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2016年7月 9日

日本会議の研究

社会

(霧山昴)
著者  菅野 完 、 出版  扶桑社新書

 安倍首相を支えている一群の人々がなんと改憲どころか反憲そして明治憲法の復活を目ざしているというのです。呆れてしまいました。
自民党の改憲草案は天賦人権説をとらないとしています(解説書)。これは基本的人権の尊重は法律の範囲内とするということです。つまり、基本的人権は権力の命じるところによっていくらでも制限できるとします。
 「最終的な目標は明治憲法の復元にある。しかし、いきなり合意を得ることは難しい。だから、合意を得やすい条項から憲法改正を積み重ねていくのだ」
「保守革命」は、歴史認識、夫婦別姓反対、従軍慰安婦、反ジェンダーフリーの4点に課題を集中している。
安倍政権は日本会議によって支えられている。日本会議と日本青年協議会は目黒区にあるオフィスビルの同じフロアーに本部を構えている。両者は間仕切りもない。日本青年協議会の会長である椛島有三は、日本会議の事務総長をつとめている。
 元最高裁長官(三好達)が日本会議の代表でしたよね。恥ずかし限りです。この本には、現在の寺田逸郎長官も退官したら日本会議の代表に就任するのだろうか・・・と、心配しています。万一そんなことになったら、とんでもないことです。やめてほしいです。
 椛島有三は、「生長の家」の信者として長崎大学を右翼的に「正常化」した実績をもとに中央で活躍するようになりました。そして、現在、日本会議の実務を取り仕切っている人物には、「生長の家」出身者が多いようです。
 もっとも、現在、「生長の家」は、こうした右翼的活動を一切停止し、むしろ先日、安倍政権に反対し、野党を支持するという声明を公表しています。敬意を表します。
 日本会議の実体とその人脈を探り出した貴重な新書です。
(2016年6月刊。800円+税)

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2016年7月10日

父の遺言

日本史(戦前)

(霧山昴)
著者  伊東 秀子 、 出版  花伝社

 北海道で現役の弁護士として活動している著者は衆議院議員を2期つとめています。孫を可愛がっていた優しい父は、1987年に85歳で亡くなりました。その遺言書には次のように書かれていたのです。
 「子どもたちよ、ありがとう。日本に帰ってからの私の人生は、本当に幸せでした。兄弟仲良く過ごしなさい。絶対に戦争を起こさないように、日中友好のために、力を尽くしなさい。父より」
 明治35年に鹿児島県に生まれ、陸軍士官学校から憲兵隊に入って、満州に渡り、憲兵隊長(憲兵中佐)として活動した。日本の敗戦後、シベリアに送られ5年間すごしたあと、中国の撫順戦犯管理所に入れられた(1950年7月)。そして、1956年7月に特別軍事法廷で、禁固12年の刑に処せられた。その犯罪事実のなかには、731部隊に中国人22名を送ったということもあげられていた。
 731部隊とは、陸軍(関東軍)の秘密部隊であり、中国人などを生体実験の「材料」とし、残虐なかたちで死に至らしめた。少なくとも3000名以上もの人々が名前を奪われ「マルタ」と呼ばれ、全員殺害された。
 著者の父親は憲兵部隊長として44名もの中国人を731部隊に送ったことを認めた。中国から帰国したあとは、家族のために一所懸命に働き、子や孫にあり余るほどの愛情を注いでいた父親が、軍人時代に、中国で凄惨な生体実験にこんなにも多くの中国人を送り込んでいたとは・・・。
「戦争は、人間を獣にし、狂気にする」
「戦局が悪くなると、ますます指揮官も兵隊も狂っていく。そして歯止めが利かない」
ごくごく普通の人間が、同じ人間なのに、虫ケラとしか思わないようになり、むごたらしく殺して平気になる。それが戦争の狂気です。そんな世の中に再び逆戻りさせようとする自民・公明のアベ政権を許しておくわけにはいきません。それを実感させてくれる本でした。
(2016年6月刊。1700円+税)

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2016年7月11日

先生、イソギンチャクが腹痛を起こしています

生物


(霧山昴)
著者  小林 朋道 、 出版  築地書館

 先生!シリーズも、ついに10冊目となりました。すごいです。鳥取環境大学の学生は幸せですよ・・・。コバヤシ先生は相変わらず快走中です。
 でも、私には洞窟探検なんて、とても出来ません。真っ暗な洞窟に何がいるか分かりません。天井にコウモリがたくさんぶら下がっているのを見つけて喜ぶなんて、コバヤシ先生はやっぱり変人でしょう。いえ、その勇気には大いに敬意を表します。でも、コウモリの毛のなかにクモを見つけて、そのクモはどのコウモリ(の毛)を好むのか、なんて実験をするのです。なんだか学者って、正気の沙汰じゃありませんね。いえ、これも尊敬の言葉ですよ・・・。
 さらに、コウモリは、何か悪い病気をもっているかもしれないので、決して素手では触らないというのです。でも、手でつかんではいるのですよね。ええーっ、気色悪い・・・。
 さらに洞窟の奥にハクビシンがいたりします。ヘビなんかが、うじゃうじゃいるなんてことはないのでしょうか。
 コバヤシ先生の実験室では1メートル以上もある大きなアオダイショウを飼っています。ヘビを見たとき、モモンガがどんな反応を示すのかという実験もします。そして、ヘビが逃げたら追いかけて、尻尾をつかまえるのです。いやはや、私は生物学者になんて、とてもなれません。
私も小学生のころには、カエルを手でもって、地面にたたきつけて股をさいて皮をむき、ザリガニ釣りのエサにしていました。カエルのもも肉は絶好のエサなのです。ところが、成人してからは、カエルなんてとても触れません。梅雨になると家の周囲に全身緑色の小さなアマガエルが姿をあらわしますが、ともかく見るだけです。
 海水魚の話そして、犬が罪悪感を感じるのか、など、10冊目のこの本にも興味深い話が盛りだくさんです。なにより、写真がたくさんあるので見ても楽しいのです。
 コバヤシ先生と学生の皆さん、引き続きがんばってくださいね。
(2016年5月刊。1600円+税)


先日うけた仏検(一級)の結果が分かりました。46点でした(150点満点)。自己採点は54点ですから、8ポイントも下まわっています。これは仏作文、書きとりが自己評価以上に悪かったのだと思います。残念です。ちなみに合格点は84点ですので、あと40点も上乗せする必要があります。まだまだ険しい道のりです。くじけず、めげずに引き続きがんばります。

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2016年7月12日

スポットライト

アメリカ

(霧山昴)
著者  ボストン・グローブ紙 、 出版  竹書房

 映画をみに行こうと思っていたら、上映期間が短くて見逃してしまいました。
 宗教国家アメリカの恥部を暴いた映画として、必見だと考えていましたから、残念です。
 「カトリック教会の大罪」というのが、本のサブタイトルについているように、カトリック教会の司祭たちが信者の子どもたちに性的虐待を加えていて、それをカトリック教会が長いあいだ見て見ぬふりをして許していた、助長していたという事件です。ですから、訳者は、「決して楽しいお話ではありません。覚悟して読んでください」と、訳者あとがきに記しています。
 いま、全米6700万人のカトリック教徒のうち、4人に1人しか毎週のミサに参加しない。2015年、アメリカの司祭3万8千人は、1967年のピーク時の64%にすぎない。
 カトリック教会の長年の怠慢は、財政的な代償を払わされた。二つの教会が保険会社から見捨てられ、破産の瀬戸際にある。過去20年間で、聖職者の餌食になった人々への訴訟和解金は13億ドルにのぼる。
 ボストン教区のゲーガン司祭の被害者は、小・中学生にあたる年頃の少年たちだった。虐待行為の数々の証拠にもかかわらず、カトリックの司教や枢機卿は、問題の司祭たちを雇い、昇進させ、ねぎらった。
 虐待に関与したとされて職を解かれた司祭は、2002年はじめの4ヶ月で176人にのぼった。ゲーガン司祭は、救いがたい小児性愛者だった。2002年までに200人もの子どもたちがゲーガンにレイプされ、また触られた。そして、教会当局は、ゲーガン司祭の小児性愛癖を承知していた。
 絶望し、問題をかかえた若者が助けを求めて訪れる教区のカウンセリング・ルームで、シャンリー司祭は、権力と地位をつかって、彼らを餌食にし、性的虐待とレイプを続けた。
司祭が子どもにいたずらをするという考えは、当時も今も信者にもちろんない。だから被害にあった子どもは両親には言えなかった。誰も信じてくれない。司祭は万能の存在だった・・・。
 このような状況をボストンの地方紙が暴いていったわけです。すごいですね・・・。それにしても、教会って、そんなところなんですね。まったく呆れてしまいました。
 ゲーガン元司祭は、服役中の刑務所で白人至上主義の死刑囚に絞殺されたとのこと。68歳でした。
 宗教国家アメリカの恥部、そして民主主義の担い手のいるアメリカ。両面を知ることができる本です。
 
(2016年4月刊。1500円+税)
投票日の日曜日、夕方から小雨の合間を縫って庭の手入れをしました。このところ雨が続いていたので、雑草が伸び放題だったのです。
 草刈りバサミを使いすぎて、しまいには両腕が痛くなってしまいました。
 アジサイの花が終わり、カンナとヘメロカリスの花が咲いています。どちらも黄色の花です。
 今年はブルーベリーが豊作でした。夕食のデザートとして美味しくいただきました。


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2016年7月13日

ほんとうの法華経

日本史(古代史)

(霧山昴)
著者 橋爪 大三郎・植木 雅俊 、 出版 ちくま新書 

法華経は最高の経典である。最澄の伝えた天台宗が、そう教えている。法然の浄土宗も、親鸞の浄土真宗も、日蓮の連宗も、天台宗から分かれている。道元も、晩年は、法華経に心服した。つまり、わが国の仏教の大部分は法華経を最高の教典と考えている。
法華経は釈尊が最後の、いちばん大事な時期に説いた、とっておきの大切な教えなのである。
日本に伝わった法華経は、漢文だった。鳩摩羅什が5世紀の初めころ、サンスクリット語を漢訳したもの。
200年前に発見されたサンスクリット語の法華経原本を徹底的に読み解き、鳩摩羅什の漢訳とも照らしあわせて、読みやすい日本語としてよみがえらせたのが植木雅俊博士である。
法華経が最高の経典と言われるのは、人間は誰でも差別なく、一人残らず成仏できると説いているから。この教えを「一仏乗(いちぶつじょう)」と言う。
原始仏典で、釈尊は、「私は人間である」「皆さんの善き友(善知識)である」と語っていた。その覚りも、「まのあたり即時に実現される、時を要くない法」とされていた。
法華経は、お釈迦さまの滅後500年たってから編纂されている。お釈迦様の直説ではない。法華経を釈尊が説いたのは、72歳から80歳までの8年間かけてのこととされている。
自業自得というのは自己責任論で、決定論ではない。神さまや、他の人によって決められたものではない。自分の主体的な自由度に応じて、過去の様相が変わっていく。
法華経は、人間はもともと菩薩であり、ブッダになる可能性をそなえているから修行しなさいと説く。法華経は、すべての人を成仏させる教典である。法華経は、あらゆる人がブッダになれると主張した。
お釈迦さまが亡くなって100年たって小乗仏教になり、400年たったころ大乗仏典が登場してくる。
お釈迦さまは、金もうけはどんどんしなさい。ただし、富を得て蓄積しているだけでは無意味である。得た富を独り占めせずに、自分も活用し、他人にも振り分けて活用させ、社会に還元しなさいという立場をとった。
仏教は、もともとカースト制を否定する立場で、むしろそれを乗り越えていこうとしていた。
一辺が15キロメートルの立方体の岩を100年に1度、絹のスカーフで払って、岩がすり減ってなくなってしまう時間を、一小劫という。こんな長い長い、気の遠くなるような時間の単位があるのですね・・・。
声聞、独覚、女性、悪人、畜生に授記を与える経典は法華経だけ。
仏教では、「人を殺してはならない」というのは絶対的な原理である。自分は危害を加えられるのが嫌だから、他の人々も嫌だろうと考える。
男女の差別をしないのは、法華経の前提。しかし、極楽浄土には女性がいない。男性も女性も住生したら、みな男性になる。仏国土に女性の存在を認めたのは、法華経ともう一つあるだけ。
仏教は、もともと最下層の人々に寄り添う思想だった。キリスト教会において、神殿と教会は違う。教会は神のいる場所ではなく、信徒が祈る場所。
率直に読んでいけば、法華経の中心的な菩薩は、地涌の菩薩と不軽菩薩であることが分かる。
法華経で説かれているものが、ほんの少しだけ分かりました(そのつもりになりました)。
(2015年10月刊。1100円+税)

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2016年7月14日

フジテレビは、なぜ凋落したのか

社会

(霧山昴)
著者  吉野 嘉高 、 出版  新潮新書

 私はテレビを見ません。時間がもったいないからです。ニュース番組だって、NHKのアベやモミイにおもねる視点での解説なんて聞きたくもありません。そして、殺人事件など三面記事に出てくる殺伐とした画像で自分の目を曇らせたくはありません。ですから、フジテレビがどんな番組を放映しているのか、前と比べて今はどうなのかというのは、まったく実感のない世界です。でも、この本に紹介されている状況は分かるし、納得できますので、紹介します。
かつての王者だったころのフジテレビは、チャレンジ精神が旺盛だったようです。
1980年代にブレイクしたフジテレビは長らく放送業界のリーディング・カンパニーとして時代を先導してきた。
 ところが、今や、フジテレビは見る影もない。視聴率も営業成績も、ともに、かつてないほどの惨敗を喫し、社内の雰囲気もギスギスしている。かつてのフジテレビは、仲間意識は強いけれど、同調圧力が強いわけではなく、異才や鬼才がのびのびと能力を発揮できる雰囲気があった。ところが、「70年改革」によって、編成というテレビ局の「頭脳」と、制作という「身体」が分断され、その間に深い溝ができ、社内はギクシャクとして暗い雰囲気になった。仲間意識が希薄になり、現場の意欲が大きく減退していった。
 社長が労組を敵対視していたことから、会社全体のコミュニケーション不全が問題化していった。そして、番組制作が守りに入った。経済合理性に主眼を置いた組織改革は失敗した。視聴者に楽しんでもらうためには、制作者が自ら楽しまなければならない。つくる側が楽しんで入れば、自然にその楽しさが視聴者にも伝わっていく。
フジテレビは1997年、お台場に社屋を移転した。旧社屋にあって、新社屋にないもの。その一つが「大部屋」。熱エネルギーの発生源であり、関係者に一体感をもたらしていた「大部屋」がなくなった。
そして、成果主義の社員評価がとりいれられると、同僚が助けあう「仲間」から、争って負けるわけにはいかない「敵」に変わってしまう。社員が「勝ち組」と「負け組」にはっきり色分けされてしまった。番組制作上の上司の裁量が大きくなるのに反比例して、若手の自由度は低下していった。
このように分析されると、なんとなく分かりますよね。成果主義によって、目の前の視聴率で競争させられたりしたら、バカバカしくなってしまいます。自由にのびのびと、たまに経営者ともケンカできる。そんな雰囲気の職場こそ、良い番組がつくれるんだろうと門外漢の私も思ったことでした。
(2016年4月刊。740円+税)

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2016年7月15日

昭和史のかたち

日本史(戦前)

(霧山昴)
著者  保阪 正康 、 出版  岩波新書

 昭和という時代は、62年と2週間のあいだ続いた。明治は45年までですからね。
 東條英機は陸軍士学校出身の高級軍人、吉田茂は東京帝大法学部出身の外交官、
田中角栄は自らの力でのし上がっていった庶民。この三人の総理大臣の共通点は何か...。三人とも獄につながれた経験があるということ。
 東條は巣鴨プリズンに収容され、絞首刑となった。吉田は敗戦の年(1945年)4月に陸軍憲兵隊から逮捕された。目黒区の小学校の教室が牢獄代わりになっていた。田中は、戦後まもなく逮捕されたのは、一審有罪、二審無罪になったが、ロッキード事件で逮捕され、その裁判の途中で亡くなった。
なぜ特攻を、海軍兵学校や、陸軍士官学校で軍事教育を受けた軍人たちが、行わなかったのか...。
1人の軍人を育てるために、国がどれだけのお金を使うか。一般の給料が40円とか50円の時代に、軍の学校では一人1,000円とか2,000円を使っていた。そうして育てた軍人を、なんで特攻なんかで死なせることができるものか...。軍事のためにどれだけ役に立つか、それこそが戦時下における「人間の価値」であり、「値段」なのだ。つまり、軍事的な価値のない者から先に死んでいけというのが日本軍国主義の考え方なのだ。学徒兵や少年兵には、国はお金を使っていない。
軍部は天皇に対して真実を伝えないようにしていた。「統師権の独立」というのは、天皇からも「独立」していた実態がある。
 陸軍当局は、エリート意識に凝り固まって、戦争とは自分たちの面子(メンツ)を賭けた国策であるとし、そのために「天皇の名において」国民の生命と財産を恣意的に用いて戦争を続けた。戦争とは高級軍人の存在を確かめるための愚劣な政治行為でしかなかった。
 太平洋戦争が進められていた3年8ヶ月のあいだに、大本営発表は、846回あった。1941年(昭和16年)12月には、88回の発表があった。しかし、戦況が不利になっていくにつれ、虚偽、誇大、日本の被害を逆にする捏造などに、変化していき、最終的には、まったく発表せず、沈黙に逃げ込んだ。
 戦争という国策を選択したのは、議会でも国民でもなく、軍官僚とその一派だった。
 憲法上に明記されていない大本営政府連絡会議が決定し、それを御前会議が追認するという形の決定だった。
 東亜新秩序をつくるという意味は、ヒットラーや、ムッソリーニと共に世界新秩序を作る戦いであり、「東亜解放」など、露ほども目的とされていなかった。
 特攻作戦を国家のシステムとして採用した国は第二次世界大戦では日本だけ。
 天皇に戦争責任はあるか...。責任はあると考えるのは、当たり前のこと。なにより昭和天皇自身がそう考えていた。責任があるということを否定すること自体、昭和天皇に非礼なのである。
よくよく考え抜かれた新書だと思いました。
(2015年10月刊。780円+税)

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2016年7月16日

平成28年・熊本地震

社会

(霧山昴)
著者  熊本日日新聞社 、 出版  熊日出版

 震度7の前震(4月14日)と本震(4月16日)は、本当に恐ろしいものでした。前震を本震と考え、あとは余震があるだけだろう・・・なんて「常識」を見事に覆した地震は、まさしく大災害です。
 そして、その日以来、今日まで震度1以上の地震が1800回をこえています。つい先日(6月29日)にも震度4の地震がありました。震度4でも怖いものですが、今では、妙になれたところがあり、それがかえって不気味です。
 この写真集は、その熊本地震による被害状況をくっきりうつし出しています。ドローンを使った空撮もありますので、被害のすさまじさが手にとるように伝わってきます。
 なんといっても、阿蘇大橋が完全に消失してしまった状況をとらえた写真には息を呑みます。私も何度も通ったことのある大橋がまったく姿を消してしまったのです。近くの山肌には巨大な土石流のあとを認めることができます。
 そして熊本城です。天守閣の屋根に瓦がほとんどありません。痛々しいまでの丸裸です。そして、櫓は今にも崩れ落ちてしまいそうです。市内中心部に堂々とそびえていたお城に威厳を感じられません。残念です。
 益城(ましき)町は、民家がボロボロです。これでは住めません。
 大自然の脅威のなか、住民がボランティアの力も借りながらお互いを支えあって生活している様子の写真で少し救われます。自衛隊の災害救助活動は必要だと思いますが、地震にかこつけて憲法を停止させる緊急事態条項が必要だなんて主張する与党の政治家には腹が立ちます。
 子どもたちの笑顔も紹介されています。本当は、みんな怖いんだよね。でも、みんなで支えあって乗り切るしかないんだよね。
熊本で被災した皆さんが、無理なく、がんばってほしいと願わずにはおれません。
(2016年6月刊。926円+税)

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2016年7月17日

茅花流しの診療所

明治

(霧山昴)
著者  若倉 雅登 、 出版  青志社

 茅花は「つばな」と読みます。四国は大洲、内子町で油屋の娘としてマサノは生まれた。明治38年、マサノは尋常高等小学校を卒業して上京した。13歳のときである。寄宿舎に入って医学の勉強をはじめた。
 四国の親は月15円を仕送りしてくれたが、生活にまったく余裕はない。それでも、小学校の教師の初任給は10円から15円の時代なので、仕送り15円は大金だった。
 東京女医学校は、医師試験の合格者を輩出するようになった。明治43年にはマサノをはじめとして12人もの女医が誕生した。このときマサノは19歳、最年少だった。
 「東京日日新聞」がマサノについて「未成年の女医者」として報道した。
東京で医師として修業したあと、郷里での開業をせっつく親の願いを断り切れず、大正2年、内子に戻って開業することになった。ところが患者が来ない。ヒマをもてあましていると鉱山事務所が鉱山病院へ招いた。
鉱山病院で医師として診察活動をしていると、鉱山の毒によるのではないかと疑われる症例に直面するようになった。
鉱山病院をやめ、地元に戻り、研修のため上京した。やがて、結婚し、出産したあとマサノは腸チフスにかかってしまった。
マサノの最期の言葉は、「もはや1時間なり」だった。予言どおり、1時間に永眠した。45歳だった。
「大丈夫、心配するな、なんとかなる」、そう言い続けて、マサノは患者に寄り添い続けた。これは、記録には残らない功績である。
四国の片田舎からわずか13歳のときに上京して医学をおさめ、19歳で女医となったあと、田舎に戻って患者に寄り添う医師として活動していた事績がこまやかな筆致で描き出されていて、深く心に残りました。
著者は、私と同世代の現役の眼科医です。素晴らしい本でした。ありがとうございます。
(2016年2月刊。1400円+税)

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2016年7月18日

吼えよ江戸象

江戸時代

(霧山昴)
著者  熊谷 敬太郎 、 出版  NHK出版

 江戸時代に長崎から江戸まで、はるばる陸路で象が歩いていった史実をふまえた歴史小説です。そのストーリー展開の美事さに思わず引きずり込まれてしまいました。「痛快時代小説」というオビのフレーズに文句はありません。
 ときは八代将軍・吉宗のころ。吉宗は南町奉行の大岡越前と何やら謀議をしている気配がある。江戸時代は「鎖国」していたと言っても、実はヨーロッパの情勢やら中国そして東南アジアの文物が日本に入ってきていた。そして、日本からひそかに人間が送り出されていた。人買いの話である。
 象の重さをいかにして量るか。このような問いかけがなされた。『三国志魏書』に答えがのっているという。いったいどんな正解があるのか・・・。
戦後の日本で、象を乗せた列車が走って、子どもたちを大いに励ましたという話(歴史的事実です)があります。江戸時代の人は実物の象を見て、どう思ったのでしょうか・・・。
象は江戸に来たら、そのまま死ぬまで江戸にいたようすです。でも、一頭だけでしたので、子どもは生まれるはずもありません。メス象は日本に連れてこられて早々に死んでしまったのでした。ともかく、象は大喰いですから、象をタダで見せるわけにはいかなかったのです。
 先ほどの問いの答えは、象を船に乗せることによって重さを量るというものです。それ以上、詳しく知りたかったら、この本(438頁)をお読みください。
  象が江戸に向かったのは享保14年(1729年)で、寛保2年(1742年)12月、象は21歳で病死した。象の糞は、乾かされて黒焼きにされて薬として売られていた。
象と心を通いあわすことのできる少女が登場することによって、話は一段と面白くなります。また、象の挙動の意味も理解できます。ともかく、象を陸路、江戸まで連れて歩いていくという旅程で次々に起きる難事を見事にさばいていくのも痛快です。
あまり難しいことを考えたくないという気分のときに読む本として一読をおすすめします。
(2016年2月刊。2200円+税)

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2016年7月19日

猛禽探訪記

生物(鳥)

(霧山昴)
著者  大田 眞也 、 出版  弦書房

 熊本に生まれ、熊本で学校の教師をしていた著者が長年の野鳥観察をふまえて、ワシ、タカ、フクロウなどの生態を写真とともに紹介しています。
 クマタカ、オオタカ、イヌワシ、ツミ、トビ、サシバ、ミサゴ、ノスリ、チュウヒ、そしてハヤブサ・・・。著者は遠くから一見して違いが分かるようです。すごい識別眼ですね。私には、どれも似たような猛禽類としか見えません。
猛禽類(もうきんるい)とは、鉤形(かぎがた)に曲がった鋼鉄のような強靭で鋭い爪と嘴を有して、魚類や両生・爬虫類はおろか、さらには同じ鳥類より進化した哺乳類をも鋭い爪で鷲掴みにして捕え、鉤形の嘴と強い背筋力によって肉を引きちぎって食べてしまう猛々しい鳥のこと。タカ目、ハヤブサ目、それにフクロウ目をさす。
フクロウもタカやハヤブサと同じグループなんですね。
イヌワシのエサは、ニホンノウサギ(54%)、ヤマドリ(18%)、ヘビ(17%)。ワシって、意外にヘビをたくさん食べるのですね・・・。地上のヘビが、空中からよく見えるものです。
イヌワシは番(つがい)で狩りをすることが多い。ヒナが育つなかで、先に大きくなったほうが、小さいヒナを殺して、親が食べ、大きなヒナにも食べさせる。これを「イヌワシの兄弟殺し」という。残酷なようですけれど、合理的な子育てなのです。
クマタカは、山里での人の暮らしの中で共存してきた、山里を代表するタカである。
ミサゴは海中の魚を空から襲って食べる。しかし、その狩りは命がけで、獲物が大きすぎると、逆に水中に引き込まれて溺死することもある。
蜂を主食とするハチクマは、マレー半島やスマトラ島と日本を行き来している。50日あまりで、1万キロを飛ぶ。東シナ海を渡るときには、夜間も飛び続ける。いやはや、なんともすごいことです。
ハヤブサは時速282キロという記録をもっている。アマツバメの時速320キロに次ぐ。これって、まるで新幹線並みですね。どうやって、そんなエネルギーをあの小さな身体に保持しておくのでしょうか・・・。
鳥たちと人間がいつまでも共存できる自然環境を保持したいものです。
(2016年5月刊。2000円+税)

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2016年7月20日

福島第一原発・廃炉図鑑

社会

(霧山昴)
著者  開沼 博 、 出版  太田出版

 これだけ地震の多い国なのに、まだ原発を再稼働させようとするなんて、電力会社は正気の沙汰ではありません。自分の金もうけのためなら、日本人がどうなろうと、日本列島に人が住めなくなろうと、そんなの知ったことじゃないという姿勢です。許せません。
3.11から早くも5年が経ちました。福島第一原発の廃炉作業の現状を知りたい人には打ってつけの本です。写真がたくさんあって、状況がわかります。そして「いちえふ」というマンガで、作業員の状況を紹介した著者のマンガもあるので、さらに理解を助けてくれます。
1号機から4号機について、図解して、その現況が紹介されています。
放射能汚染水対策も、それなりに動いているようです。問題は、燃料デブリの処理です。あまりにも高濃度の放射能を発しているため、今でもその存在状況は把握できていません。
 4号機から燃料取り出しは、幸いなことに無事完了しました。30人の作業者チームが一日最大6班、1班あたり2時間交替で作業したとのことです。
 いま、福島第一原発で作業している人は、1日あたり7000人にもなります。そして、1500社もの事業者が関与しているのです。
昨年(2015年)9月には大型休憩所に食堂がオープンし、温かい食事が食べられるようになった。それまでは、コンビニ弁当に頼っていた。そして、ローソンが出店した。
勤務開始時間の午前8時に間に合うよう、バスはいわき市内を6時20分にスタートする。だから、5時過ぎには起きてバス停に向かう。終業時は、16時40分、残業する人に向けて6時と7時に2便が出ている。
作業員の平均年齢は46歳。このほか除染のために働いている人が、1万9千人いる。
原発の廃炉に向けた作業が真剣に取り組まれていることを知って、少しだけ安心しました。それでも、やっぱり原発って怖いですよね。東電の社長や会長(取締役は全員)が、家族ともども「福一」の近くに居住すること義務づけてほしいと思います。そうすると、もっと真剣に東電という会社は安全確保を考えるのではありませんか・・・。

(2016年7月刊。2300円+税)

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2016年7月21日

わが少年記

日本史(戦前)

(霧山昴)
著者  中野 孝次 、 出版  彌生書房

 日本敗戦時に20歳。戦前に生まれ、小学校高等科を卒業したものの中学校には進学できず、父親の下で大工見習いをした。しかし、独学で勉強して、高校(熊本の五高)に入り、勉強の途中で召集令状によって兵隊にとられたという体験が小説化されています。
 ここでは、わずか4ヶ月間ではあったけれど、苛酷な軍隊生活について紹介します。
 軍隊という特殊な閉鎖社会にいた120日の体験は、ただ陰惨な奴隷の日々以外の何物でもなかった。みずからの意思も判断力もない一個の単位として、古兵たちの命じるままに動き、古兵の脚にとびついてゲートルをとらせてもらい、ひたすらその気まぐれを怖れる存在でしかなかった。そこには、一切の「私」の時間がないばかりか、「私」というものは許されなかった。
軍隊教育とは何か・・・。それは、人間の個性、個体差、感情、自主判断、思考力など、あらゆる「私」の部分を削りとって、人間を命令どおり均一に行動する戦闘動物に仕立てる教育である。そこでは、個人の尊厳などは一切認められず、いわば、人間を戦う奴隷に仕立て直す教育である。
 日本陸軍には、「しごかなければいい兵隊にならない」という奇妙な教育観が伝統的にあって、陰湿なイビリが黙認されていた。殴れば殴るほど、兵隊はよくなるという、暗黙の了解が軍隊にはあった。
 軍隊とは、兵隊の中の「私」を徹底的に摩滅せしめ、規格的な戦闘員に仕立てる組織であった。そのことを可能とする根拠として、絶対的な階級制度と命令系統とがあり、それを貫く精神的原理として「天皇の股肱」たる軍隊という考え方があった。
 敗戦後、きのうまで天皇の軍隊と称し、すべて天皇からの賜りものといっていた将兵たちが、敗戦と聞いたとたんに、軍の物資を略奪しはじめた。個にかえった兵とは、こんなにも醜いものだったのか・・・。
戦前に多感な思春期を過ごした著者の無念さ、やるせなさが惻々と伝わってくる本でした。本棚の奥にあった古い本を探し出して読んでみたのです。
(1997年3月刊。1553円+税)

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2016年7月22日

パークアヴェニューの妻たち

アメリカ

(霧山昴)
著者  ウェンズデー・マーティン 、 出版  講談社

 ニューヨークはマンハッタン島に住むセレブ族の女性の生態が著者の体験を通じて明らかにされています。いやはや、大変なところです。
 マンハッタンのアッパー・イーストサイド、70丁目台のパークアヴェニューに住み、子どもたちのためにママ教室に通い、子守と言い争い、他のママとお茶をして、富裕層向けの音楽レッスンに願書を出し、保育園の審査を受けた。
 マンハッタン島のなかには、母親という別のシマがある。アッパー・イーストサイドの母親たちは、一般人とは違う特殊な種族だった。彼女たちの社会は、ある種の秘密社会で、独自のルールや儀式、制服や移動パターンが行きわたっている。
 アッパー・イーストサイドの子どもの日常は、誰の目から見ても尋常ではない。専属運転手、子守、ハンプトンズまでの自家用ヘリ。2歳児のための「まっとうな」音楽教室。幼稚園の入園試験と面接に合格するための3歳からの家庭教師。4歳になったら遊びの約束のコンサルタント。そして、子どもの送迎にふさわしい服を母親たちにアドバイスしてくれるワードロープ・コンサルタントもいる。
ここのママたちの日常は、まさしく奇怪と言える。彼女らは愛情あふれる母親であると同時に、勝ち組になる、ひいては勝ち組の子どもの母になることを固く決意した、企業家なみの野心をもった君主でもある。
あちこちのアパートメントのロビーで、おしゃれバトルが繰り広げられる。女性たちが、来る日も来る日も、服装を競いあうのだ。ブルネロクチネリやロロ・ピアーナを着てめかしこんだ女性が、西部劇の決闘場面さながらに明け方に一堂に会する。
そして、服とともにバッグがことさら重要なのだ。バッグは、甲冑(かっちゅう)であり、武器であり、旗であり、さらにはそれ以上のものらしい。攻撃する女性は、みな高級バッグを持っていて、標的にそれをこすりつけるのを喜んでいるようだ。
バーキンのバッグ。1年に2500個しかつくられない。8千ドル(80万円)とか、15万ドル(1500万円)のバッグ・・・。マンハッタンの誰もがバーキンを欲しがる。なぜか・・・。バーキンは、とりわけ高いステイタスシンボルであり、女性にとっては究極のシンボルといってよい。憧れの的であると同時に、希少なバーキンは女性同士の敵対心を、マンハッタンの女性たちのあいだであまりにも頻繁にみられる接触や視線のなかに潜在する女性の執着心を引き出す。
マンハッタンの女性のヒエラルキーで上の位置する女性が美容にかける1年分の費用は、最低でも9万5千ドル(950万円)かかる。靴は600ドル(6万円)とか1200ドル(12万円)。
たとえば、ハイヒールを一晩中はくためには、足に注射しておく。足の一部の神経を麻痺させておくのだ。
体裁を取つくろって、体面を保つ。それが、この地域の掟であり、生き方なのだ。
 セレブ女性たちの生態は恐ろしすぎて、とても近寄れません・・・。
(2016年4月刊。1600円+税)

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2016年7月23日

ながい坂(上)(下)

江戸時代

(霧山昴)
著者  山本 周五郎 、 出版  新潮文庫

 久しぶりに周五郎を読みました。40年以上も前、司法修習生のとき、周五郎にぞっこんの同期生からすすめられて読むようになりました。細やかな江戸情緒と人情話の展開にしびれました。次から次に周五郎の書いたものを読んでいきましたので、大半は読んだかと思っていましたが、新潮文庫の目録をみると、なんと大半は読んでいないようです。
周五郎は、私が大学に入った年の2月に63歳で亡くなっています。ということは、50代のころにたくさん書いたのですね。この「ながい坂」は著者が60歳のときに「週刊新潮」に連載を始めたものです。1年半におよぶ連載です。
たしかに本格的長編です。でも、ちっとも飽きがきません。次はどういう展開になるのか、頁をめくるのがもどかしい心境です。この本を読んでいるときは至福の境地でした。いやはや、細やかな人情の機微をよく把えつつ、大胆なストーリー展開にぐいぐい惹かれていきました。文章が、ついかみしめたくなるほど味わい深いのです。
解説(奥野建男)を紹介します。なるほど、このように要約できるのですね・・・。
「圧倒的に強い既成秩序の中で、一歩一歩努力して上がってきて、冷静に自分の場所を把握し、賢明に用心深くふるまいながら、自己の許す範囲で不正とたたかい、決して妥協せず、世の中をじりじりと変化させていく、不屈で持続的な、強い人間を描こうと志す。
それは、ほとんど立身出世物語に似ている。いや作者は、生まれや家柄を不当に区別され、辱しめを受けた人間が、学問や武道や才能により、つまり実力と努力により、立身出世を志し、権力を握り、そして自分をあざわらった人間たちを見返すのは、人間として当然の権利であり、正しい生き方だと言っている。
それは学歴もないため下積みの大衆作家として純文壇から永年軽蔑されてきたけれど、屈辱に耐えながら勉強し、努力し、ようやく実力によって因襲を破って純文壇からも作家として認められるようになったという、自分の苦しくにがい体験をふまえた人生観である。作者は、生まれながらの身分に安んじ、小成で満足して、出世する仲間の足をひっぱる、志もなく自らは努力もしない向上心のない卑しい人間を、もっとも嫌悪する」
作者はこの「ながい坂」を自分の自叙伝のつもりで書いたというのですが、この解説を読んで作者の心が少し分かりました。疲れた頭をしばし、スッキリさせてくれる清涼剤として一読をおすすめします。
(2016年2月刊。790円×2+税)

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2016年7月24日

米軍が見た東京1945秋

日本史(戦後)

(霧山昴)
著者  佐藤 洋一 、 出版  洋泉社

 敗戦前後の東京を写したアメリカ軍の写真が公開されています。
 東京が焼野ヶ原です。これじゃあ100年は復興できないだろうな、日本人は全滅したんだな、そう思える写真のオンパレードです。
 私のすんでる町も、戦後に残ったのは三つのコンクリート造りの建物だけでした。市役所と化学工場のビルとデパートです。私の父は、化学工場のビルに身を寄せていました。
 ところが、100年どころか、戦後まもなくから東京にワラワラとひとが集まってきて、たちまち建物をたてはじめ、住みついていき、あっという間に復興していくのです。
 この写真は、日本敗戦の前後をよく撮っています。戦前の写真はアメリカ軍による空襲の効果測定のために撮られています。
アメリカ軍による東京への空襲は105回。これによって10万人が亡くなり、286万人が罹災した。
東京への空襲には、延焼効果を狙った焼夷弾(しょういだん)が使われ、犠牲者の大半は火災による焼死だった。空襲にあたって、アメリカ軍は衝撃中心点を定めて計画的にことをすすめた。
コンクリートビルが焼け残っても、内部は焼失した。だから、「焼けビル」と呼んだ。
9月18日の東京駅プラットホームで撮られた写真があります。日本人は男は復員軍人、そして女性はモンペ姿なのですが、アメリカ兵が何人もいます。天井がありません。青天井なのです。雨が降ったら大変だったでしょうね。それでも、10月6日の有楽町駅のプラットホームには天井があります。燃えなかったのでしょうか・・・。
どこもかしこも見渡す限り焼野ヶ原なのですが、それなのに9月から10月に入ると、人出があるのです。まさしく地中から地上に人々がはい出てきたという様相です。
戦争に負けるとは、こういうことなのか、改めて、それを実感させてくれる貴重な写真集です。
(2015年12月刊。2400円+税)

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2016年7月25日

南部百姓・命助の生涯

江戸時代

(霧山昴)
著者  深谷 克己、 出版  岩波書店

 『殿、利息でござる』は、いい映画でした。江戸時代も末ころの百姓・町民が自分のことのみ考えるのではなく、マチやムラ共同体全体のことを優先して考え、必要なら自分を犠牲にするのもいとわないという生き方をしていた実践例です。
この本の主人公も、同じく江戸時代の末ころに生きていました。
奥州・南部藩の城下町、盛岡の牢内で、1人の百姓が安政6年(1859年)に3冊、文久元年(1861年)に1冊、合計4冊の「帳面」を書き上げた。この4冊は、今も子孫筋の手元に保存されている。
 この帳面を残した百姓の名は命助(めいすけ)。文政3年(1820年)に生まれた。肝煎(きもいり)格の家とはいえ、生活はそれほど楽ではなく、天保の飢饉のときは17歳で秋田藩院内の鉱山に出稼ぎに行った。
命助は身長174センチ、体重112キロという巨漢だった。
ペリー来航という「外患」をかかえた嘉永6年(1853年)、南部三閉伊(さんへい)地方に一揆が起きた。命助34歳のときである。この一揆は仙台藩領への越領(えつりょう)強訴(ごうそ)という方法をとり、8千余の百姓が南部藩領を出た。そして、やがて45人の総代だけを残して帰国した。命助はこの一揆の頭人(とうにん。リーダー)の一人として活躍した。
 一揆のあと命助は村役人となるが、代官所の追及があって、家族を残して村を出て、仙台藩領内で、修験者(しゅげんしゃ)として暮らした。そのあと、京都へ上がり、公卿二条家の臣となった。そして、朝廷の権威を借りて南部藩に戻ったところ、南部藩に命助だと見破られ、牢に入れられた。
 獄中生活は6年8ヵ月に及び、命助は45歳のとき牢死した。それまでの牢生活のときに書いた帳面が4冊残っている。
 百姓の子が習学するのは、江戸時代も後期になればそれほど異例ではなく、命助も10歳をこえたら四書五経を素読で学んだ。
 一揆というと、勝手放題の打ちこわしというイメージがありますが、実際には、きちんと統制のとれた行動をしていたようです。そして、45人もの総代がいて、犠牲者を出さない工夫をいくつもしていたのです。
 すごいですね。現代日本人のほうが、負けているんじゃないかという気がします。やっぱり自分の納得できない社会状況に置かれたら、声を上げるべきなんです。安倍首相の言うとおりにしておいたら、いつか良いこともあるだろう、とか、政治家なんて誰も彼も同じようなものだから、投票所へ足を運んでもムダなんて思い込んでいると、もっとひどいしっぺ返しがあるのです。やはり、目を見開いて、いやなことはノーと言い、平和なニッポンに生きたいという自分の要求を声をあげるべきです。
 1983年に発行された本が30年ぶりに復刊されました。江戸時代の一揆の実際を知る有力な手がかりになるものです。
(2016年5月刊。420円+税)

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2016年7月26日

あたらしい憲法草案のはなし

社会

(霧山昴)
著者  自民党の改憲草案をひろめる有志連合 、 出版  太郎次郎社エディタス

 著者のフルネームは、自民党の憲法改正草案を爆発的にひろめる有志連合です。
 1947年に文部省が中学生向けにつくった教科書『あたらしい憲法のはなし』と同じ体裁で自民党の改憲草案の時代錯誤であり、危険な内容をとても分かりやすく解説しています。 
ウソでしょ、まさか、今どきそんなこと言わないでしょ・・・、と突っ込みを入れたくなる場面ばかりなのですが、アベ首相もイナダ政調会長も、頭の中には、ここに書かれていることを本気で信じ込んでいて、実現しようとしているのです。
先日の参院選のとき、この本が国民に、とりわけ若い人に爆発的に読まれていたら、投票率が10ポイントも上がり、野党統一候補が圧勝して、自・公政権を覆すことができたと思います。
 本文60頁、800円ほど、一気に読めます。本書がとりわけ若い人に読まれることを願っています。
自民党の改憲草案の三原則は、
 一、国民主権の縮小
 一、戦争放棄の放棄
 一、基本的人権の制限
自民党の改憲草案の前文では、主語が「日本国民」から「日本国」に変わっている。これは、国民を必要以上につけあがらせてはいけないという考え方による。主語を変えて、国の中心が「国民」ではなく、「国」そのものであることをはっきりさせている。国があってこその国民なのである。国民主権という名のもとで、国民が調子に乗りすぎるのを防ぐために、国民主権を縮小する。
 憲法9条を変えて、日本は正々堂々と、自衛のための戦争ができるようになる。しかも「自衛権の発動」には、制限がもうけられていないので、自分の国を守るためなら、どんな戦争でもしてよいことになる。これを「積極的平和主義」と呼ぶ。国防軍が守るのは、あくまでも「国」であって、「国民」ではない。国の安定のためならば、軍隊は国民にも銃を向ける。どこの国でも、今も昔も、軍隊というのは、そういう組織なのだ。
 しかし、みなさん、心配は無用。国防軍に殺されたくないなら、政府に反抗したり、騒いだりしなければよい。
これまでの憲法では、たくさんの権利が国民に与えられている。これでは国民がつけあがって、権利、権利と騒ぐのもあたりまえ。だから自民党は国民が勘違いしないようにする工夫をこらした。国をつかさどる大きな仕事に比べたら、個人の権利などは小さな問題でしかない。
民主主義は平和なときはいいかもしれないが、非常時には邪魔なだけで、ひとつもいいことはない。憲法草案の三原則は「日ごろのそなえ」で、緊急事態条項は「いざというときの切り札」。この両面からのまもりで、日本はますます強い国になる。
民のくせに国のリーダーに命令するなんて、おこがましい。
まだまだあります。たとえば、基本的人権は日本の国土にあわない、個人より家族を大切にする、などです。こんなことを主張している自民党の改憲草案をぜひ一度、手にとって読んでみてください。あなたは、それでも自民党を支持しますか・・・。改めておたずねしたいです。
もっと早く刊行されて、参院選の前に爆発的に読まれてほしかった小冊子です。いえ、今からでも決して遅くはありません。
(2016年6月刊。741円+税)

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2016年7月27日

刑罰はどのように決まるか

司法

(霧山昴)
著者  森 炎 、 出版  筑摩選書

 日本では、「犯罪者は刑務所行き」という定式はまったく成り立っていない。検察庁が受理する「犯罪者」は年間160万人前後で、そのうち6割が不起訴となり、刑務所に入るのは3万人弱、比率として2%弱でしかない。有罪になってもその6割は執行猶予となっている。
 刑務所に入れた場合であっても、早く仮釈放すればするほど、それだけ再犯は少なくなるという関係にある。満期までつとめたほうが再犯率は高い。
刑務所生活が長ければ長いだけ、社会への適応は困難になる。
日本の再犯率は40%。治安の維持にとって、初犯者よりも再犯問題の占めるウェートは大きい。近年、初犯者の数は順調に減り続けている。
刑務所では、衣食住、医療費、光熱水道費すべてを刑務所がまかなっている。一人あたりの年間費用は46万円。
日本で定められている法定刑は必ずしも合理的ではない。日本では、10年前まで殺人よりも現住建造物放火のほうが重かった。
殺人罪の受刑者の平均刑期は7年。殺人罪の量刑相場は、20年前は懲役8年、10年前は懲役10年、そして現在は懲役13年となっている。
アメリカの調査によると、殺人の3分の2は親しい知人間で起きていて、そのうちの8割は家庭内で発生している。女性は寝室で殺され、男性は台所で殺される。日本では、行きずりの殺人は稀。
コンビニ強盗が強盗犯の主流になっている。日本で銀行強盗は少なく、銀行から預金をおろして帰る人を途中で襲う「カモネギ待ち」強盗が多い。
被告人は裁判所の法廷で「反省している」と述べさせられる。しかし、法廷で良心にしたがって本心を言うと刑を重くされる。裁判所に迎合する虚飾の演技が強要される。日本の裁判所は欧米の教会のようなもので、裁判官は説教師で、被告人がざんげないし改悛の情を述べると、罪一等が減じられる。
元裁判官による本なので、裁判所の内部の動きを垣間見ることが出来ます。
                                    (2016年1月刊。1600円+税)

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2016年7月28日

エンゲルス

イギリス

(霧山昴)
著者  トリストラム・ハント 、 出版  筑摩書房

 大学生のころ、マルクスやエンゲルスの本をむさぼるように読みました。そして、ぐいぐいと目を開かせてもらったものです。
この本は、生身のエンゲルスをたっぷり紹介しています。理想像ではなく、等身大の人間として、紹介されています。エンゲルスだって、生身の人間ですから、いろいろ問題はあったのです。それでも、彼がなしとげた理論的功績が、そのことによって帳消しになるわけでは決してありません。
エンゲルスは、自らはイギリス産業革命の揺籃地であるマンチェスターで家業の綿工場を経営していた。そのお金で、40年にわたって友人のカール・マルクスとその家族の生活を支えた。マルクスが亡くなったあと、その生前に刊行できなかった『資本論』の2巻と3巻を完成し、刊行した。
エンゲルスはヴィクトリア朝中期にマンチェスターで綿企業を経営し、南アメリカの大農園からランカシャー州の工場やイギリス支配下のインドにまでおよぶ世界貿易の経済連鎖に日々たずさわっていたため、グローバル資本主義の仕組みに関する経験をもった。それが、マルクスの『資本論』に盛り込まれた。
エンゲルスは、マンチェスターではチャーチスト運動に関与し、1848年から49年にかけてドイツでバリケードによる市街戦に加わり、1871年にはパリ・コミューン支持者たちを鼓舞し、1890年のロンドンではイギリスの労働運動の難度を目の当たりにした。
人生の盛りの20年という長い年月にわたって、エンゲルスはマンチェスターの工場経営者としての自己嫌悪に陥る立場に耐え、マルクスが『資本論』を書きあげるための資金と自由を保障した。
エンゲルスは、プロイセン(ドイツ)の裕福なカルヴァン派貿易高の御曹司として生まれ育った。軍人であると同時に、知識人でもあったエンゲルスは、まさに将軍だった。
資本主義の最大の罪は、それが人間の楽しみを否定することによって、人の魂を傷つけたことだった。より具体的にいうと、快楽が金持ちだけのものとなった。
エンゲルスが24歳のときに書いた『イギリスにおける労働者階級の状態』は、20世紀になって都市化するイギリスの恐怖、搾取、それに階級闘争を簡潔に記した読み物となっている。この本は、共産主義理論の草分けとなる文献だった。
マルクスとエンゲルスは、プロイセン(ドイツ)のライン地方出身という同じ背景をもち、ひどく異なる点はあるものの、二人は相互に補いあう性格として認めあった。エンゲルスのほうが明るく、歪みの少ない、協調性のある気質であり、身体的にも知的にも、エンゲルスのほうが利いて回復力に富んでいた。
1848年2月の『共産党宣言』は、発刊された当時は、なんの衝撃ももたらさなかった。
エンゲルスが最後にいちばん期待をかけていたのは1861年のアメリカ南北戦争だった。
マルクスとエンゲルスは手紙をやりとりしていた。その手紙から、マルクスが『資本論』に関する考えを、エンゲルスと相談しながら発展させていったことが分かる。『資本論』の初期の推進力の多くは、エンゲルス自身によるものだった。
久しぶりにマルクス・エンゲルスの本を読み直してみようと思ったことでした。
(2016年3月刊。3900円+税)

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2016年7月29日

ハイエナ

警察

(霧山昴)
著者  吉川 英梨 、 出版  幻冬舎文庫

振り込み詐欺の内幕を生々しく描いた警察小説です。とても勉強になりました。
暴力団をバックにした巧妙な分業体制がとられています。電話で泣きと脅しをする「架け子」グループが主犯だとは思いますが、ターゲットを効率よく落とすための精度の高い名簿屋が欠かせません。
この本によると、名簿屋になっているのは介護サービスを表看板にしたグループ。介護サービスを実施しながら顧客やその家族の内情を徹底的調査して名簿にまとめる。
横浜の名簿は他に比べて2割増しで売れる。詐欺の成功率が高いからだ。世田谷とか三鷹の名簿も高く売れたが、東京西部を食い尽くしたいま、いったん東京から離れる必要があった。
訪問介護の仕事で、ヒマをもてあましている老人たちの世話をする。彼らの口は異様なほど軽い。自宅のセキュリティもゆるゆる。自宅に派遣されてくる訪問介護員は、全員、いい人だと思い込んでいる。家族に相手にされず、ただひたすら時間をもてあましている、さみしい老人たち。愚痴もかねてなんでもかんでも話してしまう。とくに母親は、いとしい、いとしい息子の話をしっかりと・・・。
10人分の名簿をつくってネットの裏サイトで売りに出したら、詐欺グループの番頭クラスが5人も接触してきた。この名簿は高く評価されて、評判になった。成功率が9割だから、なるほど・・・。
番頭は名簿屋から、500万円で100人分の名簿を受けとった。高齢者の住所・氏名・電話番号だけでなく、その家族構成や職に至るまで完備した豪華盛りの情報は、一件あたりの値段が法外に高い。しかし、その分、ヒット率も高い。
被害者(マト)は、架け子のトークに最初こそ怪しんでも、息子の職場や所属、孫の名前や幼稚園の名前まで聞かされるうえ、架け子たちが醸し出す臨場感と切迫感にコロッと騙される。
番頭のケータイは、全部で7台ある。黒が各店舗の架け子リーダーとの専用電話で3台、青が受け子リーダーで2台、白は道具屋。相互連絡の専用ケータイをつかうのは、詐欺組織が芋づる式に検挙されないための防御策である。
受け子は、直接ターゲットと接触する重要な仕事であるにもかかわらず、パクられたって刑務所送りになることはない。刑事には知らぬ存ぜぬを貫き通したらいい。ただ、ネットで見つけた高額バイトに応募しただけだと言う。でも、受け子リーダーの存在を口に出したら、アウト。詐欺組織の一味と見なされ刑務所行き。言わなければ、留置場に1週間ほど放り込まれて終わり・・・。
スリーマンセルとは三人組を指す。横領ネタは息子が会社のお金を横領したというシナリオ。
鉄道警察を名乗り、コトの家族が痴漢行為をしたとして示談金をせしめる詐欺は鉄警という。つかっている名簿は、名簿屋から大金を出して購入した貴重な「道具」だから一度や二度の失敗で捨てることはない。別のシナリオで可能かどうか番頭たちが検討する。
この本は悪徳詐欺商法の内幕を紹介するものとして一読に値する警察小説です。
(2016年6月刊。800円+税)

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2016年7月30日

檻の中のライオン

司法

(霧山昴)
著者  楾 大樹   出版  かもかわ出版

 権力をライオンにみたて、そのライオンに自由勝手なマネをさせないための、檻(おり)が憲法だという、とても分かりやすい憲法の解説書です。
 ところで。著者の名前は何と読むでしょうか・・・。こんな漢字は見たこともありません。「はんどう」と読みます。ちなみに、手元の漢和辞書で、引いてみました。すると、どうでしょう・・・。角川の漢和中辞典にはありませんでした。木と泉という、よく見る字の組み合わせなので、あってもよさそうですが・・・。
 「ライオンは強いうえに、わがままなことがあります。暴れ出したら手がつけられません。
 歴史を振り返ると、ライオンが私たちを襲いかかることがよくありました」
 そうなんですよね。今のアベ政権をみていると、よく分かります。ネコなで声で、ささやきながら、とんでもない恐ろしいことを平気でやっています。マスコミを支配していますので、自分の都合の悪いことは、多くの国民に知らせないようにしています。
ライオンが「緊急事態には檻から飛び出してキミたちを守れるように、内側からカギを開けられるような檻を作りかえよう」と言い出した。
 でも、ライオンは、本当に私たちを守るためだけに檻から出るのでしょうか。勝手な都合で檻から出て、私たちを襲わないという保障がどこにあるのでしょうか・・・。
 ライオンが自ら「緊急事態だ」と言いさえすれば、檻から出すことが出来るのなら、檻がないのと同じということです。
 たくさんの絵とともに解説されていますので、中学生以上だったら理解できる内容だと思います。小学生でも、高学年だったら、読んで聞かせて、問答形式にしたら、かなり分かってもらえるように思います。
 広島の若手の弁護士である筆者のますますのご活躍を心から期待しています。
(2016年6月刊。1300円+税)

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2016年7月31日

志は高く、目線は低く

司法

(霧山昴)
著者  久保利 英明、 出版  財界研究所

 大先輩の弁護士が50年前にアフリカへ単身で渡って旅行したときの体験を書きつづっています。
 旅へ出発したのは、1968年4月のことです。私は大学2年生になったばかり。セツルメント活動に打ち込んで、大忙しの毎日でした。やがて、6月に東大闘争が勃発し、翌年3月まで、まともな授業はありませんでした。
 著者は4月13日に日本を出て、日本に戻ってきたのは9月27日です。この5ヶ月間のうちの2ヶ月間をアフリカで過ごしています。
 私自身は大学生のときもそうですし、弁護士になるまで海外旅行するなんて考えたこともありませんでした。勇気がなかったというもありますが、なによりお金がありませんでした。
 では、著者は、いったい海外旅行の費用をどうやって工面したのか・・・。なんとなんと、中学生になるころから、株式投資をしていたというのです。これには参りました。すっかり降参です。株式投資なんて、今に至るまで考えたこともありません。株式投資に失敗した人の相談は何度も乗りました。先物取引の失敗は詐欺商法だということで、弁護団をつくって取り組み、それなりの成果もあげました・・・。著者は株式投資が成功したため、結局、「無銭旅行」を楽しめたというのです。すごいですね。
 著者は50万円を用意して出発。6ヶ月間の世界旅行なので、1日5ドルの貧乏旅行。勇気ありますよね。私はとても真似できません。
ところが、父親は、こう言って反対した。「せっかく難しい試験に受かって弁護士になれるというのに、アフリカで死んでしまったらどうするんだ・・・」。これに対して母親は、反対しなかった。「3人も子どもがいるんだから、一人くらい死んだって仕方ないわよ」。ええっ、冗談にしても、すごいセリフですね・・・。
 著者は出発時に84キロあった体重が、帰国したときには、20キロも減って62キロになっていた。今では、かつての80キロは軽くオーバーしているのではないでしょうか・・・。
 なぜ20キロも減ったのか。それは、この本を読むと一目瞭然。すごい貧乏旅行なのです。現地の人と同じ水を飲んでも、ほとんど下痢することもなかったというのですから、よほど著者の胃腸は頑丈なのでしょうね。うらやましい限りです。
 アフリカでもどこでも、著者は日本人だというだけで、現地で優遇された。
 あのころの日本人は、世界中で特別な存在たった。もう戦争はしない、軍隊も持たないと言っている。そして、柔道や空手をしていて、武士道に精通した人たちばかりだと思われていた。
 今では、日本人は、アメリカべったりで、「戦争するフツーの国の人」になり下がってしまいましたよね。あのアベ首相のせいで・・・。
 スーダンではラクダのくるぶしを丸ごとグツグツ煮こんだ料理を食べたそうです。空腹だったせいもあって、とても美味しかったとのこと。牛のテール料理みたいなものなんでしょうか・・・。
 最後に著者は、弁護士にとって大切は「3つのY」を強調しています。一つは、柔らかい頭。二つ目は、優しい心。そして、三つ目は、勇気。
 なるほど、これは私もまったく同感です。
「ことは急げ。見るべきものはすぐに見る。ほしいと思ったらすぐ買え。チャンスは二度ない」
 23歳の東大生が書いたというのです。見事です。
 ちなみに、私は、司法試験に合格したあと、小さな診療所で受付事務していました。お金がなかったので、アルバイトをして生活費を稼いだのです。海外旅行するなんでいう選択肢はありませんでした
 本書が著者の年齢と同じ71冊目になるというのもすごいことです。今後ますます元気にご活躍ください。
 たまには、自分40年前50年前を振り返って初心を思い出すのも、人間にとってもいいことだと思いました。
(2016年2月刊。1500円+税)


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