弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2016年7月 6日

夕張毒ぶどう酒事件・自白の罠を解く

司法

(霧山昴)
著者  浜田 寿美男 、 出版  岩波書店

 事件発生は1961年3月28日。25戸しかない小さな村で宴会に供されたぶどう酒を飲んで5人の女性が死亡するという大事件が起きた。犯人として逮捕された奥西勝は当時35歳。妻と愛人の女性二人が死亡したことからも疑われた。三角関係の清算のために殺したのではないか・・・。
奥西勝は、4月2日深夜から3日の未明にかけて「自白」した。しかし、4月24日には否認に転じた。奥西勝に犯行を裏付ける決定的証拠は何もなかった。
 第一審は、奥西勝に無罪の判決を言い渡した(1964年)。ところが、第二審は、逆転死刑判決を言い渡した(1969年)。そして、奥西勝は延々と再審請求し、ついに2015年10月4日、89歳で獄死した。
奥西勝の「自白」によって、何か新たな事実が明らかになったわけでも、それが物的証拠で裏づけられたわけでもない。
 無罪は、無実とは異なる。検察側は「有罪」の立証を求められるが、弁護側に無実の立証が求められるわけではない。検察側が黒だと証明できない限り、灰色は「無罪」なのである。これが法の理念である。ところが、現実には、しばしば、あたかも弁護側は「無実」を証明しなければならないかのような状況に置かれてしまう。
 無実の人が虚偽の自白をしたあと、世間に向けて謝罪するというのは珍しくないこと。無実の人であっても、犯人だとして自白してしまった以上、求められたら犯人として謝罪するほかないからである。だから、謝罪までしたんだから犯人に間違いないと考えるのは虚偽自白の実際を十分に知らない、素朴すぎる見方でしかない。
 足利事件では、DNA鑑定によって無実とされたS氏は、任意同行で取り調べされて10時間ほどで「自白」した。その後、公判廷でも一貫して自白を維持し、1年たって結審したあと、ようやく否認に転じた。
 S氏は裁判所でも犯人であるかのように振る舞い続け、求められるたびに被害女児への謝罪の言葉を繰り返した。
たとえ虚偽の自白であっても、自分の口で語る以上は、そこに被疑者の主体的な側面が皆無ということはありえない。その状況を自ら引き受けて、自分から嘘をつく。そうした一種の主体性が虚偽自白の背後には必ずある。
 「自白」する前の厳しく辛い状況にあと戻りしたくない、出来ない心境にいる。だから、本当はやっていないのだけれども、もし自分がやったとすれば、どうしたろうかと、その犯行筋書きを考えざるをえない。その筋書きを想像しても語り、それが捜査側のもっている証拠と合致していればよし、合致していなければ、取調官のチェックを受け、その追及内容にヒントを得て、それにそって修正していく。このようにして、無実の被疑者が取調官の追及にそいながら「犯人を演じていく」。
 自白調書は取調官と被疑者との相互作用の産物なのである。このとき相互作用は、対等なもの同士のものではなく、両者には圧倒的な落差がある。その場を主導し「支配する」のは取調官である。被疑者は取調官によって「支配される」。人は任意捜査段階でも、状況次第で心理的に身柄拘束下に等しい状況に追い込まれる。
無実の人にとっては、死刑への恐怖が現実感をもって感じられず、それが自白に落ちる歯止めにはなりにくい。裁判官は、自分の無実の訴えをちゃんと聞いて、正しく判断してくれるだろうと、無実の人は考える。
被疑者は、拷問で落ちるというより、むしろ孤立無援のなか、無力感にさいなまれ、それがいつまで続くのか分からないなかで、明日への見通しを失って「自白」に落ちる。これが典型である。
冤罪は、言葉の世界が生み出す罪過の一つである。だからこそ、裁判のなかで積み上げられてきた「ことばの迷宮」にメスを入れ、これを整理し、分析し、総合し可能なかぎり妥当な結論を導くことが人にとって大事な仕事になる。
裁判官をはじめとする法の実務家は、思いのほか虚偽自白の現実に無知である。冤罪を防ぐ立場にいる裁判が防げるのに見抜けなかったとしたら、それこそ重大な犯罪だと言われなければならない。
 裁判官そして法曹の責任は重大であることを痛感させられる本でした。いささか重複したところもありますが、300頁の本書は法律家がじっくり読んで味わうに足りるものだと思いました。
(2016年6月刊。3000円+税)

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